| ノーベル経済学者の大罪 |
私も、経済学を勉強する学生という立場柄、多少なりとも経済学の研究にふれてきた。そんな私にとって、本書中でたびたび登場する「その何が重要なの?だから何?(So
what?)」という、経済学界の現状に対する痛烈な批判は、爽快だった。というのも調べ物があるときなど、それに関する研究をデータベースで検索にかけたりして見にいくと、(私の勉強不足のせいか。。)この論文はなんの意味があるのだろう?だからなんなの?というような疑問を抱かされることが多い。特に私の場合、論文などを理解するのに、かなりの時間がかかってしまうので、理解できたときはそれなりの充実感があり、何かちょっと偉くなったような気にはなれるのだけれど、友人にその内容について話してみたりして、よくよく考えてみると、どうでもいいことのように思えてしまうことがたびたびあり、すごく損をしたような気がすることが多い。
なんでこんな変なことがまかり通っているのだろう?そんな素朴!?な疑問を、著者は、現状に対する批判とともに、しつこく問いかけている。この問題の根は深い、なぜなら著者のいう砂遊びに興じる経済学者たちも最初からそういうつもりで、研究をし始めたわけではないだろうし、多くはそういう自覚もないからである。実際に、本書で槍玉にあげている3人のノーベル経済学者の業績自体に対しては著者も、とても高く評価している。私はこの辺の話をしっかり勉強したわけではないので、詳しいことはわからないけれど、推測として、彼らのように新しい理論なり手法を生み出せるほどの賢い人物たちは、それが現実に対してどういう位置にあり、どういう含意があるのかという点を抑えていたのは間違いないと思う。なぜならどう考えても、そういう視点を持ちうる人物でなければ、新しいものを生み出すことはできないはずだからだ。しかしそれを学ぶものたち、そしてそれを学んだ人たちから学ぶ人たちというように、その過程自体が職業化していくころになれば、もともとの仮定などは、ほとんど忘れられ、その本質的な意味が遠くにいってしまうというのもわかるような気がした。そして結果として著者のいう「砂遊び」になってしまったのだろう。
こういうことを考えていくと、本書での著者の問題意識そしてその背後に見え隠れする考え方は、学問の世界以外でも通用しそうな重要な視点を含んでいるように思え、改めて福沢先生の学問に対する姿勢などを考えさせられた。
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| きれぎれ |
ちょっと考え事があり、気分転換に小説が読みたかったので、地元の図書館にあったこの本を手にとってみた。昔同じ作家の小説を読んでなんとなく好きだったので、これも読んでみた。
よくわからないといえばよくわからない話なんだけど、読み始めたら、とまらなくて、読み終わったらなんともいえない安心感があった。 |
| 日本経済新聞は信用できるか |
一般的に新聞に書いてあることはそれだけで絶対的に正しいというイメージは強い。それが日経ならなおさらである。本書はそんな大嘘を大嘘と気づかせてくれる一冊である。
バブル後の経済観の変転に始まり、日本的経営の賞賛から攻撃への変転、アメリカ経済政策礼賛、中国熱狂と、いかに日本経済新聞がその時、その時で意見を変え、ニュースを作り、世論をかき回してきたのかということが述べられている。日経も、商売でやっているのだからそれ自体は非難しても仕方ないのだけれど、メディアへの対峙の仕方という意味でとても勉強になる内容であった。本書を読みおえて、マスコミが広告商だということを改めて思い出された。それは当たり前と言えば当たり前のことなのであるけれど、ついつい忘れてしまい、時に、無邪気に腹を立ててしまう自分がいる。実際この本を読んでいても胸糞悪くなるのだけれど、それはポイントがづれていて賢くないように思う。まぁそういうことが色んな意味で自分に原動力を与えてくれているといえば、そうなのではあるけれど。。
ちなみに、この著者の本は以前にも何冊か目を通したことがあって好きなのだけれど、この本の性格上、今後この著者の物書きとしての生業が脅かされるのではないかとちょっと余計なお節介を感じてしまった。
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| 経済論戦 |
この本の作者に関する文章は、日本の構造改革について調べていくときに何度も目にした。この人ほど構造改革に関して明確に批判的姿勢を示している、論者はあまりいない。
この本での主張も基本的には、同じであり、日本経済はデフレにあり、その問題点は需要にあることを示し、その手段として、財政金融政策の必要性を述べている。いわゆるマクロ経済学の教科書にかいてある基本的なな話ではあるのだけれど、こうも明確にその姿勢をしめしていると読んでいて気持ちがいい。
また日本で進行する構造改革の舵取り役である竹中大臣の論理の矛盾に対する批判も論法も筋が通っているように感じられ、とても参考になった。
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| 誰が日本経済を救えるのか! |
