どうもスランプに陥ったようだ。
やる気はあるし学習は継続しているものの、全然成長したという実感がないし、聞き取り力も相変わらずで先が見えない。
こんなんじゃ6月のハングル検定もどうだろう?聞き取り問題で今までと同じことをまた繰り返しそうな予感。
過去にも何度かスランプを経験しているので、慣れていると言えばそうなんだけど、学習歴が長くなっている分、
だんだんスランプの度合いも大きくなっているような気がする。
今回のスランプを脱出するにはかなり時間がかかりそうだ。
10人くらいの団体でソウルへ旅行した夢を見た。
夢の中でも、いつものように向こうのメル友と食事をすることになったのだが、食堂に向かう途中、彼女が突然流暢な日本語で話し始めたので驚いた。
「な、なんで日本語?いつの間に?しかもものすごく上手いし、一体どういうことじゃー!?」と
私が尋ねると、彼女が「実はちょっと前に日本語の勉強始めたんだけど、英語と違って語順が同じじゃない?だからあっという間に
話せるようになっちゃったんだよね。」とこれまた日本語でひょうひょうと返事をするではないか。
私は「ご、5年も勉強してる私がまだしどろもどろなのに、そんな短期間でこんなに日本語が上手くなるなんてそんな
バカなー!私って一体・・・」とショックを受け、夢の中の食事も喉を通らなかった。
夢から覚め、夫にこの話をすると「そんなこと絶対ありえない」と一笑。
そりゃそうだけど、最近上達を感じず落ち込んでばかりの私にはかなり嫌味な夢だった・・・
ハングル検定の実施要綱が大幅に変わった。
すべての級が100点満点で統一され、準1級が廃止。
ということは、これからはその分2級が準1級に近いような難易度になるのではないだろうか?
今までの150点満点から100点満点に変わり、合格点が下がったから受かりやすいなんて考えてたらやられるかも?
また、準2級もそれに比例してこれまでの2級に近い難易度にアップするとも考えられる。
となると、これまで2級で苦戦している私は、今回の変更でさらに合格への道が遠くなり、準2級も危ないということになる。^^;
一応頭の片隅には、6月の検定を受けようという気持ちはあるのだが、こうなると準2級を受けた方がいいような気がしてきた。
(実際準2級は一度受けただけで合格してないし)
とにかく、実施要綱がこれだけ変わると、難易度が下がってきたと言われるここ数年のデータや過去問はあまり参考にならなさそう。
とりあえず、自分が目標とする級は、今後はそれよりさらに一つ上の級の難易度に上がるだろうという心構えだけはしておこう。
それにしても、ここ最近の勝手な変更には腹が立つばかり。
協会はこれ以上受験者を振り回すな!難易度を固定しろ!そいでもって検定料下げろ!(←ここ強調)と言いたい。
ソウルで購入した「2005年 현장비평가가
뽑은 올해의 좋은소설」という短編小説集に取り掛かったが、これがまた苦しい。
内容がおもしろいとか、作家の個性がどうのとか作品を楽しむどころか、内容把握で精一杯。
短編といいながらもその量は私には十分長編小説に感じる。(TT)
挿絵など一切ない短編小説が10作品、350ページ。この調子じゃ読み切るまで一体どのくらいかかるのか・・・想像したくない・・・
でも、これぐらいの本をバンバン読めるくらいになったら読書がもっと楽しいだろうな。
そうなる日を目指して地道に精読して読解力&語彙力を付けねば。
韓国語が中心だけれど、韓国語を始めるより前に知り合ったアメリカとオーストラリアのメル友たちとも時々英語メールの
やりとりしている。
オーストラリアの友人は日本語を勉強しているので、私も半分日本語を混ぜて書けるからまだ気が楽だが、アメリカ人のメル友はみな
英語のみ。私の韓国人のメル友と同じく、日本語を学ぶ気などさらさらない人たちばかりだ。(笑)
