奈良岡実のここだけの話

【大会と棋力向上のヒント】  奈良岡 実

第一部
「前書き」(2016.05.18)  第1回「駒は玉に近い方向に動く」(2016.05.18)  
第2回「大駒の道」(2016.06.01)  第3回「見えるということ」(2016.06.15)  
第4回「弱い人から学び、強い人と接する」(2016.06.29)
  第5回「指導しない指導法と駒落ち」(2016.07.13)  
第6回「ルートは1つではない」(2016.07.29)
  第7回「1:2:7の割合」(2016.08.10)  
第8回「迷いをなくする」(2016.08.24)  第9回「小田桐さんと館山さんに訊く」(2016.09.07)

第二部
第10回「初手の問題」(2016.12.22) 第11回「泥棒が入った」(2017.01.06)
第12回「最良のアドバイス」(2017.01.18) 第13回「目標を持つこと」
第14回「サメのお刺身」 第15回「責任はどこに」
第16回「お酒のあれこれ」

第一部

「前書き」 (2016.05.18)  

 私は将棋界の中で、一番多く教室を開催している1人だと思う。指導に定評があるプロ棋士、全国のアマの指導者の方々とも交流させていただき、自分の指導に生かす努力を続けているつもりだ。いろいろ情報交換をする中で、多くの指導者と共通の部分と、自分が特殊だと感じる部分がある。特殊と思うのは、プリントを使わないこと。今まで一度も使ったことはない。プリントを作る能力がない、あるいは面倒くさいというのが一番の理由だが、小さい子や超初心者には、プリントより考え方を簡単な言葉で伝えた方が有効だとも思っている。今回からこのHPでそれを順に伝えていきたいと思う。「考え方を簡単な言葉で」ということなので、図面は使わない。また、青森県の人が身近に感じるように、県棋界で育った人を例にして述べる。県外の人は申し訳ない。書くことすべてが絶対に正しいとは言わない。「そのような考え方もあるのか」と、参考程度に思っていただいて構わない。でも私の教室の子はその考え方で育っているし、三段までの人には役立つ部分もあると思う。

第1回「駒は玉に近い方向に動く」 (2016.05.18) 

 大会に出ると、難しい局面でどのような方針で指せばいいのかわからなくなることもあるはずだ。そんな時は、身近な強豪を思い浮かべて(あの人ならどうするだろうか)と考えれば方針が立てやすい。あるいは、その強豪がどのようにして強くなったか分かれば、自分の勉強法として取り入れることもできる。今回は山中恵介君の巻

 かなり前のことだが、ある大会で小学生高学年と思われる子の将棋に目を引かれた。青森の大会だから、子供はたくさんいる。その中で、ちょっと特色のある将棋だったので、目が離せなくなったのだ。とにかく駒が玉の方角に向かって動く。攻めの駒は相手の玉方向に。守りの駒は自分の玉方向に。主催者の人に名簿を見せてもらって名前を確認した。それが
山中恵介君だった。とにかく青森の大会には子供がたくさんいるのだから、ちょっと強いくらいで確認していたらきりがない。私が興味を覚えるのは何年かに一人くらいだ。幼稚園のころの伊東恒紀君とかのレベル。ちなみに、伸びる将棋に目が行くのは私だけではない。行方尚史八段がある大会で「○○君、半年くらいでずいぶん強くなったね」。それが人違いで見たのは山岸亮平君の将棋。多くの子供の中で、○○君と勘違いとしても、亮平君の将棋が目に付いたのだ。話がちょっとそれたが、大会に現れてからの山中君の棋歴は県内の人ならご存じだろう。段位戦に出ると、受付をした段階で優勝者は確定。高校1年で「全国高校新人王」。2年で「県名人」。立命館大学に進んで「全国アマ王将戦」準優勝。その資格で出た「銀河戦」でプロに勝利。「駒は玉に近い方向に動く」は、覚えておけば役立つ心得だと思う。

第2回「大駒の道」 (2016.06.01)

 前回、山岸君の話を出した。ちょうどいいので今回は山岸亮平君の巻
 将棋に適性が高い子かそうでないかは、普通の人では見分けるのが難しいと思う。相当の確率で当たるのが「大駒の道が通っているかどうか」。今まで見てきた中で、自分の大駒の利き筋を自分の駒で遮って何も感じない子は成長が遅い。山岸君は小学2年のころ、私の教室に来た。最初は当然のごとく超初心者だった。ところが1週間後に来たときは、もう初心者組の子は相手にならなかった。その将棋は、小さいころからとにかく大駒の道が通っていた。驚異的な成長速度を見て私にも学ぶところがあった。「なるほど、他の子も大駒の道が通るように指導すればいいのか」と。小学5年で「全国小学生名人」。小学6年、中学1年で「県名人戦」2連覇。ほかに「全国中学生選抜選手権」準優勝。現在、奨励会二段。

 これは裏返しのことも考えられる。奨励会三段まで進んだ
小泉祐君の将棋は、いつも相手の大駒の道を止めていた。相手の大駒の道を止めるのだから、だいたい手番は相手側になっている。手番を欲しがらない。相手に手を渡して平然としている。そして自分に手番が来たときは、直接手でなく底力のある有効打で敵を倒す。どんな盾でも突き通す矛と、どんな矛でも防ぐ盾の話ではないが、小泉君と山岸君が指せばどんな将棋になるのかと思う。そして実戦の1局1局で「自分の大駒の道を通す」のと「相手の大駒の道を歩で止められるときは止める」の二つを心がければ、棋力向上に役立つのではないだろうか。

第3回「見えるということ」 (2016.06.15)

 近年、指導の一番参考になったのは、青森にも来たことがある渡辺弥生女流初段が将棋世界に書いた「男性棋士には駒の利き筋が見えているのではないか」という文章。「そうか、やっぱり見えない人がいるんだ」ということが確認できた

