2005/01/04 学問のすすめ 福沢諭吉著
 ちょうど学問のすすめを読み始めた頃、産経新聞にてフランス人の学者が福翁自伝の仏訳に取り組み始めたというニュースを見つけた。記事によると、福沢先生の家庭論が現代のフランス人に対しても強い共感を生むそうである。たまに、福沢先生に対して単に「海外技術の輸入を促進した人物」というニュアンスの評価をしている人がいるけれど、先にあげたフランスなどは、当時、日本が模倣した国々の一つであり、そうした国で、しかも200年近くの時間を経て、評価されているという事実は、福沢先生の思想の普遍性の高さをよくよく表しているだろう。ではなぜ福沢先生はこれほどの応用力のある考え方を持ちえたのか?という点に関心がわくわけだけれど、今回、学問のすすめを読んで、少しその答えに近づけた気がした。
 本書を読んでまず私が着目したのは、その学問範囲の広さである。本書は文明論の概略などとは異なり、専門家というより、一般の人々に向けて書かれた本であるため、比較的平易な文章で、内容も、生活に根ざした例をふんだんに用い、庶民にも馴染みやすいように配慮されている。それでいて、経済、政治、法律、モラルなど多岐にわたる分野の本質的な議論を網羅しているため、主張には説得力がある。今回強く感じたのは、こうした多分野を網羅した考え方こそ福沢先生の思想の普遍性の高さを生んだ重要な要素ではないかということだ。福沢先生は、当時はまだ数少ないオランダ語もしくは英語を読める人物であり、その翻訳も、講義も、分野の区分け関係なく当時の日本で求められるものを貪欲に取り込み、広めていった。普通に考えて、これだけ網羅的に先端の学問を学ぶ機会に恵まれた人も、それだけの能力を持った人もあまりいないだろう。実際に、現代で考えてみても、天文学がわかる経済学者はいないだろうし、医学のわかる物理学者もいないだろう。しかし、福沢先生が本書中でもたびたび述べているように、学問は学問のためにあるわけではなく、生活を便利にしたり、貧しさから逃れたりするためにあるという観点にたつならば、学問をする上で、一つの分野だけわかっていればよいということはあり得ないような気がする。なぜなら、当たり前の話ではあるけれど、教科書を読むこと自体はなんの生産活動にもならないし、そこで得た情報なり技術なりを受け取り手がその経験と結合させ形にすることで、初めて効用を生み出すのである。確かに新たな発明などはその分野に特化した専門家達が作っていくものではあるが、それも、その分野のそれまでの蓄積に、発明者のそれまでの経験から何らかの新しいものを結びつけて始めて実現しうるという意味、同じ話である。また、特に天下国家のことを論じる際、経済だけわかっていればよい、政治だけをわかっていればよい、法律だけわかっていればよいということは全くあり得ないわけで、全ての考えを網羅した上で、物事の軽重を見極める能力こそ、求められるのである。
 このように考えてみて、改めて学問のすすめを眺めてみると、福沢先生の思想の信頼性の高さを感じずにはいられない。正直なところその価値は私には計りかねるけれど、それでも、福沢先生には凡人には見えないものが見えていたということの予測くらいはつく。人間は自分のやっていることをどうしても正当化したくなる生き物だから、自分の視点だけで、物事を論じ、とんでもなく的外れなことをいってしまうということは多々あることである。この学問のすすめは、そのような落とし穴にはまってはいけないという強い教訓を残してくれるものであった。ちなみに私の学ぶ大学はこの著者である福沢先生の設立されたところであるけれど、福沢先生のような視点を持ちうる人間を育てる教育システムを構築することはなかなか難しいだろうと思う。またもしかしたらその必要もないのかもしれない。ただ、せめて教育制度をつくる側の人間や、国家を運営する側の人間にはそのような視点を持てる人物を求めたい。

印象に残った言葉
『愚民の上に苛き政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり』

 この言葉には、福沢先生の仕事の原点がるように思える。福沢先生の目指していた維新後の社会制度がしっかりと機能しているとすれば、私立こそ、政府の質を決定付けるものであり、その充実こそ重要であるということを福沢先生は再三の述べ、それを実際に実践したのが慶応義塾の設立であり、学問のすすめの執筆なのである。そういう意味、この言葉の奥に、福沢先生のいう「内側」の革命の決意が垣間見られ、とても印象に残った。