なので非ネイティブのこちらはものすごく大変。今は韓国語でメールを書くほうが遥かに楽で、英語メールはものすごく時間がかかる。
そりゃそうだ。だって全然英語勉強してないんだもん。^^;
先日、文法書や辞書を引っ掻き回してようやくアメリカ人2人にメールを送ったが、たぶん文法的に間違いだらけの酷い英文なんだろうな。
向こうも一向に上達しないどころかどんどん下手になっていく一方の私の英語に呆れていると思うが、長い付き合いなので
その辺は耐えてくれているようである。
現在、このたまにしか書かない英語メールだけが、自分と英語との繋がりをかろうじてキープしてくれているだけなので、スピーキングなど今や先に
韓国語が浮かんでしまうくらいでほとんど話せなくなってしまった。
英語を使わない環境で学習を止めてしまえば忘れるのなんてあっという間だ。
韓国語が自分の納得できる水準まで達したら、平行して英語も再々チャレンジしてみたいのだがいつになることやら。
(不器用なので同時進行はできないのだ)
「週刊朝鮮」の再チェックが終わったので雑誌は一先ずここで置いといて、次にまだ読み終えてないエッセイ集の一部を訳してみた。
やはり紙に日本語訳を書く作業は、自分がどこがきちんと読めてないのかが分かるので有効だ。
それと、「スタンダードハングル講座」の本を引っ張り出して再読もしている。
以前は日本語の解説からしてよく分からなかったが、久しぶりに読んだせいか、解説も
すんなり理解できたり、基礎的文法事項も新鮮に感じる。
このシリーズは3冊持っているので、その韓国語例文をすべて再暗記するのが目標。
一昨年、一生懸命音読して例文を頭に叩き込んだこともあったが、今すっかり忘れているので。(何やってんだか)
そしてディクテーション。
「韓国の心温まる現代童話集」のディクテもようやく半分が過ぎた。
これも最後までなんとかやりきらなければ。
と、このようにいろいろやってはいるのだが、一向に上達する気配はなく、分からないこと、覚えられないことは増える一方である。
「ちょっとは韓国語が出来る」なんていうプライドはとっくに消えた・・・
先週水曜の夜、急にのどが痛くなったと思ったら、次の日には39度の熱。
この展開の速さ、間違いなくインフルエンザだった。
インフルエンザにかかったこと自体初めてで、39度を越える熱を出したのも数年ぶりだったけど、こんなに苦しいものとは。
未だに咳は止まらないし。ほんとに参った〜。(TT)
ここ2年くらい、手洗いとうがいの徹底で風邪知らずで来てたから油断があったのかも?
とにかく健康のありがたみをしみじみ感じた一週間だった・・・
先日3冊目の「週刊朝鮮」を読み終えた。
今は、辞書に載っていなかったり、意味が分からなくて青い蛍光ペンでマークしてある
部分をネットや文法書で調べ直しているところ。
あれこれ調べても考えても分からないものは、さらにピンクの蛍光ペンでド派手に縁取って区別。
調べて分かったものは大きい正方形サイズのポストイットに書き込んで、そのままページに貼り付けている。
ノートに単語を書き出したりワードなどにまとめたりという作業はこれまで上手く行かなかったので(作りっぱなしで見やしない)、今回は調べたものはどんどんポストイットに書き込み、
それを後でノートに貼り直すことにした。(超いいかげんな単語帳の出来上がり^^;)
とりあえず、読んだ3冊は自分で調べ直して分からない部分の数を出来るだけ減らしていかないと。
一つ一つ誰かに聞いて即解決したい衝動に駆られるけれど、やっぱり「教えてクン」になるのは嫌だから。
今続けている学習の軸は「ディクテーション」と「精読」の2本。
順調なことは順調なのだが、これらを今後続けていても、今年も上級の壁を突破できる自信が持てない。
普通は一年もディクテーションしていたら聞き取りの耳は劇的に変化するのではないか?
