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他愛もない独り言

中曽根爺さん

先日、自民党の中曽根さんが選挙に出る、出ないでもめていた。
まぁ、実際には自民党の名簿の1番にのせて、当選が確実。
そんなのずるい。国民をバカにしてるとさえ思えてくる。
でも、ずるい政治家の決めた制度だから仕方ない。
それにしても中曽根さんとても高齢のようだ。
そこでちょっと調べてみた。

中曽根 康弘 生年月日:大正7年5月27日

えぇー!大正7年なの???おい、何歳だよー。
昭和なら簡単に計算できるが、大正となるとすぐには計算できない。
中曽根さんっていうか、中曽根爺さんだな。
で、記者会見の内容を知ってビックリ。Σ( ̄□ ̄;)
憲法改革?教育問題?経済復興?

「アホ!!中曽根!!爺さんのあんたに現代社会の何がわかる!!」
おもいっきりつっこみたかった。
(実はかなり悪態をついた。)

大体、あんたが首相だったときいくらでも改革できただろう!!
っていうか、あんたら爺さん政治家が日本の政治を駄目にしただ!!
腐敗政治。バブルの崩壊と日本経済の低迷。55年体制の没落。
あげくの果てには、政治に対する無関心な国民。
すべて、あんたらが政治をおもちゃにしたからだ!!
それを今更、憲法改革・・・。
笑わせるな!!

そりゃ発言するのはあんたの自由だけど、、、
老人会のネタにでもしてくれ。
みーんなそう思っているよ、中曽根爺さん。

はぁー、爺さん政治家はみんな辞めちゃえ!!
って思うのは僕だけなのかな???
僕は老人を軽視しているわけじゃない。
むしろ尊敬の念も持っている。
でも、世代は交代するもの。
老人がいつまでも先頭に立っていても良いことなんてなんにもない。
むしろ老人は次の世代のやることを
文句を言いながら見ていれば、それでいい。
きっとそのくらいが調度良い。
それができない中曽根爺さん。
後継者を育ててこなかったのかな???

生きるのは美学。
育てるのも美学。
そして引き際にも美学だ。

中曽根爺さん、あんたには美学がない。


あっ、またやった

 最近、石原慎太郎東京都知事が爆弾発言を繰り返し、マスコミを賑わしている。だだ石原さんの場合、本当にバカで無知な発言を繰り返すバカ森元首相とは天と地との差もある。石原さんは信用できない政治家の中では稀な割と好感を持てる人だ。学識も、発想も、政治的手腕もあり、周りから反発を受けるにしても、自己流をスマートな方法でどんなときも貫いていし、何よりトンチンカンなことではなく、筋の通った分かりやすい発言を多くするところにとても魅力を感じる。確かに自我が強く、ときどき酷い暴言を吐くこともあるが、、、。まぁ、そんなことは誰にだってある。間違えを間違えと認める度量があればそれで良いのだ。

 石原さんが周りを驚かせるような発言をすることは、全く珍しいことではないが、、、最近ちょっと乱れてる。先日の韓国併合発言など、海外に影響を与える発言も多々ある。
 誰にでも言論の自由持っていることは理解できる。 でも、その人の地位、立場または時と場所など、何かを発言する際には色々見えない制約みたいなものもあると思う。それはモラルにもつながると思うのだが、、、最近はそういうことよりも“言論の自由・表現の自由”が一人歩きをし、問題が起こることが多い。特に“言論の自由”という看板を高々と掲げ、問題を引きおこすマスコミに対しては、嫌悪感さえ感じる。裏付けのない情報があふれるのは有害な情報の氾濫でしかなく、そこに“言論の自由”などという考えは通用しない。

 僕も気をつけないといけないなぁー。
 一言いったあとに、「あっ、またやった。」って経験を減らしたいという気持ちはあるのだが、、、。(苦笑)


信用できない人

 他人をそう簡単に信用することはできない。
東京で生活をしていた頃、街角でよく声をかけられ、
何か話しを聞かされそうになるが、大抵の場合、自分にとってろくでもない話しなので、無視して足早に過ぎていっていた。

 社会的に信用できない人が増えていると感じる。しかも、普通は信用を築いていかなければならない人たち。

政治家 (出た!!嘘つきの達人!! かなり重症。)
官僚  (高学歴<石頭>集団による馴れ合い構造)
教師  (学級崩壊ばかりでなく、教師崩壊中)
警察  (職権乱用しまくり!!問題隠蔽工作のプロ)
医者  (ミスで死人が急上昇!!)
若い親 (虐待注意警報発令!!)