 ところで、現代ではよく、ここでいう私立の役割をメディアと置き換えて考えられることがあるが、それは全くの誤解である。なぜなら、メディアと呼ばれるものの多くは所詮、商売で行われているものであって、テレビであれば、人々が見たいと思うもの、新聞であれば、人々が読みたいと思うものを伝えるのが当然の理である。そうした観点からいって、メディアこそ私立の水準を表すものともいえるが、この言葉の意味するところにおいて、その基本に私立があるという点は現代においても変わらないことである。
2003/08/31 文明論之概略 福沢諭吉著
 文明論之概略を読んで、まず私が感じたのは、福沢先生への畏敬の念である。私は福沢先生と同じ時代を生きた、坂本竜馬、木戸孝允、大久保利通、徳川慶喜といった人物に関する著作に触れる機会があったけれども、それらの面々と比べて、福沢先生は極めて異質である。先に挙げた面々の人生は、とても豪快で華々しいものであったけれど、どこか、ギャンブル的で、危うさが付きまとっているように感じられるのに対し、福沢先生は信じがたいほど、堅実でかつ着実である。
 300年来の鎖国からの開国、そして急激な外国文化の流入が、当時の一般市民に対し、大きな混乱を生んだという事は容易に想像ができる。それは現代で想像するならば、それまでその存在すら、曖昧に認識している、宇宙人が大量に押し寄せてくるという感覚に近いと思う。そして、そうした未知のもの対して、一般市民が無条件の敵対心(当時でいう攘夷論)や、恐怖心からのくる屈服を抱き、それが一部の支配階層の憂国の情を刺激し、英雄を生むという時代の流れも、自然に理解できる。しかし福沢先生の思想はこの常識的な流れの範疇とはかけ離れているように感じる。もちろん、ペリー来航というものが直接的なきっかけとなり、その思想を育み、国の独立を論じたという意味では、福沢先生も同じ志士であったといえる。しかし、のちに英雄として扱われる志士達と、福沢先生とは、目指していたもの、見ていたものが全く異なっていたように思う。志士達が、当面の外夷の脅威に対する、対抗策として、外国の技術や思想をとり入れ、自国の近代化(特に軍隊)を第一に考えていたのに対し、福沢先生は、政治の直接的な実行者である英雄豪傑と助け合い、励まし合うことの重要性を述べながらも、第一に文明(人民の知徳)の進歩を考えていた。そして、本書中では、英雄豪傑の存在すらも、文明進歩のたまものであり、英雄を作りだす世論(衆論)のレベルにこそ絶対的な力があるという主張がなされている。要するに、その国の文明(人民の知徳という意味で)の進歩にこそ、国の独立の最重要命題であると論じている。そう確かにその主張は極めて説得力があり、ほとんど反証の余地のないものである。そして、時代は違うけれども、現代への応用に関しても全く遜色のない内容である。しかしその文明の進歩というものは、本書中で福沢先生が認めているように、一朝一夕に達成できるようなものではないのである。それだけの長期に渡る課題を明治維新という切迫した変革期に掲げられたということが、驚くべきことだと思う。なぜ福沢先生はこれほどの視点を持ちえたのか、という点は私が学ぶ上でも重要なテーマのように思う。
 そして、もう一つ重要な点は、福沢先生は本書で「国の独立」に対して掲げた「文明の進歩」という課題を、慶応義塾という形で実行に移しているのである。本書中でも、偽智者を評して「経済化が天下の経済を論じて、一家の世帯を保つ法を知らず」と述べているように、福沢先生は、常に実行者であろうとしたし、実際に、時事新報や慶応義塾を設立することによって、実行に残された。福沢先生にとって、先の例えを当てはめるのならば、「天下の思想を論じて、一人の学生を啓蒙する法を知らず」となり、研究(国家の独立を目指すこと)と教育は同義だったのかもしれない。そして慶応義塾という形で私を含め、現代にまで、その思想の影響を与えていることも事実なのである。
 私は、本書の、その突き詰められた研究としての質の高さはもちろん勉強になったけれど、それ以上に、福沢先生の研究者としてのものの考え方と、慶応義塾の設立という直接的な実務者としての生き様から、深い感銘を受け、自分を見つめなおす良い機会となった。

印象に残った言葉
「右の次第を以て事物の利害得失を論ずるには、先ず其利害得失の関る所を察して其軽重是非を明にせざる可らず。利害得失を論ずるは易しと雖ども、軽重是非を明にするは甚だ難し。一身の利害を以て天下の事を是非す可らず、一年の便不便を論じて百歳の謀を誤る可らず。」