私はいつまでたってもリテンションは出来ないし、最近は一つ一つの音の聞き分けに悩むくらいでどうかしている。
精読をすれば自分の母国語の能力のなさにがっくりすることばかり。文章の理解力がそもそもないのである。
5年もやってりゃもうちょっとすらすら読めるだろうに、と思うと情けなくなってくる。
時々、「自分と同じ事を他の人がしたら、あっという間に上達するのでないか?」と思うようになり、また
こんな根性系のことをしなくても話せるようになった人、聞き取りが出来るようになった人もいるんだろうな、とそういう人を
うらやましくなったりする。
今までは過去の自分との比較で成長度を測っていたが、巷で言われているディクテーションの効果と実際の自分の効果を
比べたりすると「私ってよっぽどバカなんだろうか?」と思う。
「スランプ」というわけではないのだけれど、自分の能力に対する精神的な落ち込みが激しいこの頃。
英語が主だけれど、他の外国語学習にも共通する内容のコラムを2つ紹介。
ESSAY 184/英語の学習方法−前提段階 ”量の砂漠”を越える「確信力」
(この方の他の英語の学習法に関するコラムもオススメ)
英語雑記帳
サイトはこちら
もう一つはビジネス英語雑記帳
の中の英語学習法。そこから耳が痛くなるようなコメントも紹介。
「★理屈倒れの英語学習 昔から何でも勉強し、論じてしまう日本人のクセがたたって、外国語学習のためには、論じるのではなく、反復練習を通じて体でおぼえ、条件反射の域にまで持って行く必要が軽視されているか、見落とされています。
毎日、イディオムを一つおぼえるといったのんきな学習法も、趣味の世界と混同しており、一気にクリティカルマスに持って行かないと実用レベルに達しない語学学習の世界をわかっていない現れです。
子供の頃、スェーデンやスリランカといった父親の任地でのローカルスタッフとは英語で話をしていましたが、彼らの英語は、普通のやりとりができ、使いものになっているという意味では、日本人の大学生以上のレベルです。
わが国の最高学府で学んでいる人々の英語より、非英語圏のボーイさんや運転手さんの英語の方がずっとまとまなのです。くやしいじゃありませんか。
どうしてそうなのかと言えば、別に世界情勢を語る訳ではありませんから、まず使う単語や言い回しが限られていることを挙げられます。そして、この限られた言葉を毎日、繰り返し使っているうちに、英語というスキルが自然と身についたのです。
まずは到達目標を見定めることです。どの単語とどの単語をいくつおぼえるのか、他におさえておくべき言い回しは何か、習得すべき文法事項はどれとどれか。こういったことを人に聞かれて答えられないようでは、その学習法は間違っています。
生産現場と同じで、plan, do, seeが基本です。次いで、マスターするまでに何が必要かをきちんと把握してから、練習、練習で体におぼえさせる。スキルを習得する世界は何でも同じです。英語に限らず、語学学習は千本ノックの世界なのです。」
「千本ノック」かあ・・・
短編集「소나기」に続いて「週刊朝鮮」も1冊読破。
広告まですべて読むという暴挙も2回目になるとそれほど苦にも感じなくなってくる。
ときどきネットの記事も読んだりしているが、やっぱり目の負担を考えると普通に雑誌を読む方が楽だ。
この雑誌はこの前の旅行で2冊購入出来たので、残りの1冊もまた同じように読む予定。
好きな記事だけ読めばいいのだろうけど、今の私にはえり好みしている場合ではないし、最新の話題かどうかに関わらず、とにかくいろんなジャンルの記事を
読んで語彙を増やしたいのだ。
それに、自分で買ったものはどうしても元を取りたいという気持ちがあるので、おもしろそうな記事だけ2〜3読んであとはポイ、というのは
非常にもったいなく感じてしまう、というのもある。
読みながら辞書を引いた部分や分からないところは蛍光ペンで塗りながら読んでいるのでどうしても読破する時間はかかってしまうが、蛍光ペンを塗った箇所が2冊目には減ってきているのが目に見えて分かるし、
読むスピードは少しずつだが確実に上がっているので、今はこうやって精読しながら徐々に読むスピードを上げていくことを
目標にしよう。
ディクテーションの煮詰まりから個々の発音について改めて考えるようになった。
近頃は純粋な音の判別よりも推測にばかり頼って、推測した言葉に聞こえた音を強引に合わせているようなことさえある。
しかも、その推測が合っていればまだしも、完璧に書き取れないところを見ると自分の推測自体も当てにならないようだ。
前にも書いたが、やっぱり個々の発音の確実な区別+文脈から推測して聞き取る能力があって初めて正確な聞き取りが出来るのではないか。
そう考えてみると、私はやっぱり推測以前に韓国語の発音一つ一つの聞き分けが出来ていないと感じる。
初期の段階から「カタカナ発音」は出来るだけ避けて来たけれど、それでもどこか「カタカナ発音」の枠から抜け出ていない、というより
日本語の音の枠の中に韓国語の音が存在しているような気がする。
デンさんの広東語相談室の中に以下のような説明がある。
「日本人が外国語を聞いたときには、それが何語のどのような音であろうと、日本語の音として捕らえてしまいます。「right」であろうと「light」であろうと、貴方が認識したときには「ライト」という音になっているのです。