この本の作者自身は、経済学者ではないのだけれど、この本は経済学界の大まかの状況をつかむのにとても便利である。日本で有名な経済学者といえば、竹中平蔵、中谷巌、リチャードクー・・・、といったところだけれど、そういう人物達がどういうバブル以降の不況に対し、どういうことを主張してきたのかという議論の流れがとてもわかりやすく述べられている。
これを読むと、いかに世間で有名なエコノミストと呼ばれる人達の意見が左右してきたのかということがわかる。
またこの本では、現在の日本の構造改革の流れがどういうプロセスで産まれてきたのかという流れを掴む上でもとても便利な本で、その潮流として、私が研究するレーガノミックスやアメリカの最先端の生産性論争にも言及している。
著者自身はエコノミストではないと冒頭に書いたけれど、中身をみると膨大な情報が含まれており、著者のカバー範囲の広さにおどろかされる。またエコノミストではないゆえに、客観的な目線が含むことができて、こういう鋭い視点が組み込めるのかもしれないとも思ったりした。 |
| ローマ人の物語13 最後の努力 |
混迷の3世紀も最後に近づく頃になり、帝国の抜本的な見直しに取り掛かる皇帝が出現する。それがこの巻でまず登場するディオクレティアヌスである。ディオクレティアヌスは安全保障という国家のもっとも基本的な部分を建て直すことにとりくむ必要があった。というのも、隣国ペルシアの増大、国内の盗賊、海賊などの出没と、ローマ帝国はかつてのパクスロマーナの時代とはすっかり様変わりしていたからである。そしてその際採用したのが2頭政、4頭政といった分業の縦割りシステムである。これは塩野氏が述べているように、組織体として整然しており、もはや共同体が崩れかかっている状況において、広大なローマ帝国を治めていく上では、より現実的な選択に見える。(とはいえ、結局はディオクレティアヌスが全ての区々に決定権をもっている)。そして安全保障の一貫としてなされたのが、兵力の倍増、価格統制といったまさに戦時の緊急体制のような施策である。これは疲弊したこの時代のローマ帝国の安全保障を磐石にするためには不可欠であり、実際に、こうした施策によってローマ帝国には再びひと時の平和が訪れるのだった。そしてこのような統制体制を進める上で不可欠だったのが、統治者の権威の強化である。その際にディオクレティアヌスが用いたのが自らを神とする、しかもユピテルという最高神とすることであった。いわゆる絶対君主制のような形へと移行したのである。
ディアクレティアヌスは生前に引退し、彼の引退後は再び、闘争がおこり、その後に再び唯一の最高権力者として登場してくるのがコンスタンティヌスである。コンスタンティヌスはキリスト教を公認した皇帝として後世のキリスト教社会での絶対的な評価うける人物である。コンスタンティヌスはディアクレティアヌスが築いた平和の下、その治世の間でキリスト教の振興に尽力した。とはいえ、それは、何もキリスト教をローマ帝国の国教にしたというわけではない。あくまで公認したのだった。しかしその後の政策は明らかにキリスト教を振興を促すようなものであった。しかもそれは経済的うまみをうまく利用し、かつそんなに表ざたにはしないという極めて巧妙なやり方である。ここでうかんでくるのが、なぜコンスタンティヌスはこのようにキリスト教を支えたのだろうか?という疑問である。コンスタンティヌスがキリスト教徒だったかどうかという話はどちらでもいいとして、当時のキリスト教徒というのは所詮5%で、それらを支持基盤とすることによる即時的効果というのはそんなに大きかったと思えない。この疑問に対し、塩野氏はキリスト教の司教階級を懐柔することにより、皇帝の立場をキリストと結びつける可能性を伺い、まずはキリスト教徒を増やそうと考えていたのではないかというようなことを曖昧ながらも述べている。
これは正直なかなか説得力があると感じた。3世紀からの改革からもはや帝国の共同体を意識的にも実質的にも壊してきた。そしてそうした状況のなかで、再び平和をとりもどすためには、ディオクレティアヌスがやったような絶対君主制への移行は不可欠だったし、そういう方向に進む上で、キリスト教は都合がよかったのだ。
これはもはやローマではない。という印象をうけずにはいられないが、この本で長いローマ史を追っていくとこうした巨大な変化すら必然に思わされるから面白い。 |
| ローマ人の物語12 迷走する帝国 |