 
「見える」ことについては、生まれつき見える人と見えない人がいる。この「見える」というのは将棋界的な表現で、視覚と同じくらい脳がはっきり認識すると思っていただきたい。「見える」子は着手が早い。考える前に「見えている」から当たり前だ。私の今までの経験では100%、早指しの子となかなか手を指せない子では前者が強くなっている。子供に「きちんと考えなさい」というのは間違いではないかもしれないが、私が門下生にそれを言うことはない。読む指導の前に「見える」ようになるための指導が必要だと思っている。

 さて、見えるにも種類がある。前述した
@「駒の利き筋が見える」ほかにA「手が見える」B「詰みが見える」など。意外に気が付かないのがC「持ち駒が見えている」かどうか。将棋を指すとき誰でも盤上は見ているはずだが、初心のうちは持ち駒を自分の戦力として認識していない場合が多い。私の教室では「攻めるときは駒を動かすより盤の上に駒を打つ。守るときも盤の上に打つ」ことを強調する。Bは短手数の詰将棋を多く解く。大まかに一日50手を目安にしている。3手詰なら17問、5手詰なら10問。一日10分かからないトレーニングだが、一年続けた人とやらない人では差がつくだろう。終盤の強い人は、詰みを読まなくても「見えている」。また、詰将棋を一冊やったら逆向きにして、玉側の立場でもやってみたい。終盤、相手が渾身の力で詰ましに来るときの対応に役立つはずだ。

 
Aは棋譜並べ。これもやり方がある。普通に一人で並べて、盤面が頭に入る人もいる。私は活字しか目に入らず、盤面が頭に入らない。複数の人数でやることがお勧めだ。さらに1局並べたら先後を代えてやる。立場が変わることで見え方も違うはずだ。また、同じ戦型に絞るとか、同じ人の棋譜を通して並べるなどの工夫もある。「全国中学生選抜選手権」優勝者の木村孝太郎君は、羽生善治四冠の棋譜は全部並べている。詰将棋は日課になっているので、やらない日はないはずだ。

 「考える指導は必要ないのか」という疑問を持つ方もいると思う。まず、幼稚園児や小学低学年に「しっかり考えなさい」と言っても、思考の前提がまだ備わっていない。同じ練習量なら、長考させるより実際に駒を盤上で動かす方が、いろんなことが身についていくはずだ。
最初見えていなくても、番数をこなすことで@の能力が備わってくる。そして思考力がついてくる10代半ばから、みんなしっかり考えるようになる。これも今まで例外はない。残念ながら、考えて、迷って、駒を動かさない子には私の指導は及ばない。棋力向上については、長い目で見るしかないと思っている。うまい方法はあるだろうか。

第4回「弱い人から学び、強い人と接する」 (2016.06.29)

 私が子供たちの指導を始めたのは20年と少し前。「全国と戦う子を育てる」という理想はあったが、現実的な方法は分からず、模索の時期も長かった。青森将棋センターが栄町にあったころ、何気におじいさんたちの将棋を見ていた。何十年指しても棋力は向上しないが、駒を動かすことが楽しくて将棋をやっているレベル。それを見ているうちに、ひらめくものがあった。「弱い人の反対をやれば強くなるのではないか」と。その人たちの盤上の目標は王手をかけること。目に付く王手はすべてかけ、必ず相手玉を逃がす。そこから導き出された私の指導は「詰まない王手はかけない」「終盤の攻撃目標は金」。みなさんの周りにも、どうしようもなく筋が悪く、いつまでも強くならない人がいると思う。そんな人は貴重だ。私が発見したほかにも、その人の反対をやることで新たな発見があるはずだ。ただし、「HPで見たのであなたの将棋を参考にさせてください」と言ってはいけない。その人もHPを見ていた場合、人間関係を損なう恐れがある。あくまでこっそりと見せていただくことが大切だ。

 その裏返しも考えられる。
強い人と接すると強さが移ってくるような気がする。科学的根拠がないので身近で起こった事象を述べるが、以前、木村一基八段にもらった直筆の扇子を使った時は、3大会で2回優勝した。明らかに実力以上の出来事だろう。それではいつもその扇子を使えば優勝回数が増えていたとも考えられるが、私のことだから失くしてしまった。一基先生、すんまへん。
 
山岸亮平君が全国小学生名人戦で優勝したとき青森高校が全国高校選手権で団体優勝したとき木村孝太郎君が全国中学生選抜選手権で優勝したときは、いずれも直前で指導の達人、勝又清和六段の指導を受けている。将棋のことではないが、佐藤康光九段から来た年賀状。当たりそうな気がするのは私だけだろうか。実際、当たったから書いている。私の立場としては、プロ棋士が青森に来る機会をなるべく多く作り、みなさんと接する場を増やしていきたい

第5回「指導しない指導法と駒落ち」 (2016.07.13)

 インターネットであちこち見ていたら、棋力向上の方法として「自分より少し強い相手と指し、『勝たせてもらう』」ことが書いてあった。どこのお部屋かは忘れたが、指導の達人の記述だと思った。「敗戦から学ぶ」ことで強くなるのはかなり上のレベルになってから。初心のうちは「成功体験を積み重ねる」ことが必要だ。

 私の教室では、駒落ちはやらない。10枚落ちとか8枚落ちは、将棋として不自然な感じがする。幼稚園児とか駒の動かし方を覚えたばかりの人でも私は平手で指し、こちらが負ける。負ける手順は全部一緒。「相がかり」「角換わり」「横歩取り」「矢倉」「居飛車対振り飛車」で
何通りかの負けパターンを持っているそのパターンが増えていくことが、自分の指導技術の向上だと思っている。小さい子は成功体験を積み重ねて勝ちパターンをいくつか覚え、大会に出て少しずつ強い相手と当たっていくことで棋力が向上していく。
 
 自分が必ず正しいとは思わないが、まずい指導例を見かけることもある。ある大会で、指導的立場の人が子供たちの将棋を見て「どうしてここで馬を取らないんだ」と駒を動かすと、相手の子は即座に詰ました。馬を取らなかった子も、詰みがあるから馬に手が行かずに詰みを受けていたわけだ。そんな指導者の意見を普段から聞いている生徒たちは、成長できるだろうか。ちなみにその人は、小学低学年の女の子との平手の指導対局で「筋違い角」を指していた。

