米国留学日記
スタンフォード大学留学中の日記を一部掲載しています(2002年3月19日〜9月18日)。
3月19日(火):日本時間
とうとう米国留学の出発日が来た。スタンフォード大学アジア太平洋研究センター(A/PARC)に,半年間Visiting
Scholar として滞在するのだ。
やはり最大の問題はやはり米国で英語が通じるかだ。日本の英会話学校では一番高いクラスに入れられていたが,話す方はともかく,リスニングには全く自信がない。まあ何とかなると思って頑張るしかないのだが・・・。
飛行機に乗り込み,さぁ,どんな半年になるんだろうか・・・と思っていると,すぐにソウルに着いた。ソウル到着後,トランジットが4時間程度あるので,免税店で買い物をした。
英語力を試すいい機会だと思って,英語で商品の説明を尋ねると変な顔をされて,「日本の方ですか?だったら日本語で話しましょう」と言われた。うーーん,この人が英語を話せないのか,それとも僕の英語が通じないのか・・・。ちょっと不安だ。
17時30分発のSFO行き飛行機に乗った。いよいよだ。さすがに少し緊張してきた。機内での夕食後,ビールを飲んでいると,急にキムチが食べたくなったので,スチュワーデスさんに頼んでキムチを持ってきてもらった。やはり本場のキムチ(?)はおいしい。スチュワーデスさんは笑っていたが・・・。しかしキムチの辛さで興奮したせいか,なかなか眠れない。時差ぼけが心配だが,気合で乗り切るしかないだろう。
3月20日(水):晴れ(米国時間 以下同じ)
昼食後,初めてスタンフォード大学に行くため,バス通りまで歩いていくことにした。
慣れない道で,大きな地図を見ながら信号待ちをしていると,突然,左折してきたBMWのオープンカーが目の前の路肩によってきた。
「俺,何か悪いことしたかぁ?」と思ってドキドキしていると,綺麗な感じの女性(助手席に可愛い子供が乗っていた)がにこやかに,そしてさっそうと話しかけてきた。
'Can I help you?'
何が起きているのかさっぱり状況が理解できず,
'Oh, I am a stranger.'
と的を得ない解答をすると,
'I am sure that. So can I help you? Do you know your way?'
と言われた。
ここでやっと状況が理解できた。彼女は,車中から僕を見て,きっと困っているのだと思い,わざわざ車を停めて話し掛けてきたのだ。何て優しい人なんだと感激・驚きつつ,
'No. I found the way. Thank you.'
と言ったのだが,何だかストレートな断り方でしか反応できない自分が悲しかった。もう少しこの優しさにうまく対応した返事がでればいいのに,できない。とほほ・・・。それにしても,僕はそんなに怪しく見えるのだろうか??
14時30分にスタンフォード大学 Encina Hall にあるA/PARC(アジア太平洋研究センター)に到着。担当のスタッフOさんは名前から推察するに日系人だと思うのだが,日本語は話せない雰囲気だ。
Oさんから,大学無料シャトル・バスがあるから使いなさいと言われていたので,帰りは駅までそれに乗っていった。
大学シャトルに乗ると,運転手は黒人女性だったが,ずっとクラクションを鳴らして前の車をあおり,'
Good Job!!' 'Good Job!!'
と叫びながら激しくシャトルをぶっ飛ばしていた。
列車に乗り遅れそうな人が多かったせいか,シャトルの乗客も飛ばすのを期待していて,運転手もそれに答えて,乗客としゃべりながら無茶な運転をしている。本当に映画みたいだ。大学シャトルなのに・・・。
そしてすごいスピードで駅につくと,絶対に間に合わないと思っていた電車がまだホームにいたので,みんな走りこんで乗車していった。僕と妻も「これで暗くならないうちにサンフランシスコに帰れる」と思い,走って乗車した。ふー,よかった,よかった,安心した。
ところが発車後係員に「これはサンフランシスコ行きですよね?」と聞くと,「違うよ。逆だよ」と言われてしまった。とほほ・・・,前途多難。。。
3月21日(木):晴れ
Targetという大型ディスカウント店で布団を買った後,カルトレインでサンフランシスコに戻り,バスでホテルまで戻る。
サンフランシスコのバスは1回1ドルで,1回払うと乗り換えチケットをくれ,2回まで乗り換えていいらしい。しかし,乗り換えチケットはとてもちゃちな紙切れで,何番のバスに乗ったとか,どこで降りたとかは全く書いていない。
妻が「これだったら朝6時に乗ったときのチケットで帰りの分も払えるんじゃないの?」と言うので,内心「それは乗り換えじゃなくて往復になるから無理だろう」と思いつつ,運転手に「これで乗れるか?」と聞いてみた。
すると,運転手は大笑いしながら,
「そりゃ朝のチケットだろう。遅すぎるよ」
ちなみに,それを聞いていたほかの乗客もみんな笑っていた。乗り換えチケットをよーく見てみると,くれた時間に合わせてチケットがちぎってあった。
いい加減そうに見えて,結構細かい工夫もしてあるんだと感心した一方でとても恥ずかしかった。もっとも周りの人たちは,僕がジョークを言ったと勘違いしてくれているようだった。
少しはサンフランシスコに打ち溶けたかな??
