更新日  2003/09/05/16:56


事件簿
小1骨折事件 パトカー5台事件 中3骨折事件 即書ける事件 びっちりマーク事件
チカン事件 正月暴走事件 自由振動事件 小倉軟禁事件 彼女できた?事件
ドリフ事件 がうぇーあろうが事件 三原拉致事件 偽名事件 セクハラ事件
ナイスオン事件 発砲事件 ヒョウ事件






●小1骨折事件●

小学校1年の夏、僕の周りではブランコからどれだけ遠くに跳べるかという遊びがはやってました。
負けず嫌いだった僕は、必死で、必死でブランコをこぎました。その時はかなりの好記録を出したと思いますが、あまりにも跳びすぎてしまい着地に失敗。
右手首骨折。
そこでも僕は何食わぬ顔で、折れてない風な顔で次の体育の授業、水泳を、左手1本でビート板をつかみながら、けだるくバタ足をしていました。
必死という言葉の意味を、後日改めて胸にきざみつけた幼少時代でした。


●パトカー5台事件●

中学2年生の秋、僕は友達と3年生の先輩たちと一緒に秋祭りに行きました。
秋祭りに行くというのは単なる名目で、血気盛んなティーンネイジャーたちは夜の山へと悪さをしに行ったのです。
その悪さというのはここでは言えませんが、大したことではないです。その時僕は、憧れの先輩(友達の彼女なんですが)とこんな夜中に一緒にいられて幸せだと思っていたんですが、 その悪さのせいで、タヌキの出るような山の中にパトカーが5・6台来たのです。
その騒ぎで警察の人にわざわざパトカーで家に送迎してもらいました。
その夜、妙に両親が優しかったのがなんだか懐かしいです。
もう心配ないぞ!と心の中で強く思っている24歳の丑三つ時です。


●中3骨折事件●

中学3年の時、体育祭でする組体操の練習をしていました。
『扇』・『ピラミッド』・『サボテン』・・・色々なものを練習しました。
そんな中、3人1組でやる『塔』の練習している時のこと。
その『塔』というのは、下の土台となる2人がしゃがんだ状態で向かい合って、お互いの両腕をお互いの肩にかけ合い、その2人の首根っこのあたりに僕が片足ずつ乗せて立ち上がるというものなんですが、 その練習をしている時、タイミング的に春ちゃんの首根っこはゆっくりと、ズィんちゃんの首根っこは いきなり上昇してきたもんですから、バランスを崩し転落。
左手首骨折。
それから体育祭の練習の時はずっと、同じ時期に骨折して左にならえ状態でギブスをしているたっちゃんと一緒に見学していました。
体育祭命の僕は、夜な夜な二人の首根っこをへし折ってやろうかと思っていた15の夜でした。


●即書ける事件●

高校2年の時、僕とすーさんは同じクラスでした。その頃の僕らは奇行の目立つ生徒でして、毎日のようにわけのわからないことをしていました。
あれは確か『現代国語』の授業だったと思います。その時の僕の席は教壇から見て右から2列目の前から2番目の席で、すーさんは3列目の1番後ろか後ろから2番目の席でした。
すーさんと僕はその授業中でも相変わらず奇行を行っていましたが、その時すーさんはなぜか僕に向かって自分の持っていたシャーペンを100%で投げつけてきたのです。一瞬僕は『こいつにゃ勝てねぇ・・・』と思いましたが次の瞬間、 自分の右手をよく見てみると、すーさんが僕に向かって力いっぱい投げたシャーペンが握られていたのです。しかも即書けるような状態で、親指と人差し指と中指でしっかりと握られていたのです。
僕は心の中で『勝った・・・!』と思いました。
どうでもいいけど、これは事件じゃないなと思った61なのでした。


●びっちりマーク事件●

高校2年のある日曜日、サッカーの試合がありました。相手は強豪・総社南。同じ中学から総社南に行ってサッカーしてる友達がいたので相当気合が入ってました。
柔軟もしっかりして、イイ感じにアップも終えていざキックオフ。
開始2分、相手のロングフィードをカットしようとして、相手の蹴ったボールが急所を直撃。かなりの激痛
でも僕は何食わぬ顔で、当たってない風な顔でいました。それでも動けないので、味方からのパスを避けるように、近くにいる相手チームの選手をびっちりマークしてました。
こんな時いつも、心の中で『お母さぁ〜ん...』と思ってしまうのはなぜだろうと思った、背番号20のオフェンシヴハーフの選手だったのでした。