「right」も「light」も聞こえていません。」
「・・・どんな音が飛んでこようとお構いなく、瞬時に「あ・い・う・え・お」のどれかに分類して、
各々の引き出しにぶち込んでしまうのです。勿論、子音についても全く同様であることは言うまでもありません。どんな音が飛んでこようとお構いなく
日本語の「あ・い・う・え・お」のどれかに分類されて聞こえていて、元々耳の鼓膜を振動させた音が具体的にどのような音であったのかは全く意識されない訳ですから、
どんな外国語の音が流れてきても、日本人の耳に聞こえているのは日本語の発音だということになる訳です。」
また、100万人の中国語というサイトでも、
「日本人はおしなべて日本語の音に習熟しています。いや、それどころか他の外国語の音を容易に受け付けない程に日本語の音に習熟しています。
言葉を変えて言えば、日本人は「日本語の耳」は持っているが、「英語の耳」や「中国語の耳」や「韓国語の耳」は持っていないということが出来るでしょう。」
「日本人が中国語を学ぶと言うことは、「日本語の耳」に「中国語の耳」を付け加えることを意味します。
我々日本人が中国語を学ぶということは、「耳を増やす」つまり「新しい音を聞き分ける耳を一つ増やす」ことに他なりません。
このプロセスにおいて最も重要なことは、「古い耳に頼り切らない」、即ち「ひらがなやカタカナに頼り切らない」ことです。
「古い耳に頼り切って」いては、百年かかっても「新しい耳」は形成されないでしょう。
ところが、どうでしょう、空港の書店などで売られている「旅行中国語会話」や「六ケ国語会話」の類の本のほとんどが「古い耳=かたかな・ひらがな」に頼り切ったものになってしまっています。
これでは、「新しい耳」は出来ようにありません。 」
言語は違ってもこれは韓国語にも共通することだと思う。
ただ、広東語や中国語の耳を作る方法はこの人たちの下で学べば知ることができるが、韓国語の耳を作る方法は分からないので
自分でなんとかして掴まなければならない。
でもそう簡単なことではないし、簡単に出来ることならもうとっくに韓国語はネイティブと間違えられるくらいマスターしているはず。
とにかく今はディクテーションをしながら、分からない音に対してはひたすら執着し何度も聞いて音を自分なりに分析して、推測に頼らない聞き分けをしようとしている最中だ。
また、自分も発音することで「これは韓国語の音なんだ」と意識して、カタカナを排除しようと努めている。
「100万人の中国語」の運営者田中氏は、自身の経験からこう述べている。
「『中国語の耳』を持たなければいけないと意識した時から、さー今から新しい耳を持つんだぞと意識した時から、
人は中国語の発音に対して、それまでとは比べ物にならないような集中力を以って耳をとぎすますことが出来、
日本語の発音と中国語の発音の違いを鋭く区別できるようになる。」
パソコンのディスプレイの寿命が近付いているらしく、時々上下にぶれたり画面が突然消えたりする。
新しいディスプレイを何にするかまだ決まらず、週末に電気店巡りをしているところなのだが、次が決まるまではひたすら
ディスプレイをバンバン叩いて直しながら使っている状況だ。(テレビと一緒だな〜)
そんな中、掲示板で電子辞書の話題が出たので、電気店でディスプレイ探しのついでに電子辞書コーナーにも足を運んでみた。
私が知っている韓国語の電子辞書は、3年くらい前に出た白っぽい色のシャープ製のものだったので(教室ではみんなこれを持っていた)、
噂のカシオ製を手に取って見るのは今回が初めてだった。
大型量販店を回って3軒目でようやく電池の入ったカシオの電子辞書を見つけたが、音声の出し方が分からず四苦八苦。
「音声」ボタンを押してもボリュームを上げても音が出ないので「どうなってんじゃ〜!!」と怒り顔でいじくりまくっていたら夫が
やってきて、「さっき、店のカード入会の案内してたおばちゃんが近付いてきたの気付いた?まことがすごい顔して電子辞書いじくってたから
声かけられなかったみたいだったよ。」・・・^^;
結局音声の出し方は分からずじまい。電子辞書買ってもこんな機械オンチじゃ別の意味で使いこなせなさそうだ・・・
ところで、私があれこれ試していた電子辞書はプライムの辞書が入ったものだったが、ちょっと違和感があったのはキーボード上の文字がハングルより
アルファベットの方が大きかったこと。
韓国語がメインの辞書ならハングルの方を大きく表示すべきじゃないか?などと思ったりして。
もっぱら韓国語オンリーで使うならちょっと入力しにくいような気もする。
韓国発売の電子辞書なら逆なんだろうけど。
ずっと先のことだけれど、10月の秋夕の連休に韓国の友人達が我が家に来る話で、友人がメールで「私の妹も行きたいって言ってるんだけど
構わない?」と聞いてきた。
確かソウルではなく友人の実家がある「群山」にいると聞いているので、来るとしたら一旦ソウルまで出てこなければならないから
大変そうだなあとか、夫と子どもはどうするんだろ?とかあれこれ余計な心配してしまうのだが、こちらとしてはもちろん来るのはOK。
航空券だけ買えば日本での宿泊費も食費の心配もしなくていいので向こうにとっては非常においしい話ではないかと思う。
となると、来るのは大人4人+子ども1人か?
