清少納言
書名 枕草子古くは「清少納言記」ともいう。書名の由来は、跋文(ばつぶん)にみえる次の話による。藤原伊周が中宮定子に紙を献上したとき、定子が「これに何を書こうか」と相談され、清少納言が、「枕にこそは侍らめ〈枕でしょうね〉」と答えてこの紙をいただいた。これに書いたので『枕草子』という。清少納言の答えという「枕」の意味も諸説がある。
作者 清少納言。父清原元輔(きよはらのもとすけ)は『後撰和歌集』の編集者の一人。はじめ橘則光(たちばなののりみつ)と結婚し、父の没後、一条天皇中宮定子(ちゅうじょうていし)のもとに宮仕えに出た。藤原実方(さねかた)、藤原行成(ゆきなり)、藤原斉信(ただのぶ)とも親しく、『枕草子』にもその交際が描かれている。中宮没後、宮仕えを退き、藤原棟世(むねよ)と結婚した。晩年は不遇な生活を送ったらしい。
成立 995,6年(長徳元、2)ごろに初稿本ができ、以後の事件を加えて、1004年ごろ(寛弘年間)に再稿本がまとめられた。跋文によると、源経房(つねふさ)がやって来て、清少納言が座布団を差し出したら、その上に『枕草子』が載っていて、経房がこれを持ち去ってしまったという。これは長徳元年から2年のころの事件で、そのときまでに初稿本が成立していたと考えられる。
内容・構成 内容に次のように分類される。
1・類集的章段
@「山は」「市は」「峰は」など形で始まるもの。
A「すさまじきもの」「みくきもの」などの形で始まるもの。
2・日記的(回想的)章段
特定の場所・日時で、清少納言が見聞きしたことを記録したもの。
3・随想的章段
自然や人事についての感想を記したもの。
これらが前後の関係なく配列されている雑算形態の本と、類似の性格の章段がまとめられてある類纂形態の本とがある同じ雑算形態でも、本によって章段の数や配列が違うし、学者によって章段の区切り方に相違がある。
枕草子本文
春はあけぼの
春はあけぼの やうやう白くなりゆく山ぎは すこしあかりて 紫だちたる雲のほそくたなびきたる
夏は夜 月のころはさらなり 闇もなほ 蛍の多く飛びちりひたる またただ一つ二つなど ほのかにうち光りて行くもをかし 雨など降るもをかし
秋は夕暮れ 夕日のさして山の端にいと近うなりたるに 烏の寝どころへ行くとて 三つ四つ 二つ三つなど 飛びいそぐさへあはれなり まいて雁などのつらねたるがいと小さく見ゆるは いとをかし 日入りはてて 風の音 虫の音など はたいふべきにあらず
冬はつとめて 雪の降りたるはいふべきにもあらず 霜のいと白きも またさらでも いと寒きに火など急ぎおこして 炭もて渡るも いとつきづきし 昼になりて ぬくるゆるびもていけば 火桶の火も白き灰がちになりてわろし
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<改訂増補版中学国語資料集より抜粋>
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人を困らす「枕」の意味
清少納言の答え「枕デショウネ」、このために、学者たちは「枕」の意味を追いかけて頭を悩ます。
@跋文には、「一条天皇は史記〈中国ノ史書〉をお書きになる」とあるので、『史記』−「シキ」−「鞍キ〈馬鞍ノ下ニ敷ク布〉から連想して「馬鞍」−「枕」と答えた、複雑な洒落、Aもう少し単純に「敷妙の枕」という成語によるもの、B「白頭老監枕書眠」(『白氏文集』・「秘省後庁」と題する詩の句)など、中国の詩文による、C日本で当時、和歌用語解説書の類を「歌枕」と呼んだことの関係、などなどである。彼女も、「正解は一つだけ」などとは考えていなかったのだろう。
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<第一学習社カラー版新国語便覧より抜粋>