3月22日(金):曇り時々雨
今日からマウンテン・ビューのアパートに住む。いよいよ本格的な米国生活のスタートだ。荷物を整理した後,バスでサン・アントニオ・ショッピング・センターのウォル・マートへ行き,,生活に必要なグッズをたくさん買い込んだ。
両手一杯に荷物を持ち,ショッピング・センター前のバス停に行くと,ちょうど家の方に行くバスが停まっていた。
行き先を確認して乗り込むと,あまりの荷物の多さに驚いた運転手が「大丈夫か」と笑いながら話し掛けてくる。「3日前に着いたばかりなので買い物が多くて・・・」と言うと,「どこから来たのか?」と質問され,そこから話が盛り上がった。
他に乗客がいなかったこともあり,家までの15分くらい,ずーーっと運転手は僕らとしゃべりながら運転してくれた。
日本人が礼儀正しいこと特徴や米国が移民の国であること,米国には歴史がないこと,日本人と韓国人が似ていること。。。
結構レベルの高い話をずっとバスの中ですることができた。
彼は3分の1くらいは前ではなく,後ろの僕らの方を見ながら運転していたのではないだろうか??ちょっと危険だったがとても楽しかった。
彼も言っていたが,米国人が日本に来て,バスの運転手とずっと喋るというのは少し考えにくいだろう。
そういう意味では,とても楽しく,貴重な経験ができて嬉しかった。
3月25日(月):晴れ
大学へ行くために,マウンテン・ビューのカルトレインの駅まで歩いていき,自動券売機でパロ・アルトまでの切符(1ドル25セント)を買った。
手元に20ドル札しかなかったので,それを投入したところ,お釣りではなく変なチケットが出てきた。それを見ると,
「18.75ドル返却されていません」
と書かれた「払い戻し領収証(?)」だった。
「何じゃこりゃあ??」
と思いつつマウンテン・ビューは無人駅のため,そのまま電車に乗り,パロ・アルト駅で係員に尋ねたところ,こう言われた。
「切符を自動販売機で買ったでしょう。係員から買えば必ずおつりを出せますが,自動販売機ではある程度以上のお釣りは出せないんですよ」
「それは分かったので,このお釣りを今ください」と言うと,
「自動販売機は別会社なので,その券に書いてある電話番号に電話してください」
と言われてしまった。うーーん,日本じゃ考えられない。絶句してしまう・・・。
3月28日(木):快晴
夜,結婚記念日ということで,マウンテン・ビューのダウンタウンにあるお寿司+日本食のお店に行くことにした。アボガド・ロールなんかは見た目よりずいぶん美味しくて,感動だった。握りもサーモンなんかは十分美味しかった。
食事を終え,既に暗かったのでタクシーでアパートへ帰った。
アパートに着いた時,メーターに運賃は表示されていなかった。仕方ないので,インド人の運転手に運賃を聞くと,運転手はこう言ってきた。
「いつもいくら払ってるんだ?その金額でいいぞ」
どうも彼は新人で,メーターの使い方が分からないらしい・・・。だますのも悪いので,普段払っている金額を支払ってタクシーを降りた。それにしても,こんないい加減で大丈夫なのかなぁ・・・。
4月8日(月):曇り時々晴れ
今日は10時からCorporate Finance
の授業だが、妻が9時から大学の無料英会話レッスンに行くので、それに合わせて8時過ぎにアパートを出た。
すると、9時から仕事のはずの管理人さんがもうオフィスにいる。今日は早くから仕事でたいへんだなぁ・・・と思いつつ、そのまま通り過ぎ、カルトレインの駅へ向かった。
駅前の信号を待っていると、大学方面へ行くカルトレインが出発していた。
妻が「1本前の列車が5分くらい遅れてるみたい」と言っていた。そう言えば、パソコンの時間表示も1時間進んでいたし、何だかカリフォルニアは時間が狂うことが多いなぁ・・・。
と思いつつ、列車を待つが、なかなか来ない。おかしいなぁと思いつつ、列車の切符を買っている人を何気なく見ていると、どうもオフ・ピーク・チケットを買っているようだ。
オフ・ピーク・チケットは9時からしか使えないのにおかしいなぁと思いつつ、ベンチに座って何気なく妻が持っていたカレンダーを見ていると、4月7日(昨日)の欄にこう書いてあった。
「デイ・ライト節約時間(サマー・タイム)のスタート。時計を1時間進めましょう」
ええーーー、ということは、今は8時40分ではなく9時40分????ということは、管理人さんが働いていたのも、前の電車が遅れて来ていると思ったのも、来るはずの電車が来ないのも、他の客がオフピーク・チケットを買っていたのも、全部サマータイムのせい???
そう言えば、昨日もサン・アントニオ・ショッピング・センターからかえる際、バスが時間どおり来なくておかしいと思ったけど、あれもサマー・タイムだったのかぁ???と思っていると、電車が来た。時刻表を見てみると、どうも9時49分の電車が来たらしい。はぁーー、遅刻だぁーー。
ということで、今日はCorporate Finance
の授業は欠席した。遅刻して教室に入れる雰囲気ではないからなぁ。
せっかく時差ぼけが治ったのにまた時間調整とは、アメリカで生きていくのはタフだなぁ・・・
4月9日(火):曇り
今日は,妻が経験した事を少し書いておこう。
2週間ほど前に,妻が一人でバスを乗り継いで買い物に 行った時のことだ。
最初に乗ったバスを降りた後,どのバスに乗り換えていいのか分からず困っていると,降りたバスの運転手さんがやって来て,乗り継ぎについて丁寧に教えてくれたらしい。
もちろんこれで終われば何の変哲もない話なのだが,実は今日,妻が家の近くのスーパーから歩いて帰っていると,何度も何度もクラクションを鳴らすバスがいたらしい。
妻が何だろうと思ってそのバスを見てみると,何と2週間前に乗り継ぎを教えてくれた運転手が歩いている妻に気づき,ご苦労なことにわざわざクラクションを鳴らして呼びかけていたのだった。
妻が気づいてその運転手に手を振ると,その運転手は
「うぉーー」
と言わんばかりの勢いで,さらにクラクションを鳴らしながら手を振ってきたらしい。バス運転中なのに・・・。
そして,その光景を見ていた周りの人たちが,何人も妻の元に寄って来て,
「君はバスの運転手と知り合いなのか??」
と声をかけてきたそうな。
カリフォルニアに来て20日経つと,こういうことがあってもあまり驚かないが,日本じゃ考えられないよなぁ,やっぱり。
4月11日(木):曇り
一昨日,妻がバスの運転手さんにクラクションで呼びかけられたという話を書いたが,妻は今日またその運転手さんと遭遇したらしい。
今日はしかも,わざわざ妻の横でバスを止めて(もちろんバス停ではない),入り口のドアを開けて手を振ってきたらしい。
「おいおい,あんた仕事中だろう」と言いたくなるが,乗客は何とも思わないのかなぁ。。。
しかも,妻が今日その運転手さんをよーく見てみると,以前乗り継ぎを教えてもらった運転手さんとは違っていたらしい。
いったいどこで,いつから妻のことを知り合いだと勘違いしたのだろうか??