迷走する帝国というタイトルの通り、この時代のローマ帝国は目に見えて衰退への道を歩み始める。巻頭で述べられているように、これまでもローマ帝国は何度も危機に直面してきたが、ここでの危機はそれらとは性質が異なるのだった。それは「自分達本来のやり方で苦労しながらも危機を克服できた時代のローマ人と、目前の聞きに対応することが精一杯で、そのためには自分達の本質まで変えた結果、機器はますます深刻化するしかなかった時代のローマ人のちがい」であった。まずその致命傷を与えてしまったのが、セヴェルスの子、カラカラであった。それはアントニヌス勅令である。この政策により属州民は誰でもローマ市民権を得ることになり、響きはいいが、結果としては属州税をなくすことになり、結果として市民税をあげることになってしまった。またこうした即時的な経済的変化の一方心理的な変化もあった。ローマ市民権は誰でももてることになったために、そのありがたみはなくなり、ローマ市民権を得るための属州民の努力のインセンティブをなくしたばかりか、既存の市民権所有者の自尊心を傷つけてしまったのだった。今風にいうならば、ローマ帝国の強みであった市民権のマーケティングで失敗したのである。そしてこの影響は、ローマ社会の階層構造や、軍隊の正規兵と補助兵の区別をも破壊してしまい、ローマ社会全体に亀裂をいれてしまった。まさにこれこそ思慮に欠けた安易な政策である。そしてその後は再び目まぐるしく皇帝が変わる混乱の時代に突入し、ヴァレリアヌスの時代にはついに、皇帝が捕虜になるという事態にまで陥り、それをきっかけに、ローマ帝国は分裂してしまう。結果としてアウレリアヌスによって帝国は再び統合されるのではあるが、その疲弊は目に見えてくるのだった。
この時代多くの皇帝がわずかな期間で、去っていったけれど、彼らが無能だったとは思えない。むしろ、もはやトップの交代ごとき短期的な変化ではどうにもならないほど、帝国は崩れ始めているのだろう。その意味で、アントニヌス勅令の影響はあとにもどれないという意味でも決定打に近かったように思える。 |
| ローマ人の物語11 終わりの始まり |
再び、帝政ローマに戻る。アントニヌス・ピウスによる平穏の時代を継ぐのは哲人マルクス・アウレリウスだった。この人物は哲人と呼ばれるだけあって賢帝としてのその評価はきわめて高い。ストア哲学を殉教者で死ぬまでその精神を体現しようとした人物であった。しかしその治世は歴史家カシウス・ディオが述べるように「次々と難問に襲われ続ける」時代であった。
賢帝の時代のローマの繁栄は外部のものからすれば、羨望の対象であり、ローマ帝国は狙われの身となったのである。蛮族の侵入、隣国との戦争は断続的に起こる。敵はこちらが危機にある時にこそやってくるのだ。とわいえ、アウレリウスは共同統治者ルキウスを失いながら、その政治力で、ローマ帝国をしっかりと守りぬくのだった。
ところでこのアウレリウスは最後の賢帝として扱われる人物で、後世の皇帝達の多くがその目標に掲げたほとの高い評価をうけているわけだけれど、この人もトライアヌス、カエサルといった稀代の賢帝達と同様に「自省録」という著書を残している。これらが彼らの統治にどれほどの影響を与えたかはわからないが、メディアの効果というものに、注目し、自らそこで価値のあるもの生み出せた(クラディウスも著作は残したがあまり評価されていない)という点で彼らの現世、後世の評価にはかなり影響を与えた。そしてそれが当時の統治コスト下げることに寄与したことは間違いないのではないだろうか。
賢帝アウレリウスであったが、その息子であるコモドゥスは彼とは対照的に悪帝として名を高めた。まずコモドゥスは父の遺言にそむき、ゲルマニア戦線を講和により停戦し、次に共同皇帝のマルクスを殺してしまう。屈辱的な講和で人気が落ちたばかりか姉による暗殺計画を知ってからのコモドゥスはどんどん内向きになっていき、剣闘に熱中したりわが道を進んでいく。ただそのようにしてる内はそんなに害はないのだが、ついには側近の召使などにそそのかされて、実際の政務者を殺すという暴挙にでる。そして他の多くの悪帝達がされたように暗殺され、記録抹殺刑に処されるのだった。
悪帝を殺したわけであったが、後継者にはアウレリウス―コモドゥスという世襲の正統性に対抗できるだけの手腕が求められるという過酷な条件が待っていた。つまり、時期皇帝には普通ではだめなのだ普通+アルファがあって始めてその正統性が認められるのだった。しかしそれだけの人物は簡単にはあらわれない。そしてローマ帝国は再び度重なる皇帝の交代という混乱の時代に陥るのだった。そしてそれにひと段落をつけたのが、セプティミウス・セヴェルスだった。
セヴェルスは内乱の時代を勝ち抜いてきた人物だけあって軍事的な能力にはとても優れていた、しかし統治力という意味ではそれほどではなかったようで、結果的にはパルティア(ペルシアの脅威を結果として生んでしまった)、軍務改革(軍を優遇するあまり弱体化させてしまった)とローマ帝国衰退の足がかりを築いてしまうのだった。
塩野氏は「賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ」とい故事に対し、賢者にはその両方が不可欠であると述べている。 |
| ローマ人の物語10 すべての道はローマに続く |
この巻はこれまでとは少し異なり、ローマ帝国におけるインフラストラクチャーに焦点を当てている。ローマ帝国のインフラとしてまずあがるのはなにより街道である。ローマ人は領土が拡大するとまずは街道を整備した。これが、都市間の有機的な関係を生み、経済的にも政治的にもつながりを強めることになり、結果としてローマ帝国全体の共同体としてのメリットを存分いかせることになるのだった。