 別の人の例では三手詰を超初心者に出して、そこまではいいのだが、正解すると似ている形で別の手順の問題を出して、前回と同じ回答をすると「残念でした」。私には間違わせようとして出した問題にしか見えなかった。「形が少し違えば正解が違う」ことを教えようとしたのだとも考えられるが、その子は次からその人の言うことを「またひっかけではないか」と思わないだろうか。私は詰将棋も、間違えそうなものは出さない。成功体験を積み重ねることで、3手詰から5手詰、7手詰と上がっていくことは可能だ。

 
木村孝太郎君が幼稚園のころ来て、少し相手をして理解力を確かめたとき、「この子を同年代の全国上位に導けなかったら自分の責任だ」と感じた。一番まずいのは、最終的に私レベルの選手で終わってしまうこと。それで考え出したのは「指導しない指導法」。たぶん、四段くらいまでは私の考え方で大丈夫だ。しかしそこに行くまであまり影響を与えすぎてはいけない。二段くらいのころから、対局や感想戦より棋譜並べの時間を増やしていった
 私の門下以外でも、
中川慧梧君阿部光瑠君は、駒落ちをたくさんやったと思えるだろうか。どなたかの先生の影響を受けて、その考え方で将棋を作って行ったのだろうか。想像だが、プロの将棋や棋書を参考にして、自分で自分の考え方を発展させたのではないだろうか。結論として@「駒落ちにも効能はあるだろうが、同じ練習時間なら平手での成功体験がいいのではないかA「ヘタな指導は相手にマイナス。本人の成長力を応援する方法を考えるの2つを提案したい。

第6回「ルートは1つではない」 (2016.07.29)

 私と近い年代の人は「居飛車でないと強くなれない」という説を聞いたことがあると思う。「強い」の程度にもよるが、経験を積んだ今は迷信だと思っている。将棋が強くなる過程は、登山に似ている。頂上までのルートはいくつもある。そして速さを競うものではない。最終的に本人の望む頂上にたどり着けばいいことだ

 私の教室で「相掛かり」「角換わり」と順番に進めていくことは書いた。それは将棋の考え方を説明するのに都合がいいからだ。まず棒銀の成功例を示し、それではその棒銀を受けるにはどうするか。棒銀が受け止められるならそれ以上の攻撃法は・・・と進んで行く。
 
 中学3年で「県王将」、高校3年間で「県竜王戦」を3連覇した
大澤啓二君は小学2年のころ、おいらせ町から転入してきた。さすが将棋の町だけあって、最初から四間飛車の形ができていた。こんな場合、絶対に前の指導者と作り上げた形を否定してはいけない。小さい子の場合、混乱してしまうからだ。四間飛車中心でもやり方はある。ただし、まったく一つの戦法だけだと考え方が発展しない。それとなくもう一つ技を身に着けるよう仕向けてみたが、本人はなじみの戦法から離れたくなかったみたいだ。小学中学年の頃は伸び悩んだ。
 そんなとき、転機があった。
佐々木潤一・五段の「きり研」が始まったのだ。その研究会は局面指定などがあって、自然にいろいろな戦法を指すようになる。大澤君にぴったり合ったのだろう。本来持っていた成長力を見せ始めた。
  
「全国高校竜王戦」3位、今季「有段者選手権」優勝の
成田豊文君は、故長尾寿郎五段の道場で基礎を身に着けた。のちに同年代の好敵手を求めて移籍してきたのだが、最初は振り飛車穴熊中心に指していた。そこから「角道オープン振り飛車」などや居飛車系にも芸域を拡げている。
 
 青森東高女子の場合を考えてみよう。4人の中で、2人は私のところで基礎を作った。
川井彩楓さんは、奨励会試験を受けてもいいかも、と思える成長速度だったので、男の子と同じ居飛車スタイルにした。その後、本人の興味は運動競技に移ったようだが、それは本人が決めることなのでかまわない。大澤桃子さんは「三間飛車」にした。「お兄さんが四間飛車なのでその隣」という単純な理由。ほかの2人は高校から始めた。そして短期間で、全国の高校女子団体戦を戦わなければいけなくなった。この場合、「相がかり」「角換わり」「横歩取り」「矢倉」と悠長に進めていくことはできない。最初に形を見て、武藤由依さん「角道オープンの中飛車」蝦名美織さん「右四間飛車」に焦点を絞った将棋に使える時間の少ない社会人には、こちらのパターンがお勧めになる。結論として、「強くなる道は何通りもある」。その中で「居飛車中心でいろんな基礎を積み上げていく」「振り飛車から入ってしだいに芸域を拡げる」「得意技を持つ」など、どの方法でも構わない。けれども「できれば複数の戦法を持って考え方を発展させる」ことも心にとめていただきたい。

第7回「1:2:7の割合」 (2016.08.10)

 前回は、戦法選択のことを書いた。けれどもそれは「終盤で自分の実力を発揮する」ための方策に過ぎない実際に棋力向上のための練習の比重は序盤1、中盤2、終盤7くらいに考えている。私の一門の中で、船橋隆一君成田豊文君は真面目なので、少しは本を読んでいると思う。工藤俊介君櫻井飛嘉君佐々木白馬君は、ほとんど読んでいないはずだ。それでどうして戦えるのか。

 まず、「序盤で作戦勝ちしよう」と思ったら、当然それなりの勉強が必要だ。ただし、終盤力の背景のない作戦勝ちにどれくらいの意味があるだろうか。作戦勝ちを生かすのにはやっぱり終盤力が必要だ。そこで「多少の作戦負けなら構わない」と発想を変えたらどうだろうか。序盤が下手でも作戦負け程度に収めるのは可能だ。そして作戦負けが多くなるとどうなるか。中盤はもう定跡的なことから外れているので、自分の頭で苦労して考えなければいけなくなる。作戦勝ちして楽な中盤を戦うより、苦労することで思考力を養うことができるのだ。さらに終盤は、毎回粘り強く戦うことが必要になる。
 