「車は2台で移動だなー。ワンボックス車があれば1台で済むんだけど」とかこの時点でそんなことを夫婦で悩んだりして。^^;
それにしても、韓国の友人と知り合って今年でもう7年になる。
自分が韓国語を勉強したり、今のような家族を含めた付き合いになるとはその当時考えもしなかった。
実を言うと、夫は元々かなり偏見を持った韓国嫌いで、私に韓国のメル友が出来ても関心がなく、当初は「間違っても
自分は韓国には行かないから!」と断固拒否、の姿勢だった。
なのに、メル友が送ってくれた彼女の写真を見た途端、「・・・行く♪」と180度方向転換。そしていつのまにか7度目の訪韓。
我が家に韓国人が来るのも大歓迎という変わりようだ。
夫の協力がなければこういう付き合いが出来なかったのも事実なのでそれは大変感謝しているが、夫の気が変わったきっかけがきっかけ
なのでなんだかな〜と思ったりもする。
知り合いの男性たち(既婚者含む)にもこの話をしたり彼女の写真を見せると「あ〜、分かる分かる、俺も行っちゃうかも♪」と夫に賛同。(おい!)
ドラマや韓国の文化を知って韓国に興味を持ったとかじゃなくて、こういう不純な理由からっていうのもあるわけか。
もっともらしい理由をつけるよりは本能に正直でよろしいと見るべきなのか?ってか正直すぎ。(笑)
煮詰まった・・・(TT)
ハングルニュースのディクテーションの壁が越えられなくて先日ついに「キー!!」(サルですか・・・)
イライラしている状態で書き取りをしていても余計パーフェクトの道は遠くなるだけなので、ここで一旦小休止。
代わりに前田真彦先生のところで購入した「韓国の心温まる現代童話集」のCDのディクテーションを始めた。
普通の韓国人が吹き込んだ朗読のCDなので、人によってはものすごく聞き取りにくかったりするので、こちらは最初から完璧な
書き取りは目指さず、一般のネイティブの発音に慣れればいいかという軽い気持ちでやっている。
内容は大体分かっていて、朗読は前々からICレコーダーに録音して寝る前に聞いているが、聞き取れないところは多いので、こうやってディクテーションを
することは聞き取れない箇所を改めて認識し復習も兼ねられるので丁度いい。
ディクテーションをしたあとにまた朗読を聞くと、聞き取れないところが聞こえるようになっているから一段リスニング力が上がったように思えるし。
しばらくこの作業を続けてまたハングルニュースに戻れば、以前とは違う聞き取り方が出来るようになるかもしれない。
NHKハングルニュースのディクテーション、年が明けてから旅行に行くまで全く出来なかったが、先々週からまた再開した。
一度完璧に書き取って気分よくKBSなどのニュースのディクテーションに移行したいと思っているのだが、憎たらしいことに
毎回聞き取れない箇所は必ず出てくるし、完璧に書き取ったぞと思ってもスクリプトを見ると予想外のところが間違っていたりとなかなか
先が見えない。
聞き取れない単語は、自分にとって全く未知の単語だったから書き取れない、ということはこのハングルニュースではほとんど
なくなったのだが、問題は知っている単語、以前は書き取れた単語が、別のニュースの中で、別のアナウンサーが読むと
聞き取れなくなることだ。
明瞭な発音で読むアナウンサーであっても、同じ言葉でも微妙な発音の違いで途端に分からなくなる。
ネイティブが聞けばどの人が読んでも同じに言葉にしか聞こえないと思うが、私はちょっとした違い、例えば相手がモゴモゴ話す
人だったりとか、試験のリスニングでも音声の状態がクリアじゃなかったりするともうお手上げだ。
つまり私はその単語の「音」をまだ理解出来てないということだろう。
科学的なことは分からないけれど、その共通した音の幅みたいなものがあって、それを掴んでいればどんな人が話しても
聞き取れる。私はそれを掴んでいないから聞き取れないのではないか。
もちろん前後の話の流れとプラスして瞬時に聞き取っている部分もあるのだろうけど、誰が話しても分かる共通した「音」の範囲の
認識があるからこそ確実に聞き取れるのではないか?