しかし、これはリスクもともなう。なぜなら、交通の便がよくなるということは、外的の侵入も容易であるということである。実際にハンニバルが襲来した際には縦横無尽に動かれてしまう理由ともなるのだが、そのときも共同体としての機能はうしなわず、戦闘には破れながらも戦争には負けず、ついにはハンニバルすら追っ払ってしまったのだ。これがもし都市間の結びつきが弱かったならば、オリエントの国々のように、都市ごとに強い方になびくというような混乱状況になっていただろう。
こうして改めて見せられると、帝国じゅうに網の目のように張り巡らされた街道こそまさにローマ帝国をローマ帝国たらしめたという塩野氏の主張はとても説得力がある。
ここでは街道の他にも水道、それにソフト面では法律、医療、教育に関するローマ人の取り組みが紹介されているが、これらを総じて思うことは、生活水準の高さである。これならあらたにローマ帝国に加えられた属州の人々がそれを受け入れる気持ちは理解できる。征服された側にとってはなにより、ローマ帝国の一員であることの方が良い暮らしができることが示すことが一番のクスリになっただろう。
ちなみにこの巻の最後はローマ帝国のインフラの写真が掲載されているのだけれど、そのなかでも最初を飾っているアッピア街道が他のなにより、ローマ帝国の精神を象徴しているように感じ、イタリアを訪れた際に見に行かなかったことを悔やんだ。 |
| ローマ人の物語9 賢帝の世紀 |
ネルヴァの死とともに後継者となったトライアヌスに残された課題はなんといってもダキアであった。そしてたたき上げの軍事司令官であるこの男は、完全な勝利とともについにはダキアを制覇し属州に組み込むのであった。そして次にはパルティアに遠征しそこでも破竹の勢いで勝ち進み、ついには前人未到のペルシア湾にまで兵を達するにいたる。この時代は全ローマ史の中で、勢力範囲が最大になった頃であり、まさにローマ全盛の時代といえる。(逆にいえば、ここからは下り坂ともいるのだが)こうした業績に元老院もトライアヌスに「至高の皇帝」の尊称を与えることによって報いるのだが、トライアヌスの帰路アンティオキアにまでいたったところでメソポタミア全土が再び、蜂起し、しかもトライアヌスは急病に倒れ、そこで死んでしまうのだった。トライアヌスは極めて誠実に皇帝職をまっとうしたように思うけれど、これだけ評価が高いのはやはりダキアの征服にあるだろう。(しかもカエサルのガリア戦記にならいダキア戦記を書き、業績をアピールすることも忘れなかった)。やはり領土の拡大、すなわち属州の拡大はやはりナショナリズムを喚起し、わかりやすく市民達を熱狂させることができるし、経済的にも属州税により潤うという特典がある。それが古くはスキピオしかり、少し前ならカエサルなどの後世、現世の圧倒的な評価の高さ、生んでいるのだ。そしてここで逆に考えるのはアウグストゥスの評価である。彼は領土的から言えば、基本的にはカエサルの規定した防衛ラインを守ったに過ぎない。むしろエルベ河への防衛ラインの拡大には失敗するしている。にも関わらず、その後のローマ帝国においてアウグストゥスはまさに神君であり続けたし、後に続く皇帝達も彼のやり方を模倣しようとしていた。それは初代皇帝という特殊な条件を抜きにしても、アウグストゥスの行った軍事的業績とは異なる「地味」な内政的業績の際立った評価の高さを象徴しているのではないだろうか。
ともあれ、トライアヌスの死を後を告ぐのがその養子であったハドリアヌスであった。ハドリアヌスは就任直後の粛清、晩年の同性愛の傾倒とスキャンダルによるせいか当時の人気はそれほどだったようだが、どうやら賢帝の名にはじない有能な統治者だったようだ。ハドリアヌスはもはや広大となったローマ帝国全体をその治世の3分の2にも及ぶ期間、旅してまわり、ブリタニア、及びゲルマニア防衛線の整備、それ以外にも常に火薬庫であったユダヤに対する「離散」政策と、しっかりと巨大なローマ帝国のメンテナンスが行われたのだった。そして安定し始めた帝国を受け継いだのが、慈悲深い皇帝とよばれたアントニヌス・ピウスであった。皇帝の人格に象徴されたかのようにこの時代は平穏な時代であり、塩野氏にいわせると「ニュースのない時代」らしい。実際に、治世の長さの割りにこの皇帝にさかれた部分は異様に短い。しかしこういう「ニュースのない時代」こそまさに幸福の時代なのかもしれない。
ここで、ふれなければならないのは、トライアヌス、ハドリアヌスは属州出身(イベリア半島イタリカ)の皇帝であったということだ。これこそプルタルコスがいうローマ人の強み「敗者をも同化させてしまう政策」を象徴している現象で、塩野氏がよく比較にあげる大英帝国とインドなどの植民地などの関係と比べるとその独特さ際立っている。 |
| ローマ人の物語8 危機と克服 |
「悪帝」ネロを国家の敵として、死に至らしめたローマ帝国であったが本当の危機はそこからだった。
軍団を背景にネロを追い払い、皇帝になったガルバであったが、彼は皇帝任命後にただちにローマに戻らないというミスを犯した。アウグストゥスを血を引くという目に見えない権威すら持たないガルバにとってこのミスは致命的であった。これがローマ帝国を内乱の時代に導き一年の間にガルバ、オトー、ヴィテリウスと3人も皇帝が入れ替わるという事態を招く。この時代の象徴的な描写をタキトゥスがしている。そこではオトー派の兵士とヴィテリウス軍のローマ市内での激闘を横目に市民達が見世物を楽しむかのように戦いを眺めている様子を嘆いている。これに対し塩野氏は「どちらが勝とうと変わるのは皇帝の具備だけであることを彼ら(市民)は知っていたのである。」と述べているけれど、まさにこれこそ平和の後によくおこる権力闘争、それによる市民の政治へ無関心という状況をよくよく示している印象をうけた。
