二 中日両国の料理民俗
1、 日本料理の源流
奈良時代、日本の上層部は中国と交流を始め、中国の飲食文化や宴に招く制度を持ち帰った。平安時代は貴族の勢力が旺盛で、社交行事が頻繁になり、日本料理の形成を促した。
鎌倉時代は、日本人の生活は改善され、塩辛い料理を食べるようになった。十分に食べるだけでなく、食品どんどん保存した。人々は体質を増強するために薬用食品を探し、お茶を飲んで、養生するようになった。
江戸時代は、雑物を捨てて精髄をとる日本料理集大成の時代であった。日本の従来の飲食文化を発展させることに加え、中国料理を日本風にすることも続けられた。江戸時代には宴席料理が出現した。集会や宴席は多く、日本の食品の発展を促した。生活は豊かになり、神へ供物や祭祀が普遍化して、多くの祭祀用の食品が出現し、日本の食品は日増しに整っていた。
明治維新時代は日本人の飲食を変革させた。日本人は洋食を生活の中に取り入れ、牛肉」やパン、バーターが食卓に上った
2、豆腐・納豆
豆腐は中日両国民が好んで食べる食品の一つである。
豆腐の歴史は非常に長く、すでに二千年余りの歴史がある。豆腐の発明したのは漢の高祖の孫、ワイ南王劉安であると伝えられている。このため豆腐は最初「ワイ南」と呼ばれていた。豆腐の名が始めて見えるのは宋代の陶谷の「清異禄」である。
奈良時代に、豆腐は中国から日本に伝わった.中国に留学した僧が持ち帰ったものである。最初豆腐は貴族・僧侶の食品であり、一般の人々は食べられなかった。
日本の納豆は二種類ある。一つは塩辛納豆で、一つは糸を引く納 豆である。関西人は前者を好み、関東人後者を好む。日本では奈良・平安時代には納豆を「?」といっており、中国食品の「豆?」と同じ文字である。中国人の習慣では、豆?を鍋でいためるか蒸した後、調味料として使用した。
3、味噌・醤油
醤(味噌)は中国両国民の好む調味料である。味噌の原料は大豆・小麦・栗等殻類で、発酵を経てられる。中国の発酵技術は縄文時代晩期頃に朝鮮反島から日本に伝わり、改良を経て独特の風味をそなえた日本の味噌と醤油に発展していった。
醤油の母体は味噌(醤)である。味噌の製造あるいは使用のときに、味噌中に汁を発見した。それを料理に用いたりあるいは調味料として使うととても味がよく、日本でhそれを「溜まり」などといった。室町後期。京都で「醤油」の名称が出始めたが、多くはみられなっかた。醤油は日本で作られて発展し、世界の多くの国に伝播した。
4、塩の習俗
塩は中日飲食文化の中にあって相当重要な位置を占めている.両国の塩の習俗は非常に似ている。中日両国の民間信仰の中では、日鉢の中に塩を撒き、ぞのパチパチという音で厄を取り除き、空間を浄化する。
日常生活の中で、塩の習俗は随所にみられる。日本人は塩を西瓜やトマトにもかけて食べるが,(中国人はトマトに砂糖かける)味をさらに引き立て、鮮度を保つ塩の効能を十分に利用している。
長きに亘る生活の中で、中日両国民は巧みに塩利用の知恵を蓄積していた。野菜を洗う時には水の中に塩を入れると、付きした小さな虫を取り除く手助けをしてくれる。塩水で桃を洗うと、桃の毛が落ちやすい。中国人は昔から塩で歯磨き、虫歯を予防する生活をした。