雨の世界 (中編)





しとしとと雨が降り続く。

雨の降る昼は、まるで大気中の汚れ全てが流れてしまったかのように世界が白くなる。

あの女のように、白く……



昼休みになり、直也は部室へ向かっていた。

翔に「用事がある」と言われて呼び出されたのだ。

歩きながら、直也は思い返す。昨夜は散々だった。取材は女が飛び降りたことで一応終わりになった。だが、家に帰って眠ろうとしても女の顔が脳裏に浮かんで、ほとんど眠れなかった。

眠い目をこすりつつ、直也は部室の扉を開ける。

中ではたくさんの本に埋もれるようにして、翔が本を読んでいた。

「やぁ、翔。いったい何の用?」

直也の声に、翔が目を上げる。だが、その口から発せられたのは挨拶ではなかった。

「……不味いことになった」

翔の目元に険がよっている。翔は通常、余程のことがない限りこんな表情はしない。

「な、何が不味いのさ?」

翔の雰囲気に気圧され、うわずった声で聞いた直也に、翔は顔をしかめたまま答える。

「昨日の幽霊だ。楽観視しすぎていた。あれは悪霊だ」

悪霊――!! 息をのんだ直也にかまわず翔は説明を続ける。

「最初から疑問に思っていたんだ。何故、『雨の夜の学校に来てはいけない』なのか。『来てはいけない』という忠告の意味は何だ?『雨の夜の屋上に幽霊がいる』で十分じゃないか。ただそれだけの怪談はいくらでもある。何の忠告なんだ?」

答えを求めていたわけではないらしい。考え込んだ直也にかまわず、翔はまた口を開く。

「昨夜、幽霊が屋上を飛び降りたのを見て、嫌な予感がした。『屋上の幽霊』でなく、『飛び降りる女』という要素が異界を構成する異分子ではないかと」

怖気が走った。直也は想像してしまう。あの世界で、休む間もなく飛び降り続ける女のことを。

「朝からずっと資料を調べてな。確信した。これだ」

そう言って翔は何冊かの本を机に広げてみせる。写真付きの事故記録だ。

「雨の夜、あの屋上で、今まで3人の女が飛び降りている。……見ろ」

直也は、翔から告げられた事実に愕然としながら、指し示された写真を見る。3人目の女の写真。それは

「こ、これは!」

あの女だ。表情はまるで違うが、確かにあの女だ。

屋上にいた幽霊は、飛び降りて死んだ女だったのだ。

吐き気がする。直也は思わず口を押さえた。白い眼がこちらを見ていた。あの女に、見られてしまった。

「この写真から分かるように、あの女は1人目じゃない。3人目だ。このことから、ある危惧すべき事態が浮かんでくる」

危惧すべき事態?

直也は、何とか吐き気をこらえる。

「元々、『雨』、『夜』、『学校』、『屋上』では異界は成立していなかったんじゃないかと思う。だが、そこにあるときもう一つの異分子が加わった。1人目の女の飛び降り自殺だ」

直也は1人目の女の写真を見た。髪の短い、暗そうな女だ。

死因は自殺と断定されたらしい。遺書が見つかったと書いてある。

翔の説明が続く。

「『飛び降りる女』という異分子を得、めでたく異界は成立した。『雨』の『夜』の『学校』の『屋上』で、『飛び降りる女』がいるという異界がな。まぁ、そこまではいい。異界などどこにでもあるからな」

翔の声が真剣みを帯びる。ここからが本題だ。

「問題は、何故2人目3人目の『飛び降りる女』が出たか、だ。異界として成立したならば、新たな異分子など必要ないはずだろう。2人目3人目は『雨』の『夜』の『学校』の『屋上』で、『飛び降りる女』を目撃するだけでよかったはずだ。2人目3人目が異界を構成する異分子となった理由は何だ?」

2人目も3人目も、遺書は見つかっていないそうだ。

直也は知っている。2人目はわからないが、少なくとも3人目は異界に組み込まれていることを。

翔が何かを考えるように目を閉じて、続ける。

「恐らく、異界の原型、雛形は『雨』の『夜』の『学校』の『屋上』なのだろう。飛び降りる女は異界を成立させるためのスイッチに過ぎない。女なら、誰でも良いんだ。―――そう、琴乃でも」

翔の言葉に、直也は驚く。琴乃でも良い?何のことだ?

「2人目と3人目は、恐らく雨の夜に屋上への扉を開けてしまったのだろう。その途端、異界に取り込まれ、スイッチの『飛び降りる女』が入れ替わった。だからこそ、昨夜出会った幽霊は3人目の女なのだろう」

話がきな臭い方向へ向かっていく。琴乃は…まさか。

「2人目と3人目が何故異界への扉を開けたかは分からない。元々スイッチをやっていた女がどうなったのかも…。いや、これは成仏したと考えるべきか…。異分子でなくなったならば、普通に死んだものと見るべきかな」

「ちょっと待ってよ!琴乃は…大丈夫なの?」

結論を先延ばしにしている。そんな気がして、意を決して直也は聞いた。

翔の眼に躊躇いが走る。しばらく迷った後、翔は口を開いた。

「異界に踏み入れた時点で、スイッチが代わったと見るべきだろう。今のスイッチは――琴乃だ。たまたま、飛び降りなかっただけだ。恐らく、カメラのフラッシュで一瞬『夜』という異分子が消えたからだと思う。あの瞬間、異界が崩れた。だから無事だったんだと思う。今は…異界を構成する夜がないから無事なだけだ」

「じゃあ、琴乃は?」

「……条件が揃い次第飛び降りるだろうな。雨はしばらくやまないらしいから…多分今夜だ」

「そんな!どうにかならないのか!?」

悲痛な声になる。琴乃が、琴乃が死んでしまう?

翔が直也を見る。にらみつけるような、そんな力強い眼。

「助けてみせるさ。俺は『怪奇現象対策係』だ。こう言ったことが俺の仕事だ」




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