曲はKOU's LANDから。禁無断転載
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NOCHHI.COM 10月4日版
我が闘い 4 自由と光と影と
卒業式の帰り道、朝の日の光を浴びながら、いろいろなことが頭をめぐった。
それにしても「いつからあのサークルは"あいのり化"したのだろうか。

ふと4年間を思い出してみた。4年間、なにがあったのだろうか。
さっき、後輩から言われた一言が頭の中から、ある記憶を思い出した。
菅野美穂のようなあの声で、「そうですか。」と聞く声を思い出した。
「サークルがサークルらしくなったのか。」バイトをサークル化していた自分 を悔いた。
大学に入ってからもっとも一番初めにしたかったことは、バイト。そしてその中でもっとも興味があったのは塾の講師だった。子供に「今、できなくても必ずできるようになる。」「劣等感を体験したものが上にいく必要がある」ということを伝えたくて。
しかし、前に立って集団で話す実力も学歴もない。
そんななか、ある一枚の葉書がきた。
「個別指導!!  週1回から、後輩のためにちからをかしてくれませんか。」
それは、中学校の時に通っていた塾からのアルバイトの募集で、願ってもいないことだった。
大学には、クラスもない。ということは、サークルにはいらなければ、友達すらできない可能性がある。そう思ってサークル巡りをはじめた。あくまでもバイトの邪魔をしない程度に。
初めに仮入部したのは、音楽部合唱団。雰囲気は良かった。感じも良かった。でも、「今まで誰一人やめたことがない。」というキャッチフレーズがあまりにも嘘っぼかった。そして練習の量が、バイトに悪影響をあたえそうだった。


次に行ったのがGS。高校の時に放送系をやってみたかった、あの思い出から。雰囲気は悪かった。新歓がおわっていたからだと思った。そしてなんとなく入った。それが結論だろう。
GSの初期のイメージはホッブスの言葉を借りるならば、「万人の万人に対する闘争」であろう。最近、友に「サークル内で恋愛をしなかったのか」と聞かれたことがあった。このようなイメージから入ったのだから、むしろサークル内恋愛はコロンブスの卵状態である。

ではなぜ続けられたのか。最初に入ったVJ班が楽しかったから。この一言だろう。ここで、ノッチという渾名になったり、某新進気鋭のベンチャー企業家に出会った。
話が脱線した。バイトの面接は、通塾時代の話だった。履歴書の書き方を注意された。試験は難しかった。
翌週、電話がかかってきて採用が決まった。
暫くは本部教室での研修が続くことになった。
本部教室での研修は楽しかった。後に一番、バイトで楽しかったのは研修の時だったと語って教室長に苦笑いされた経験がある。横市大や都立大、一橋に慶応と色々な大学の人と友達になることができた。
6月も終わり頃、家に電話がかかって来た。2ヶ月の研修も終わり、実際に教える事になったのだ。
配属先は家から一時間の所にあり、決して条件のよいわけではなかったが、研修仲間と一緒だったので大変楽しかった。また新設の教室だったので、最初は生徒が2人しかいなく、これから創っていくという楽しさもあった。
最初のうちは、緊張していたせいか、生徒から避けられていた。段々と生徒が増えるに連れて、自分も経験を重ねて、普通に教えられるようになった。
このころ一番、思い出に残っているのは中3の陸部くん。授業中、眠そうなので、「しっかり起きて」といっていたら、次の週、ドライバーを持ってきて、「これで何をするの?}と聞いたら、「足に刺激を与えて目を覚ますんです。」と言って足をドライバーでガスガス叩き始めた。もちろん、血がでない程度だったけれど。これからもう少しラフな授業をして行かなければと思った。
彼はその後、推薦で合格を決めて高校に進学した。彼を教えている時に、自分のシフト以外の曜日にある高3の女の子が入ってきたらしい。らしいというのは、まったく知らなかったからだ。
(続き)


この物語はフィクションです。