2002年7月の日記


7月31日 味覚の慣れ

今日も勉強の1日。朝5時におきて宿題の続き。何とか形になった。

午前中、ミクロ経済の授業。ちょっとむずかしめの授業をとったら、微積ばりばりのクラスで、朝いちの眠い頭には辛い辛い。しかも、ガーナ人の先生の発音&板書がなんとっも理解しづらい。必至の2時間半でした。

昼飯時に、こちらの生徒と話をしたのだが、彼も、この日本人高校生の束に驚いている模様。おまえもあの一味か、と聞かれたので、そんなことはない、いくつに見えるんだ、といったら20歳位と言われた。うーん。飯といえば、最初2日くらいは、う、まずいと思っていた食堂のご飯が美味しくなってきた。もともとグルメな方ではないが、舌が慣れるのが早すぎる。このままだと、まずいご飯→少食化→やせる、という当初の目論見が達成できないかもしれない。その分運動しないと。

ところで、学校の写真を幾つかとってみた。自然満載の学校である。鹿やリスもたくさんいる。

       


     


7月30日 下位5%

午前中は相変わらず雑務をこなし、午後は宿題に励む。明日朝提出のミクロ経済の宿題が全く終わらない・・・問題を解くだけでなく、教科書をたくさん読まねばならないので時間が飛ぶように過ぎて行く。この状態でこんなに大変だったら、9月以降どうなるのだろう・・とちょっと不安を感じていると、もう夜の授業の時間。我ながら勉強の鬼になっているな、と少し喜んでいたら、、、、

なんと昨日あった統計のクイズで40人ほどのクラス中、下から2番目、ブービーをいただいてしまった。こんなことは久しぶりで、何ともお恥ずかしい。数学大国日本の恥さらしである。帰ってきた答案を見て、納得。計算が合っていないのではなく、文章題でことごとくマイナス点を食らっている。

しょうがない。そのうち何とかなるでしょう。一方、授業はいよいよ数学色を増し、簡単になってきた。

夜はまたミクロ経済の宿題。昨週の分から全てやらねばならないので、それはそれで大変だ。そのまま就寝。


7月29日 学校1日目

午前中に、漸く入寮できるようになる。部屋に行って見ると、まあ、普通の部屋で安心。でもテレビ好きの僕としては、1月テレビが見られないのは残念である。これから1月は修行僧のような生活だな、と覚悟。その後、学校の登録関係を済ませ、街へ必要品の買出しへ。どうせ一ヶ月しかいないので極力安く済ませる。戻ってきてからは図書館で、今日提出締切りの統計の宿題(授業は先週から始まっていたが、僕のビザの関係で一週間休んでいた)をやる。計算問題は楽勝なのだが、説明せよ、の問題で途端にペースダウン。結局晩飯抜きで6時からの授業にぎりぎり間に合った。

久しぶりの授業は新鮮。授業自体は難しいものではないので、受けている生徒も恐らく、freshmanがおおいのだろうか。何となく、高校時代に留学していたときと大きな変化は無いような気がした。先生と生徒の掛け合いも昔の通りである。ちょっと安心したが、やっぱりヒアリングが完璧ではない。キチンと教科書、handoutsに沿っているときは何とかなっているが、フリートーク、生徒の質問、などになった瞬間に英語理解力がグンと落ちる。過去の経験から、うまい解決法はなく、時がたてば何とかなる、と思っているので、始めはしょうがない、と割り切る。

気がついたこと2点。@この学校、夏休みだけだと思うが、やたらと日本人、それも相当若い(高校2〜3年か)が一杯いる。夏休みを利用しての語学研修か何かだと思うが、不思議である。A朝晩と昼の温度差が激しい。朝晩は10℃くらいまで気温が下がる。

どうも、僕の採っているクラスと寮(そもそもこの寮は、芸術学科の人たちがいるようであり、雰囲気がちょっとアヤしい)には日本人はいないようであり、普段話せる友人をどうやってつくるかが鍵だ。できるのか?


7月28日 長い日

いよいよ渡米日。にもかかわらず、朝寝坊。しまった。妻との時間が短くなってしまった・・・
意外と(当然ながら)あわただしい出発となり、成田へ。成田ではゆっくり出来たので、渡米前最後の昼食(天婦羅と刺身の定食)をとる。妻と5ヶ月間あえないかと思うとかなり寂しい気持ちで一杯である。以前にも遠距離を経験したことはあるが、それでも1月一度位は会っていた。今回は年末予定の帰国まで5ヶ月間会うことができない。まあ、学期が始まれば、そんなことは言っていられない位に忙しくなるのかもしれないが、自分の身勝手でこうなってしまうことに少々反省。・・・そう感傷的になっている間に出国手続きの時間。後ろ髪を引かれる思いで出国審査へ。

飛行機(アメリカン航空)の中はかなり快適。通路席、隣はいない、また席間隔も日系より広い気がする。挨拶状の宛名書き、映画一本、睡眠を少々でSan Joseに到着。なんとまだ日曜の朝10時(日本時間朝2時)。タクシーで海岸沿いの大学(ダウンタウンより車で7〜8分)へ。と順調かと思われた旅であったがここからが大変だった。

日曜日なので、Officeが閉まっている・・・・ でも、確かに以前、メールで「28日につくからよろしく」とメールをうち、「ようこそ、当日は準備をして待っているよ」と返事がきている。スーツケース2個、リュック1個、バイオリンを持って立ち往生。そこらへんにいる生徒にいろいろ聞いてみても全く埒があかない。入り口にかかってる電話を架けても留守電につながるのみ。正直、相当こまった。眠いし。

ということで、日も暮れてきたので、荷物をもったまま、ダウンタウンへ出て、20分ほど歩き、安モーテルでチェックイン。漸く今晩の宿にありつけた。しかし、明日1番から授業があるのに、いきなり欠席である。米国のいい加減さが身にしみた初日であった。いきなりローテンション。


7月1日〜27日 お休み

諸般の事情から日記はお休みです。色んなことがあったが、やはり無職になったんだ、ということを実感。最初の1週間くらいはどうも、昼間に私服でうろちょろするのがなじめなかった。そして、何よりも、身内で大変悲しいことがあった。いつかは来ると思っていたのだが無念である・・・・

日本に残していく妻のことが何よりも心配である(何も出来ない自分が歯がゆい・・・)。