確かに推測だけでもある程度の聞き取りは可能だと思う。私はディクテーションで音から判断できないときはそうやって
推測しているから。
でも推測がいつも正しいとは限らないし、相手の話し方や聞こえる状況によっては全くお手上げというのでは本当の意味で聞き取れていることにならないだろう。推測だけに頼った聞き取りではいつか限界が来る。
そうではなくて、根本的にその外国語の「音」、日本語にない音を自分のモノにして、純粋に音の段階での聞き分けが出来ていれば、
推測だけの聞き取りよりも遥かに確実な聞き取りが出来るはずだ。
と、このようにああだこうだと考えてしまうのだが、そうするためにどうしたらいいか、というとこれが分からない。
ただなんというか、テキストの発音の説明を読んで、模範のテープを聞いて真似する、という私がやってきたやり方だけではその
「音」の幅はなかなか掴めないような気がする。
もっと根本的なところでの外国語の「音」を掴む方法、コツがあるように思う。それにもし気付けば今までと違う外国語を
聞く耳が出来そうなのだが・・・
ソウルで購入した本を3冊、今ずっと読んでいる。
一つは「週刊朝鮮」。これは前回と同じようにすべての記事・広告を頭から読んでいる。
全体的に辞書を引く回数が減ってきたので、以前よりも読むのは大分楽に感じる。
2冊目は、表紙のイラストと帯の言葉で選んだ「『소파 전쟁』 박혜란의 블랙 콩트」
という本。
いろんな形の韓国の中年夫婦が登場し、夫婦のすれ違い・溝などが12編、ブラックユーモアたっぷりに書かれている。
最初こそ苦戦したが、内容がおもしろいので、今はすべて辞書を引かなくても勢いで読めてしまうくらいになった。
3冊目は、ソウルの友人が選んでくれた2冊の本のうちの1冊「황순원 단편집『소나기』」。
「소나기」は韓国人で知らない人はいない(らしい)という有名な小説だ。
友人達が書店で店員に「황순원の作品を韓国語を勉強している日本人が読むんだけど、絵が入っている方が読みやすいだろうから
そういう本をお願い」と頼み、店員が2冊持ってきてくれた中で私が挿絵の好みで片方を選んだ。
しかし、帯に「中学校の教科書に載っています」とあったので何とか読めるだろうと思ったら大間違いだった。
とにかく小説の時代設定が一昔前なので、現在は使わないような単語なのか、辞書を調べても載っていない言葉が多すぎ。
文中の会話も昔の田舎の言葉だから原形がなんなのかすぐにはわからないし・・・
と、こちらも最初は果たして全部読めるだろうかと不安になったが、本の最後に各作品の解説が載っていたのでそれを参考になんとか
「ソナギ」は読み切り、続けて他の作品も読んで行くうちにこの作者の文体にも大分慣れてきた。
と、このようにそれぞれタイプが違う本を3冊ぐるぐるローテーションして読んでいるわけだが、読むスピードが上がってきているので、
今は読むこと自体がとても楽しい。
普段誰かと韓国語で話ができなくても、読書がそれを十分カバーしてくれそうだ。
(ちなみに難易度は紹介した順番通り。「週刊朝鮮」がいちばん読みやすく、3冊の中で知らない単語が出てくる割合が最も少ないというのが
おもしろい。慣れると新聞や時事雑誌の方がむしろ読みやすいということか^^;)
今回の旅行、前回と比較すると随分話せたように思う。
もちろん一緒に行った人が多かったから、その分へっぽこ通訳者として話す場面が多かったというのはあるけれど。
でも韓国の友人たちとの言葉の距離がまた少し縮んだような気がして嬉しい。
1年近く韓国語で会話する機会はなかったわけだが、学習自体は続けていたので、いざ話すことになってもそのブランクを感じることはなかった。
「やっぱり韓国語を使う機会は多い方がいいな」と旅行中に思ったりもしたが、もしその機会が
なかったとしても、インプット作業さえ続けていれば口は動いてくれるということがわかったので、あまり悲観する必要はなさそうだ。
ただ、まだまだ私の韓国語には「文法の正確さ」が足りない。
曖昧な文法知識だけが頭に入っているので、状況によっての正しい使い分けが出来ていないと感じる。