 作戦負けの序盤で中盤の思考力を養い、終盤の粘りを身に着けると、あとは寄せの問題。それは第4回で書いた「詰まない王手はかけない」ことで磨くことができる。この約束事を守ると、1局1局が実戦詰将棋になる。とにかく王手をかけるときは、詰みを読み切っていなくてはいけないのだ。逆に確信のない王手をかける人は読みが曖昧なままで、精度が上がらないのではないだろうか。白馬君は年間、80〜90回くらい大会・研究会に出ている。棋書を読まなくても、真剣勝負の場で1局1局実戦詰将棋をやっているということだ。効果を考えていただきたい。
 
 自分なりの終盤力が培われたとする。その上で序盤の力が必要だと思ったら本を読むのはいつでもできる。木村孝太郎君が目標とするするレベルだと、序盤の作戦負けは取り戻せない。ちょうど高校生になり、本が読める年代だ。私は小さいうちは実戦や詰将棋で終盤力を磨き、序盤の勉強はそれなりの年代になってからでいいと思う。

第8回「迷いをなくする」 (2016.08.24)

 まずみなさんに考えていただきたい。将棋だけでなくほかの何かの競技でも、「迷いがない人」と「迷ってばかりいる人」はどちらが強いか。表現を変えると「強い人に迷いが多い」か「弱い人に迷いが多い」か。答えは一つだと思う。さらに言うと「迷いがあると自分の実力通りの手が指せない」はずだ

 今から、この世界で非常に書きにくいことを書く。将棋界には「最善手を求めて全力で考えることが尊い」という常識がある。しかし少なくとも私の能力では、初手から終局まで最善手を続けるのは不可能だ。それが可能なら「電王戦」に出て、コンピューターを倒す。アマチュアの県大会はおおまかに1局1時間見当で進行する。持ち時間は20分―30秒程度ではないだろうか。その条件で「最善手」を最後まで続けられる人はいるだろうか

 私の考え方は「80点なら自分としては上等」。そして将棋には、「しっかり考えて100点の手を指して、時間がなくなって迷って60点の手を指すと、平均の80点ではなく60点の将棋になってしまう」という性質がある。80点の手を続けることができれば、80点の将棋になる。
 
 それでは、具体的にどのような考え方をすればまあまあの80点になるか。大まかに、将棋の形ができてくる5級くらいから初段までは「取れる駒は取る」「自分の駒は取られないようにする」「2つ取れる場合は高い方を取る」この3点と詰将棋くらいで大丈夫だ。以前書いた強くならない人たちの将棋は、ここができていないことが多い。見ていると「駒得できるのにどうして取らないんだ」「大駒は大事だから逃げればいいのに、どうして逃げないんだ」と思うことが多い。そして秒読みで2つ当たってる駒の取り方に迷って「あわわ」となり、意味のない手を指したりしている。相当間違いなく、「駒が取れるときは取る」べきだ
 初段前後からの技術としては、先に書いた「攻めの駒は相手玉方向に、守りの駒は自玉方向に動く」「相手の大駒の道を止められるときは止める」「自分の大駒の道は通す」。この3点を心がけて身に着けることができれば三段くらいまでは難しくないような気がする。「最善手」を求めて迷うよりは、「大まかな方向性で80点を目指す」くらいの緩やかな気持ちの方が、精神衛生にもいいと思う。ただし、すべては「詰みが正確」という大前提に基づいてのことだが

第9回「小田桐さんと館山さんに訊く」 (2016.09.07)

 4月から囲碁の教室を始めた。理由は、囲碁が好きなこと。それだけで充分だろう。将棋界の手法で、囲碁が打てる子供を増やそうと思った。普通の人は物事を始めるときに、いろんな考慮をしたり準備をするはずだ。私は「楽しそうだな」と思っただけで始めてしまう。当然のことながら、将棋界が囲碁の強い子を作ることはできない。ルールを教えて、対局できるようになるまでの指導だ。その中で強くなりたい子が出てきたら、囲碁の先生を紹介しようと思っている。そして実際に指導するのは私ではない。いくらルールを教えるだけと言っても、へたくそが指導すれば間違った覚えた方をさせてしまう恐れがある。担当は碁会所6段の館山さんにお願いしている。ちょうど教室を始めるときのタイミングで、囲碁まつりの話がでてきた。9月22日(木・祝)に弘前市で大々的に開かれる。将棋まつりの参考にもなることだし、「公開対局と大盤解説」「70面打ち大会」「懇親会」のフルコースを申し込んだ。

 と、ここまでが前ふりだ。「70面打ち」はプロ棋士が手分けして同時に70人を相手にする。なので私も盤の前に座ることになる。棋力は、弱くて筋の悪い1級くらいだと思う。そんなイモがプロの先生に直接相手をしてもらうのは失礼だ。修行を始めることにした。将棋のHPで上達法を書いている人が、自分で囲碁を上達する必要が生じたのである。ただし実際には時間がなく、相手もいない。パソコンに向かって、歯磨きする時間を利用して、囲碁のフリーソフトと戦っている。

 このフリーソフトが強い。時間がないので9路盤で、レベル1から高段まであるのだが、レベル1にも勝てない。そこで小田桐さんの登場となる。将棋では「支部対抗戦」東日本大会で数々の実績を残し、囲碁でも県大会優勝で囲碁欄に載るマルチプレイヤーだ。私が苦戦するソフトはよほど強いのだろうと、棋力判定をお願いした。そして実際やってみると、9路盤という狭い範囲ながら予想もできないところに打ち、ソフト陣をずたずたに切り裂いていく。数十目の大差になり、「弱すぎて棋力判定の対象にならないですね」「すんまへんでした」

 で、小田桐さんはときどき囲碁教室を手伝いに来てくれるのだが、あるとき、孝太郎母にアドバイスをしているのが一言だけ耳に入ってきた。「えー、そう考えるんだ。今まで知らなかった」。そのようにやってみると、レベル1には簡単に勝てるようになった。たった一言である。

 次はレベル2。相手は強化されてやっぱり勝てない。そこで今度は館山さんにやってもらった。やはりまったく予想もつかないところに打って、ソフトをコテンパンにしてしまう。そこで考え方を教えてもらうと「なんと、そう考えるんだ」