 私はこの意味を、「もの事の利害を判断するには、その主体をはっきりさせなければならない。そしてその利害を判断することは易しいけれど、その軽重の是非を判断することはとても難しい」と解釈した。この節には、福沢先生のものを考える際の姿勢が凝縮されているように思う。なぜならば、この言葉の根本には、人間の考えというのは、主観を抜けきれるものではなく、客観的に絶対に正しいという答えは存在しない、という精神が存在し、それこそ福沢先生の思想を、時空を超える古典たらしめたと思うからである。自分の考えは、自分の主観の入ったものであると、受け入れることにより、他の考えを受け入れる余地を残し、それこそが、自分の理論に対する反証の質とバリエーションを高め、結果として、理論を現代にまで残るような突き詰められたものにすることができたのではないだろうか。これは言い換えるならば、独立自尊の精神ともいえ、福沢先生がこれほど、長いスパンでもの事を捉えられたという事実を考える上で、キーになるように思え、とても印象に残った。
2002/9/1
A・セン
 センの人生を振り返りまず強く感じたのは、彼の人生はまるで1つの物語のように運命付けられているように感ぜられるということだ。
 その第一のきっかけは彼が、8歳の時に目撃したヒンズー教とイスラム教の宗教対立からおこった悲劇的な事件であり、9歳の時に目の前にしたベンガル飢饉という悲惨な光景である。この2つの出来事が彼のそれからの研究者としての方向性を決定付けたように思う。彼はその後カルカッタ大学、ケンブリッジ、スタンフォード、ハーバード等様々な大学を放浪しながらの研究生活を送り、その間彼は哲学を学ぶほか、幅広い分野の研究者とも交流をもち見識を広めていった。しかしそんな様々な寄り道をする中でも、彼には常に幼い頃の経験に基づくインド経済ひいては、貧困そのものに対する情熱の強さが感じられる。彼は世界を駆け巡りすごい勢いで様々なことを学んだ。しかしそれらは幼い頃に経験した貧困という、当時どうすることもできなかった巨大な壁に立ち向かうための準備だったように感ぜられた。そして彼は飢饉・栄養失調の問題に対し潜在能力アプローチ等、新しい視点も持ち込みその分野の研究をより現実的なものにしたと思う。この潜在能力アプローチというは、一見えげつない様に見えるが現実的でとてもおもしろいと思った。こうした考え方は彼が幼少期に体験したすさまじい惨劇と、放浪生活で様々な分野の高名な人々とふれあうという、全く異なる2つの経験をもつ彼ならでは生みだすことができたように感ぜられた。その後も彼は研究者として最先端で活躍し続け、その結果ノーベル賞という人々の賛美も受けることになった。
 幅広い人々、物事に触れ、それらの経験から自分ならではの考えを生み出す、そして誰もわからない答えに立ち向かう、そんな彼の生き方はとてもエキサイティングだったに違いない。私は自分の信じるままに進み続けた彼の生き方にふれ、単純にシンプルでかっこいいなと思った。
2002/08/25 バブルの物語 ガルブレイス著
ガルブレイス「バブルの物語」
 「バブルの物語」でガルブレイスは金融市場で繰り返されてきた幻想と幻滅の歴史を述べ、人々にバブル期の陶酔的熱病に対する警笛をならしている。
 バブルという言葉は昔からテレビニュースなどで耳にたこができるほど聞いた。しかし当初私は正直にいって本書で述べられているようなバブル期の人々が陶酔的熱病に陥っている状況というものに全くリアリティがなかった。考えてみると私が物心をついた頃から今日にいたるまでの日本は常にバブル崩壊後という負債を抱えた長期不況である。メディアはその特質を差し引いて見ても、日本経済に対して常に悲観的であった。そんな環境で育ったためか私は株、不動産といったものに自然と懐疑的になりうさんくさいイメージを持つようになった。だからバブルに人々が躍起になって株などに手を出している絵が想像もつかなかったし、大損をしたというような話を見てもピンとこなかった。ましてや自分がそんな目に将来あうなんてことはありえないと思っていたのである。
 しかし本書でチューリップ狂、ロワイヤル銀行、1929年大恐慌と繰り返し様々なバブルについてのガルブレイスの見解に触れ、少しだけバブル、そしてその時の人々の心境が理解できた気がする。バブルは姿、形をかえいつの間にか忍び寄り、いつの間にかその渦中に陥っている。ガルブレイスが本書で述べているようなバブルを作る人々の心理は私自身心あたりがあるし、誰でも持っているものであると思う。そんな心持で再びバブルというものを見直してみて、多かれ少なかれそれが誰にとっても不可避的なものにすら感じるようになり、私自身、将来実体をかえたバブルというもの加担しないとは言い切れないと感じる程になった。
 このように私はガルブレイスが意図する、この本を読むことによって金を損せずに済む人になれるかはわからないが、本書の様々なバブルをあげ、それらの共通点を見つけ、教訓を述べるという手法から歴史から物事を見直すということの重要性を教えられた気がする。
2002/08/18 世俗の思想家たち ハイルブローナー著
シュンペーターのヴィジョン