●チカン事件●

あれは確か高校3年の冬、大学入試の2次試験を受けるために松山に向かっていた時のこと。その日は、同じく愛媛大学を受験するすーさんと一緒に電車で松山に向かっていました。
受験のためとはいえ、初めてといっていいくらいの友達との遠出だったので、僕は半分旅行気分でした。
昼頃出発して清音駅から電車に乗り、岡山でマリンライナーに乗り換えて瀬戸大橋を渡りました。
その時電車はかなり混んでいたのですが、どこでも奇行をしてしまう性格の僕は、多分そこでも奇行をしながら楽しんで過ごしていたと思います。
橋を渡る前の駅ぐらいのさらに混み合ってきた時、僕は前に立っていたOL風の人のバッグが、僕の太もものあたりにあたっているのに気づきました。 僕はかなり気が小さい方なので、体を少しずつずらしながら対処していました。しばらくしてもそのバッグは僕の太ももにあたり続け、今度は太ももではなく股間の方にあたってきました。 僕はかなり気が小さい方なので、それでも体を少しずつずらしながら何とかバッグがあたらないようにしていました。するとこうをそうしたのか、バッグはあたらなくなりました。
僕はかなり気が小さい方なので、内心ホッとしながらもおかしな体勢で立っていたら、なんと今度はその人の手の甲が僕の股間にあたってきたのです。 僕はかなり気が小さい方なので、同じような対処法で避けようとしましたが、マリンライナーのスピードが上がるかのようにその行為のスピードもアップしてきたのです。 いつのまにか、その人の右手は僕のおへそのあたりから股間を通ってびてい骨のあたりを往復する軌跡をえがき出しました。 僕はかなり気が小さい方なので、声も出せず坂出で乗り換えるまでそのはずかしめを受け続けました。
正確に言うと、声を出せなかったのは僕の気が小さいからではなく、僕の股間が大きくなっていたからなのでしょう。
それ以来、電車に乗る時は指定席、もしくは始発の電車に乗るようになった61なのでした。


●正月暴走事件●

大学1回生の年末、僕はクリスマスに取ったばかりの免許を持参して実家に帰りました。
すぐに親から車借りて友達とドライブに行きました。するとあれよあれよと言う間に深夜になり、気づくと特攻服を着た人たちの集まりに参加していました。
というのも、その友達がその人たちの先輩で、みんなその友達に深く深くおじぎをしているのです。僕は立場上どうしていいのかわからず、とりあえず指示された場所にひたすら車を走らせていました。
しかもその時乗ってた車はアルトでした。周りのいかつい改造車原形をとどめていないバイクに囲まれながらのランデヴーです。
免許を取得して2日目、早くも人をひき殺しそうになりました。
来年で成人になるのに何してんだろうと思った年末でした。


●自由振動事件●

大学2回生の夏のこと。僕はバイトに明け暮れていました。その頃PHSしか持っていなかった僕は、 PHSも携帯も届かない実家に帰るために、なぜかポケットベルを購入したり、 地元で遊ぶためにかなりの節約生活をしたりしていました。 実家に帰るその日も昼まで中華弁当を原チャリで配達していました。
午後1時過ぎ、いざ実家に帰ろうと荷物をバイクに積み、エンジンをかけてみるとかなりの振動が。 途中信号待ちしてるときも振動が気になりましたがそのままインターまでたどり着きました。
高速に乗ると過労と暑さのせいで意識がもうろうと・・・。必死でイエモンを口づさんでも元気を取り戻すことは出来ませんでした。 高速に乗って約10分、早くもパーキングで30分の休憩。
が、そんなもんで体調が回復するはずもなく、トンネル入っては蛇行運転を繰り返し、いつ吹っ飛んでもおかしくないような状況でした。 とうとう僕は観念して、高速道路に設置されている電話で救急車を呼ぶことにしました。
見知らぬ土地の見知らぬ病院に運ばれ、お医者さんが言った言葉は、『脱水症状起こしてますねぇ〜。まぁ1日休んでいってください』
結局その病院に1日入院して体力は回復したのですが、入院費15,000円を払った僕の財布の中身は回復不可能。
もうお分かりだと思いますが、異常な振動を起こしていたのはバイクではなく己自身だったようです。
今となっては『あの時の体の振動からすると僕の体は何要素固体モデルで近似できるんだろう…、あっ、でもほとんど水分でできてるから流体モデルか?』 などと、いまだにSHB班のことが気になる61なのでした。