 結論として、自分の考えだけでは限界がある。強い人はこちらがまったく思わなかったようなことをたくさん知っている。ただし、小田桐さんは体が1つしかなく、いつも近くにいるとは限らない。そこで催しや大会の時、会場で強い人に質問してみたらいかがだろうか。私の場合だと自分の考えを押し付けたくはないのでこちらからは声をかけない。でも訊いていただけば、なるべく応じるようにしている。問題は訊く方の姿勢。館山さんの一言でレベル2に連戦連勝になったのだが、そのあと県連50周年記念誌の仕上げで時間がなくなり、しばらく休んだらまた勝てなくなってしまった。継続が大切ということだ。館山さん、すんまへん。

第一部<完>

第二部

第10回「初手の問題」 (2016.12.22)

 ようやく県連50周年の記念誌を出すことができた。最後の追い込みの時期、将棋まつりの準備と重なって時間が取れなくなったので、しばらく管理人さんに連載のお休みをいただいた。ようやく再開だが、これからは棋力向上法にこだわらず、よもやま話を書いていきたい。でも書き残したことが1つある。今回は初心者を指導する人に向けて。

 電話やいろんな場所で、指導についての相談を受けることは多い。でも多くはすでに将棋ができる人をどうしたら強くしてあげられるかという内容。本当に大切で難しいのは、まだルールを知らない人にどうやって教えるかだ。当たり前の話だが、ルールを覚えてしばらくは、上手が玉1枚でも勝てない。およそ30級と推定される状態からどうやって20級、10級、初段近くまで導くか。
 
 前に書いたが、私は駒落ちの方法はとらない。平手でいくつかの負けパターンを持っている。成功体験の積み重ねで棋力を引き上げると書いた。そのパターンは、どうやって作り上げるか。というか、指導に携わっている方は、初手をどう教えているか。

 自分が振り飛車党の人は、対象の生徒さんに振り飛車を教えたくなるだろう。それは有力な1つの方法だ。問題は居飛車の場合。初手を▲76歩と教えると、理屈からして後手は△34歩になる。それで居飛車なら▲26歩△84歩となるのが自然だ。そこから子ども同士で指させると、間違いなく「横歩取り」になる。そしてもちろん横歩取りの考え方は上達に必要だが、横歩取りばかり指していたのでは「相がかり」「角換わり」「矢倉」の経験値に乏しくなる。さらに大会に出た場合を考えてみよう。全国大会でも地方大会でも、持ち時間の少ないアマの大会で横歩取りに応じる人は少なく、武器にしづらい。

 私はまず、お互いが攻撃する形として▲26歩△84歩の「相がかり」から入る。次に後手番が角の頭を守る方法として▲26歩に対する△34歩を教え、▲25歩△33角と進む。そこから先手の飛車先の歩は進めなくなるので、「二番目に強い駒を使う」▲76歩となる。指導のときこちらは後手を持つので、「取り換えっこしない」△44歩と「角道を止めないで戦う」△22銀があることを教える。後者は「角換わり」前者は「振り飛車」になり、角換わりの棒銀、早繰り銀、腰掛銀と、対振り飛車を平行して進めていく。個人差はあるが、おおまかに半年くらいで形はできるので、「横歩取り」や「矢倉」に入っていく。この方法のメリットは、形が決まっていること。飛先を二つ突くオープニングにすることで、しばらく角交換型の振り飛車や筋違い角の対応に入らなくていい。▲76歩のオープニングだと、ほとんどすべての戦法に対応する必要がある。

 振り飛車の指導から入る場合は、角道を止めない形を勧める。「石田流」「▲65歩ポン四間飛車」「5筋位取り中飛車」「ゴキゲン中飛車」から選ぶ。角道を止める振り飛車は受動的で、狙いが分かりにくい(超初心者には)。角道を止めない振り飛車には、明確な攻めの道筋がある。それでも一つの指し方だけだと考え方が発展しないので、角道を止める振り飛車にもしだいに入っていく。

 まったく違うやり方もある。指導者の時間が少なく、棒銀とか早繰り銀とか、腰掛銀とか細かく分類して教えられない場合。あとは指導を受ける時間が少ない社会人で居飛車で将棋を作りたい場合は▲76歩△34歩▲66歩のオープニングにする。それで相手が振り飛車で来たら「居飛車穴熊」、相居飛車なら「矢倉」にする。この2つの戦法は性質が似ているので、だいたいは自分のペースで戦える。角交換型の振り飛車に対応する必要もないはずだ。後手番なら▲76歩△34歩とし、次は何でも△44歩。形を固定した方が分かりやすい。要は指導者がオープニングを整理、分類して初心者になじませるということだ。

第11回「泥棒が入った」 (2017.1.6)