 シュンペーターは『経済発展の理論』の中で利潤の源泉とは何かということを追求した。そして静学的な資本主義モデルを使い利潤は労働、資本が生み出すものではなく、イノベーションによってのみ存在するものであると主張した。この考え方は資本主義経済の牽引役であるイノベーションという存在の重要性を表に出す重要な発見であったと思う。しかし私はこの理論そのものより、彼のこの理論を生み出すプロセスがとても興味深く感じられた。 彼はイノベーションという存在を企業家という言葉を用いて説明した。イノベーションとは偶然性が高く、それを生み出す企業家という立場は極めて不安定である。シュンペーター自身も企業家を「人に感動を与える類の特性の出現がわれわれに観察されない…経済的地位は不安定…たよりにすべき文化的伝統や態度をもたず、成り上がりものとして社会で動き回るが、嘲笑の的にされやすい」などというように不遇で割に合わない存在として描いている。ではなぜこんな割に合わない仕事を実行するのか?その問いに対し彼は人々の潜在的に持つアイデンティティを求める闘争のような性格に着目し、企業家の「成功から得られた果実ではなく、成功そのものを目的とする闘争衝動」によるという風に説明している。この辺の企業家に関する彼の記述を読んでいると、経済学者らしからぬ曖昧な感じのニュアンスで論理性に欠ける。しかしこのような、人々のより身近な人格を経済学に組み込み、それを現実にそった精密なものにしていく、というやり方はとても有意義に感じられ興味深かった。 シュンペーターは決して自分の理論に関して講義をしなかった。このことに関して、「それは彼が最後の分析において自分の定式化が不適切であると感じたからだ」などと言われている。しかし私は彼の偉大な経済学者たらんと切望し、格闘する生き様に感動した。
2002/08/11 世俗の思想家たち ハイルブローナー著
ビクトリア期の世界と経済学の異端
 この時代のイギリスは豊かであったようだ。そしてそれは帝国主義への傾倒、植民地主義といったものに支えられていた。こうした豊かな時代においては、王道から外れた思想が煙たがられ、多くの異端が生まれるということは容易に理解できる。その時代の人々にとって、そうした奇抜な思想は脅威であり、退屈なものであったに違いない。
 しかし私はこの中の、ホブソンの帝国主義論をとても興味深く感じた。彼はそれまで当然の美徳と見られていた貯蓄というものを悪徳とみなした。一般大衆の所得があまりにも低い場合、市場は飽和状態になり、金持ちの自動的貯蓄はダブつき、それは新たな市場を求め海外に向かう。こうした当時の植民地主義傾向のホブソン的な解釈は、資本主義の競争主義的側面を顕著に表わしていて、とてもおもしろいと思った。このような帝国主義論は当時、市場での循環が弱かったことなどの、時代背景から考えられる要因を差し引いてみても、現代の資本主義社会に対しても当てはめて考えることができると思う。当時の帝国主義の植民地政策とは大きく性格はことなるが、現代の経済のグローバル化、多国籍企業などの傾向も、その基本的な原動力を資本主義の膨張的性質とする点では、同質であると考えることができると思う。このような性質は現代においては環境問題という巨大なテーマを私達に投げかけていて近年、共存共栄といったコンセプトが世の中で叫ばれるようになった。
 こうした現状からもう一度ホブソンを振り返ると、その問題意識の先見性の高さには改めて感嘆させられる。またその悲観論に終わらず、戦争を不可避のものとしない共存のコンセプトを生み出していた彼の試みには、感嘆とともに深い尊敬の念を感じる。彼は当時異端とされたわけだが、現代に生きる私は彼について知れたことは有意義なことであり、異端ながらも時空を超え語り継がれていることのすばらしさを感じた。
2002/08/01 世俗の思想家たち ハイルブローナー著
ユートピア社会主義者たちの夢
 ユートピアとは誰もが一度は思い描くものであると思う。私も自分なりのユートピアについて夢想することがある。しかしユートピアという言葉からは、はなから実現不可能な夢の世界というニュアンスの胡散臭さを感じる。本来、ユートピアとは言葉は理想郷という意味である。基本的に誰でも現実を理想に近づけようとするものである。だから私にはこの章で描かれているロバート・オーウェン、サン・シモン、シャルル・フーリエだけがユートピア社会主義者という風にユートピアという言葉を冠したカテゴリに属されていることに違和感を持った。
