日本の天狗像
飯縄権現堂前(※1)には、右側に鼻の高い大天狗、左側には烏の口をした烏天狗の小天狗の像が立っている。日本の天狗は古来から翼をもち、鼻高または烏口の形をした面相で、神通力をもつとされ、多くの天狗伝説や天狗信仰を生みだすなど、神格化されてきた。この日本に古来から伝わる天狗像を徹底的に分析していきたい。
一、天狗の名称
かの有名な妖怪博士である井上円了曰く、日本天狗の名称の起源は、
| 一、 | 印度説 |
| 二、 | 中国説 |
| 三、 | 日本説 |
があるとされるが、印度説は仏典からの抽出で、「延命地蔵経」中の天竜夜叉、士后。「正法念処経」中の「憂流迦」下ルト」、同経別項の「空中ニ大光明有リ、猶天狗ノ如ク又曰ク大天狗ニ見ユト」のニ経を引いていて、前者は偽怪(※2)、後者は天上の光り物で、天狗の証とはならないとし、「沙石集」に天狗は経文にはないといっているから、印度の伝来説は問題にならないとしている。
次の中国説では、『史記』『漢書』『晉書』『山海経』『五雑爼』『麟書』『述異記』『天狗賦』(杜甫)『古今談概』『天中記』などの諸説を引き、これに対して、
「中国の諸書に、天狗を星、獣、鳥、石だなどといっているが、皆同一の状態を見てそう思っただけである。様々な文献から考えてみると、最初の頃落ちた雷獣(※3)が、たまたま天狗に似ていたから天の狗と名づけたのであろう。だから自分は星説よりも獣説をとる」とある。井上円了は、中国天狗は雷獣だといっているのだ。
日本の天狗説はというと、中国のそれと同名異体であるという。これは、天狗の名の初見とされる634年、僧旻がアマツキツネ説を、流星と誤解したとある。
結果から言えば、日本天狗の名称の起源は中国が最も有力なようである。
二、日本の「天狗」像になるまで
日本の天狗像は天空を飛び神通力を駆使する霊鳥ガルーダ(天龍八部衆の一つ迦楼羅)が先祖であることが、観音廿八部衆や神仏霊像図彙、また『今昔物語』のインド産の天狗が中国を経て日本へやって来る話などから分かる。また、インドの女妖ダーキニーの像を、日本流に改変したのが、飯綱三郎系の天狗像であるとの説も明快、かつ詳細に主張している。しかし、中国にはこのような話がどの文献にも記載されていない。そのため、迦楼羅(ガールタ)を先祖とする天狗像を考えた時、インド⇒中国⇒日本の順で伝来したとは言い難い。
日本で天狗という妖怪が形作られる過程で、その正体についていろいろな説が登場してきた。
1) 「和漢三才図会」(※3)では、素戔鳴尊(すさのおのみこと)(※4)の体内の猛気が吐き出され天狗神となったという俗説が紹介されている。
2) 鎌倉時代には、天狗は僧侶などの修行者が慢心に陥って変化したものとの考えが広まった。天狗の高い鼻はこの慢心を象徴しているともいう。
3) 怨霊の化したものが天狗だとする説。『保元物語』(※5)によれば、崇徳院(※6)は怨念のために生きたまま天狗の姿に変ったとされている。
などがある。
そのほか、彗星、流星、狂星、雷獣、山男、仙人、天狗火、怪石、占星、高天原、狐怪、鬼神、シグマなど様々な説が存在する。また天狗に関する言い伝えとして山から聞こえる音を捉えて「天狗の仕業」とするものが多く存在する。木を切る音がしたが翌日には何も倒れていなかったり、誰もいないはずの山奥からにぎやかな笛の音が聞こえる、といった言い伝えが古くから存在している。
上記に列挙した通り、国内だけでも様々な天狗形成説が存在する。
三、日本天狗としての発生起源
『天狗』の話が登場するのは「源氏物語」が古く、その後の「今昔物語」「義経記」などに数多く登場してくる。多くは、神仏のもつ教えや慈悲、救済心とは異なった威力、超能力を自由自在に使いこなす超人的な存在、もしくは伝説として伝えられたり、奉られたりしてきた。
こうしたことから天狗は、山岳霊場に不可欠の存在としての地位をもつこととなり、天狗信仰が生まれてくる。参考までに日本八大天狗をあげると『雑説嚢話』には、愛宕山太郎坊、比良山次郎坊、飯縄三郎、鞍馬山僧正坊、大山伯耆坊、彦山豊前坊、大峰山前鬼坊、白峰相模坊とある。これに別格「法起坊」を加えたのが、古来の天狗たちである。法起坊は、役の行者の狗名をいう。