 年も明けたので少し上達法から離れて、四方山話でも書いていこうと思う。
 25年ほど前に将棋道場を始めた。『青森将棋センター』という名称だった。「将棋をやる子供たちを育成したい」というのが動機だったが、「一日中将棋を指していられる」という理由もあった。外から見て、将棋道場内の生活はどのように想像できるだろうか。「毎日同じことの繰り返し」と思う人も多いのではないだろうか。ところがどうして「よくまあ、これほど」と思うくらいいろんな出来事がある。今回は泥棒が入った話を。
 センターを始めて何年も経たない初夏のころだろうか。唐突に蟹田の警察署から電話があった。そして「そちらさんで泥棒の被害に遭われませんでしたか」と言う。「いえ、特にありませんけど」と答えると「そちらはアパートの2階で2部屋。入って右側の部屋にはピンク電話があって、奥が台所になっている。左側の部屋には和机があってお金や書類をいれてませんか」「来たことないのによくわかりますね」というと「こちらで捕まえた泥棒がそちらに入ってお金を取ったと供述しているんですよ」「えーっっ?!」
 それで「いったいいくら取ったというんですか」と先方に訊いてみた。いま考えても間抜けな質問である。「○○千円と本人は言うんですよ」「へー、よくそんなにありましたねえ」というやはり間抜けな応答のあと警察は「被害届を出してくれませんか」。これには「まあたぶん若い人なんでしょ。今後やらないようにきつく言って帰してあげてください」と答えた。私は決してフランスの小説に出てくる牧師さんのような人格者ではないが、自分にお金がなくなった自覚がないし、犯人の人もたぶん将棋をやりにセンターに入ったはずで、私がいなかったための出来心を起こしたのなら、いなかった人にも責任があると思ったから。それを言うと警察の人は「それが常習者であちこちの事務所でやってるみたいで、被害届を出して反省を促した方が本人のためになると思うんですよ」「そうですか。それなら協力しましょう」と、被害届を書いた。数か月後、忘れたころにご家族と思われる人が菓子折りと封筒に入った現金、示談書を持ってきたが、無くなったと気づきさえしなかったお金を手渡されるのは妙な気分だった。
 それから数年して、2度目の被害に遭った。その頃は子供たちも増え、分煙の意味で同じアパートの1階も借りていた。いつでも子供が出入りできるように、鍵はかけていない。ある日、家の人が旅行に出かけていなくなると言うので、自分の晩御飯をスーパーで買って1階の冷蔵庫に入れておいた。道場が終わってそれを持って帰ろうとしたが、冷蔵庫にない。それどころか、缶ジュース類もほとんどなくなっていた。「マジかー」。被害総額は何千円にもならず、その日の晩御飯のおかずが少なくなったくらいだが、メインの鰻がなくなったのは今でも心残りに思う。

第12回「最良のアドバイス」 (2017.1.18)

 将棋センターを始めて間もないころ、緊張感をもって対応しなくてはいけなそうなお客さんが入ってきた。合法と非合法の中間の仕事をする組合に属していると思われるお方である。前はそのような人たちと接点のある仕事をしていたのでひと目で分かるし対応も慣れているが、いまやってるのは将棋道場なので、お引き取り願おうかと思った。ところが次の一言を聞いて、不覚にも心が動いてしまった。
「1局2万円でやってるんだ」
と言うのである。それでよく聞いてみると、同業の方と「1局2万円の賭け将棋をして時々は勝つんだが大きく負け越して、これまで50万円ほど取られている。将棋が強くなって取り返したい。先生、手伝ってくれねえか」と。
 こちらも新しい仕事を始めたばかりで、収入がどうなるかも分からない。あわよくばたくさん勝たせて分け前を・・・ではなく、運営費の足しにならないかと思って、「じゃ、少し将棋をみてみますか」。
 で、相手をしてみて、いろいろ手直しとかしてみたが、どうにもこうにもならない。私は賢明な判断をした。「あなたは将棋には向かない。強くなるのは無理だろう。相手の人に時々は勝つというのは騙されてるんだ。今まで取られた分は諦めて、これ以上損害を大きくしない方がいい」。すると相手は「やっぱりそうか・・・。俺もそうじゃないかと思ってたんだ」。たぶん、これが私の指導者としての今まで一番いいアドバイスだったと思う。

第13回「目標を持つこと」 (2017.2.1)

 弘前での事業のとき、多くの父母の方々から質問を受けた。「将棋が強くなるにはどうすればいいか」と。それに答える前に、一番大切な大前提がある。それは「自分の目標を持つこと」
 単純に数式で表してみよう。生まれ持った能力(A)×努力の質と量(B)=将棋の強さ(C)としか考えようがない。Cを求めるとき、Aの数値が大きければBは小さくてもいい。Aが小さいならBを大きくしなければならない。Cを大きくしたいならAかBのどちらか、あるいは両方を大きくすればいい。
 Aの値はどうやって見分けるか。私の経験だと、棋力に反比例する。弱い人ほど自分のAの値を大きく感じ、強い人は小さく感じている。Aが小さいと思っているからBを大きくし、結果としてCが大きくなるのだ。自分でAが大きいと思っている人は、Bの努力はあまりしないだろう。ちょっと抽象的で分かりにくいなら、県代表経験者に聞いてみればいい。ほとんどが「自分に才能がないのは残念だ。才能があったらプロを目指していたかもしれない。今は他県の代表と戦って全国上位を目指したいのに、家庭や仕事で勉強時間が取れない。残念でたまらない」という答えが多いのではないか。逆に、弱いのに自分より格上の将棋に対して「あそこはこう指すべきだった」と批評する人も多い。これは自分のAを過剰に大きく思っているからだろう。
 実を言うと、プロになれる人や前回書いた特殊な人を除いて、人の能力はそんなに変わらない。たぶん、10人いたら1人か2人が適性の高い人。1人か2人は長い目で見なければならない人。7人前後は子供のときに始めて頑張れば、県代表くらいにはなれると思う。自分のことを考えると、私の教室に入門してくる10人の中でどれくらいの位置かと言うと、6番目か7番目くらいだと思う。なので、門下生の半数以上は、私と同等の努力をすれば私より強くなるはずだ。問題は目標をどこに置くか。
 Cの目標は、自分で決めるべきだ。人に決められたのでは義務になってしまい、Bの気力が無くなる。そして実現不可能なレベルではいけないが、大きめの方がいい。将棋界には「名人を夢見る者は八段で終わる。八段を望む者は四段で止まる。四段が目標のようではプロにはなれない」という意味合いの言い回しがある。たぶん人間は、よほどの克己心を持って努力してもどこかに甘さが出て、目標の8割くらいしか達成できないのではないだろうか。10割達成できる人が一流なのだろう。
 結論として
  1 自分で大きめの最終目標を決める
  2 中間目標はあってもいい
  3 以上が決まったら最終目標から逆算して自分の努力の量を決める

となる。それは将棋だけでなく、スポーツ、勉強、資格試験など、多くのことに当てはまるのではないか。

第14回「サメのお刺身」 (2017.2.15)