さすがに妻も今日は,無視して逃げたらしい。
4月16日(火)
夜,ムービング・セール(帰国する人が家財道具などを売り払うセール)で購入する約束をしていた,ガーデン・テーブル&チェア−セットと机を取りに行った。
売主はどうも夫婦で公認会計士をしているようで,立派な一軒家に住んでいる人だった。
ガーデン・テーブル&チェア−,机の両方とも,思っていたよりもずいぶん大きかったので僕の車には入りきれなかったが,売主の引越しの際に,引越屋さんがうちまで持ってきてくれることになった。
期待以上に立派な机とガーデン・セットが手に入り,妻は
「これでパティオ(専用庭)でご飯が食べれる!!」
と興奮しまくっている。さらに僕に向かって,
「こんな立派な机使えるの,一生で今だけかもね」
「公認会計士さんが使っていた机だから,あなたも頭良くなるかもよ」
と言い放った。昔は結構おとなしい性格だったのに,米国に来てから,ずいぶんはっきり物を言うようになったなぁ。
やはり米国留学はキャラクターをも変えるようだ。
4月20日(土)
今日は,スタンフォード日本人会の集まりがあるので来ないかと誘われている。
スタンフォード大には,世界中から人が集まっているだけあって日本人も多い。
おかしな話だが,外国人の友人を作るより日本人の友人を作る方がよっぽど簡単なくらいだ。特に妻の場合,大学の無料英会話スクールに通っている関係で,日本人の知り合いが勝手にたくさんできるようだ。
妻から話を聞く限りでは,スタンフォードに来ている人の奥様方の中には,結構強烈な人もいるようだ。
一番強烈なのは医学部でpost doctoral(こちらの大学主催の共同研究の一員として来ていて,多少給料も出るらしい。理系では一般的なポジションのようだ。)をされている方の奥様だ。
ある日妻がその人に「どこから来られたのですか?」と聞かれて,「北九州からです」と言うと,
「はぁぁー,九州からですかぁぁぁーーー。そりゃまたずいぶん遠いところから来はりましたねぇ」
と言われたそうだ。アメリカに来るのに,九州から行くのも,東京・大阪から行くのも飛行時間はほとんど変わらないと思うのだが・・・。
さらに,「銀行はどちらを利用されています?」と聞かれて,妻が「ユニオン・バンク・オブ・カリフォルニアです」と言うと,
「何ですそれぇ?? そんな銀行聞いたことありませんねェ どうして○○バンクにされなかったんですか?? やっぱりこの辺では○○バンクが一番有名でしょう。」
と,ご丁寧にも取引銀行に疑問を呈してくれたそうだ。
ちなみに僕は○○バンクという名前はこちらに来て初めて知ったのだがそんなに有名なのだろうか?仮に有名だとしても,それは誰の間で有名なのか非常に疑問だ・・・。
極めつけは,「旦那さんは何されているんですかぁ?」と聞かれて,「Visiting
Scholarです」と答えると,
「何ですそれぇ?? そんなん聞いたことありませんねぇ・・・。 あぁーー,分かりました。自分からお金を払ってお願いして入れてもらうやつでしょう。それはたいへんですねぇーー」
と同情してくれたそうだ。
ちなみに僕の場合,こちらからお願いしたのは事実だが,お金は全く払っていないのになぁ・・・。
ついでにもう一つ書くと,その人が,僕と妻が大学で一緒にお昼を食べているのを見て,後日妻に
「あんなにいっつも一緒にいられたら,うっとうしくて困りません??」
と言ったそうな。
米国留学の予期せぬ収穫の一つは,「世の中にはいろんな人がいるんだなぁ」と今さらながら感じたことだ。悩んだ結果,今日の日本人会の集まりには出席しなかった(笑)。
5月7日(火)快晴
もう2ヶ月近く散髪していない。僕はクセ毛なので,ある程度以上髪が伸びると収拾がつかなくなる。
ところが,先日 Virginia 州オールド・ドミニオン大学にいる同僚に電話で散髪について聞いたところ,
「米国の床屋で日本人が散髪すると,とても変な髪型になって悲しい思いをするからやめたほうがいい」「米国人ですら,あまり床屋で散髪しないと言っていた」
と言われた。彼はいつも,奥さんに切ってもらっているらしい。
ずいぶん悩んだが,米国の床屋に一度も行かずに帰国するのも後悔しそうだし,仮に変な髪形になっても,スキンヘッドにすればいいし,何よりそれはそれでいい思い出になるだろうと,無理やり自分を納得させて,日本食マーケットの隣にある Men's and Women's cut and nail art へ行ってみた。
見てみると,何とカットはたったの8ドルである。安いのは嬉しいが,技術は大丈夫なのか?と逆に不安にもなる。
散髪台に座ればメガネを取られ,自分の髪型がどうなっているか見ることもできない。「どのようにしますか?」と聞かれ,米国ではどこを何インチ切るかをはっきり言わないとダメだという妻のアドバイスを思い出して,
All around 1 inch cut, please.
と,どう考えても正しくなさそうな英語でお願いした。
えーーい,なるようになれと思っていると,理髪師さんは,いきなりバリカンを取り出し,ガ--っと刈り始めた。
「1インチ切ってくれと言ったのに,1インチだけ残してくれって意味に勘違いされていたらどうしよう??」と不安が募るが,もうメガネを外されているのでよく分からない。
「日本人はよく来るのか?」と尋ね,「日本食マーケットが隣だから多いよ」と言われ,
「それならきっと大丈夫だ」,「視力0.08で見る限り,ある程度黒い髪が残っているようだから大丈夫だ」
と無理やり自分を落ち着けて,ひたすら終わるのを待った。
終わってみると,心配したのがバカバカしくなるほど,普通の髪型になっていた。
まあ,散髪後霧吹きで髪に水をかけられたのにドライヤーをかけてくれないので,髪が濡れたまま店を出たとか,刈り上げ方が中学生っぽいとか,後でよく見ると左右のびんのスタイルが違っていたとか,細かい不満はいくつかあったけど,十分合格点だ。やっぱりこの辺は日本人が多いので,Virginia とは状況が違うのだろう。
よかったぁーー,スキンヘッドにしなくて済んだぁ。
5月9日(木);快晴
今日は夕方,DMV(陸運局)へカリフォルニア州の自動車免許の取得申請へ行った。
自動車免許取得には,「必要書類+写真付きID(パスポート)+申請料12ドル+Social Security Number(持っていれば)+指紋採取+学科試験+実地試験」というプロセスを経る。
今日 DMV に行って驚いたのは,日本の銀行の支店程度の広さだったことだ。日本の自動車免許試験場よりかなり狭い。この広さで免許交付+車両登録までするとは驚きだ。
一番驚いたのは学科試験コーナーで,建物の片隅にペン付きのカウンターがあるだけで,別室になっておらず,受験者は何と立ったまま問題を解いていた。
まず,申請コーナーで書類等を提出すると,何とその受付の場ですぐ視力検査も行った。カウンターの奥に,アルファベットをたくさん書いたプレートがぶら下がっていて,指定された場所のアルファベットを読むというものだった。
無事検査を通過すると,次は別のコーナーへ行って,指紋採取(親指)+写真撮影+サイン確認をした。同時にそこで試験問題を受け取り,「できたら Test Correction(採点) コーナーに持ってきなさい」と言われた。
「時間制限はないの?」と聞くと,「ない」と言われた。
日本とはずいぶん違うと思いつつも,学科試験は自信がないので助かった。しかも,試験は日本語で受験できた。やっぱりカリフォルニアは日本人が住みやすい所だ。ちなみに学科試験は,1回の申し込みで3回まで受験できるらしい(有効期限1年)。
試験は35問中7問間違ったら不合格で,自信のない問題が10問くらいあったので,不安を抱えつつ,答案用紙を Test Correction コーナーへ持っていった。
おかしなことに,カウンターの係員は,その場で答案用紙(普通の紙)を見ながら赤ペンで採点した。結果は3問しか間違っておらず,係りの人に
You passed. (合格よ)
と言われた。僕が喜んで
Oh, I relieved. Thank you. (あぁ,ほっとした。ありがとう)
と言うと,係りの人は笑いながら,
YOU did. I just correct. (あなたが試験受けたのよ。私は採点しただけよ)
と言っていた。
日本の免許を持っているため,Temporary license (仮免許)を発行してくれた。後は実地試験をパスすれば免許取得だ。実地試験は電話で予約を取り,自分で車を持ち込んで受けるらしい。
6月1日(土):晴れ
今日買い物に行って,レジで並んでいると,隣のレジで並んでいた35歳くらいの女性が,順番を待ちながら嬉しそうにスナック菓子(チートス)を食べている。
日本ではとても行儀悪く見えるだろうが,こちらで見ると結構様になるから面白い。
しばらく見ていると,その女性は予想通りの行動をとった。その食べかけのスナック菓子をレジの店員に差し出して,袋についているバーコードをレジにチェックさせたのだ。
つまりこの女性は,店で売っているスナック菓子を料金を払う前に開封して,食べながらレジで清算していたのだ。
日本では考えられないが,米国では買う意思のあるものは,清算前に飲食していいらしい。
大学の食堂でも,ジュースを機械から紙コップに入れ,少し飲んでから再度満杯になるまでジュースを入れて,レジに持っていく人をよく見かける。
今度僕もやってみようとずーーっと思っているのだが,まだ一度もできない。やっぱり日本人がやっても似合わないかなぁ??