そしてローマ帝国ないの混乱をただちに外に広がるのだった、それは属州の反乱、蛮族たちの蜂起である。こうした事態を見の前にしてローマはやっと目を覚ます。その帝国建て直しの任についたのがヴェスパシアヌスである。軍務経験を豊富で実力者である彼のもと、帝国は再び共同体としてのまとまりをとりもどしていくのだった。「健全な常識人」であった彼は着実に帝国の基盤を再構築していき、内乱のもとである後継者問題も、2人の息子に託すことによってしっかりと決着をつけ、久しぶりの平穏とともに死を迎えたのだった。ヴェスパシアヌスによって帝王学の英才教育をうけた長男ティトゥスは公僕に徹しようとした聖人君子であり、長い治世を父をはじめ多くの人々が期待していたが、わずかな期間で病に倒れてしまう。そしてそのあとを継いだのがドミティアヌスであったわけだが、彼は兄と違い、皇帝として十分な教育をうけていないのだった。それも無理がないのである、父は兄の治世がしばらく続き、その期間に父が兄にしたように兄が弟に経験をつませると考えていたからである。
とはいえ、ドミティアヌスは教育改革、ゲルマニア防壁「リメス・ゲルマニクス」建設など帝国維持に不可欠な仕事もしたが、やはり軍事経験の欠如からか金を払ってダキア族との平和協定をしたり、また晩年の恐怖政治などから、評判は失墜し、暗殺、そして死後にはカリグラ、ネロ達がうけた「記録抹殺刑」に処されてしまう。こうして2番目の世襲皇系もおわり、賢帝の時代へと突入していくのだった。
賢帝の時代の最初を飾るのはネルヴァだ。といっても、ネルヴァは野心のない老人皇帝で、本命トライアヌスへのつなぎといえ、いわゆる黄金の世紀はそこからといえるだろう。 |
| 花神(上) |
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| 酔って候 |
幕末の風雲の中、賢候と呼ばれた大名達がいた。本書はそんな、大名達―土佐の山内容堂、薩摩の島津久光、伊予宇和島の伊達宗城、肥前の鍋島閑艘―の物語である。それぞれ、賢候と呼ばれるだけあって、教養にあふれ、一癖ある人物達である。彼らに共通していえるのは(島津久光の場合は部下に踊らされていただけに思えるが)、長い太平でどこの藩も平和ボケしているなか、ペリーの到来という重大事件から外敵に大して強い危機意識を抱き、藩政を改革、ひいては幕府を中心とした幕藩体制の改革にまで、尽力したということである。とわいえ、実際に奔走していたのは、志士と呼ばれる、書生や剣客に毛がはえたような部下達である。そして、その結果起こったのが、明治維新である。そしてこれは封建制度の終わりを意味した、つまり、藩の存在もなくなったことを意味する。皮肉なことに、賢候たちは倒幕の片棒を担ぐことにより、自らの大名という概念すら壊してしまった。しかもそれは彼らにとって望んだものではなかっただろう。明治維新という事業に関して、彼らのような聡明な大名達の活動がどれほど貢献したかはともかく、
変革期における旧体制の統治者(徳川慶喜に代表される)の人生というのは、特に彼らが聡明であればあるほど、(本人自身が自分達の運命に対する予測がついてしまうため)なんともいえない哀しさがある。
あと、この小説を読みながら地図を見て、ふと思ったのだけれど、ここで紹介されている4藩はいずれも、海に面しており、そういう地理的条件が、人間の危機意識そして、志士達を生むような風土に影響するんだろなぁといまさらながら、ふと納得した。 |
| 世に棲む日々4 |
勤王の先駆けから一転して四面楚歌に陥った長州藩は再び、保守派が台頭し、佐幕派へと変転する。そのような状況に対し、高杉らは奇兵隊を使って大博打にでる。なんとたったの80人で、藩政府に対して反逆を起すのだ。窮地にあるとはいえ、依然として圧倒的な人数を持つ藩政府であったが、激戦の末、ことごとく、高杉及び、山県にしてやられ、連勝を続けていくうち、革命派をどんどん勢力を増やしていき、ついには、藩主の根拠地、萩においても勢力を伸ばし、ついには藩革命に成功してしまう。
ところが、不思議なことに、革命が成ると張本人の高杉は首相各の座を断るばかりか、洋行すると言い出す。こういう高杉の性格は、「栄達というものに関心がない男で、行動を欲するがために行動する」という本文の表現が象徴的である。ともかく、海外に出ようと高杉は長崎にいくわけだが、そこで、英国商人に洋行をやめ、英国と長州との関係の仲介に奔走するように説得されるとあっという間に変転し、国に帰って藩政府を説得する。しかし、いまや攘夷の総本山にある長州において、開国主義は死を意味し、藩政府は高杉の意向を汲みながらも答えに窮する。それどころか高杉らの主張は外部に漏れ攘夷気違い達によって命を狙われることになってしまう。やむ終えず、高杉は他国を放浪しながら気が熟すのを待つが、やがて、長州に帰国する頃には、藩は幕府との緊張関係にあり、高杉は早速、重役に登用される。そして幕長開戦。幕府の大島占拠の報が伝わるやいなや高杉は奇兵隊を率いて戦線に登場する。戦にでれば高杉は鬼神のようなもので、九州での幕府艦隊襲撃、小倉戦争と連戦連勝を重ねていった。しかしそんな中、高杉は病魔におかされ続け、そして長州の勝利とともに戦線が落ち着くとともに、役目を終えたように高杉は歴史舞台からひっそりと消えていく。
