李登輝の作り出したアイデンティティ

 

台湾の20世紀後半の50年間は、政治的にも経済的にも、さらには文化の領域においても劇的な変化が見られた。蒋介石の独裁体制、蒋経国の権威主義体制をへて李登輝が1988年から台湾の総統となった。台湾社会の大きな変化は李登輝時代が最も劇的でかつ顕著であり、彼の時代の終わりとともにこの変化は安定へと向かっていった。彼の功績はさまざまであるが、台湾が将来この時代を振り返った時に最も大きな意味付けをするであろうことは、彼が台湾アイデンティティたるものを作り上げたことであろう。それは目に見える形であったり精神的なものでもある。また、台湾アイデンティティを語るうえでは中国の存在を無視することは不可能である。巨大な社会主義帝国中国の圧力と影響の中に置かれている台湾で李登輝が作り出したアイデンティティとは何であろうか。

   彼が作り出したアイデンティティを考える前にまず重要なことは李登輝自身のアイデンティティを知ることである。彼は「客家」という漢民族の1つの少数民族出身である。少数民族とは言っても客家出身の著名人は多く、孫文、ケ小平など中国の歴史の大御所が名を連ねている。一般的に客家は誇りが高く努力を惜しまない性格のようだ。さらに、中国人意識が強く、中台統一を支持するものが多い。しかし李登輝は現在客家としての意識は希薄であり、台湾内の客家グループや世界客家会議などの国際団体とは決別しているらしい。李登輝の自我についてもうひとつ忘れてはならないのは彼が自ら「22歳までは日本人であった」と語っていることである。事実、彼は岩里政男という日本名を持ち22歳まで日本国籍を持ち、台湾が第二次大戦前に日本の植民地であったこともあり日本の教育を多々受けて育ってきている。彼は本学の前学長であった中嶋氏との共著「アジアの知略」の中で、『若い時に受けた日本教育が持っていた非常に純粋な人間的な側面、つまり、人間とは何ぞや、われわれはどう生きるべきか、生死とは、といった問題を、あの時代に体得できたことを、個人として私は非常に感謝している。』と述べている。日本の教育や日本の書物を読んだことが李登輝の人格形成の段階の中心を占めているのだ。

   台湾人のアイデンティティの高まりは台湾の民主化との関係が非常に深い。台湾の民主化の進展に伴って彼らのアイデンティティは深まっていったのだ。若い頃の李登輝はマルクス主義の信奉者でありソ連に滞在したという経歴がある。彼は共産主義に精通していた。だからこそ、その矛盾や非合理性に気づき、反共産主義の道、すなわち民主主義への道を歩み始めたのである。

   台湾の民主主義への歩みは中国の支配からの離脱を意味する。もし公的な場において高々と独立を宣言するようなことをすれば、中国側は軍事的手段に訴えてでもそれを阻止することは先の二度の台湾海峡危機により実証されている。独立とは言わないが主権獲得へ向けての台湾の試みは、91年の「反乱鎮定動員時期」の終結を宣言したことから始まった。これによって中国本土と台湾「中華民国」の内戦は終わったのである。もっとも、この時点での李登輝の発言は、「一つの中国」という前提のもとに、中共が台湾の政治経済の民主化や対外関係を妨害しないなら国家統一問題について対等の立場で話し合う用意がある、というものであり、「一つの中国」という考え方に対して前向きであった。しかし若林正丈氏も述べているように、「反乱鎮定動員時期」の終結は同時に台湾「中華民国」とは何であるのかを定義する必要と、中華人民共和国や国際社会との関係を再定義しなくてはならないのである。ただし、この時点で台湾独立を唱えることはまだ早急過ぎるし、台湾人たちも望んではいなかった。同年の国民大会代表選挙で野党最大勢力である民進党は「主権独立の台湾共和国」を基本綱領として掲げたところ、思わぬ大敗を喫した。世論調査においても「明日の台湾独立」に対して47%が怖いとの回答を示している。つまり、高まるアイデンティティの問題は、台湾独立を宣言したり台湾共和国をつくったりすることで解決する問題ではないのである。