 おそらくその後の人々が彼らを見るときに、現実感のない夢見人というような認識をもって来たからだと思う。確かに彼らの試みのほとんどは短命に終わった。しかし彼らはただ夢を見ていたのではなくそれを実行に移し、現実に短期間ではあるが、ロバート・オーウェンのニューナラーク、シャルル・フーリエのファランクスといったものは存在したのである。それは現代からは見れば一歩間違えればカルト集団のようなものであり、明らかな失敗に見える。しかし19世紀前半のイギリスの悲惨な労働環境の記述を読むと、当時の人々がそういった極端な思想に傾倒していったことも理解できるし、むしろ自然な流れだったと思う。そしてそうした悲惨な現状を打破するために全力で戦った彼らの試みは、現代に生きるわれわれにとっても尊敬に値するものだと思った。
 最後にオーウェンの残した「人間は環境の生き物である」という言葉は彼らの生き様を凝縮したような言葉であると思う。この言葉に見られるような、「環境を作るのは人間自身であり、世の中は必然的によくなったり、悪くなったりするのではなく、われわれが良くも悪くもしているのだ」という能動的な希望の哲学には私自身とても感銘を受けた。
2002/07/11 世俗の思想家たち ハイルブローナー著
マルサスとリカードの陰鬱な予感
 マルサスは現実主義の教授であり、リカードは理論家の実業家であった。彼らは当時の社会から一方はひどく罵られ、一方は賛美された。またお互いの意見も異にすることが多く、常に互いに論敵だったようだ。こうしてみて見ると両者にはほとんど共通点は見つからない。唯一の共通点はマルサスは「人口論」でリカードは「差額地代論」で、互いにそれまでのアダムスミスなどによって築かれた楽観的な視点に対し、警笛をならし時代に悲観論を組み込ませたこと位である。しかしそんな、一見相反する二人は親友同士であり、常に近い存在だったそうだ。私にはこのような2人の不思議な関係がとても興味深く感じられた。
 彼らの関係を見るとまったく正反対の人間同士は反発しあうのではなく、かえって深い人間関係を築けるのかもしれないと思った。彼らはお互いまったく逆の立場にいるがゆえに、自分が客観的に映ったのかもしれない。そこには意見は異にするが、根底には互いの考え方を認め尊重し合う関係がなりたっていたのだと思う。マルサスは当時の社会からひどく罵られる立場にあったわけだが、現代から見るとマルサスは「人口論」の考え方からも先見の明があったのは明らかである。きっとリカードはそんな不遇のマルサスに対して徹底的に反論しながらも、彼の考えの偉大さを一番認めていた人物であったのではないかと思った。
 今回マルサス、リカードを読み、今まで触れてきた人物達のような超人的な凄みは感じなかった。しかし彼らは2人で時代の視点を楽観論から悲観論へと変えてしまったのだ。そんな2人の関係を見て、趣味の違う本気同士のぶつかり合いが生み出す偉大な力を感じた。この力は長い年月を超えて残るマルサスの偉大な考えを生み出したわけだが、それを呼んだという意味でリカードの業績も偉大であり、リカードがマルサスと並んで評価されていることがうれしく感じた。
2002/07/01 世俗の思想家たち ハイルブローナー著
アダム・スミスのすばらしい世界
 アダムスミスとその時代背景について知るということは、経済学そのものの誕生のプロセスを知るということであった。彼は近代社会への移行が進んでいく激動の時代の中、それ以前から存在する道徳的な考え方だけでは世の中の人の行動を理解できなかった。そうした疑問の中から「道徳感情論」が生みだした。また個人の利益の追求がいかにして社会の利益の追求につながるのか、ということを市場メカニズムという概念を使い「国富論」で体系的に示した。このように経済学という、その当時としてはまったく新しい概念を生み出したのである。このアダムスミスによって生み出された経済学の概念は、時代の変化の中で少しずつ相違点もでてきたが、大まかにいって現代でもそのまま当てはまるといっていい。
 私はこの「国富論」の抜粋部分を読み、彼の市場メカニズムにいたる発想法に注目した。そこにはいくら文明国の最下層の人々の暮らしでさえ、1世紀2世紀前の人々の暮らしと比較したら進歩あるものであり、過去そしてその時代の何千人という多数の助力と共同がなければ成り立たないものである。また普通の暮らしの中にある身の回りのものをとってもそこに至るまでには莫大な知識と技術の前提がある、という趣のことが書かれていた。こうした考えはそのまま現代にも当てはまる話で、今から見て200年もの昔、農耕社会から近代社会への移行が始まる頃に、こうした考えにまで至っていたということにとても驚かされた。
 私は今回200年もの時代を越えても根強く残るアダムスミスの考え方に触れ、これから研究をしていく身として、私なりに自立した、しっかりとした考え方をもてるようになっていこうと思った。
2002/06/21 世俗の思想家たち ハイルブローナー著
マルクスが描き出した冷酷な体制