高尾山も、飯縄権現とこうした神通力をもった天狗が共存した形で形成された山岳霊場として、中世から近世へ、さらに現代へと継がれているが、江戸中期から後期にかけて、江戸市中でたびたび薬王院の出開帳をおこない、人気を博している。当時高尾山は、千組以上の富士講をもった富士山(富士吉田)、阿夫利山(相州大山)などとともに、九山の一つに挙げられている。
中世以来、高尾山の天狗は御本尊飯縄大権現の随身として、招福万来、除災開運など、衆生救済の利益を施す役割をもち、現在も天狗信仰の霊山として知られている。参道脇には、天狗が腰をかけたという伝説をもつ霊木『天狗の腰かけ杉』がある。
また、こうした天狗と修験修行をする山伏との関係は古い。その原点として考えられるのは、修験修行を経て会得する術や威力を天狗に置き換えるような考え方から、山伏姿が天狗をモチーフとしてつくられたとも想像できるのである。
『天狗山伏』として登場するのは、鎌倉時代に書かれた「太平記」である。「古今著聞集」にも山伏と天狗の話は多い。
山伏姿をした天狗は、江戸時代に書かれた「天狗五態図」のなかの一つにある「太平記」の挿画になった図にもみられるが、当時、この絵図による天狗山伏は広く流布されたものであろう。高尾山飯縄権現堂正面の左右の大天狗、小天狗像も同様のものである。こうした山伏姿をした修験者の形は、長い歴史のなかで確立された固有のものとして、現在に継承されてきている。
四、止宿したとされる場所
江戸時代の国学者・平田篤胤は、神の世界を目のあたりにしたという仙童寅吉なる少年のことを詳細に取材している。寅吉がいうには、筑波山系に住む天狗は「岩間山には十三、筑波山には三十六、加波山には四十八」と、加波山に最も多くの天狗が止宿していると語ったそうである。寅吉が語ったことの真偽はともかく、以上の三山はいずれも修験の行場として古くから知られた霊山で、それぞれの名の通った天狗がいた。加波山には岩切大神、天中坊という天狗が修行者の守護にあたっていたそうだ。頂上と麓の加波山神社では、天狗面や天狗の祠を見ることが出来る。
| ※1 | ・・・ | 飯縄権現は、平安時代、長野県飯縄山上(現飯綱山)に奉祀された飯縄権現を原点として、全国に分祀され、飯縄信仰として定着をみせた。飯縄権現は、法身大日如来の垂 迹である不動明王を本地として、その不動明王が飯縄権現に姿を変えて衆生(民衆)を救済するという、平安 初期に台頭した本地垂迹思想から生まれた神仏の一つと伝えられている。 |
| ※2 | ・・・ | 人が意図的に作り出したもの。すなわちトリック。手品やスプーン曲げなど。 |
| ※3 | ・・・ | 落雷のときに一緒に落ちてくる山獣。 |
| ※4 | ・・・ | 仏教上に現れる嘴を持ち、翼によって自由自在に空を飛びまわり、衆生の救済を行うとされているもの。 |
| ※5 | ・・・ | 図説百科事典。寺島良安著。105巻81冊。明の王圻(おうき)の「三才図会」に倣って、和漢古今にわたる事物を天文・人倫・土地・山水など天・人・地の三部105部門に分け、図・漢名・和名などを挙げて漢文で解説。正徳2年(1712年)自序、翌年の林鳳岡ほか序。倭漢三才図会略。 |
| ※6 | ・・・ | 日本神話で、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子。天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟。 |
| ※7 | ・・・ | 鎌倉初期の軍記物語。3巻。作者は平治物語と同一人かとされて来た。 成立は平家物語以前。和漢混淆(こんこう)文で、源為朝を中心に保元の乱の顛末(てんまつ)を描く。 |
| ※8 | ・・・ |
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