カント ー 純粋理性批判
序文〜P56
認識についての「確実な道」の模索
『純粋理性批判』:理性それ自体を理性の法廷に召喚
「この批判は、形而上学一般の可能もしくは不可能の決定、この学の源泉、
範囲及び限界の規定ということにもなるが、
しかしこれらのことはいずれも原理に基づいてなされるのである。」
・純粋:経験から独立している
・悟性:認識を可能にするカテゴリー(?)
・理性:全体を構成する能力、悟性を統制する能力
認識論にいおけるコペルニクス的転回
我々の認識は物自体ではなく、その表象についてである。
「もし直感が、対象の性質に従って規定されねばならないとすると、
私はこの性質についてどうしてア・プリオリに、何事かを知り得るのか判らなくなる。
これに反して(感官の対象としての)対象が、我々の直感能力の性質に従って
規定されるというのなら、私は直ちにこのことの可能がよく判るのである。」
つまり、それまでの独善的な形而上学に対する批判を行いつつ、
理性自体を検討しなおす、と。
その際認識は、対象自体ではなく、現象として現れたものを私たちの感性がいかに捉えるか
、ということを問題にするのだ、と。
そして最終的に、人間の自由、道徳をどう考えてゆくか。
非常〜に大雑把に言うと、カントの意図はこんな感じでしょうか。
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