 私はマルクスという人物について今まで知る機会はほとんどなかった。そのため正直な話「共産党宣言」をしたというような事しか知識が無かったほどだ。というのも私には共産主義というものに対して「もう答えの出たもの」といった印象があり、その創始者というようなイメージのマルクスに対して興味をそそられた事が無かったからだ。
 しかしこの本を読んで得た私の認識のかぎり、マルクスに対して誤解していたと感じさせられた。私の今までのイメージとしては、今でいう日本の共産党のような、きれい事ばかりいって現実感の無いインテリというようなものであった。しかし実際のマルクスの姿は全く違ったようだ。まず私がこの本のマルクスへの記述から強く感じたのはその怒りのパワーである。それはなんとも得体の知れぬもので、陰鬱な風貌、性格によりそれを際立たせてイメージさせられた。彼のその怒りは経験に基づく社会へのものであり、彼を苦しい生き方を選択してでも、その活動に向かわせた力の源であったようだ。
 また私がこれを読んで驚かされたのはマルクスが資本主義の偉大な研究者だったということだ。彼は共産主義の方を最初から向いていたのではなく、資本主義に対する徹底的な洞察がありその結果として彼独自の考え方が生まれたようである。またその際彼のやり方は最も資本主義の考えの中心をなすものの根本的な所を批判するというもので、それを可能とした彼の常人離れした洞察力に感服させられ、同時にその方法論に学ぶべきことが多かった。
 今回のマルクスという人の生き様は、彼の自分の理想に社会を近づけていこうという激しい情熱、その極めて冷静な洞察力、またその方法論から共感し学ぶところが多かった。
2002/06/17 創造の方法学 高根正昭著
創造の方法学

 私はこれから研究をしていく身である。研究するからには当然それを意味のあるものしたいと思う。それはすなわち自分でしか書けない物を書くということである。
しかし自分主体になりすぎて研究をしていけば、それは中身だけが宙に浮いたものになってしまい、この本でいう印象的研究になってしまうだろう。また逆に表層的な事実ばかりに目をとられていると個性のない記述的研究になってしまう。そこでしっかりとした創造の方法論が重要となってくるのだ。いかにして問題を提起するのか、いかにして分析するか、この技術を身につける事が必要なのだ。この本を読んで強く感じたのは、この技術を身につけるための、読む、書くという能力の重要性だ。
 研究は自分の経験の中から生まれる問題意識によって始まる。しかしそのような抽象的なもののままではしっかりとしたテーマにはならない。そこで読むということが重要になってくるのである。なぜなら既存の考え方に対する全体的な理解がなされなければ自分の立場としてはどの辺に位置するのか、また何が新しいことなのかも見えてこないからである。次にそこまではできたとすると、結果と原因の関係から自分なりの仮説をたてるという段階になる。そこで書く能力が重要になってくるのである。仮説をたてるということは既存の考え方に新しい知識を付け加えるということである。そこでは自分の経験を理論と結びつけるという作業が必須で、そのためには自分を表現する、すなわち書くという要素が重要になるのである。
 このように創造的な研究をするためには読む、書くという2つのスキルがとても重要になってくるようだ。これからの研究を意味のあるものにするためにもこうしたスキルを身につけ、知的生産のできるようになろうと思った。

2002/06/03 世俗の思想家たち ハイルブローナー著
ソースタイン・ウェブレンの描く野蛮な世界

 今回の章は今までになく面白く読むことができた。ウェブレンはかなりの変人である。それだけに、読み手としては、興味をそそられ刺激的であったのだと思う。ただこれを読み終えた後の私のウェブレンに対するイメージは極めて誠実、もしくは誠実であろうと心がけた男というようなものであり、尊敬の念を抱いた。
 ウェブレンはその当時の周りの人間からみたらその性格、行動は相当、特異にうつっていたようである。ただ私が思うには、彼はただ自分の知識や経験というもののみを当てに生きていたのだと思う。世の中の多くの人々は世間の常識を無条件で受け入れる。そこに彼は疑問を抱き、自分の目で再検討するという姿勢があったのである。そのような世の中に対する視点が『有閑階級の理論』のような新しい発想を生み出した所以ではないだろうか。このような自分に拠ってのみ世の中に対する姿勢はまさに私の考える独立自尊の精神であり、尊敬に値する。また同時に彼をこのような姿勢でいられたらしめた、彼の豊富な知識、経験というものの重要さを痛感させられた。