●小倉軟禁事件●

大学2回生の夏、僕は友達と2人で九州に行きました。それは友達の仕事のついでに連れて行ってもらったんですが、 比較的遊ぶ時間があったので、僕は初めての土地ではしゃいでいました。
その時僕らは『酒・女・ロック』状態だったんですが、調子に乗って飲めないお酒をいっぱい飲んでしまいました。
気分が悪くなった僕は、小倉駅を出てすぐ左にあるホテルのトイレを借りました。そのホテルはかなりの高級感が漂っていて、とても酔っぱらいがトイレを借りるためだけに入ってはいけないような場所でしたが、 フロントのお兄さんは快く貸して下さいました。
トイレに入り、出すものを出し終えて、友達の所へ戻ろうとしたらカギが開かないのです。というよりもどこがカギだったかわからなくなったのです。
その場所は、美川のような自然あふるる場所で育った純真無垢な若者を拒んだのです。 そして僕は、どこかの、自動販売機でジュースが買えるように調教されているチンパンジーのようにカギのありかを捜しました。
しかし、アルコールのまわった頭の中は、閉じ込められたことと、チンパンジーの定理によって大パニック。結局、トイレのドアをよじ登って外に出ました。
人間失格。
その2年後に太宰治の本を読んで、深い共感を覚えた61なのでした。


●彼女できた?事件●

大学2回生の頃、僕には半同棲をしていた女の子がいました。
1年程たった頃でしょうか、夜寝る前にその女の子がふと言ったのです。『彼女できた?』
・・・・・・まだまだ甘ちゃんだった僕はショックを隠しきれず、ヘンな声で『できんなぁ〜』って言いました。言うしかありませんでした。
そんなこんなもありつつ、もう恋なんてしないって思った20歳の夜でした。


●ドリフ事件●

3回生のいつ頃だったか,僕とまっちょの間でインラインスケートがはやりました.
ある日,僕ら2人(with まっちょ)は深夜のテニスコートでインラインスケートをしていました.
僕のインラインスケートは中古で買ったものなんですが,ベアリングの音も出ずある程度いいものでした. まっちょのは新品だったのですが,まだ使い込んでいないせいかベアリングの音がシャーシャー鳴ってました.
2人は深夜ということもありテンションがかなり上がっていました.
時には清水のロケットスタートをしてみたり,またある時にはGENJIのかーくんになってみたり. 最後の方には2人とも上半身裸,下はパンツ・ソックス・インラインスケートを身にまとうだけの誰が見てもただちに110番をダイヤルしてしまいそうな様子でした.
が,2人の中のリミッターが故障した頃,2人のパンツはひざ下の位置まで降りていました.
もうそこは深夜のテニスコートではなくなり,インラインスケートならぬ半裸淫スケートの競技会場と化していました.
自己陶酔しながら競技を続ける2人.
すると,その競技場の横にある体育館の壁に懐中電灯で照らされたような光がチラチラと.これは明らかに警備員さんによる深夜の見回りではなく, ドリフでよく見る光景『志村ー!うしろー!うしろー!!』で使われていた照明さんによる特殊効果です.
僕のインラインスケートは音が出ないので,がうぇー置いてある服を持って一目散に逃げ去りましたが, まっちょのは必死で逃げれば逃げるほど音が大きくなってしまうので,まっちょは激しいジレンマと格闘しながら,インラインスケートを履いているにも関わらず典型的な泥棒のようにぬき足さし足で逃げていました.
やっぱり最後には脱いでしまう事に今さらながら気づいた61なのでした.