6月3日(月);晴れ
午前中,銀行のATMに残高照会に行った。家賃や電話代,電気代,テレビ代など,概ね月末に請求が来るので,月初めは支払いのために小切手をたくさん振り出さないといけない。
1日(土)に家賃を小切手で支払ったのだが,これが落とされると,預金残高が1000ドルを割ってしまい,口座維持手数料を取られてしまう恐れがあった。
そこで,土曜日に管理人さんに小切手を渡した後,銀行のATMへ行き,残高が1000ドルを割らないようにお金を追加で預け入れていたのだが,今日それがきちんと入っているか確認に来たというわけだ。
なぜちゃんと入金されているかが心配かというと,ATMでの預入れのシステムが日本とかなり異なっていたからだ。この銀行のATMでは,自分で預け入れ額をATMに打ち込み,専用の封筒にその金額を入れてATMに挿入する。
ところがその時点ではATMはお金を数えたりせず,ただお金の入った封筒を預かっただけの状態になるのだ。明細書を見ると,「○○ドル預かりました。処理は月曜日に行われます」と書かれていた。お金をATMに入れた時点で,口座残高が増えると信じていた僕らは,正直「何のこっちゃ??」という感じだった。
お金のことなので,いろいろと心配しながら,今日ATMで残高照会をすると,何と残高が土曜日段階と変わっていいなかった。
「あちゃー,ATMに入れた金は行方不明かぁ??」
と焦りまくって銀行に入り,窓口で「土曜日にATMで預け入れたのに残高変わっていない」と言うと,銀行員は涼しい顔でこう言った。
「当たり前ですよ。土曜にATMで入金したのだから,実際の処理は今日行われるので,今夜にしか預金残高は増えません。明日チェックしてください。」
僕らは,お金が行方不明になったわけじゃないことに安心しつつも,あまりの処理の遅さに愕然としてしまった。日本じゃ考えられない。
そもそも,日本に比べると銀行の窓口も暇そうでのんびりしている。米国はカード社会で現金があまり必要ないし,公共料金の支払いも小切手で行うので,日本とは銀行の役割がずいぶん違うのだろう。
それにしても,土曜日に入金しても月曜の夜にしか残高が増えないのだったら,月曜の朝に不渡りを出して倒産してしまう企業とかないのだろうか??
6月21日(金):妻真喜子の日記
今朝,Escondid Village という学内の英会話教室に行ってきました。今日はレッスンはなかったのですが,来週の月曜に英語で劇をすることになっているので,今日はその打ち合わせだったのです。
与えられた設定(病院の話で,医者一人,看護婦一人,受付一人,患者三人)の中で脚本も自分達で作らないといけないので,今日はそれを決めることになっていました。私のグループは,他に日本人が二人(男女),トルコ人女性,韓国人女性(今日は欠席),ロシア人男性(今日は欠席),中国人女性という構成です。
実は昨日夜,各自がそれぞれ脚本を作り,メールで全員に送ることになっていました。でも,実際に送ってきたのは,私と日本人男性Sさんだけでした。
中国人女性Hさんも送ってくれたのですが,自分のセリフ(患者さん)だけしか作っていなかったので使えません。どうも彼女は,先生の説明が分かっていなかったようです。さらにHさんは,「Sさんの脚本はダメだ」とメールで送ってきました。結構強烈です。
私は,日本人Sさんの脚本はそれなりに面白いので,彼の脚本を採用すればいいと思っていました。待ち合わせ場所に着いたら,日本人女性Yさん,トルコ人女性TさんもSさんの脚本でいいと言っていました。どうやらすんなり決まりそうです。ところが…,
中国人女性Hさん(25歳くらい)が待ち合わせ場所に来ました。彼女は10時過ぎに着くといきなり,
「私はロシア人男性Iさんの娘役はいやだ」
と言い出しました(Iさんは欠席していた)。さらに彼女は
「Iさんは頭が悪く,セクハラ好きで,アジア人女性好きだから,私は危ない目にあう!私はIさんが嫌いだ!」
と強烈に主張しました。私達が
「Iさんがセクハラ好きだからって危ないのは奥さん役の人で,娘役は大丈夫だよ」
と言いました(それもどうかと思いますが)。でもHさんは,「絶対嫌だ」と譲りません。
話が長引きそうだったので,私は「ボン・アペティート(食堂)に行って,コーヒーでも飲みながら話をしましょう。ここは寒いし」と言いました。
そうです。私達は外で待ち合わせをしていたのです。するとHさんは,「私はコーヒーなんかいらない!外でいい」と言いました。
今日はスタンフォードにしては珍しく寒い日で,みんな「外は寒いからボン・アペティートに行きましょう」と言いました。するとHさんは,
「じゃあ,私は車の中でいい。Makikoの車で話そう」
と言い出しました。「えっ,私の車?? 狭くて5人も入れないよぉー」と思いましたが,Hさんのあまりの強硬さに仕方なく,大の大人5人で,私のスバル,インプレッサに乗り込みました。私,コーヒー飲みながら皆で食べようとチョコチップ持ってきたのになぁ…。
車に乗り込み,皆でHさんの説得を始めました。
「時間がゆっくりあればいいけど,月曜(3日後)には本番なので,今日脚本は決めないといけない。今日は2時間しか話す時間がないから,SさんかMakikoのどちらかの脚本でいくしかないのよ。Iさんの娘役が嫌なら役を受付に変えるから」。
するとHさんは,
「SさんのもMakiko のもダメ!! だいたい,セリフがふざけている!!」
と反論しました。
そうです。私もSさんもできる限りセリフにユーモアを入れて笑えるようにしていたのです。だってクラスの中で,それが「お約束」という雰囲気だったので。
私達が,「見てる人に笑ってもらうためには仕方ないじゃない」と言うと,「私はアメリカン・ジョークが嫌いなの!! それに,医者がこんなふざけたことを言ってはいけない!!」と譲りません。
私は少し頭にきたので,「だいたい何しにアメリカに来たの?」と聞くと,Hさんは「英語を勉強しに来た」と言います。私が「じゃぁ,アメリカン・ジョークも勉強した方がいいんじゃないの?」と聞くと,「とにかく嫌だ」と言って聞きません。
さらにHさんエスカレートして,
「私は受付の役もするけど,娘役もしたい。Iさんは長年入院して動けない患者で頭が悪いってことにしたらいい。いいじゃん,そのまんまなんだから」
などと言い出しました。
いったいこの人は,受付と娘が会話するシーンはどうするつもりなのかしら??