 昨年の秋ごろ、グルメ漫画原作者の食味本を読んだ。中にサメを食べる地方のことが書いてあり、その登場人物によると「サメを食べる習慣があるのは日本中でこの地方だけです」とあった。しかし青森では、サメは珍しい食べ物ではない。日常的にはみそ焼きで食べるし、お正月は頭を食べる。この「頭を食べる」というのは、県外の人には説明が必要だが、今回はそこまで書く余裕はない。ともあれ、青森でこれだけ普通に食べるのだから、日本全国のほかの地域でも食べてるところはあると思う。
 私はサメはお刺身でいただく。釣りを趣味にしている知り合いがいて、サメが釣れると気持ち悪いから捨ててしまうと聞いた「えーっ、あんな美味しい人を。俺、好きだから持ってきてくれよ」。で、前に書いたように、友人の板前に包丁を習っているので自分でお造りにする。頭を取るときは少し気持ち悪い。ほかのお魚より顔が恐いからだ。そこを乗り越えたらエラと内臓を取って、三枚におろす。そこからが問題だ。皮をはぐとき、ほかのお魚は皮を一部めくって身の間に包丁を入れ、そのままそいでいく。サメは一部めくるところまでは同じだが、そこから手で皮をつまんで剥いでいく。このとき、失敗すると皮に身がついてしまい、食べるところが少なくなる。皮を剥いだら柵に分け、自分の好みの大きさに切って盛り付ける。味はとろりとして、マグロのトロのような感じだ。
 「どんこ」も釣り人に人気がないそうだ。タラの子分のような魚で、皮が黒と茶色の中間で深海魚みたいに見えるから敬遠されるのだろう。「えーっ、あんな美味しい・・以下略」ということで、それも持ってきてもらう。どんこは通常、ぶつ切りにして、ネギをいれて、みそ汁仕立てにする食べ方が知られている。私はお刺身でいただく。ただし、身は水っぽくてべちゃべちゃしている。そこでこぶ締めにする。適当な大きさの柵に切って、昆布でくるむ。2日くらい置くと昆布が水分を吸って身が固くなり、昆布のうまみが淡麗な身に移って絶妙な美味しさとなる。私は1週間くらい置いたのが好きだが、板前の先生は「あんまり昆布くさくなるから」と否定的だ。ほかに青森ではソイ、メヌケ、テンカラ、イシナギ、ホッケなどが釣れるので全部お刺身でいただく。中でも好きなのはサバのお刺身だ。しめ鯖の酢の味を抜いた状態を想像していただきたいが、腹身の脂のとろりとしたところは絶品だ。
 一度「雷魚」を持ってきた人がいた。お刺身もなかなか良かったが、医師で県連副会長の村上誠一先生に知られて怒られた。寄生虫の危険性が高いそうだ。「そんなの慣れてるからちゃんと除去できるよ」というのがこちらの言い分なのだが。
 寄生虫といえば、いくら私でもスケソウダラは生で食べない。腹を裂くと寄生虫がうじゃうじゃ詰まっているからだ。一般に「寄生虫がいる魚は熱を通すこと」となっている。ここを考えてみよう。加熱したからと言って、寄生虫は消えて無くなってしまうものではない。死んで食材の一部として調理されてるのだ。結果として、食べる人のお腹に入ることになる。今の食品衛生法がどうなっているかは知らないが、タラの乾物を食べると、お腹のあたりに白い小さな突起物がよく見える。それは寄生虫の乾いた姿にほかならない。
 話を雷魚に戻すと、お刺身の味を確かめたあと、板前の先生と食べ方を研究した。前に掲示板で書いたように、みそ焼き、塩焼き、醤油をベースとしたタレ焼き、ソテーなどを確かめていく。個人的にはバター焼きが良かった。なんでみなさん、あんなに美味しいものを食べないんだろう。

第15回「責任はどこに」 (2017.3.1)

 世の中には、信用していい人間と、信用してはいけない人間がいる。私にとって、一番信用してはいけないのは自分だ。この人の忘れ物、失くし物のせいで、小さいころから数限りない被害に遭ってきた。お酒を飲んだときはその度合いが一段と大きくなる。金銭的な実害を繰り返して、学習した。とことん飲むときは財布は持たない。2万円なら2万円、3万円なら3万円と予算を決めて、そのままポケットに入れて出かける。翌朝残っていたらラッキー。全部なくなっても被害はその範囲内に収まる。
 多くの実害を経験することには、メリットもある。並大抵の忘れ物、失くしものでは痛痒を感じなくなる。以前、東北六県連合会の会費、1県1万円を青森以外5県分預かって失くした。道場で荷物を開け、「あれー、確かに5万円預かったんだけど無くなったー」。自分に長所があるとしたらそこから。私はお金持ちではないが、手持ちの現金が数万円なくなるとか、通帳の数字が減るとかで今日、明日の生活に困るわけではない。まったく精神的動揺もなく、日常の業務に戻る。ここが肝心で、科学的根拠はないが、人間の運と言うのはおおむね平等に訪れる。悪いことがあれば次はいいことが来る。平常心であれば、チャンスが来ればつかみ取ることができる。少々の不運を引きずってくよくよすると、次にやって来た幸運を逃すことが多い。「自分は運が悪い」と嘆いている人は、私には後者に感じられる。それで県内外でなにか催しをやると「奈良岡さん、〇〇はどうしました」「うん、忘れた」という、まったく責任感の無いような応答が必ずあるが、忘れた時点で嘆いても一つも物事は進まないし、その時点で最善の対処をすることが重要だと思っているので、そうなる。
 そんな私でも、青ざめたことが2回あった。1回は「青森県将棋まつり」前夜祭の会費を預かったとき。100万円近くを鞄に入れて、二次会、三次会のあと将棋センターに戻り、お金を置いて自宅に帰った。次の日、早めにセンターに入ったけどそのお金が見当たらない。どこを探してもない。さすがにこれは参った。全身の至る所から汗が出てくる。前の晩の行動を全部思い出し、酔っぱらった自分の行動を推理して、かなり時間をかけて探したら思いがけないところから見つかった。さすがにそこは恥ずかしくて書けない。
 2回目は青森では知らない人がいないくらい偉い人の免状授与祝賀会のとき。県連への寄付金を預かった(青森県連のやり口が見えてきますね)。そのあと主な人たちで二次会のスナックへ。地元実業界、報道界などのトップばかりなので、私はみなさんから少し離れた位置に末席を確保して、寄付金を祝賀会の引き出物の紙袋に入れて、コートと一緒に自分の近くに置いておいた。しかし飲んでしまえばイケイケである。いい気分でお開きとなった。で、帰ろうとしたら、いつの間にか店の方でコートと引き出物を預かってくれていた。ところが、手渡された紙袋に寄付金の熨斗袋が入っていない。「これこれこういう物が入っていたはずだけど」と言ったらなんと、同じ紙袋なので帰る順番に手渡してしまったと言う。これには「うわー、どうしよう」。店のママさんにもいい方策は浮かばない。しかしそこでテレビ局の局長さんが、「私の携帯でつながっている人を探してみましょう」。出席者で携帯がつながる人に順番にかけはじめ、すがるような想いで待つこと数十分。連絡を受けた商社の社長さんが自分の紙袋を探してみると「あった」と。これって、出てこなかったときは自分が責任を取るしかないが、お店にも責任の一端はあるのではないだろうか。@私は大事な荷物だから自分の身近に置いた。Aお店の人は私が気づかないうちにそれをクローゼットに入れたB帰るとき、お店の人が順不同で手渡した中に私の預かりものが入っていた。法的に考えるとどうだろうか。