●がうぇーあろうが事件●

大学3回生の年末実家に帰った時、僕は友達2人でそいつの車のマフラーを交換していました。その時は、僕の実家が自動車整備工場をしているので自分ちでしていました。
自動車屋の息子がいるのに、その日はマフラー1本換えるだけで、2人で3時間以上かかりました。しかも、いろんな道具があるにも関わらず、なぜかロープを使ってみたり、ハンマーを使ってみたり、それは自動車整備工場で普段見られないような作業でした。
そんな中、友達がコンプレッサーを使ってしようと言ってきたので、使い方のわからない2人は暗中模索で道具を使いだしました。
すると、コンプレッサーの接続を道具につなげた瞬間、すさまじい勢い(体感風圧80m/s以上)で空気がもれ始め、150デシベル以上の轟音が鳴り響き始めたのです。
2人はパニックに陥り、接続部分の空気がもれているところを必死で握り押えてみたり、時にはほったらかしてヘビのように動くチューブを2人眺めてみたり、また時には恋人のように、その暴れまわるチューブとじゃれあってみたり、いろんな事をしていました。
最終的に、2人だけでは収拾がつかないという結論に達し、父親に電話をして助けを求めることにしました。
父親いわく、コンプレッサーにつながっている元々の栓を抜きさえすればいいとのことでしたが、その元栓はなかなか見つからず、同じやり取りが2分ほど続いた後、しびれを切らした父親が半分怒った声で言いました。
『がうぇーあろうが!』※(壁添いにあるだろう!、脇にあるだろう!の意)
それでもその元栓の場所がわからない僕は、結局その『がうぇーあろうが!』※(壁添いにあるだろう!、脇にあるだろう!の意)を20回くらい耳にしたのでした。
確かに『がうぇー』※(壁添いに、脇になどの意)あったけど、そんな言葉を息子に向かって何回も言わなくてもいいんじゃないかと思った年の瀬でした。


●三原拉致事件●

大学4回生の夏頃だったでしょうか、地元の友達とわいわい遊んでた時のこと。
『三原(広島県)の女の子を呼ぼう』ってことになって、深夜車2台で迎えに行ったところ、 前をいってた友達の車(これがまたマフラー改のセンティア)に近づく男性2人。いきなりその車に乗り込むではありませんか。
わけもわからず近くのファミレスに連れて行かれて、その2人をよく見てみると、明らかにヤの人
そのファミレスではまさに最後の晩餐といった模様。僕の心は雨模様でした。
結局その時は何もなく、お食事を御馳走になっただけで済みました。控え目に生きていこうと思った夜でした。


●偽名事件●

大学5回生の秋、僕は街なかでスケボーしてて高校1年生の女の子と知り合いました。
その女の子は気さくで、かわいいとこがあったのですぐ付き合うようになりました。
色々と問題が多かったコなんですが、それなりに半年くらい付き合ってました。そのコの口癖は『ゆうき君』で、いつも不思議に思っていました。
一番の問題は偽名を使ってたことでしょうか。
今では、過去の経験をしっかりと受け入れながら、『♪尊敬しあえる相手と共に成長したいねん』と思っているわんこなのでした。61なのでした。


●セクハラ事件●

去年の9月、ぼさぼさになった髪を切りに行った時のこと。
その日もいつもと同じように床屋さんに予約の電話を入れて、いつもと同じように椅子に座り、いつもと同じように店長に髪を切ってもらいました。
でも、その日の店長は気合が入っていたのか、思いっきり腰を落として髪を切ってみたり、かと思うと、左右に軽快なフットワークで移動してみたり、かなり念入りに髪を切ってくれました。
僕もそれなりに満足していたのですが、前髪を切るときの店長の股間がたまに僕のヒザにあたったことが少し気になっていました。
そして、翌月も同じように髪を切りに行った時事件は起こりました。
その日の店長は、明らかに僕のヒザを狙って自分の股間を押し付けてきて、そればかりでなく、ひげを剃るために背もたれを倒した時に意味なく僕の股間にタオルをかけ、僕のモノを2・3度握るのです。 タオルをかけ直してはモノを握り、洗髪してはタオルをかけ直してモノを握り、あたかもプールに入る時に命札を赤の方に裏返すといった決まり事かのようにその作業は繰り返されるのです。 ご存知の通り、僕はかなり気が小さい方なので、もちろん何も言えませんでした。
そんな馬鹿なことはないだろうと思い、そのまた翌月も何かを確かめるように、まさか自分はいじめられてなんかないだろうと思って転向翌日学校に向かう大場誠のように、その床屋さんに向かいました。
結果、10回店長の股間をヒザに押し付けられ、12回モノを握られることになりました。
翌月からは、5年半通ったあの床屋さんではなく、その店とは反対方向にある美容室に行くようになりました。
せめてもの救いだったのは、今回声が出せなかったのは僕がかなり気が小さい方だったからだということでしょうか。
でもまあ、ネタが増えたからいいかなと思ったプラス思考の61なのでした。


