五十嵐元太 Genta Igarashi


「貧乏走り屋学生」

 入学から5年経った今、振り返ってみると、自分でも驚くほどの変貌を遂げた。そのきっかけは数多くあるが、その1つは運転免許の取得であろう。校則を無視し、16歳の誕生日の翌日に、原チャリで通学するという理由で、何気なく取った免許である。便利な移動手段として考えていた乗り物が、以外に楽しくなっていった。

 2年の夏休みに及川B君&デラ君&K君で陸前高田の海岸までツーリングに出かけた。バイクでの最初で最後のツーリングである。また、その夏休みは及川B君にとっては、人生が悪路へ向かった記念すべき夏休みであっただろう。そうやって、友人達とのふれあいもバイクが中心となり、楽しさが深まっていった。今だかつて味わった事のない感覚で景色が流れ、スピードが増すにつれて感じる風が強烈になり、自由に走れることに洗脳されていった。しかし、その快感にも慣れ、段々とスピードを求めるようになり、自動二輪の免許も取得し、いわゆる単車というものを買ってしまった。それから間も無く悲劇が起こった。やはり調子に乗りすぎあえなく廃車となる。

 親にブッ飛ばされ金の無い私は、生活の足として燃費の良いホンダの4サイクルエンジンのカブをチョイスした。エンジン全開にもかかわらず、ハイオク仕様で58km/lという燃費のよさに感動した。その生活がしばらく続いていたが、別れを告げられた私はバイクを卒業しその怒りを車にぶつけた。これまで、潰したバイクは10台くらいになるであろう。

 普通免許を18歳の誕生日の2週間後に取得した。またもや、有って無いような校則と現行犯でなければ検挙されない道路交通法を無視し、車で通学していた。軽自動車にもかかわらず、金を費やし、鬼のように走りこんだ。タイミングベルトが7万9千kmで切れる程の乱暴な運転だった。それも、ツテを辿って格安で修理し、山道の通学経路を選んで走りこんだ。が、不慮の自損事故が発生しデラ君に迎えに来てもらった事がある。その節はありがとうございました。しかし、この不慮の事故が私の走り屋生命に大きな転機を迎えるきっかけとなった。バイト先のガソリンスタンドの方が車をゆずってくれると言ったのである。

 仕様は、鬼キャン、MOMOステ、ステアリングスペーサー、スピンターンノブ、各ペダル類、BRIDEブリックスシート、前後タワーバー、純正フルエアロ、NISMO機械式LSD(2ウェイ)、メーカー不明エアクリーナー、イケヤフォーミュラ爆音マフラー、触媒ストレート、パールレッドに全塗装、TEIN車高調などである。まさにDマシンである。しかし、このままでは点数がいくらあっても足りないので、GPスポーツ車検対応マフラー、ノーマル触媒、キャンバーを0°に、セットした。これでバッチリ合法改造である。最初のうちは練習中にクラッシュし、板金代がかさんだ。それでも走り屋を止めようとはなぜか思わなかった。のが間違いであったのかもしれない。この車が今の生きがいを与えてくれていると言っても過言ではない。

 それまでは、スピードを出すことが、乗り物を運転する楽しみであったのだが、この車は乱暴に運転すると、まともに走る車ではない事を経験で知った。なぜならば、FRレイアウトで、最大出力230馬力(推定)、最大トルク30kg・mという、素人が乗ってはいけない車であったからだ。これまでの我流による運転が否定された瞬間である。それからは、各種ドラテク本を読みあさり、自分なりにこの車の最速の走らせ方を研究した。正直に言うと、これを卒研にしたかったくらい研究した。このおかげで車に対する知識も増え、運転技術もそれなりに自信がついた。ガソリン代が6万を超えた月もあった。購入時点での走行距離は13万km強だったはずの車が1年程で17万kmになっていた。かなり走った。

 段々と走っていると、コーナリングの際、教習所で教えられたような曲がり方では物足りず、車を真横にむけて突っ込む走り方を覚えた。この走りを楽しむため、サーキットや某山、某港に通った。ある意味、通学である。学生最後の夏休みはバイトと、この通学であっという間に終わった。ドリフトについては、あまり上手くならなかったが、峠道に至っては、地元の常連に、なんとかついて行けるようになった。まだ、無駄があるようなのでその無駄を削ぎ落とし、来年は勝ちたいと思う。

 これからも、車の運転を生きがいにしたいと本気で思っている。できることなら、これで飯を食っていきたいと思っているほどである。かなわぬ夢なら、入社するであろう会社で、誇りを持って仕事をしたい。学業よりも趣味に青春を費やし、好きな事をしてきた自分を全然後悔していない。もちろん、勉強が一番好きだという人を否定する気は全然ない。それは、価値観や人生観、経済的な理由が違うからだ。 もし、この学校に入学していなかったら、走り屋にはなっていなかったと思う。通学距離が35kmであったから、車の楽しさを知ることができたのであろう。段々と通学路のコーナーや路面状態にも慣れてきたころは、何分で家まで帰れるかという事にこだわっていた。そのため、今までの運転から無駄を省いたり、ドラテク本にあるような技術を使って走るようになってからは、格段に速くなり、燃費が良くなったのを覚えている。例を挙げれば、車の挙動が体全体で感じ取れるドラポジ、無駄のないアクセルワーク、ヒール&トゥ、ABSも真っ青のブレーキング、シフトチェンジはエンジン&ミッションの回転を合わせる(簡単にいえば、振動の無いようにクラッチをつなぐ)、その他もろもろの基礎技術がある。これらは基本的にプロのドライバーがやっている事と同じなのだ。が、その精度があまりにも違いすぎるだけの話である。これからも努力して自分なりに走りを楽しんでいきたい。

 クラスの皆様や教官方には、いろいろと御迷惑や心配をおかけしました。これからは学生という社会的に守られた立場から、自立して生活していく訳です。この性格は直りそうもありませんので、「いい歳して何をやってるんだ」と言わずに、できる事なら暖かく見守って頂きたいと思います。



No.01

五十嵐 元太

1981年11月05日

A型

明石研究室所属

座右の銘:何事も金

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