 またウェブレンの私の抱いたもう一つの特徴は機械主義的であるということだ。彼は人類学、心理学にも精通しており、物事を見るときなるべく科学的であろうと努めていたようである。そのような姿勢は彼にしばしば人間に対し皮肉的な認識をもたらし、それらは周囲の人には受け入れ難い考え方であったと思う。しかしこれこそ経済学者として重要な姿勢だと思う。人は多くの場合、自分自身も含まれる人というものを分析する際、知らず知らずの内に良くみてしまいがちである。そこに彼は機械主義的な視点を持ちこむことにより、より正確に世の中を分析しようとしたのだと思う。ここに私は彼の誠実さを感じ、人間として好感を抱いた。
 今回ウェブレンという人物の人生に触れ、これから研究をしていく身として様々な見習う点があり、とても勉強になった。

2002/05/21 世俗の思想家たち ハイルブローナー著
J・M・ケインズが打ち出した異論

 ケインズという人が鬼才であり、とても賢かったという事は4歳半で経済的意味の解読につとめ、6歳の時脳の働きに興味を持つ、というような信じがたいエピソードからも十分認識させられた。しかし私の受けたケインズの第一の印象は「類まれなる商才を持つ男」というものであった。
 彼の打ち出した理論は、常に国の方向性に直接結びつくものであった。実際に彼は国の機関の先陣に立ち、国の意志決定とリアルタイムの所にいる経済学者であった。そんないち企業に比べ、圧倒的に複雑化した国という主体でものを考えていた彼の洞察力は並大抵のものではなかっただろう。そんな彼は実際に国際市場で投機をしたり、劇場をしたりとビジネスにも手を出し少なからず成功、富みを得ている。しかしそれらは彼にとっては「朝まだベットにいるうちに彼は新聞で金融情報の記事をさらい、意志決定をし、電話で注文する」という投機のエピソードがあるが、まさに朝飯前だったに違いない。
 先日ある現役国会議員が出演しているTV番組を見た。そのインタビューの中で「商売は上手ですか?」という質問があり、その議員は「個人的には苦手です」というような答えをした。正直心配な気持ちになった。商売が苦手な人に国の経営を任せる事はできない。しかし実際そのような人々が日本の政治を動かしているのである。現在日本の財政は極めて悪化しており、このような状況を脱出するには相当な経営手腕が必須である。そういう風に考えた時ケインズのような、ずば抜けた洞察力を持つ政治家が現代の日本には必要なのだと思った。

2002/05/15 講演テープ
孫正義
 孫正義は、たんたんと自分のこれまでの歩みについて語っていた。しかしその内容はすさまじいものであった。その話振りと内容のあまりの違いから、最初のうち私はとても不思議な感覚を覚えた。しかししばらく話をきいていくうち、このような性分は彼の生き方そのものであると思った。
 彼の特徴を言葉で表現するならば、冷静な頭と熱い情熱を合わせ持つ男である。彼はその話振りからは想像もつかないような、熱い情熱をもっている。それは勉強で二ノ宮金次郎を目指したり、脳みそがちぎれるまで考える、というようなエピソードにも見られる。このようなすさまじい努力は、今まで見てきた偉人達に、みな共通している部分であり、毎回感服させられる。しかし今回の孫正義で際立っていたのは、その極めて冷静なところである。彼はすさまじい勉強をする反面、常に今自分は何をすべきかという事を考えていた。そのため常に目的意識を持ち行動し、勉強にもしっかりとした方向付け、ウェイト付けがなされていたのである。このような性質は新たに事業をはじめるという重要な場面では、何年も吟味し、慎重に行動している所からもわかる。この冷静な判断力は彼に若干28歳という若さで、大きな成功を与えた重要な要因ではないかと思う。
 私は目の前のことに集中した時、自分がどの地点にいて、何のためにやり、何を最も重要視しなければいけないのか、という重要なことを見失う事が多々あり、孫正義のもつ冷静な頭に見習うところが多かった。また彼の信条である「世の中には、困難な事は多々あるが、不可能な事はそんなにない」という言葉はとても勇気を与えられ、何か奮い立たされるものを感じた。
2002/05/11 社会調査のウソ 谷岡一郎著
社会調査のウソ
 この本には現代の高度情報化社会の中で、社会科学にかかわる我々にとって、とても重要な事が書かれていた。私は今までレポート等でしばしばデータを引用する事があった。しかしそのような時、そのデータがどの程度信頼できるものなのか検証した事はなく、今考えると、多くの場合、知らぬ間にデータ作成者の意図にのせられていたのだと感じた。社会科学においてデータは何か立証しようとする時、重要な根拠であり、その信憑性を認識する事は最低限必要な事であると思い知らされた。
