及川清太 Seita Oikawa


文集の原稿 その一

タイトル「へっどばん・キング !?」

私が音楽を聴き始めたのは、小学校5年生の頃だったと思う。初めて買ったCDはWANDSの「時の扉」(あ〜懐かしい)である。たぶん今でも押入れの奥にあるはずだ。当時の私はWANDSがお気に入りで、アルバムはすべて買った。初めて"カラオケ"に行って歌ったのも「時の扉」だった。そんでロックに目覚めた1曲はB'zの「ZERO」。あ〜これがロックなんだなと何回も何回も聴いた記憶がある。

 その後、中学生になって間もなく、父が持っていた1本のカセットテープがきっかけで ギターを始めた。ギターで弾くのはロックでもなんでもなかったし、クラシックを弾いても楽しかった。しかし自分の中で、聴く音楽はロックを超えてもっと激しいものを!と欲するようになってきた。そうしているうちに、より激しく、高速、重低音、などとドンドン極端化していった。最初のうちは'X JAPAN'、デーモン閣下率いる'聖飢魔U'などを好んで聴いた。そして日本にはいい音楽が無い!と思い、ついに洋楽の世界に足を踏み入れた。いや、むしろ踏み入れてしまったと言った方がいい。

 'へヴィメタル'というと、あ〜長髪に皮パンで(初期の頃はなぜかスパッツだった。かっこ悪ぃ〜)、頭を激しく上下にフッてる奴らね。と思うだろう。・・・まさにその通り。正統派へヴィメタルはそれでいいのだ。しかし一般の人は激しい音楽を全てへヴィメタルと呼んでいる気がしてならない。正確には激しい音楽の中にもかなり多くのジャンルが存在する。スラッシュメタル、パワーメタル、シンフォニックメタル、オルタナティブ、ハードコア、ブルータル、ブラック、デス・・・などなど、かなり細分化されている。せめてヘヴィミュージックと呼んで欲しいものだ。中学校2年生あたりの頃は正統派へヴィメタルを聴いていた。そのうちにパワーのあるものを求めたが、当時はどの曲も同じに聴こえ、なんだ思ったよりつまんねぇ〜で終わってしまった。確かにパワー感に満ち溢れた音楽だったが・・・。中学校3年生の文化祭では友人とバンド(と言っても2人だったのでユニットと言うべきか)を組み、イエモンの曲を6曲演奏した。当時はイエモンでも十分ロックしていた気がする。

 そして平成9年4月、めでたく高専に入学した。このあたりで再度パワーメタルを聴いて、なんて素晴らしいんだ!と感激した。パワーメタルはサウンドがかなり重く、テンポも遅い(普通に歩くくらいの速度)ので、パワー感に満ちている。それでいてボーカルは日本人には到底出ないような野太い声で「ファッキュ!」。歌だけかと思いきや、普段でもものすごいファットな声である。ライブCDのMCでその声が聴ける。かなり魅力的だった。その後、スラッシュメタルに熱をいれた。スラッシュとは'切り刻む'の意味で、まさにザクザクとしたサウンドは気持ちのいいものだった。この次はシンフォニックメタルにハマった。オーケストラを使ったり、メロデイ構成がこれでもかというくらいに綺麗だったりと、物語のような壮大なスケールで展開する音楽である。シンフォニックというだけあって、雄叫びや絶叫などは皆無で、〈美しきへヴィメタル〉と言わざるを得ない。しばらくして、デスメタル、ブラックメタルにたどり着く。このジャンルはヤバイ。テンポは高速。死の世界のこと、ドラッグのこと、などありとあらゆるヤバイことが歌われている。道徳上の問題から日本では発売できなかったCDも多数ある。しかし便利な時代になったもの。インターネットで購入できるのだ。ムハハハ・・・

 そしてついにブルータル('残忍な'の意)、デス、ブラックメタルなどが入り混じった音楽に行き着く。何と言うジャンルの音楽かは知らないが世界最強、最狂、最凶、最恐、最叫! テンポは超怒級の高速! Xの「STAB ME IN THE BACK」の3倍以上の速さでなんとBPM672。一般に日本のロックはBPM160を超えることがあまり無い。 楽器隊はそれぞれが演奏しうる最高速で弾き、叩き、ボーカルは音程などおかまいなし、力の限り叫ぶ、唸る!「ヴゥオ゛―!!!」と。・・・すでにそれは音楽と呼べないものであった。私はこのような音楽が大好きだ。今でも上に挙げたあらゆるヘヴィミュージックをとっかえひっかえして聴きまくっている。4.5畳の狭い部屋に君臨するオーディオシステム(コンポとは呼べない大きさ)にCDをブチ込み大音量で聴く。そして、頭を振る、フル、テンションフル加速。叫ぶ、唸る、「ディヤァー!!!」(人には聞かれないように小さく)。かなり気持ちがいい。が体中の血液が頭部に集中し、顔が3倍にでも膨れ上がったかの感覚を覚える。さらにふすまやドアは「ガタガタ、ヴヴヴヴ」と苦しそうに共振し、親はマジ顔で「家が壊れる!」

 わたしはこの先もずっとヘヴィミュージックを聴き続けるであろう。刺激的で気持ちがいいから。ただそれだけである。(ここからハードコアな発言満載→)大体にして日本の音楽界が腐ってる。コンピューターを駆使したデジタルサウンドには飽き飽きだ。音楽番組に出る奴らは実際に楽器を演奏していない。しかも致命的なことに歌がヘタクソ! 音程もままならなきゃ、歌詞も聞き取れない。ファッションリーダーだったら服飾関係の仕事でもして渋谷あたりをうろうろしてろっつんだ。歌うまい人やいいバンドがかわいそうだ! それに、流行の音楽を追ってあれもいいこれもいいと言ってる奴らもおかしい。1か月もすればもう聴かないくせに。

 とまあこんなことを思いつつ、オーディオのボリュームをぐいっと上げる今日この頃である。みなさんもぜひ「良質の音楽」を!