時世の句「おもしろき こともなき世を おもしろく」こそ高杉の性格をとてもよく描写しているように思えた。
松蔭が思想を生み、高杉が現実化する。本書では思想家である松蔭と現実家である高杉がとても対比的に描かれているけれど、両者がいて、初めて事がなされたのではないだろうか。書中に「思想とは本来、人間が考え出した最大の虚構虚構―大嘘―」という節があるように、大嘘こそが大きなウネリを作り、奔走家達がその答えをだすのだろう。本書は、そうした歴史の変転のシナリオを2人の人間の生涯を通じてとても象徴的に描かれた作品であった。 |
| 世に棲む日々3 |
この頃から勤王という言葉が流行り始めて、維新政府を作っていった面々が少しずつ表舞台に登場してくる。長州はもちろんその先駆けであり、高杉もその波にのり、奇兵隊という武士と農民の混成部隊という当時は考えられない軍隊を作りそれを武器に、幕末の風雲に飛び込んでいく。彼は、その子分格であった井上聞多、伊藤俊輔といった面々同様、当時の流行であった攘夷の超過激派であったが、その一方で、日本はいつか開国しなければならないという一見矛盾した考え方をもっていた。そんな彼らの共通点は、皆、海外に出たことがあるという点だ。井上、伊藤はイギリスで、高杉は2ヶ月程度ではあるが、欧米列強に植民地化されている上海において、西洋文明の優位性を十二分に認識していたからである。そして、海外に行った彼らは、これまで口では倒幕々々と唱えながらも、心のどこかで絶対的な存在と考えていた幕府すらも、卑小なものに思える見聞をもったのである。この理性的、感情的な変化があわさって彼らの革命への原動力となっていくのである。なぜなら本当の意味、日本が西洋文明に追いつくには、戦によって、前体制を壊すことによってのみ、可能であると考えていたからである。それが、開国の必要性をとなえながらも、時勢の攘夷の流れに彼らを乗せた理由である。。
とはいえ、薩摩などの画策から。京都で政変がおこり攘夷の旗手長州の運命は急転し、一転、幕府軍、西洋連合軍を同時に相手にするという窮地に陥る。こうした状況は長州においてさえ、佐幕派の台頭をゆるすことになるのだが、ここにきて、高杉は自らが創設した奇兵隊を使って大博打にでることを決心するのである。 |
| 世に棲む日々2 |
| 松蔭は、黒船到来以来、外国の技術、文明に強い関心を抱くようになり、なんとかして外国にいこうと思案する。そしてついに、2度目のペリー艦隊の到来時に漁船にのって、艦隊に近づき、密航の以来をするという暴挙にでる。これは当時の鎖国化にある日本において、誰もが考えもしないような重罪であった。松蔭はなんとか外国船に乗り込むことには成功するものの、相手側が日本政府との関係の懸念から拒否し、密航の試みは失敗に終わってしまう。こうなったからには、松蔭の性格上、潔く自首をすることとなった。ここから松蔭の人生は死ぬまで(自宅での蟄居を含め)シャバにでることはなくなるのではあるが、松蔭は檻の中にあり、以前同様、自らの考えを相手を選ばず述べ立てる続けた。囚人相手に大真面目に国家論を語る姿はまさに変人という言葉の方がぴったりな位である。ともあれ、しばらくして、松蔭は長州藩にもどされ、自宅での蟄居暮らしが始まる。ここで、かの有名な松下村塾が開かれるわけである。そこに久坂玄端、高杉晋作とよばれるような、明治維新を作った第2世代が登場してくるのである。彼らの非凡を松蔭はいち早く見ぬき、特徴を見抜きならを育てた。しかしそんな矢先、井伊直弼のもと締め付けを厳しくした幕府から松蔭は江戸に召喚される。その場において、もとはといえば、他の罪人の参考証人であったのに、松蔭はもちまえの馬鹿正直さから、奉行に荒いざらい言わなくてもいいことまで話してしまい、ついには死罪にされてしまい、短い生涯を閉じる。そしてここからは、高杉、久坂といった弟子達の時代へと移っていくのである。 |
| 世に棲む日々1 |
維新期長州の倒幕思想の原点ともなった吉田松陰の一生を描いた作品。吉田松陰は代々藩の兵学教授を担う家で育ち、早くして家主となった。そのため、藩命により、父の門人、兄弟などから兵学の英才教育を受ける。私心を忘れ、公につくすことを第一とした過酷な修行をうけることにより、松蔭は尋常ならざる現実主義家もしくは増上慢となっていく。そうした破天荒な部分が、「友人の約束を守るために脱藩」という重大事件を起してしまったりするのだが、反面、常人には及びもつかない、視点をもたらせた。その例が、「将及私言」「海防論」といった当時にしては先進的な意見を生み出したのであろう。
何はともあれ、若い頃の松蔭は、脱藩による追放がかえってよかったのか、日本中を学び回ることができた。そして、ついには佐久間象山という松蔭にとって最も重要な師匠に出会う。しかしペリーの黒船到来が、松蔭の好奇心に火をつけ、危うい方向に導かれてしまう。
