『時務報』に関する研究計画と研究報告書
一 本研究は、財団法人松下国際財団の研究助成(1996年後期)を受けて行ったものである。ここでまず研究助成金を
交付してくださった財団法人松下国際財団に対して、謹んで感謝の意を表したいと思う。本研究計画のメンバーは、以下
のとおりである。

内田慶市 関西大学
沈 国威 関西大学 (研究代表)
熊 月之 上海社会科学院歴史研究所
王 揚宗 中国科学院自然科学史研究所

二 研究の目的
 19世紀は、「西学東漸」という西洋文明東来の世紀である。西洋文明受容の成否は、東洋諸国にとって、国家の存亡に
かかわる大問題であった。近代日中関係史も西洋文明の受容という観点から捉え直さなければならない。中国における、
新教宣教師R.モリソンの広州上陸(1807)に端を発する西洋文明の導入の試みは1世紀近く行われた後、日清戦争(1894)
の敗戦に象徴されるごとく一度は挫折を見ることになる。その後、日本の近代化の成功に注目した清政府は、1896年に初め
て日本に留学生を送り込み、日本経由の西洋文明の再受容を開始した。それに伴う大規模な日→中の語彙移動が起きた。
これが、近代日中関係史・語彙交流史における一般的な結論である。しかし、私たちは、討論を通じて、この一般的な結論
に対して、次の二点の問題を提起した。

 1.  中国人留学生による翻訳活動が始まるまで(1900以降)、日本の欧化国家(=近代化国家)への		
	変化の情報は中国に伝わったか否か。伝わったとしたら、その時期、内容、評価態度、伝達者、
	用語などは如何なるものか。
 2. 日本語語彙の中国語への流入は、留学生の翻訳活動(1900以降)の結果とされている。しかし、
	19世紀の日中間の交流は、用語面による裏付けが可能か否か。中国語に影響を及ぼしたことは
	ないかどうか。

 また、私たちは、これまで日中関係史と日中語彙交渉史という別々の見地から為された研究の限界に気づき、史学的な観点
と言語学的な観点を統合した総合的な研究の必要性を痛感した。というのは、近代における西洋文明の受容は、漢字によって
行われ、訳語・用語の発達史はそのまま西洋文明の受容史となり、史学と言語学の相互検証は欠くことが出来ないからである。
 幾度の検討を重ねた結果、我々は日清戦争後、創刊された『時務報』(1896〜98)における日本の新聞から訳出した記事:
「東文報訳」を研究の素材に選定した。
 研究計画は、新聞という近代的なメディアを通じて、欧化国家を目指す近代日本の情報は、如何に中国に伝わったか(時期、
内容、評価態度、伝達者、用語の面から見る)、これらの情報は、中国近代の対日観の形成、及び西洋近代文明を表す新語・
訳語の形成にどんな役割を果たしたかを考察しようとするものである。

三 研究の方法
  『時務報』の「東文報訳」を時期、記事内容、情報源(例えば『東京日日新聞』、『国民新聞』などのように)、翻訳者、
字数等を項目に分けて整理する。記事の中から新語・新表現を含む文例を抽出し、データベースを構築する。データベースを
利用して、19世紀における日→中の語彙交流の観点から、『時務報』の「東文報訳」について、その翻訳者と使用語彙を新語・
新表現を中心に考察する。得られた新しい知見を報告書に纏め、公表する。

四 研究の内容・結論・残された課題
 本研究は、下記のような考察を経て、次のような結論を得ることができた。
 (1) 『時務報』の「東文報訳」の翻訳者、古城貞吉について、調査を行った。今までの定説では、古城貞吉は上海行き
を拒み、日本の東京で関連記事を訳出して寄稿したと言うことであったが、古城貞吉が『時務報』の社主、汪康年宛の書簡、
及び古城貞吉に言及した汪康年の友人らの汪氏にへの書簡を詳細に検討した結果、最初の一年半は、古城氏がほとんど上海で
過ごし、『時務報』側の要請に積極的に応えて翻訳に従事したことが判明した。この事実は、『時務報』の「東文報訳」の
記事内容の選択、翻訳語の使用などにとって考慮しなければならない重要な要素である。
(2) 『時務報』の「東文報訳」を時期、記事内容、情報源(例えば東京日々新聞など)、翻訳者、字数、等を項目に分け
整理し、記事の中から日本語の語彙と借用、或いは競合関係にある新語・新表現を含む文例を抽出し、データベースを構築した。
データベースに収録された異なり語数は、600を超えている。
(3) データベースを利用して、19世紀における日→中の語彙交流の観点から、「東文報訳」の使用語彙について、次の2点
を中心に考察してきた。
a.文体、内容、時代背景などの見地から見る使用語彙の特徴、
b.「植民地、帝国、艦隊、国際、関係、国会、議院、議員、共和」など、代表的な語について、その発生、伝来、普及などの
観点から語誌記述を行った。
 なお、次の3点は、近未来の課題にしたい。
 1.古城貞吉について、その人物、上海での活動(『時務報』以外の人、組織との接点--羅振玉、農学会、蒙学会)、翻訳物
の影響(政治社会的な面と語彙の面)
 2.『時務報』について、日本のメディアから受けた影響
 3.近代語研究に関しては、「東文報訳」の用語とそれ以外の記事(英語等の外国語からの翻訳と中国人が執筆した文章とを
分けて考える必要もある)に使用されている語彙について、両者の競合関係と影響作用

五 自己評価
 1997年4月、研究助成決定後、さっそく資料の検討とデータの入力に取りかかった。8月末、研究グループのメンバーが、
上海で会合を持ち、途中経過を報告した。9月から12月の末まで、熊月之、王揚宗が研究出張のためドイツに滞在したが、
その間もE-Mail等で連絡を密にして議論を重ねた。これらの結果は、いずれも研究報告書に反映している。この度の共同研究は、
「東文報訳」の翻訳者、記事内容、使用語彙についての詳細な考察を得ることができ、当初設定した目標に達した。今後、
「東文報訳」の使用語彙データベースを利用して、個々の語の語誌記述に努めたいと考えている。
 なお、本研究の成果報告書は、まだ少し残っている。ご希望の方に差し上げるので、沈国威までご連絡ください。