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| NOCHHI.COM 11月4日版 | ||||
| 我が闘い 1 学級王国を崩壊せよ | ||||
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小学校に入学した時の経験がその後のトラウマにもなっていたのかもしれない。 自分は、小1の頃、3歳児と間違えられるほど背が小さかった。 だからか、子供が大好きな高学年の子にとっては、幼稚園生が入ってきた ようなものだった。 |
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そのころ、あの小学校では、6年生が1年生の面倒をみるという ありがた迷惑な制度があった。 6年生にとってみれば、格好のおもちゃがそこに存在したのだ そんなこんなで、小学校に入って一年間は6年生に追いかけられまわされ ぱなしだった。というわけで、今でも、自分より背が高い女の人には コンプレックスがある。(具体的な名前は想像しないで下さい。) |
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2年生になり、平穏な生活が取り戻された。そこから6年生になるまで、2つの
大きな事件を起こしてしまった。 ひとつは、「つっいちゃうぞ事件」である。最近、よく切れる小学生が問題になっているが、自分が時代の先を行ったのか、それとも今の先生が劣っているのかはわからない。この事件の経緯は忘れた。ただ、最後に自分がぶちきれて、担任の先生に向かって、「先生の目、つっいちゃうぞ」と言ったらしい。それも先生に、「やれるもんならやってみなさい」と言われて、シュンとなったそうな。当時の先生は命懸けで生徒を守ろうとしていたのやな。周りは覚えているが自分は忘れてしまった。でも、この事件のセイで、自分を同じ学年で知らない人はいないくらい有名人になってしまった。 このころの自分は、勉強も駄目、スポーツも駄目(サッカー、やってたんだけど)、元気もない、駄目駄目だった。 でも、追い詰められた時、それも、相手がとてつもなく、権力をもっていると感じたとき、"窮鼠猫を噛む"的行動をとってしまう。 4年の時だった。今では、誰にも信じてもらえないが、当時、習字教室に通っていた。教室といっても、近所のおばさんが、勝手に開いているようなところだ。 | ||||
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そのおばさんは、まさにオバサンを体現したような人で、すべて権力に はばを利かせて、何でも命ずる人だった。 ある日のことだった。久々にうまく書けたので、そのオバサンに見せにいくと、 「誰に書いてもらったの?」 である。非常に腹が立った。 そして、幾度かの押し問答の末、最後に自分が言い放った言葉が 「月謝かえせー!」である。 御歳10歳の出来事である。ちなみに月謝はちゃんと返してもらった。 | ||||
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小学校5年になると、あの学校では委員会というものに入らなくてはならない 自分は、1年生から憧れていた委員会に入りたかった |
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それは、放送委員会だった。何故、憧れていたかというと、 冬の朝礼を放送室で、見ることができるから。 そんなこんなで放送委員を2年間、やった。ただ、サボれるだけではなく 意外に面白かった。 |
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| この後、中学受験を無理やりさせられることになった。というのも、初め、Nのーけんに行っていたが、あまりにもダメっぷりで、一番下のクラスに。最下位ではなかったけれど、まぁ、そんなものだった。で、親もあきらめたのか、個別の塾に入れられる。個別の塾は、先生も大学生やら院生だから、結構、楽しかったりする。そして、先生側も実績を強調するために、「お子さんは、4年生なのに、入試問題解けましたよ。」とか、言ったりするのである。親も自分もその気になって、中学受験の小さめの塾に入れられることになった。その塾は普段はきれいめの教室を使うのだが、講習会になると、天井が落ちてきそうなボロの教室を使うのである。そして、授業は体罰中心だったりするから、時々事件が起きる。喧嘩は日常的。自分も先生をペンケースで叩いたことがあった。そんな塾だから、合格実績も滅茶苦茶で、自分は全滅。ほかの人も中位校に受かるのがやっとだった。まぁ、自分の中学の選び方が、近いと東大合格実績だったからしかたないんだけれども。そんな塾でひとつだけ、楽しい科目があった。それが、社会科だった。一つだけ自分に自信がもてた。(完) | ||||
次回の更新はいつだろうか。
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