また、相手の勘が鋭いおかげで、こちらがしどろもどろになってもなんとか理解してもらえたところも多々あった。
この辺はいつも変わらない私の課題だ。でも、とりあえず友人同士での会話に限っては、大分自分の言いたいことを
言えるようになってきたようだ。だからヘンに緊張したりせず、日本語で話すように気楽に会話を楽しむことができた。
帰国してからは、またいつものように誰かと韓国語を話すことは当分ない状況が続くが、逆に今回の旅行のおかげでそういうことに不安を感じなくなった。
私には「話せるようになるために」一人でやらなければならないこと、一人でも出来ることはまだまだたくさんあるのだ。
今回の旅行で、耳をダンボにして聞かなくても、聞き取れるものは母国語で会話しているようにすっと頭に入ってくるし、相手の言うことが
ストレートに理解できるようになってきたことに気付いた。
言い換えれば、「안녕하세요」と聞いて一々日本語で「こんにちは」と訳したりしないその感覚の延長上にある状態だ。
今までのように聞き取れたわずかな単語を繋げて頭の中で意味を日本語で推測するのとは違う。
これが母国語のように聞き取れるということなのか!とまたまた一人で感激したりして。
ただ、聞き取れないものは全く聞き取れず、それまでポンポンポンポン会話をしていても、そこだけ頭が真っ白になってしまうので、
聞き取れるものとのギャップが激しかった。
そういう時は相手にゆっくり話してもらって、こちらもその時は日本語の思考に切り替え、聞こえる音から自分の頭の中の
単語帳や構文と照らし合わせてあれこれ意味を推測するのだが、そうやってもどうしても何を言っているのかわからないということがあった。
ネイティブの友人も、途中まで会話が弾んでいたのに突然私が「はぁ?」という顔をするのでちょっと動揺してたし。(笑)
考えてみると、今までは聞き取れないことの方が圧倒的に多かったため、常に頭の中は緊張していて、耳に入ってくる韓国語を日本語に一旦訳して意味を取ろうとスタンバイしていたのだが、
今回のように聞き取れることの方が多くなると頭はいつもリラックス状態なので、逆に聞き取れない言葉が出てくると頭の中は突然パニックになるようだ。
一緒に行った人がカバンに付けていた人形。
ソウルの友人達が興味深々で「この言葉の意味は何?」と。しかも電車の中で・・・( ̄  ̄;)

まさかソウルでこんなお下品(笑)な言葉の説明を韓国語ですることになるとは思わなかった・・・
今回の旅行での私の韓国語、相変わらず褒めてくれるのはホテルの従業員とか店員とか、サービス業に携わる人ばかり。(笑)
明からにお世辞。店員はモノを買って欲しいが故に私をおだてているだけだいうのが分かっているので別に嬉しくもなんともない。
何回行ってもこの状況は変わらんなー。^^;
「えっ、日本人だったの?」なんて言われてみたいっす。
でも、今まで私の韓国語を褒めたことが一度もなかった夫が帰国後、「今回明らかに、今までみたいに電話をしてて『え〜と、え〜と』って
言わなくなったよね」と言った。
これは訪韓直前に国際電話で友人と話したときにも言われたことなので、自分では話すことに夢中になっていて意識していなかったがどうやら事実らしい。
ただ、その後テレビで、中国から来た留学生が中国語の訛りがある日本語で一生懸命喋っている場面を見て、「たぶんまことの
話す韓国語はこういう感じだよね。とりあえず意思は通じるけどモロ日本語訛りの」と言われたけど。^^;
しかし、珍しく夫には多少の成長を認めてもらえたが、一緒に行った参加者の一人が私の通訳に文句を言ったので、
それがけっこうショックで未だに引きずっている。
元々今回の旅行の企画は私や夫ではなく私の友人だったことで、私も最初は「みんなを連れて行く」という認識はなく、誰かのために添乗員のようなことをするつもりもなかった。
だが、中に「自分がこの旅行の中心だから、自分の希望は叶えてもらって当然」と考える人がいたことで、結局その人に気を使って
行動しなければならなくなった。