ついでにHさんは,
「私とあなた達は違うの!!」「あなた達の英語は私のと違うから分からない!!」
などと言います。この人お世辞にも英語上手だとは言えないのに…。
こんな調子で1時間が経ちました。Hさんって自分では脚本作ってきていないのに,よくSさんの脚本にケチをつけるわねぇと思いました。
Sさんを見てみると,足がガタガタ,ガタガタと揺れていました。「うわぁー,Sさん怒ってるぅー」と思い,「チョコチップでもどうぞ」と言って渡すと,Sさん苦笑いしていました。
ところがよーく見てみると,何とHさんはさんざん文句を言いながら,チョコ・チップ一人で3つも食べていました。私が持ってきたチョコ・チップ,Hさんのエネルギー源になったみたい…。
結局何の進展もないまま,12時が近づきました。最後はみんな切れかかっていたので,Hさんに「どうしてもこの脚本が嫌なら,自分で作りなさい。間に合うように夕方までに送ってちょうだい」と言いました。
するとHさんは「私は英語が苦手だからできない」と言います。私達は
「それだけ(文句を)話せるんだから大丈夫だよ」
と言いました。
このやり取りが10回くらい続いた後,Hさんは「私は書けないから主人に書いてもらって送る」と言い,ようやく長い話し合いが終わりました。ホント疲れました…。
米国に来て以来,いろんな国の人と話しました。強烈な人も結構多いのですが,さすがにこんなすごい人は初めてでした。主人の知り合いの中国人はいい人だったのに…。
夜9時になってもHさんから脚本来ません。月曜日はどうなるのかしら? 私は月曜はレッスンを欠席する予定なので構わないのだけど…。
6月23日(日)
Western Finance Association に出席するために,Utah 州 Park City へ出発。
家から一番近い San Jose 空港より Salt Lake City まで飛行機で行き,空港でレンタカーを借りる予定だ。
飛行機のチケットは事前にインターネットで予約していて,郵送されて来た便名入りの領収証を空港カウンターに持って行き,ID(写真付身分証明証)を見せれば,Boarding Pass (搭乗用チケット)をくれるという仕組みだった。
米国国内線に乗るのは初めで,仕組みがよく分からないので少しドキドキしていたが,行ってみると簡単にチケットを受け取り,荷物も預けることができた。ふー,よかった,よかった。
カバンの端のポケットにチケット+手荷物預り証を入れ,スターバックスに行って,ゆっくりコーヒーでも飲もう。
事件はコーヒーを飲み始めて5分後に起きた。もう一回チケット見てみようとカバンのポケットを見ると,何と…,そこにあるはずのチケット+手荷物預り証がないではないか!!
よーく見てみると,そのポケットは上側だけでなく下側にもジッパーが付いていて,何と下側のジッパーが開いたままになっていた。
ひょっとして,チケットを入れた瞬間に下側から落としていたのだろうか…。カバンの他の部分を探したが…,ない。どうやらチケットなくしたらしい…。といことは…,
ええぇー,飛行機に乗れないってことかぁーー?? つまりは学会にも行けないってことかぁ??
事の重大さに気づき,焦りまくってカウンターへ行き,
I lost my ticket.
と言ったが,「はぁ?」と言われ,通じない。もう一回言っても通じず,
What you lost ?
と言われた。どうやら ticket が通じないようだ。そう言えば,来てすぐの頃にも ticket が通じなかったことがあった。くそー,正しい発音確認しておけばよかったと思いつつ,そんなこと言ってる場合ではない。
もう一回大きな声で,「ティキット」と言うと,
Ah, you lost boarding pass?
と言われた。
そうそう,それだよぉー,やっと分かってくれたぁ と喜んだが,よく考えればまだ問題は全く解決していない。
カウンターの人は,
I can give you new boarding pass, but I cannot do anything about baggage tag.
と言ってきた。
えっ,「搭乗券は新しいのくれるけど,手荷物預り証については何もできない」だと??
このとき僕は,「そんなにあっさり新しい搭乗券くれるの?」という嬉しい気持ちと「手荷物預り証くれなかったら手荷物はどうなるの??」 という不安な気持ちが交錯した。とりあえず手荷物の不安の方が大きかったので,
How can I take my baggage at the next airport without the tag?
(預り証なしでどうやって手荷物受け取れるの?)
と不安げな表情で聞くと,カウンターの人はこう言った。
I hope your baggage doesn't get lost.
(あなたの荷物はなくならないと思うよ(望むよ))
何と…,ずいぶんお気楽な奴だなぁー。
それにしてもこの場合,hope って「思う」なのか「望む」なのかどっちなんだろう?? どっちかでえらい違いだよなぁーと気になって仕方ない。
でも,これ以上取り合ってくれそうにないので,そのまま飛行機に乗り込むことにした。「もし飛行機に元のチケットを拾った他人が座っていたらどうしよう」と心配だなぁ。。。
ところが,飛行機に乗り組む際,その心配は杞憂であることが判明した。何と,飛行機に乗り組む際に,チケットだけでなくIDの提示も要求されるのだった。
これなら,チケットを拾った他人が乗り込む心配はない。ふぅー,よかった,よかった。取り合えず学会会場までは何とか行けそうだ。後は手荷物心配だなぁー。と思っていると,Salt Lake City に着いた。
結果は,心配は全くの杞憂だった。何と手荷物の預り証の照合がなかったのだ。各自勝手に自分の荷物を受け取ったら後はそのまま空港から出て行く。だから,baggage tag など必要なかったのだ。
いろいろ焦りまくったが,何とか無事 Salt Lake City に着くことができた。はぁー,でも前途多難だなぁー。
6月30日(日);
Yellow Stone National Park/Grand Teton National Park という国立公園に行ってきた。
Montana 州と Wyoming 州にまたがるこの公園は世界最初の国立公園で,妻が知り合いの日本人から「米国滞在中にここだけは絶対行くべきよ」と言われていた場所だ。その人によれば,米国人に人気の有名な観光地は,グランド・キャニオン,ナイアガラ,ヨセミテ,そしてこのイエロー・ストーン/グランド・ティントンらしい。
実際行ってみると,野生の生物あり ものすごい勢いでお湯を吹き上げる間欠泉,七色の地獄など,見所たくさんの思い出深い旅になった。
しかし,事件は最終日に起きた。
Yellow Stone National Park で最後の見所 Midway Geyser Basin を見た後,,午後4時くらいになったので,我々は公園内を北に走り,帰路についた。
この旅では 飛行機&レンタカー(アメリカ車)を利用していて,公園から2時間くらいの Bozeman という空港に向かったのだ。飛行機の時間まであと4時間。ガソリンを入れたり,食事をしたりしたいので,そろそろ出発してちょうどいい頃だろう。
旅の間は,ほとんど僕が運転していたので,さすがに少し疲れていた。妻が運転を代わるというので,運転してもらうことにした。
公園内を北に走りながら,「いい旅だったなぁ」と回想した。「本物の熊が見れなかった」というマイナス・ポイントはあるものの,十分満足の旅だった。
すると,道の途中で渋滞が起きていた。「きっとまた動物がいるんだろう。今度は何がいるのかなぁ?」と思っていると,いきなり妻が叫んだ。
「うわぁーーー,熊さんだぁーー!!」
そう,妻は熊を見るのをとても楽しみにしていたのだ。
そこでは,たくさんの人が車を路肩に止めて熊を見ているので,片側通行に近い状態になっていて,公園の係員が交通整理をしていた。その係員は僕らに向かって
Come on! Come on!