第16回「お酒のあれこれ」 (2017.4.7)

 いろいろ書いていると、道徳的に問題のある事象も出てくる。今後私の書くものは一人称でも創作で、実在の人物、団体とは一切関りがないということにしていただきたい。
 「お酒はどれくらい飲むのか」と聞かれることがある。高校時代、かなりワルイ部活動に所属していた。そこでは合宿のとき、1年生が全員で一升瓶を飲まなければならなかった。幸い、私はたくさん飲んでも何ともなかったので、仲間のために多く飲む役割を引き受けた。
 大学の将棋部に入ってからあるとき、4年生の先輩に「奈良岡はどれくらい飲むのか」と聞かれた。新入生にとって4年生は神様のような存在である。これは控えめに答えた方が無難と思い「一升くらいです」。先輩「うっ・・・」。
 そのころはアルコールであれば何でも良かったが、しばらくして同類の匂いがするけれど私よりは少し酒品がいい先輩、同輩、後輩と同じ場を共有することになった。そこで「吟醸酒」なるものを知った。もともと性格的に、何かを始めると突き詰めないと気が済まない。社会人になってからは遊ぶお金の多く入る仕事だったこともあり、「酒に糸目はつけない」生活になった。酒屋さんとの付き合いで全国新酒鑑評会の金賞受賞酒リストを送ってもらい、「今月はこれとこれとこれ」みたいに注文した。だいたい1か月の注文がビール大瓶2ケース、ウィスキーの大きいボトル数本、日本酒を合わせて5万円くらいの支払いになった。自分の中で、日本酒の一升瓶換算とウィスキーの720mlなら1万円くらいまで許すことにした。そのころジョニーウォーカーの黒は8千円、シーバスリーガルは1万円、ブランデーのナポレオンは3万円くらいしたが、洋酒は現在の価格を見ると輸入業者にだまされていたのだろう。
 今の仕事になったころだろうか。知り合いだった飲食店経営者と妹が、たまたま偶然結婚した。その飲食店は本人は懐石料理のつもりだろうが、私は日本酒の専門店と認識している。そして大晦日は私の家で一緒に年を迎える。2人して毎年、「ここぞ」という秘蔵の日本酒を用意した。ある年のこと、先方が持ってきた日本酒がかなり良かったので、それ主体で行くことにした。で、翌日はお正月。自分が用意したのをいただこうと思ったら、いくら探しても無い。家の人に「ここに置いていた日本酒知らない?」と尋ねると「なに言ってるの。昨日うまいうまいって全部飲んだじゃない。よくまああんなに飲んで具合が悪くならないもんだね」。
 これはショックだった。記憶が無くなるのは3回に1回くらいで珍しいことではない。だが、せっかく用意した「ここぞ」という酒の味の記憶がないまま飲みつくしてしまったのはもったいない。なんという不覚。
 で、次の年の大晦日、(いったい自分はどれくらい飲んでいるんだろう)という疑問を持ち、家中のお酒に印をつけておいた。減った分だけ飲んでいるということだ。近所のサウナに行き、ビール、日本酒から始まり、そのときはウィスキーの気分だったので紅白歌合戦を見ながらシーバスリーガルをロックでいただいた。で、飲んでるうちにどんどん減っていき、残り少し。ここで「ちょっと待った」という気持ちになった。量を計って思ったのだが、いつもこんなに飲んでいたのでは健康に悪い。お金ももったいない。それからは家でも外でも、量は控えようと決めた。ここは大事なところなので、管理人さんにはよろしくお願いしたい。
 それはともかく、しばらく経ったあるとき、非常勤職員として勤めていた公的機関で飲み会があった。私は正規の職員ではないので末席で出入りの業者と同じテーブルで、会場には早めに着いた。すると市役所を退職して同じく非常勤で務めている人が、「今回は参加できないので皆さんで」と、田酒の純米大吟醸を持ってきた。そのとき、参加者を心の中に浮かべて思った。「今日の会でこの酒の真価を味わうに値するのは私しかいない」。そこでホテルからデカンターを借りて田酒の中身をそれに移し、純米大吟醸の瓶にはホテルのどうでもいい酒を入れた。早く着いた同じテーブルの人には「口止め料として1杯ずつあげるからね」
 宴たけなわ。中央のテーブルに備えられた田酒の純米大吟醸が開けられるときがきた。偉い人から小さなぐい飲みに注がれていく。酒に詳しい人の蘊蓄が入る。みなさんの感想は「さすがすっきりしていい味だ。こんな美味しいのは飲んだことがない」。残り少なくなったころ、末席の私にも声がかかった。「奈良岡さんもどうだい。めったに飲めない貴重なお酒ですよ」。中身をコップで飲んでいる私としては、本心を語らざるを得ない。「いやー、とてもとてもそんなお酒なんて」。このことは犯罪ではなく、道徳的にも問題はないと思う。みなさん満足していたのだから。

編集 阿部浩昭

 

TOP