 あぁー、何か信用できない大人ばっかり!!
 あっ、僕も大人か、、、。(苦笑)
 他人の振り見て我が振りなおせっと。(^o^)


WebCam

 先日、友達からもらったWebCamというものをPCに取りつけた。
WebCamはインターネットを通じて相手に自分の画像を送る簡単なデジタルカメラだ。
最近の高速インターネットでは、動画の画像も音声も簡単に送受信できる。
チャットと組み合わせるとちょっとしたインターネットテレビ電話といった感じ。本当に便利な時代になった。
ただ、画像はデジタルカメラほど鮮明ではなく、それほど綺麗な画像ではない。
だから、画像の画面を拡大するとすごくぼやけてしまう。もちろんWebCamの性能にもよるだろう。
WebCamの存在はずっと昔から知ってはいたのだか、その必要性を考えると、僕の欲しいの物の筆頭に上がるのはやはりデジタルカメラだ。
しかし、今の僕には贅沢品の為、考え中。(考えること約2年)
ともかく、せっかくもらったのだからと思い、WebCamを取り付けた。
 これのWebCamがある人に大うけしている。
どうやらチャットをしながら顔が見えるのが楽しいらしい。
その人のPCにはWebCamがついていないので、僕の方からその人物を見ることができない。
つまり、インターネット版のマジックミラーで僕が一方的に見られている感じだ。
楽しいことは楽しいのだが、色々な不具合な点に気がつきはじめている。
 例えば、僕の様子が開いてに筒抜けとういうことは、、、
僕が何かを食べたり、飲んだり、どこかを向いたり、
何か別のことをしたりしていると、相手にもそれがわかってしまうのだ。うかつに席も外せない。
これが普通のチャット、つまり画像のない状態だと、
「ちょっと忙しかった、ごめんね。」で済んでしまうところなのだが、、、
何せ相手に見られているので、そんな言いわけは通用しない。
 これが、目くそ、鼻くそ、耳くそをほじくってたり、
更にはおならのにおいをかいだりしている様子だったら、カッコ悪すぎだ。
それにとても疲れているとか、楽しくないとかの相手に知られなくても良い様子まで筒抜けである。
(僕はそんなことをしないように気をつけている。)
あらためて、どうしてテレビ電話が普及しないのかが良くわかった。
 テクノロジーの進歩はとても早い。早すぎてついていけないくらいだ。
でも、その新技術、新商品が普及するかどうかは、いかに便利かということだけではない。
どんなに優れた商品で、どんなに低価格でも、生活環境に適していない場合、
もしくは使用者にとって都合の良いものではない場合は中々普及はしない。
結局、人間は我がままな生き物なのだと実感する。


1992.4.25.

 その昔、27歳を迎えようとしていた青年がこの世を去った。
彼は十代から激しく切ない自分の思いを歌にのせ必死に叫んでいた。
 尾崎豊。僕がその人の曲をはじめて聞いたのは中学の時だった。
当時すでに彼は多くの若者に指示を受けていたが、
殴りつけるように歌う彼のスタイルに僕は変な違和感を感じていてた。
そして若すぎる僕にとっては、その歌詞に含まれる意味がほとんど実感できなかった。つまり僕は彼を受け入れることができるほど大人ではなかったのだ。
それでも僕は彼の曲を何度も耳にしていたので、彼のヒット曲ならある程度知っていた。
 1992年4月25日、その彼が急死した。僕が高校生のときだった。
その翌日のトップニュースが尾崎豊一色だったのを今でも記憶している。

 最近、未成年者による犯罪のニュースをよく耳にする。
僕はそのたび驚き、心の底から恐怖とともに深い悲しみを感じる。
僕も未成年だった時代があり、社会で様々な事件が起こっていたけれど、
今ほど変に驚くような未成年者による事件というのは本当に稀だった。
もっとも当時はただ単にニュースにならなかっただけなのかもしれない。
それが今では、未成年者によるの殺人、傷害、誘拐、売春、麻薬使用などのニュースがほぼ毎日のように起こっている。
それは心の病んでる未成年がいかに多いかという証拠だと思う。
その理由、原因、きっかけは事件を起こす未成年者それぞれだと思うが、僕はそのすべての責任は大人達にあると思っている。
いや、正確には、“すべての大人達にある。"
なぜなら子供の世代というものは親の世代なしには存在しないもので、必ず大人の世代の影響を強く受けているからだ。
しかし、その当の大人達は未成年者による犯罪や事件が起こるたびに、
まるでバカの一つ覚えのごとく学校の教育問題を必死に議論し、そのシステム的な改革のみを唱え、自己責任を回避しているのである。
 そして今日もまたどこかで未成年者が事件を起こす。