と叫んでいる。ところが,熊に夢中な妻は係員の指示に全く気づかず,道の真中に車を停めて熊を見ている。
僕は妻に「進めっ言われているよ。この先の路肩に車を停めてから見に行こう」と言った。すると妻は,やっと車を動かし,路肩に車を寄せるや否やすぐに車を降り,僕のことは全く気にせずに一目散に熊の方へ走っていった
「はぁー,旦那よりも熊が大事なんかねぇ…」
車の中に一人取り残された僕は嘆きながら一人で車を降り,妻の後を追おうとした。その時,
「そうそう,この車はアメ車でオートロックじゃないから,自分で鍵閉めないといけない」
と思い,ドアの内側から鍵をロックし,ドアを閉め,妻と熊の元へ向かった。
僕も初めて熊を見たのだが,なかなか可愛い感じだった。少し距離があったのでよく見えないのだが…。
そうこうしているうちに,妻がいきなりこう言い出した。
「あぁあーー,車のキー,車の中に置きっ放しだぁー」
妻は慌てて車の方に戻っていった。全く…,熊に夢中になって車盗まれたらどうするんだよぉー,と僕は思いつつ,妻の後を追って車へ向かった。すると,車に着いた妻は呆然とした顔でこう言い出した。
「ドアが開かない…。鍵が閉まってる」
なにぃーー,車閉じ込めたのかぁー!!
お前ここは米国の山の中だぞ。しかも飛行機の時間だってそんなに余裕ないんだぞ。何やっとんじゃぁー。
だいたい,熊に夢中でエンジン切るのを忘れて車出たのに,何で鍵は閉めとんじゃぁー。
僕は「ひょっとして今日家に帰れないかも…」と愕然としつつ,どうすればいいか考えた。
AAA(日本のJAF)に連絡すれば来てもらえるだろうが,携帯電話は車の中だ。
仕方ない。あの交通整理の係員に事情を話してAAAに連絡をとってもらうしかないと思い,僕は係員の元へ走っていった。しかし,車の閉じ込めって何て言うんだ…,分からん。どうしようと思いつつ,僕は係員にこう言った。
I locked my car's door with the key in the car.
正しい英語なのか全く分からないが,とりあえず意味は通じたようだった。係員はこう言った。
I can call help. But, I can not help you right now. I am busy in traffic control. Wait here.
なにぃー,日本からはるばる来た観光客(?)が困っているって言うのに今は交通整理で忙しいから助け呼べないだとぉー,
と頭に来たが,文句を言う英語力はない。
「どうしよう,AAA呼ぶのにも時間かかって,来るのにも時間かかるだろうから,飛行機間に合わないかも…」
と本格的に心配になって来た。
落ち込んでいると,いきなり,近くにいた45歳くらいの太目の米国人が話し掛けてきた。
You locked out your car ?
そっかぁー,閉じこめって lock out って言うんだぁー。そういや,どっかで習ったことあったなぁー,と思いつつそんなことで感心している場合ではない。
Yes. But I do not have cell phone, so I cannot call AAA.
と言うと,そのおじさんは,
I did same thing before. I will try to open your car. Which is your car?
と言ってきた。
何と優しい人なんだぁと感激し,「あの車だ」と指差すと,その人は自分のキャンピング・カーに戻り,何やら太目の針金のようなものを持ってきた。
ついでに,そのおじさんの子供もやってきて,一緒にドアの上部を引っ張り,すきまを作ろうとした。僕が引っ張ってもなかなか隙間ができなかったが,米国人のおじさんがひっぱるとすぐ隙間ができ,おじさんはそこから針金を車中にねじ込んだ。
針金を曲げる角度を微妙に調整したり,何回か試行錯誤が15分くらい続いた。
その間,おじさんの子供は「窓割っちゃうのが一番早いよー」などと言い出したが,なおも試行錯誤は続いた・・・。
そしてついに…,ドアが開いたぁーー!!。おじさんと僕,歓喜の握手(?),
Thank you very much!! I really appreciate you!! (それしか言えず情けない…)。
感激した僕は,
Could you give me your name and address, please? (名前と住所教えて)
と言ったのだが,そのおじさんは笑いながら,車の上に置いていた僕のデジカメを指差し,
Get the camera, Get the camera. (カメラをとりなさい)
と言い,僕の肩を叩いて去っていった。うーーん,格好良すぎるアメリカおやじ。
その後,おじさんと奥さんに再度お礼を言い,別れた。それにしても,熊を見たいがために家に帰れなくなるかもしれなかったなんて,恥ずかしすぎる。でも,無事帰れてよかった,よかった。
7月12日(金)
帰る前に,ブック・ストアのカフェでコーヒーを一杯頼んだら,店員に
「ジャ・ズァ?」
と聞かれた。「はぁ?」と思っていると,もう一回
「ジャ・ズァ?」。
再度「はぁ?」と言うと,今度は,Is that all? と聞かれ,やっと「それだけ?」いうと意味だと分かった。
後で,同じ所でよくコーヒーを飲む妻にこの話をすると,
「あー,その『ジャ・ズァ』は多分,Just that? って聞かれたんだよ」
と言われた。妻には聞こえるらしいが,僕にはというてい,Just that? には聞こえなかった。昨日少し英語力に自信がついたのだが,今日また一気に急降下。浮き沈みの激しい人生だこと…。笑うしかない…。
7月21日(日)
週末を利用して,カリフォルニアのワイン・カントリーに出かけてきた。カリフォルニア・ワインは近年人気が急上昇していて,生産量ではフランス・ワインを抜いているらしい。
カリフォルニア・ワインの生産はサンフランシスコから海を渡って北東に行った Napa, Sonoma という地域が中心で,400を超える Winery(ワイン醸造所) があるらしい。
各 Winery では,ワインの Tasting (試飲)や醸造所見学ツアーに参加することができる。このワイン・カントリー巡りは,カリフォルニアを代表する人気スポットのようだ。
ワイン・カントリー巡りの途中でお店に寄った際,中に美味しそうなケーキ屋さんがあった。家に帰って食べようと思い,7ドルのショート・ケーキを1個注文した。
その際,帰るまでに7時間くらいかかるので,ケーキが悪くならないよう保冷剤を箱の中に入れて欲しいと思った。
日本だと言わなくても勝手に入れてくれそうなもんだが,米国ではこっちから頼まないといけないだろう。
でも,保冷剤って何て言うのだろうか? 分からなかったので仕方なく,店員さんに(20歳くらいの女性)に,
Give me ice or something to keep the cake cold.
と頼んでみた。
すると店員さんは少し悩んだ後,Oh, cooler? と言って来た。
そうか,保冷剤って cooler って言えばよかったのかと思いつつ,意味が通じたみたいでよかったぁと安心していると,店員は奥のほうに行ってしまった。
「やっぱり保冷剤なんて普段使わないんだろうなぁ」
と思ってしばらく待っていると,店員さんが戻ってきた。
戻ってきた店員さんを見てみると,何とビニール袋に氷を一杯に詰めて持っている。
「うひゃー,やっぱり細かい真意は通じていなかったかぁ。こっちはケーキ箱の中に小さな保冷剤を入れて欲しいのに,こんなに大きな氷袋を別に持ってきちゃって…」
とショックを受けてしまった。
「まあでも仕方ない。箱入りのケーキを氷袋と一緒にクーラーボックスに入れておけば問題ないだろう」
と思っていると,話はそう簡単ではなかった…。
何と,よーく見てみると,その氷の入ったビニール袋には値段を示すシールが貼ってあり,7ドルと書いてあるのだ!