   だが、最終的に李登輝が、民主化する台湾が何を求めていたかというと、それは「台湾の本土化」にほかならない。そして彼は90年代の中頃から本格的な行動にでるのである。まずは、江沢民が両岸の問題の平和的解決を目的として提案してきた「江八条」を完全に拒否する内容の「李六条」なるものを返答として中国側に提案した。この中で李登輝は間接的にではあるが、台湾の国連への加盟を要求した。さらにこの二ヶ月後、私的という形式ではあるもののアメリカ訪問を実現した。李登輝のこれらの行動は全て台湾の国際的な地位の向上と、さらに中国の「一国二制度」の否定を狙ったものである。さらに言うなら、李登輝は「一つの中国二つの国」というものが狙いの一つであった。彼はまず中華人民共和国を一つの国家として認め、それから台湾「中華民国」を主張するのである。もともと現在の中華人民共和国は1949年に中華民国から出てきた国家である、という根拠に基づくものである。これが「特殊な国と国の関係」という発言に関する李登輝の解釈なのである。李登輝が台湾独立を口にしないのはこの「特殊な国と国の関係」のためである。そもそも台湾は植民地などではないのだから「独立」という言葉は当てはまらないというのだ。しかしこの意見に対して中国は、台湾はあくまで地方政府の一省にすぎない、という意見を当然のように述べる。これは避けなくてはならない展開であるため、台湾は1998年に台湾省を廃止し、同時に台湾が香港の二の舞になることを回避したのである。彼のこういった考えの根底には、政治経済や、司法や行政など、国家として必要なことを全て自らの主権下でやってきたという自信があるのだ。96年に初の総統直接選挙を実施するに至ったことによって、台湾は民意が充分に反映される政府を持つことになり、国家としての主要条件を全部満たしていることになるのだ。

   このような台湾の変化はそこに住む人々の内面をも変化させていった。これが台湾人アイデンティティの出現である。「特殊な国と国の関係」論や総統直接選挙、つまりは中共と離別して住民自らが未来を決定すること、主権と地位の明確化による国際的地位の向上、そして国民意識の形成という最終段階、これが台湾アイデンティティの結論なのではないだろうか。また確固としたアイデンティティが存在して初めて、台湾は中共と真っ向から立ち向かえるようになるのである。このアイデンティティの高まりを李登輝自身が感じていなければ彼の「特殊な国と国の関係」という発言は起こり得なかっただろうし、単に中国を刺激するだけのひとりよがりな発言となっていたであろう。李登輝は台湾人アイデンティティはまだ基礎ができたに過ぎないと述べている。本省人や外省人といった枠組を超え、台湾人としてのアイデンティティを育て、確固たるものにするのは愛国心である。台湾への愛着がなければ決してアイデンティティは生まれない。アイデンティティを持つ政治、つまりは台湾を非常に愛し台湾に尽くすこと、これが彼の政治ポリシーであり、今後の台湾の指導者に求める資質と李登輝が著書「台湾の主張」で述べた台湾アイデンティティに関する見解である。そして、陳水扁新総統なら引き継いでくれると信じたからこそ自ら政治の舞台から降りたのである。台湾民主化の深まりとともに強さを増してきている台湾アイデンティティ、その民主化は一段落ついたもののアイデンティティはむしろこれからが本当の築き上げる期間であり、これは次世代以降に委ねられた課題である。そしていつの日か、台湾人アイデンティティのルーツに関する歴史を振り返る時、最功労者の一人として、そこには李登輝という名が刻まれていることだろう。

 

 <参考文献>

                                        若林正丈 「台湾―変容し躊躇するアイデンティティ」 ちくま新書 2001年

・中嶋嶺雄 李登輝 「アジアの知略」 光文社 2000年

・李登輝 「台湾の主張」 PHP研究所 1999年

・楊中美 「一つの中国一つの台湾」 講談社α新書 2000年

・林志行 「図解 台湾のしくみ」 中経出版 2000年

                                        岡崎久彦他 「『台湾問題』の先にある日本の危機」 ビジネス社 2001年