ソウルの友人達の助けもあってその人の希望はほぼ叶ったが、私の通訳には不満があったらしく「(韓国人が話したことを)すべて自分に伝えてない」
と夫に言ったそうだ。
確かに私も韓国人の話すことをすべて完璧に聞き取れたわけでないので、わからないところは伝えようがなかったのだが、私もまだまだ中途半端な学習者、
プロではないし、お金をもらって通訳しているわけではないのでその辺は仕方ないじゃないか、と自分では思うのだが、その人はそうは
思わなかったということだ。
また、私がソウルの友人達と韓国語で盛り上がっているのを見ると、例え自分と関係のない話をしていたとしても韓国語が全くわからないその人にとっては
疎外されたようでおもしろくなかったらしい。
ただ、これは私がその人の立場だったらやっぱりいい感じはしなかっただろうから、それは私の配慮が足りなかった部分もあるだろうけど。
そんなわけで、自分としてはけっこうがんばって通訳をしたつもりだったが、感謝されるどころか逆に文句を言われてしまった。
英語でもなんでも、少しでも外国語をかじれば、下手でもそれなりに通訳できるようになるまでがどんなに大変か分かるし、間違ったことを言ってしまったり、
聞き取れなかったりしても、プロとして通訳にお金を払っているわけではない以上、自分のために一生懸命やってくれたのなら文句は言い難いものだと
思っていたから、それでこっちはガ〜ンと来てしまったわけだ。
このショックから立ち直るには、もはや他人が認めるほどの実力を付け、タダで通訳してもらうのが申し訳ないと思わせるような韓国語の
使い手になるしかないだろう。
というわけで、ソウルの友人達の10月の訪日とともに、この出来事も私の今後の韓国語学習に火を付けたのであった。(爆)
いいだしっぺの東京の友人のドタキャンでどうなるかと思った今回のソウル旅行だったが、ソウルの友人達の協力のおかげで
みんなかなり満足して帰国したので、連れて行く立場としてはホッとしている。
それもこれもすべて韓国人の『友達の友達=自分の友達』という考え方のおかげだと思う。
私や夫だけと親しくするのではなく、他のメンバーにも分け隔てなく話しかけ盛り上げてくれる。
初めて会っても、すぐ自分の友達のような感覚にさせるのだ。
しかも、地元民が行く美味しい店に連れて行ってくれるし、自分の買い物まで付き合ってくれ、その上お土産までくれる。
だからみんな「また来たい♪」と口をそろえて言っていたが、これだけもてなされればそう思うのも当然だろうなという気がする。
本当に今回もあちらの友人達には大変世話になってしまい感謝の気持ちでいっぱいだ。
さらに嬉しいことに、今年の秋夕はひさびさに長い連休ということで、ソウルの友人達がまた私の家に遊びに来る計画を
立てているという。
最近韓国語のモチベーションを維持するのが辛くなっていたが、これでまた気合が入ってきた。(笑)
10ヵ月後には「一体何があった?」と驚かれるくらい話せるようになることを目標にしよう。
(って思っていたらキャンセルになったりして)
年末、実家に帰省すると父がいきなり「チョンチャンジャンのチャンチョンジャンに任命する!」とわけの分からないこと
言ってくるので何かと思ったら、「大長今」でチャングムが位を授かった時の王様のセリフ、
「従九品 参奉として余の主治医に任命する」の「従九品 参奉(종구품 참봉)」のことだった。
(全然違うし)
どうもその位の呼び方の語感が気に入ったらしく、正月中ずっと早口言葉のように繰り返しては「あの位が
どんどん上がるんだよな、おもしろいよな〜」としつこく聞いてくる。誰か止めてうちのおやじを〜!
「BSに加入してるんだし、おもしろいから再放送見なよ〜」と電話までしたのにそのときは全く見ず、地上波で放送が始まってから
急に見るようになり、そのまま一気にBSの後半の再放送まで見てしまったよく分からない父。
おせち料理を前にして「宮廷料理がさ〜」と語り始めるし。
なんだかチャングムの影響が妙な方向に・・・^^;
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