 子供が親の鏡とするなら、子供の世代は親の世代の鏡なのだ。 
そのことをしっかり認識している大人が少ないとも感じる。
そう、それほど大人達も社会も病んでいるのだ、、、。

 尾崎豊の歌にあるように、子供たちの中に大人達や社会への不満、矛盾はいつだって存在している。そしてそれを解決するすべはないのだろう。
それでも数世代前までは、今のような未成年者による凶悪な事件や犯罪は頻繁に起こらなかった。
なぜなのか???きっと様々な理由が絡み合ってると思うが。
基本的に、大人や社会が子供たちに対し社会通念的物事を明確に示していたからだと思う。
子供たちにとっては、社会の中の複雑なことは分からなくても、何が正しくて、何がいけないことなのかだけははっきり理解していたし、それは決して難しいことではなかった。
今の子供たちよりもしっかりした倫理・道徳感を持っていたのだと思う。
しかし、次第に社会全体の価値観や倫理・道徳感が崩れ始め、それらを説明できる大人が少なくなってくると、子供たちに社会通念を理解するのが難しくなってきた。
僕はそうしたことが様々な未成年者の事件に大きく影響しているのだと思う。それは決して学校教育の問題ではない。

未成年者の起こす事件を他人事のように感じている大人達が減らない限り、 そして社会における普遍的な価値観・倫理観・道徳感を持った大人達が増えない限り、未成年者の暴走は止まらないと感じる。
 しかし、、、大人達も病んでいるのだ、、、。
 38歳になる尾崎豊が生きていたらどんな歌を書くのだろうか、、、


サービスの基準 その2

 世の中には様々なサービスがある。しかし良いサービスという根本的な事はどれも同じだと考える。つまり、相手にいかに満足感を与え、それによって自分がいかに満足するということである。(言うは安し、行うは難し。)そう、相手が満足するサービスをするというのはとても難しい。なぜなら、人それぞれ求めてくるサービスが違うからだ。違う人物に対して、一律的なサービスをしても、必ずしも満足感を与えることはできな。だから、サービスに関して明確な基準などというのは本当は存在しない。(ただ、様々な場所で様々な方法で明確にしようとはされている。)しいて言えば、いかに早く、正確に、丁寧に物事を進めていくかだろう。そして現実問題としてそれはそんなに簡単なことではない。
 僕は様々なサービスにおいて、どうしても日本的な見方をしてしまう。アメリカに来てからも、何度も何度も日本とアメリカのサービス比較をしている。日本の良いサービスを知っている人にとって、アメリカのサービスは驚くほど粗末なサービスに感じるだろう。

 アメリカのサービスの基準は大抵の場合、価格だ。 安い価格を提供すること、得ることが、良いサービスの基準となる。 店員の対応とか、お店の環境とか、アフターケアとか、 そういうものに関してはあんまり考えていない。一般的には安いものが一番!!いかに、使うお金をセーブするかである。そして、日曜日の新聞には様々な割引クーポン券がどっさりとはさみ込まれ、いかに安い買い物をするかでみんな頭を悩ませている。
「価格が安いから、その他のサービスは酷くても、、、まっ、仕方ないか。」
「この価格なら、この程度のサービスだね。問題がなければそれでいいや。」
「どこのサービスもこんなもんだよ。」 的な考え方をしている。

次に、いかにfriendly(友達感覚か)かを重要視する。 これは国民性なのかもしれないが、いつでもどこでも世間話しが行われる。仕事中だろうが、他のお客が見ていようが、待っていようが全く関係ないがない。気にしない。買い物や手続きには全く関係のない、本当に普通の世間話し。当然仕事のスピードと量は、どうしても落ちるわけだ。暇なときなら納得もできるが、暇なときも忙しいときも、あんまり関係ない。個々のマイペースなサービス精神は充実している。親しくするのは決して悪いことではないが、、、限度というものも、、、と度々思う。