「ええぇー,この氷が7ドルもするのかぁーー?」
と驚きつつ,それは絶対に受け取れないと思い,
No No. I want you to put ice in the box. I want to keep the box cold.
と,たどたどしい英語で説明すると,「それは無理だ」みたいなことを言われたので,僕は
Ok, no thanks.
と言った。すると店員は,不思議そうな顔をしながら
Nothing?
と言ってきたので,僕は
Just give me the cake please.
と言った。すると店員は,
The cake is in this box!
と言いながら,氷で一杯になったビニール袋を指差してきた。
ええっ??「ケーキはこの氷袋の中だと??」
と不思議に思いつつ,よーく見てみると,何と,氷で一杯になったビニール袋の中に,ショートケーキの入った小さなプラスチック・ケースが氷の中に奥深く埋もれているのではないか!!
そう,僕ら夫婦は店員が氷袋を持ってきた瞬間に,箱入りのショートケーキと氷入りの袋を別々にくれるものと思い込んでいたのだが,実はそうではなかった。
店員はビニール袋にぎっしり入った氷の中にショートケーキを突っ込んでいたのだ。
そしてビニール袋についていた7ドルの値札は,その中に入っているケーキ代の値札だったのだ。店員さんは僕らに,
This is the only way we can to keep cold.
と言って来た。やっと状況が理解できた僕らも,O.K., Thank you very much! と言い,ケーキを受け取った。
店を出た後,妻が一言。
「やっぱり日本人と米国人が分かり合うのは無理ね。発想が違いすぎる…」
8月8日(木)
明日からしばらく New York へ出かける。NYSE(ニューヨーク証券取引所)や連銀など,見てみたい所がたくさんある。ODUに留学中の後藤尚久さんとも会う予定。楽しみだ。
今日の妻との会話・・・。
僕:「そういや,この間英会話で一緒だったKさんと話したんだけど,彼は今年の3月に東大で博士号取ってからこっちに来たらしいよ」
妻:「ええぇーー,あの人東大だったのぉー。じゃあ,頭めちゃくちゃいいんだぁー。すごーい。」
僕:「まあ,スタンフォードに来てるくらいだからなぁ・・・。ほら,僕と同じA/PARCの Emma (中国人)だって,中国人民銀行から来てるんだよ。日本で言えば日銀だから,中国じゃきっとすごいエリートなんだよ」
妻:「そっかーー。そう言えばHさん(韓国人)の旦那さんは,今スタンフォードの medical school (医学部)にいるって言ってたから,きっと韓国ではかなり優秀なお医者さんか研究医なんだろうねぇ。」
僕:「そうだろうと思うよ。それにHさんの家って,お父さんは仕事でよく日本に行って日本語話せるって言ってたし,いとこは日本人と結婚して日本に住んでるんでしょ。Hさんも英語めちゃくちゃ上手だし,すごい国際派の一族だよなぁ・・・。そう言えば春学期には,韓国ですごい有名な作家さんが英会話に来てたって言ってたよね? 」
妻:「そうそう。日本で言えば林真理子くらい有名だって噂だったよ。韓国人は皆知ってるって言ってた。」
僕:「サインもらった??」
妻:「あーー,忘れてた。でも恥ずかしくて頼めないよ。それはそうと,春学期にいた日本人の奥さんで,旦那さんが元々東大とスタンフォード大の両方の教授で,さすがに掛け持ちはきついから,最近所属をスタンフォードだけに変えたって人がいたよ。それってすごいと思わない??」
僕:「そりゃぁー,確かにすげえなぁ。」
妻:「やっぱりスタンフォードだけあって,うち以外はみんな旦那さんすごい人なんだぁ。すごぉーい。」
僕:「・・・」
8月15日(木);その2 ふざけんな!
New York での滞在が終わり,John F. Kennedy 空港へ向かった。
飛行機は18時35分発の American Airline。ニューヨーク市営の空港バスに,16時15分にホテル前まで迎えに来てもらった。
飛行機の時間まで2時間程度。来たときは,空港からホテルまでタクシーで40分くらいだったから余裕だろうと思っていると,渋滞がひどく,空港に着いたのは17時40分頃だった。
まあでも飛行機の時間まで1時間近くあるし,国内線だから大丈夫だろうと思いつつ,チケットをもらうために空港カウンターに並んだ。
僕らのチケットはインターネット予約&カード決済の e-ticket だから,当日予約番号を言ってチケットをもらわないといけないのだ。
ところが,カウンター前の列で順番を待ってもなかなか進まない。混んでいて列が元々長い上,なぜか10分で2人程度しか進まないくらい,カウンター係員の処理が遅いのだ。
10分くらい待って,さすがに僕らは「飛行機に間に合うのか??」と心配になって来た。妻が,「他に手続きできる場所がないか探してくる」と言って列から出た。
2,3分後に妻が戻ってきて,「近くに簡易カウンターがあって,そこなら5,6人しか並んでいない」ということだった。
ということで,黒人の係員が4人程度いる簡易カウンターに並ぶことにした。ふぅー,ここならすぐ手続きすみそうだ。
ところが,この簡易カウンターの係員も手続きが異常に遅く,なかなか僕らは手続きをしてもらえない。18時くらいになってやっと順番が来たと思ったら,その係員は,I will be right back. (すぐ戻る)と言って,前の客から預かった手荷物を運びに行った。飛行機の時間まで35分しかないのになぁ・・・。
隣に別の係員がいたのだが,僕らの方は全く無視して,パソコンに向かって何やら仕事をしている。
「さっきの係員早く戻ってきてくれないかなぁ」
とイライラしながら待っているが,なかなかその係員は戻ってこない。それどころか,他の客とお喋りをしたり,あちこち行ったり来たりしている。
別の簡易カウンターにいた他の係員を見ると,なんと僕らより後から来たはずの客の手続きをしている。どういうことだ?何で僕らの手続きはしてくれないんだ??
やばい。本当に飛行機に間に合わないかもしれないと思い,いらいらしながら,パソコンに向かっている係員に,
Give me tickets, please.
と言ったが,完全に無視された。妻が他の係員の所に行ってお願いしてみたが,全く妻の方は向かず無視されている。
そうこうしているうちに時間は18時5分。離陸30分前になった。今までの経験では,アメリカでは,飛行機は時間きっちり離陸することが多く,みんな20分前には飛行機に乗り込んでいた。そうやって考えると本当にやばい・・・。
だが,「待っていろ」と言った係員は当分戻ってきそうにない雰囲気だ。仕方ないので,パソコンに向かっている係員に,
We are in hurry. Please give us tickets.
と言ったら,その係員は,
Where are you going?
と聞いてきた。やっと対応してもらえるのかと思って,San Jose と答えると,何とその係員は,
San Jose? 6:35? It's too late. Impossible.