●ナイスオン事件●

大学6回生の冬、ゴルフの打ちっぱなしにいった時のこと。
その日も、恒例のようにゴルフ部のT-mogにレッスンを受けながら、みんなでT-mog持参のクラブで楽しく打ちっぱなしていました。
僕はスポーツに関してはいつも本気で、その上根っからの負けず嫌いなので、ドライバーぶんぶん振り回して豪快に飛ばしまくっていました。 がしかし、僕よりも負けず嫌いのshuさんは何かというと僕にイチャモンつけて、僕以上の意気込みでドライバーをぶん回していました。
T-mogにスウィングのコツを教わったshuさんは、『そうかぁ・・・!そういうことかぁ!!(ジークンドー)』と、さもわかったげに、カツノリ並の素振りをしていました。
そんなこと言っても、ヘンな打ち方するshuさんじゃそんなに飛ばないだろうと思いつつも、それでも気になっていた僕は、shuさんの一挙手一投足に目をやっていました。
するといつになくオーラを放つshuさん。フルスウィングをした次の瞬間、ものすごい弾道でそれは飛んでいったのです。 それは40ヤードほど飛んでいったのですが、shuさんの手もとをよく見ると、そこにはドライバーではなく細いがあるばかり。
そうなのです。ゴルフの打ちっぱなしでゴルフクラブを飛ばす人はたまに見かけますが、shuさんはゴルフクラブではなく、クラブヘッドのみを飛ばしていたのです。
僕らがヒザからくだけて笑い転げている中、係りの人にその旨を伝え、そこにいる人全員にいったん打つのをやめてもらうアナウンスを流してもらい、T-mogが無惨に折れてしまったクラブヘッドを取りに行くと、 なんとそのクラブヘッドは、40ヤードグリーンのピンそば1メートルにナイスオンしていたのです。
T-mogのドライバーを壊してヘコんでいるshuさん。
その時ばかりは、そんな素敵な奇跡を僕らにプレゼントしてくれるshuさんと同じ研究室でホントに良かったなと思ったのでした。


●発砲事件●

大学6回生の2月始め頃、酔っ払ったshuさんがエアガンを持ってきたことから,ここ機械力学研究室には様々な種類の銃が置いてあります.
最初は1丁だけだったのですが,みんなしだいにハマってきて(特にジークン)2月末には教授陣も含めて大の大人が8人くらいで,おもちゃ屋に銃を買いに行ったこともありました.
今では常時5〜6丁のエアガンがこの研究室に備えられています.
ある日のこと,始め使い方を知らなかった教授が『これ,どないして撃つんや!』とshuさんに使い方を教わっていたところ,すぐ隣のパソコンの前で作業をしていたT-mogがいきなり『痛い!(×約20回)』と,右の太ももあたりを押さえながらのたうちまわり始めました. 撃った当人は,さも自分はやっていないかのように『どないしたんや?』.
T-mogは恐怖と激痛のあまり研究室からはいずり出ていました.
次の日もまた同じように,今度はmackさんがその教授に暗殺されてました.
それからというもの,この研究室では毎夜『ギターの音』・『歌声』・『スケボーの音』・『麻雀の音』に加えて『エアガンの音』・その教授が2万で買ったという『モデルガンの音』が鳴り響いています.
それにしても,あのモデルガンの火薬の音は大学という場所からは1番遠い存在の音だなぁと思いながら,こんな楽しい研究室に入れて心から喜んでいる61なのでした.



●ヒョウ事件●

大学生の頃、僕は実家に帰る時はいつもバイクで帰っていました。
でも、しまなみ海道ができてから年末実家に帰ろうとすると必ずヒョウが降ってきます。 しかも、今治までは晴天で、橋に乗ったとたんヒョウが降ってきます。 松山を出る時はヒョウが降るなんて思いもしませんから、ヘルメットはフルフェイスではなく半キャップサングラス
真冬の高速でヒョウが降る中この装備で普通に走ってたら確実に死に至ります。 僕はなかば半ベソをかきながら、高速道路にもかかわらず30km/hで走ってました。
最終的に、『このままだといつかひき殺されるな…』と思ったので、半キャップに飾りのようについていたゴーグルを装備することで難を逃れました。
これと言ってオチはありませんが、こんなこともあったなぁって思った61なのでした。