 解決できればともかくそれで良い!!問題解決することが何より良いサービス提供なのだ。その解決の過程、時間、方法はともかくどうでも良い。何か問題があったら、その問題を解決さえすれば、良いサービスの提供ということになり。解決後は“O.k. That's it. No problem !"で済まされてしまう。(何がNoProblem だー!!)こっちの手間とか感情に対するフォローは全くといって良いほどないことが多い。“I am sorry."=“申し訳ございません"の一言さえほとんどない。それがまた不満を増大させる。(ドカーン!!)確かに個人(クレームを対応する人)の失敗でも責任でもないのだが、組織の一員として、“ごめんなさい”の一言くらいいえないのか!!と、思うのだが、そんなことを言っても通じないのだろう。

 もちろん、すばらしいサービスを受けられるところもある。ただほどんどの場合、それにはそれなりの値段がかかる。アメリカにおいて、ただな物など何もないのだ。それが基本!!


サービスの基準 その1

 前回アメリカン航空の機内での出来事について書いた。
 アメリカにはじめてきたときに、一番驚き、戸惑ったのが、
そのサービスの質の悪さとレベルの低さだった。
ビジネスにおいてサービスは重要なポイントであり、
こと接客業においては絶対に無視はできないこと。
僕は渡米する前、アメリカという国は世界でトップクラスのビジネス大国であり、
質の高いサービスの受けられる場所だと思っていた。
しかし僕が実感したのは、小学生レベルの傲慢かつ怠惰なサービス。
特にまだ英語が上手く話せないときには、
客にも関わらずかなり冷たくあしらわれた経験が何度もある。

 一番分かりやすい例が、銀行だ。とにかく客を並ばせ、待たせる。
そういう状況においても、接客側は仕事と全く関係ない話しを平気でしている。
客が並んでいることなど半分無視状態。
いや正確には、
「並んでるのはわかってるんだけどさー、仕方がないのよねー。我慢してて。
あっ、もしも我慢できなかったら、また明日来てねー。」
とでも本気で思っているのである。かなり低レベルの対応。

 記憶に残っている経験は、4人の銀行員と5台のコンピュータがあるのに、
窓口が1つしか開いてなかったこと。
3人の銀行員は書類などを持って、後ろをウロウロ!!
そして長い列を見て見ない振りを繰り返す。
(このヤロー!窓口開けんかい!!)
一人の客が面倒な手続きをすると、どんどんその列が長くなって行った。
いつの間にか20人ほどの列になっていた。
(一人3分として、最後の人まで約1時間の待ち時間。)
 日本でなら整理券があり、座る場所も用意されているが、
アメリカには整理券なんてないし、座る場所さえない。
つまり延々と自分の順番が来るまで辛抱して並んで待つしかない。

 列を作って待つ場所は銀行だけではなく、郵便局、DMV(運転免許試験場)、
スーパーマーケット、そしてコーヒーショップにいたるまで様々。
ありとあらゆるところで待たされる。接客が異常にのろい。
アメリカ人の辛抱強さには本当に驚かされる。
でも生まれたときからそういう環境だから、きっと慣れてしまっているのだろう。
 そういえば、過去にDMVで車の手続きに4時間もかかったことも、、、。

 「頼むー!!口じゃなくて手を動かしてくれー!」
 今日も僕はどこかで列に並び、心の中でこう叫ぶのである。


アメリカ流機内サービス

 先日パリに行ってきた。
どうしてパリへ行くことになったのかは、ここで詳しく説明しない。
まぁ、知っている人は知っているだろうが、、、。

 パリへ行く際、僕はアメリカン航空の飛行機に乗った。
本当はロスから直行のAirFranceが希望だったのだが、
値段の比較で、アメリカン航空を選ぶことになった。
JFKつまりニューヨークの空港で一度乗換えがあったが、
それほど大きな問題ではないと思っていたし、
パリへの到着時間もアメリカン航空の方が都合が良かった。

