逢いたい気持ち


時々、自分が望むものさえも忘れてしまうことがある。
なぜ僕はここにいるのか。
どうして唇を噛み、足を踏ん張ってまでここで耐えているのか。

人生は長い。だけど有限だ。
でもそれに比べて人間の意識なんてものはほとんど一瞬しかその弛みない流れをつづける時間を掴めない。

すべての人間が、すべての生物が、脳というそれ自身の構成単位に縛り付けられ、その檻の中で孤独な一生を終える。
脳があり、人は感じることができるようになったのならば、なんて罪なことができるようになってしまったのだろう。
あがなえない膨大な時間というエネルギーの中で、人は一瞬一瞬を後生大事に掴み取りながら、やがてくる個としての終焉を享受するしかない。
なのに精神というものは、本質的に孤独であることが運命付けられているにもかかわらず、その寂しさのはけ口を小さな檻の外へ求める。

これは罪なのだろうか。
人が、生命が、ただひたすら時間を紡ぐことを選んだ、その贖罪なのだろうか。

僕はいま君に逢いたい。
もし、この寂しさを紛らわせる薬があるとしたら、それが愛なのだろう。
そして愛は、また時間を紡いでゆく。