英雄というものは、一歩間違えると、ホラ吹きだったり、奇人だったりする。松蔭は、まさに後者の部類の人間としてここでは描かれているのであるが、本書のなかでは、彼の人間性の成り立ちがとてもうまく描かれていて、松蔭という奇人がいかにしてできあがったのかがわかりやすかった。 |
| 男子の本懐 |
昭和初期の慢性的不況下にある日本において実施された金解禁を浜口雄幸、井上準之助らを中心に描いた経済小説。幼少時代から寡黙で、生涯趣味道楽を持たなかった浜口と、ゴルフ、テニスを趣味とし、世界中をかけまわった井上。日本男児を絵に描いたような男と、海外思考のテクノクラート。性格的な面では全く相反する二人ではあったが、そんな二人が協力してこそ、金解禁という、一大目標に立ち向かうことができた。金解禁には、事前の緊縮財政が不可欠であり、世論の反発はさけられないものであった。そんな政策を行うことは、当時の世の中では一歩間違えれば命取りとなるような状況である。しかし、2人には唯一の共通点があった。それは己の政策を通すためには、自らの命をも賭すというゆるぎなき信念である。その信念は、巨大な反対勢力を押しのけ、ついには金解禁にまでこぎつける。しかしその後の世界的不況、そして、浜口遭難と、彼らの思惑とは別に、情勢は変化していく。そして浜口死去。その後井上は野に立ちながらも一人奮闘するが、その井上も、糾弾に倒れてしまう。
金解禁の政策の評価はともかくとして、命の危険をもいとわず、国政を担う2人の人間ドラマにはとても心を打たれた。今の政治家でこれだけ強い政策理念を持つ人物がいるだろうか?と考えると、私はおそらくいると考える。しかし同時に現代ではそういう政治家の出番は少ないとも思う。この小説の時代背景においては政策決定者と一般大衆との距離が遠いことは、それ程問題ではなかったように思えるが、(それでもそうした問題を提起されるような内容も含まれている)現代においては、その距離感こそ、その国の行く末を考える上で、とても重要なものとなってくるように思える。
政策に対する評価は、その後の時代の変化や、人々の思惑によってかわるものだが、彼らの「生き方」には永遠に消えない何かがあるように思った。 |
| 白い巨塔5 |
ついに控訴審が始まる。今回の裁判は、原告側にまわった里見や、あらたに証人に加わった元看護婦などの動きにより、財前は思いがけず苦戦を強いられる。そして、財前が過失を主治医だった柳原に押し付ける発言をした瞬間、事態は急進展をする。柳原はついに腹をすえかね、財前外科医局の一員にも関わらず、謀反を起すのだ。そして、一度腹を決めた柳原は、同じく財前に不満を抱いていた医局員江川を巻き込み、内部資料をもちだし、徹底的に財前を追及することにいたる。こうした結果、ついには原告側の勝訴となる。財前は多忙と判決に対するショックから判決後ついには精魂つきはて倒れる。
診断の結果、財前は手遅れなほど進行した癌であることが発覚する。前任教授である東、里見、鵜飼、他教授陣で構成される医師団は、財前に病名がばれないように配慮しながら延命措置を続けるが、一流外科医である財前はある時点で自分の死を悟り、壮絶な死を迎える。そして財前の死のかたわらには、財前自信が自らの死屍病理解剖に関する封書が残されていた。財前の死体は教授専用の解剖台で、病理解剖の教授により厳粛に行われた。 |
| 白い巨塔4 |
| 裁判を勝訴した財前には、学部長鵜飼から学術会議選挙出馬の誘いがかかる。裁判を終えたばかりでしかも少壮教授である自分に名誉ある学術会議の選挙出馬を誘う鵜飼に不信感を抱きながらも財前は出馬に踏み切ることにする。一方敗訴した原告側は控訴することを決める。財前は学術会議選挙と控訴審という2つの課題を抱えながらも持ち前の野心で両方を乗り切ろうといきまく。学術会議は苦戦しながらも持ち前の政治力、財力で、医師会、同窓会などの人脈を駆使し巧みに工作する。しかし裁判の方はというと、新たな証人の登場などによって、真実が暴かれようとしていく。それは財前にとっては、破滅を意味するのだ。そうした状況の暗転に感じてか、だんだん財前は、肉体的にも精神的にも疲労を深めていく。 |
| 白い巨塔3 |
教授になって早々、財前は国際学会に招聘される。日本の外科医の手術の技術は世界でも高水準であり、なかでも噴門癌の権威である財前は旅先のあらゆる場所で熱烈な歓迎をうける。そして学会自体も大成功におわるのだが、そんな頃、日本から不吉な電報が届く。それは日本を発つ前に手術をした患者の死亡を告げるものだった。財前はそれに、一抹の不安を感じながらも、あふれるバイタリティで、欧州のあらゆる有名施設を訪問するなどし、充実した欧州滞在を終える。そしてその帰国は、財前にとってはまさに凱旋帰国となるはずだったのだが、ここで、彼の運命は一転する。欧州での業績を発表する記者会見が終えると、財前は、自分が出発前に手術を行った患者の遺族から訴えられたことを知るのだ。