アメリカ系の航空会社に乗るのは今回が2度目だ。
1度目は、初めて渡米をしたノースウェスト。
成田発メンフィス経由バトンルージュ(ルイジアナ州)行きだった。
はじめての海外旅行だったし、5年以上前のことだったので、ほとんど覚えていない。
そして今回のロス発ニューヨーク経由パリ行き。
こっちの友人の間では、アメリカ系航空会社のサービスの悪さが評判になっている。
特に国際線ともなると、やはりアジア系の航空会社の評判が非常に高い。
まぁ、僕は日本人なので、アジア系のことを耳にすることが多いのもある。
ともかく、アメリカ系の航空会社の評判はアメリカ人にもあまり良くない。
ただ、国内線の安さではとても人気がある。
最近は航空会社の合併、リストラが頻繁にされていて、
どこの航空会社も経営は苦しいみたいだ。
2年前のテロ以降は急激に旅行者の数が減少していて、
それが経営不振の大きな原因ともいえる。
そんな中、サービスの向上まで要求するのは酷な話しかもしれないが、、、
やっぱり一言言いたい。

 もっとましな Flight Attendance を雇え!!(命令)

 特に驚いたのが、白髪の老婦人。
「もうとっくに引退しても良いんじゃないの?」って声をかけたくなるほど、
金縁に度のきつそうな眼鏡をかけて、顔はしわだらけ。
転んだら骨折でもしてしまうのではないかという細腕で、ワゴンを押していた。

 それから太った女性のFlight Attendance。別に太った女性を差別するつもりは毛頭ない。
でも、エコノミーのシート1つには収まりそうもない大きな体をして、
座席と座席の間をドスドスと動かれるとこっちも良い気はしない。
愛想は抜群に良いのだが、頼んだ水さえ忘れて持って来ない。
その反面、飲みかけの飲み物はさっさと片付けようとする。

 そして最悪だったのが、帰りの飛行機内。
男性のFlight Attendanceが僕の後部座席の客と延々と長話しをしていた。
仕事で一瞬いなくなったかと思ったら、また暇を見つけては戻ってきていた。
Flight Attendanceは通路に立ち、客はWindow側のシートに座っている状況。
しかも飛行機内ということもあり、かなりの大声。
毛布2枚に包まり、ぐっすり寝ていたところを思いっきり起こされてしまった。
客と客との会話ならまだしも、Flight Attendanceというのに、さすがにムカッときた。
(あのー、寝てんだけど、、、。少しは他の客のことも考えてくれ!!)
、、、とは言えなかった。

 基本的にAAのFlight Attendanceは仕事をしてない感じがした。
機内のありとあらゆるスペースで、Flight Attendance同士がペチャクチャ世間話し。
アジア系の飛行機内では見たことのない光景。
 まぁ、これも安いから我慢すべきなのだろうか?

 We always have GREAT service.
 はぁ、そうでっか、、、いや、絶対おかいしー!!


おかしな寄付

 先週から始まった南カリフォルニアでの山火事。
強い風の影響もあって火の勢いをなかなか止めることができない。
今も必死の消化作業が続いている。
完全に鎮火するにはもう数日かかるだろうという見通しだ。
これまでに多くの家が焼け、たくさんの人達が避難生活を続けている。
 そのさなか、昨日ニュースを見ていてビックリしてしまった。
白人のわりと綺麗なレポーターが、
「被災者の子供達の為に、ハロウィーンの衣装を寄付しましょう!!」
と笑顔で叫んでいるのを目にしたからだ、、、。
はっきり言って、目と耳を疑った。だか、彼女はマジだった。

 日本にはなじみのない文化だか、
アメリカでは毎年10月31日にハロウィーンというお祭りがある。
 簡単に説明すると、子供達がお化けなど衣装を着て変装をし、
近所を歩き周り、ドアを叩いてお菓子をもらう。
場所によっては大きなパレードがあるのだが、、、。詳しい説明は省略する。

 ともかく、そのヘンテコな衣装を被災者の為に集めよう!!って呼びかけていたのだ。
そこで(どうして普通の服じゃないの?)って素朴な疑問。
ただ、そんな疑問はアメリカ人には通用しないらしい。
ほんの数時間でありとあらゆる変装衣装が集まった。
(魔女のとんがり帽子、ステッキ、悪魔の鎌などの小道具まで)
それからハロウィーンで配られる、お菓子が山のように積まれていた。
もちろん、お金の寄付もあるのだが、、、。
被災者にとって、ヘンテコ衣装と、お菓子と、お金、どれがありがたいのやら???

 それに家々を失った子供達はハロウィンの衣装を着てどこを練り歩くのだろう?

 アメリカ人へ
 寄付するという行為と気持ちはすばらしいことだと思うが、、、
 少し考えた方が良いと思うよ、、、。