 この本を読み終わって、私が決定的に影響を受けたのは、新聞を見る目である。今までも何となく新聞の傾向というものは認識しているつもりだったが、結局は無条件で受け入れていた。しかし、この本に書かれていることを意識して、新聞を見比べてみると、新聞の意図を少しだけ汲めるようになり、今までと違う記事の捉え方ができるようになった。またこうした視点で記事を見て、一つの問題を考える際、深い所までおもいを巡らせていくと、様々な分野の問題が絡み合っているということを気付かされ、幅広い知識を持つ事の必要性を感じさせられた。
 あとこの本を読んで面白いと思ったのは、著者が社会調査の専門化にもかかわらず、バイアスのない社会調査はないと言いきっているところだ。一見矛盾しているようだが、そもそも世の中を単純にグラフ等で数値化し、表現する事には限界があるのだ。重要なのは、社会調査の限界をしっかりと見極め、少しでも真実に近づこうとする事である。そういう風に捉えた時、この本に書いてあることは、たんに社会調査の方法論だけでなく、しっかりとした、自己の確立をしていかなければならないという事を教えていると思った。
2002/04/23 講演テープ
渡邉美樹
 和民社長(創業者)、渡辺氏の言葉は終始すがすがしいものであり、私は惹きつけられる力を感じた。和民がこれほど急速に伸びたのは、おそらくこの社長の熱い想いに、答えがあるだろう。
彼のこの熱い思いの原点は大学時代にある。彼は社長になるという事を元来夢見ていて、大学時代には、何をすれば一番世の中で役に立てるかということを追求し、ボランティア活動、日本一周旅行、世界一周旅行等の活動に精を出していた。そして彼はこうした経験の中で先見性を身に付け、和民の様々な新発想を生み出したといえるだろう。しかしそれ以上に重要なのは、様々な人々との交流の中で、人をとても好きになった事であろう。これは彼の行動の全ての原動力となっている。この人への想いが彼独特のサービス精神も生み出し、和民の様々な工夫、気配りにつながり、成功につながったのではないだろうか。だから彼のすべての行動は、突き詰めていくと、この想いに帰結するのである。それは和民の成功後も当然広がり、「人類の幸せへの貢献」という風に発展していったのである。企業は金銭的利益を追い求める集団、という風に考えていて私にとって、この発想はとても新鮮に感じた。この「人類の幸せへの貢献」から生まれた文化の創造、教育という発想は芸術にさえ近いものであり、高度な企業経営の高いクリエイティブ性を感じた。
 またもう一つ特質すべきは彼のリーダーシップである。彼の社員に求める、自分の想いへの参加という考えや、業績の公開、ビジョンの共有による会社一丸となって闘う姿勢は、社員個々人の自立を促し会社を動かす大きな力になっている。
 今回のお話は経営や起業の事を知れた以上に、彼の生き様から学ぶ事は多く、自分の人生に様々なヒントを与えられて、とても刺激的なものであった。
2002/04/21 福翁自伝 福沢諭吉著
福沢諭吉
 私は幼稚舎から数えて14年間慶應に在籍して、福沢先生について様々な教えをうけてきた。しかしこれまでの福沢先生の印象は極めて、清廉潔白な聖人というようなイメージであり、この「福翁自伝」ほど、福沢先生の人間味を感じたことはなかった。この本に書かれている、福沢先生の生き方や教訓は、時空を隔てた今の自分にとっても、とても有意であり興味深いものであった。私は小学校からかねがね「独立自尊」という言葉を教員に説かれてきた。福沢先生の生き方はまさに、その独立自尊という言葉を体現したものであり、またそうあろうと、努力したものであると感じた。
 これは幼少期の、稲荷様のエピソードでの常識を鵜のみにするのではなく、疑ってかかり、自分の見たもの、学んだものを信じる、というような性質から一貫して見られると思う。この性質は真実を捉える上でとても重要であり、そこから福沢先生独特の先見性が生まれたのだと思う。また福沢先生の世間がどう動こうと、揺るがない信念を貫くという姿勢、意志力、これらを裏付ける膨大な勉強の存在という風に考えた時、「個人の独立」の一つの例を見せてもらえたと思う。また印象に残ったもので、政府の者が福沢先生の功績を国家として称えようと提案した時、「自分は自分として当然の事をしただけで、自分が誉められるのなら、となりの豆腐屋も誉められるべきだ」というような意味の事を言ったエピソードがある。ここに自立に裏付けされる、他を尊重する姿勢が見られると思う。福沢先生のすごい所はこの「個人の独立」、「他を尊重する事」を慶應義塾という形で当時から現代の我々にまで教え、ひいては国家の自立という所まで考えを巡らせていた、人間としての大きさであり、尊敬に値するものである。
 今回この本を読んで、独立自尊という言葉の意味がおぼろげながら少しわかり、慶應義塾で学ぶ上で、自分の行き先をもう一度見直す、良い機会になった。