その患者の死因である、噴門癌の肺への転移は、財前にこの患者を持ち込んだ内科の里見助教授及び、受持医の柳原が再三警告したものであったが、財前はそれを全く相手にせず、入念な検査を怠り、手術前に、その転移を見逃し、手術を行ってしまったのであった。とわいえ、高度な医療分野における話であり、財前は、あらゆる、政治力を駆使し、原告側をまるめこみ、裁判を勝ち抜く。財前が勝訴に喜ぶころ、原告側の証人にたった里見は大学に居場所がなくなり、辞任を決意する。 |
| 人間が幸福になる経済とは何か |
冷戦の終結とともにアメリカは世界唯一の大国となり、世界的にその政治的、経済的影響力を一層強めてきた。そしてその後の十年間―九〇年代―アメリカ経済はかつてない長期好況を経験した。こうした状況から、アメリカ資本主義は新時代の成功モデルの象徴となり、多くの国が、政府と市場の適切なバランスをアメリカに求めるようになった。
本書はそのような国際的状況がいかなる弊害を生んだのか、そして、成功の象徴となった九〇年代アメリカ経済とは実際どのようなものだったのか、という二点について、九〇年代当時クリントン政権内の経済諮問委員、世界銀行の上級副総裁兼チーフエコノミストを務めた著者が政権内部独特の視点を交え、その所見を述べたものである。
九〇年代アメリカマクロ経済が成し遂げたインフレなき成長は輝かしい実績であり、著者が担ったその当時政権内の経済チームは、大統領、FRB議長などとともに、英雄として祭り上げられた存在である。しかし本書の内容のほとんどは九〇年代の成功経験というより、むしろ失敗経験に関するものに焦点がおかれている。まず、一章から三章では、いかに偶然と、妥協の積み重ねが低失業、低インフレという成長構造に貢献したのか述べられ、四章から八章では九〇年代の負の遺産がいかに二〇〇〇年以降の景気後退を生み出していったのかという点について述べている。特に「銀行の変質とバブル」と冠された六章では、ウォール街での過熱振りと、それに関連する不祥事に対して、著者がノーベル賞を受賞した情報の経済学の分野から批判されており、とても説得力があるものとなっている。
またもう一点本書で述べられている重要な主張はアメリカ及び、アメリカが強い影響力を持つIMFが及ぼしたアメリカ外―特に東アジア諸国、ラテンアメリカ諸国などに対する―への影響である。これらは、IMFなどを通じたアメリカ型資本主義の輸出が、いかにアメリカの都合のもと進められ、当事国の経済へ悪影響を生んだかを点を強調しており、アメリカ国内に対する政策と国外に求める政策の対照性に対し偽善という言葉まで用い、アメリカの一国主義を痛烈に批判している。これらは極端な話、アメリカの成功はそうした国々の犠牲のもとに成り立っているというようなニュアンスすら感じさせられるものである。こうしたIMFに対する記述からは著者の強い憤りが伝わってくるもので、九章の「世界を不幸にしたグローバリズム」という過激なタイトルにも重みを与えている。
九〇年代アメリカに対する研究は星の数ほどなされ、本書のような関係書籍も多い。しかしそうした中でも本書は著者の九〇年代で果たした役職からか、多部門にわたる大局的な観点及び、レーガンからブッシュシニア、クリントン、ブッシュジュニアまでの長期的な観点を備えており、その内容は傑出したものとなっている。
また、経済学父アダムスミスの「見えざる手」にまで立ち返り、経済原理の限界を見直し、民主主義社会における理想を提示しようという著者の姿勢は、経済学者の地位が失墜しつつある今日、稀なものであり、著者の志の高さを感じさせられる。こうした志の高さは、序文で述べられている、著者が学問を志したきっかけ―子供の頃の身近な貧困や失業、差別に対する問題意識―から一貫して続いているものを感じさせ、そうした仕事に対する透明な姿勢に尊敬の念を抱いた。 |
| 白い巨塔2 |
ついに教授選が本格的にスタートする。ここまでくると、もはや財前と東は絶縁状態で、両者はなりふりかまわずあらゆる政治力を使っていく。財前は舅の財力と、医師会、医学部長を背景に、金をばら撒き攻勢に、東は、自らの学部内での人間関係及び、出身大学のつながりを背景に、医学会のポストや研究費申請などを条件に使って、票の囲い込みにでる。そして勝負のゆくえは、前日までゆれ動き、最終的には2票という僅差で財前は念願の教授の椅子を手に入れるのである。東が敗北により、静かに大学をさる一方、財前は教授に就任早々、国際学会への招聘とさらに勢いずくが、その足元で不穏な気配がだたよいはじめる。
2巻の半分は教授選での攻防が描かれているが、各陣営のうごきがナマナマしい。特に、東派と財前を推す医学部長派の間で、独自の候補者をたてる革新派の動きが興味深かった。革新派は、第一回の投票で敗れ、決戦投票にすすめないわけであるが、第一回の投票で全体の4分の1近くもの票を上げたので、彼の動きが決戦投票の勝敗を握ることになったのだ。もちろん東派、医学部長派はあらゆる条件で彼らを引き込もうとするのであるが、革新派はどちらにもいい顔をしながらも、はっきりとした結論をださない。それにより、両陣営からどんどん好条件を引き出し、最終的にも、無記名という教授選の性質を巧妙に用いて両者から見返りをえるのである。これは選挙の性質のある局面をとても象徴的に描いているものでとても興味深かった。 |