と信じられないセリフを言ってきた。僕は,
I waited here for a long time. Please, come on
! と言ったのだが,再度無視される。
このチケットは変更不可能なチケットだから,乗り遅れたら洒落にならない。それにしても,チケットをもらうのに何でこんなに苦労しなきゃいけないんだ!
その時,妻が「ひょっとしたら,チップ渡せってことじゃないの?」と言ってきた。
僕は最初「はぁ,空港係員からチケットもらうのにそんな必要ないだろう」と思ったが,妻は他の客が係員に10ドル渡していたのを見たらしい。
「そんなの納得できない」
と思いつつ,もう18時10分。離陸25分前だ。飛行機に乗れなかったらしゃれにならないので,パソコンに向かっている係員に5ドル札を見せながら,
Please give us tickets!
と言ってみた。すると次の瞬間・・・,
Ah, you guys San Jose right?
と言いながら,さっき「待ってろ」と言っていた係員が突如やって来て,僕らの手続きを始めた。さらに,Too late と僕に言ったはずの係員も,僕らに親指を突き立てて「O.K.だ」とサインを送ってきた。
係員は信じられないほど手早くチケットを発券し,僕らに座席やゲートを説明してチケットを渡し,
Go right now!
と言ってきた(その間わずか1分程度)。
焦りまくっていた僕らは,5ドル渡してチケットをもらい,急いで搭乗口へ向かった。
途中,僕が金属探知機に引っかかり,チェックを受けるというトラブルがあったが,全力で走った結果,何とか飛行機には間に合った。
飛行機に乗り込んだ後,怒りが込み上げてきた。
あいつら,僕らが焦っているのを分かって,金目当てにじらしていたに違いない。金をくれると分かった瞬間に手続きを始めるなんて,何て汚い奴らなんだろう。
「Go right now! なんて言いやがって,そりゃぁ,おめぇのことじゃねぇかぁー!」
せっかくのニューヨーク滞在が,最後の最後で後味の悪いものになってしまった。
怒りを鎮めようと,飛行機でビールを2つ(8ドル)注文した。ところが10ドル札を渡したら,スチュワーデスに「お釣りがないからお金はいらない」と言われた。ラッキー!。チップ代元が取れちゃった。
8月31日(土)その2;どの家庭もたいへんだ・・・
夕方日本食スーパーに買い物に行った時,妻の知り合いのHさんそっくりの女性がいた。Hさんは僕も数回お会いしたことがあるのだが,とてもさわやかで素敵な感じの女性だ。
でも今日スーパーで見つけた人は,似ているがちょっと違う感じがする。何と言うか,普段に比べてさわやかさがなく,疲れきった雰囲気なのだ。
妻に,「あれHさんかなぁ??」と言うと,妻は「あぁ,Hさんだぁ」と言う。
実は数日前に,僕がHさんと偶然会ったとき,Hさんは近日中に妻にメールを送ると言っていたのだが,まだメールは来ていない。そういこともあって,妻はHさんに話し掛けにいった。するとHさんは,こう言った
「ごめんなさいね,メールまだ送れなくて・・・。実は今主人のご両親が来ていて,とても忙しいの・・・」
Hさんの横を見ると,「いかにも日本人」という感じの50歳過ぎのご夫婦がいらっしゃった。
Hさんと別れた後の妻と僕の会話
妻:「やっぱりご主人のご両親が家に来ると,Hさんでもあんな疲れきった顔になるんだ。たいへんだぁ・・・」
僕:「・・・」
9月15日(日);あちゃぁー
今日は留学最後の日曜日なので,サンフランシスコへ遊びに行くことにした。
サンフランシスコは霧と坂道が有名で,車の運転は多少苦労することで知られている。それに,米国にしては公共交通機関が充実していて,街も狭いので,今日は車ではなく,カルトレインで出かけることにした。
カルトレインは,サンフランシスコから南のスタンフォード,シリコンバレー,サンノゼを結んだ郊外型電車で,僕も米国に来て1ヶ月弱,通学に使っていた。最寄のカルトレイン駅まで車で行き,駅前駐車場に車を停めて電車に乗ることにした。
駅前駐車場(無人)に着き,駐車券を自動券売機で買おうとすると,機械が壊れているのかお金が入らない。
仕方ないので他の券売機を使おうとしたが,そこは quarter (25セントコイン)専用で,コインが6枚必要だった。
仕方ないので,近くで行われていた朝市まで出かけて両替してもらい,やっと駐車券を買うことができた。全く米国というのは,よく機械が壊れて苦労させられる・・・。
カルトレイン駅ホーム(無人)に着き,「今日はホームに誰もいないなぁ・・・」と不思議に思いつつ,券売機で二人分往復切符を買った(計18ドル)。そしてふと線路の方に目をやると,今まで見たことのなかった看板が目に入った。
No Weekend Caltrain Service
はぁ?? 「週末にはカルトレイン・サービスがない」ってどういうこと??
と思いつつ,冷静に考えてみた・・・。
「ええぇーーー,ひょっとして週末は電車ないってことかぁ??? 前(来てすぐ)はそんなことなかったのに・・・。でも週末に電車ないなんて,そんなはずないだろう・・・」
と疑問に思いつつ,その看板をもう一回見ると,上のメッセージの下に,次のように書いてあった。
Alternate Bus service available (代わりのバス・サービスがあります)
「あちゃーー,こりゃ,本当に電車ないってことだ・・・」とやっと事態の深刻さに気付いた。駅の端っこにある時刻表を見てみると,確かに土日は電車がなく,バス・サービスの時刻が載っていた・・・。
どうやら,いつの間にかダイヤが変わったらしい。
バスは本数が少なく,また不便そうだったので,結局車でサンフランシスコまで行った。それにしてもダイヤ改正するのはいいけど,何も運行ゼロにしなくてもいいのになぁ・・・。全く最後の最後まで米国には驚かされる・・・。
9月16日(月);最後の日記
とうとう明日の飛行機で帰国することになりました。
とにかく,この半年は「カルチャー・ショック」の連続でした。
人間関係&人の行動,価値観,大学のあり方,日常的な経済の仕組み,気候,ファッション,自然のスケール・・・。半年間ずっと驚きっぱなしだったと言ってもいいくらいでした。
海外経験が全くなかった僕にとって,米国に住むということは,それ自体がものすごいアミューズメント・パークのようなものでした。
今までの人生で,3日以上日記を継続できたことのなかった僕が,こんなに長い(長すぎる??)日記を半年にわたって書くことができたのですから,それだけ「驚き」が多かったということでしょう。
今は,米国の風景を見慣れた自分が,日本がどのように見えるかが逆に楽しみです。
食べ物とか街とか人とかがすごく小さく見えるのではないかという気がしています。ミシガン大学に留学中の先輩が日本に一時帰国した時には,「人と目が合うとにこっと微笑む癖が直らず,変な人と思われそうだった」と言っていましたが,僕もそうなりそうな気がします。
留学中にお世話になった方々,この長くて読みづらい日記を読んで頂いたみなさまにお礼を言いつつ,この留学日記を終わりにしたいと思います。
日本に帰国後少し休暇を頂き,27日から職務復帰して,気分新たに教育・研究に頑張りたいと思います。みなさん,またよろしくお願い致します。