 

文集の原稿 その二

タイトル 「破壊王 VS 15 inch !?」

自動車のホイールのサイズではない。私の部屋に住んでらっしゃるスピーカーの口径である。15 inch(38cm)がお1人様、12 inch(30cm)がお2人様、8 inch(20cm)が4名様、その他小口径スピーカーが6名様。全部で13名様が普段は大人しくしている。しかし私がアンプに電源を入れ、CDを再生し始めると、スピーカー達はいっせいにドライブし前後に激しくグラインド!!!!

15 inchと12 inchはオーディオ用ではなくベースアンプとギターアンプのものだが、こいつら・・・もとい、この方達を働かせると間違いなく部屋のガラスが割れる。なんせ高専祭のライブ(体育館)で、ボリュームの目盛が〈10〉まであるうち〈3〉で充分だったのだ。かなりのツワモノである。こんなスピーカー達に囲まれる生活は実にすばらしいものである。

とはいっても私は今までにいくつかのオーディオ機器を再起不能にしてきた。最初の犠牲者はアンプ君。中学1年生のときギターを買って、そのギターをギターアンプではなくオーディオアンプのマイク端子にぶち込んだもんだから大変。父が就職したての頃に給料をためて買ったという大事なものだったが、あっけなく破損。電源を入れるとバリバリというノイズしか出ない。現在は中の基盤をすべて取り除き、部屋の飾りとなっている。ご冥福をお祈りいたします。

その次の犠牲者はツィーター嬢。ツィーターとは高音を再生する小さいスピーカーだ。中学校3年生のときにライブで使用して、アンプの大出力に負けて破裂。このスピーカーも父の大切なものだった。その後、秋葉原で買ってきたツィーターと交換され、スピーカーは現在も活動中。ツィーター嬢のご冥福をお祈りいたします。

次はミニコンポ君のMD部。購入して1年が過ぎた頃に《ベース野郎 ゴールデンベスト》というCDをMDに録音したら、みごとにダウン。実はこのCD、「25Hz以下の低音が含まれていますので、あなたのスピーカーシステムを破壊する恐れがあります。大音量にはご注意ください。」と注意書きがある。スピーカーは耐えたものの、MDデッキが飛んでしまった。以来、録音やタイトル書き込みはできず、再生もままならない。K社のコンポは壊れやすいというが本当らしい。いや、このような使い方をする人が文句を垂れ流しているに違いない。私が発信源か!? ま、とりあえずMDデッキ君のご冥福をお祈りいたします。

ギターアンプ君も過酷な労働に耐えかねて、私のもとを去って行った。高専4年生の時の高専祭ライブで使用したが、炎天下のためトランジスタが熱暴走。明らかに飽和した音が出て、音が途切れる。小音量では大丈夫なようなので、一関警察署の交差点向かいにあるリサイクルショップG倶楽部に(外観の程度が良かったため)なかなかの高額で引き取られた。今も元気でやっているだろうか。

とまあ、いくつかの破壊歴を経て今の音楽生活がある。これ以上の犠牲者を出さないように努めていきたい。

 

文集の原稿 その三

タイトル 「も``」

まず、私が高専にきた理由の50%は「普通高校に行きたくない」である。小学校で勉強したことを中学校で詳しく掘り下げて勉強したのに、普通高校ではさらに詳しくやるのだ。こんなにバカバカしいことはない、早く実践的な知識と技術を学んだほうがいい。・・・と当時の私は血気盛んだったが、今でもそう思っている。歴史(日本史は除く)、古典や漢文、美術など詳しくやる必要なんて全くない。中学校の時点で充分だ。勉強したい奴は大学に行って好きなだけやればいい。

 30%は「音楽活動をしたい」だ。一関で唯一、軽音楽部があるので、堂々とバンド活動ができると思った。実際はガラの悪い人達の集団にしか見えず、いとも簡単にソフトテニス部へ入部した。でもテニスを続けて本当に良かったと思う。2年生で部長を任された時は大変な思いをしたが、いい経験だったし、結果的にテニス部に入部したことが高専生活を有意義なものにしてくれた。まず彼女ができた。現時点(2002年2月)でちょうど3年だが、まだまだいきそうだ。そして、バンドを組み2回もライブができた。かなりの金をかけたが、音に包まれる快感はそれ以上の価値があった。また、高専大会ではいろいろな地に行けた。と行っても東北止まりだが。

 残りの20%は「電気の勉強がしたい」だ。苦手な教科も多々あったが、今となっては面白かったのかもしれない。

そんなわけで入学した高専もあっという間に5年の歳月が流れ、ついに卒業となった。たくさんの仲間と出会って本当に良かったし、良いことも悪いことも学んだ。道交法もブッチギった。いろんなバイトもした。・・・やっぱり楽しかった。

全部含めて、みんな ありがとう!


No.05

及川 清太

1981年05月11日

A型

明石研究室所属

座右の銘:頭は生きているうちに使え

秋田大学編入学