登呂遺跡Q&A
Q.登呂遺跡は弥生時代後期の水田農村の跡、どんな道具を使って、どんなふうに、どんな米を、作っていたのでしょう?登呂の人々の米つくりの様子は今の米つくりと違いがあったのでしょうか?
A,植物としての稲は、もとは赤い米が優勢だったようですが、品種改良を続けて今の白い米が普通になりました。しかし、育っていく様子は、今も昔も同じなので、育てかたや道具に大きな違いはありません。木の農具から鉄の農具へ、牛や馬などの力を利用するための道具など、いくつかの改良や発明がその後ありましたが、基本的に、今の農村とあまりちがいなかったようです。
Q登呂の人々の日常の生活を示す器類は、食物をどのように調理し、どのように器を使ってたべていたのでしょう?いまの食事の様子と違いはあったのでしょうか。食事以外の使われ方はなかったのでしょうか
A,調理には生、煮る、炊く、焼く、いぶす、揚げる、などがあります。弥生時代には、一般にツボに貯え、カメで煮炊きし、タカツキに食べ物を盛る、といわれています。今の器類から大よその使われ方を考えることができますが、大きさの種類は、大量生産でなく必要に応じて作っていたのでさまざまなものがあります。
Q,鉄が腐ってなくなってしまう低湿地の登呂遺跡、さまざまな木製品には、どんな加工のあとがみられますか、どんな様子の刃物でどんな加工をしてさまざまな木製品を作っていたのでしょう?
A,木の道具を作るには、切ったり、削ったり、くりぬいたりします。弥生時代にはまだノコギリがなかったので、板のように縦に割りやすい、スギをたくさん使いました。刃物の加工の様子のあとを見ると、斧や、ノミ、ナイフなどを、木の道具の加工の仕方によって刃物をつかいわけていたことが分かります。登呂の人々の木工技術を考えるとき、今の刃物もたいへん参考になります。