工藤正紀 Masaki Kudo


工藤 正紀 記者会見

PERSONA 「このたび、一関高専を卒業することになったそうですね!

おめでとうございます!

どうですか卒業された気分は」

工藤 「ほんとなんとか卒業できたって感じですよ(^^; 俺てきには、 長いようで短い5年間だったなあ… だって、自分自身は外見的には入学当時と比べてふけた!?けど心は変わってないと思うに対して、 まわりは、高校を卒業して就職・進学で地元を離れってたりで変わっていったし」

PERSONA 「そうですか?周りの友達(地元)はあなたが変わったって言いますよ」

工藤 「たぶん、高専に入ったばかりのころ派手な髪にして単車乗ったり、BANDやったりしたから普通の高校に通った友達から見ればそう見えたかも」

PERSONA 「ところで入学したてのころは、なれない環境にとまどっているようでしたが?」

工藤 「それまでとはかなりギャップがあったので、精神的にかなりきつかったですね。でもそのせいであなたが生まれたでしょ!?」

PERSONA 「そうですね、私のほかにもいますけど…」

工藤 「地元ではそこそこリーダー的存在であり、一関では…そうだなぁ ピエロかな、また全体をとうして言えばルシファーがサタンへとなるような…(←意味不明!?) とにかく!はじめ(1年〜3年頃)は高専に入学したことを後悔して、地元の高校(黒北とか!?)に入ればよかったって思った。今になって思えば、高専でもいいかなって思えてきたけど」

PERSONA 「ところで高専での学生時代ではほんとに様々なことを体験しましたよね簡単に歴史を上げてみると」

1年…学年の終わり(3月)に原付の免許取得

          NS−1(50cc)購入

2年…ある事件にて停学、多くの友が退学・停学に…

          秋、NS−1 VS 軽トラックにて敗北、入院

          学年の終わり(3月)に普通自動二輪の免許取得

3年…XJR400R購入

          6月、XJR400R VS 軽自動車にて敗北、入院

4年…ニンジャ(400cc)購入

   普通自動車の免許取得

5年…スターレットGT購入

工藤 「こうやって見るとすごいなぁ…、最初の事故のときは誰かが釣をしに旅に行ったと言ったなぁ、誰だ!!でもこの事故の過失割合は最初が10対0、次が9対1とどちらも圧勝だから俺って当たり屋の才能あるかも(笑) 停学に関していえば、I君やT君、今何しってかなぁ、あっ!あの 事件に関係ないけど横山生きてっかな(笑)」

PERSONA 「恋愛にかんしてはどうですか?」

工藤 「○×…△▼◆□-♪−‐?!」

PERSONA 「ノーコメントってことですか、それでは気を取り直して最後にみんなに一言どうぞ!」

工藤 「5年間みんなありがと。みんなバラバラになるけど元気で!!!

    それと記憶の片隅でいいから覚えておいて下さい、

    俺が存在した証として… だってほら、人間って忘れられる事が

    死んだってことじゃん!?

    最後に卓也&やっさん 喧嘩上等!!?

    それと、あのメンバーで海にいこうな! 

    それじゃ、また逢う日まで…」


No.15  工藤 正紀  1981年07月18日 A型 阿部研究室所属

     座右の銘: 友達は善びを2倍にして、悲しみを1/2にする。

     八戸高専専攻科入学