雨の世界 (後編)
雨は降り続く。しとしと、しとしとと。
雨は降り続く。全てを、洗い流すかのように。
雨は降り続く。矮小な人間全てを飲み込んでしまうかのように。
雨の中、直也達は全てを終わらせるために学校に来ていた。
「私、別に何ともないから。大丈夫だよ?」
琴乃が、また同じセリフを言う。もう何度目の言葉だろう。
昼休みの会議の後、翔は琴乃にも同じ説明をした。その時から、琴乃は「大丈夫」と言い続けている。
対する直也の答えも同じだった。
「楽観視しちゃダメだよ。僕がいなくなった途端、屋上に走り出すかも知れないって翔が言ってたよ」
直也は昼からずっと琴乃と一緒にいた。明確に何時からが『夜』なのか分からないため、ずっと琴乃を監視しておけと翔に言われたのだ。
その翔は今、何かの準備をしているらしい。琴乃に説明してからずっと姿を見せない。
「でも、危険だよ?」
「心配ないよ。翔は『怪奇現象対策係』だから」
翔は言った。「助けてみせる」と。
直也の知る限り、翔が約束を違えたことはない。だから、心配ない。
「でも…」
「待たせたな」
まだ何か言おうとする琴乃の言葉を遮り、学校から突然翔が現れた。
リュックサックのような物を持っている。その中の物が『準備』なのだろうか?
「翔!ずっと学校にいたのか?」
「ああ。どうしても学校にいる必要があったんでな」
翔の声に、少し疲れたような響きが混じっている。
一息つき、翔は語気を強くして言った。
「いくぞ。準備は整った。後は実行するだけだ」
「俺の計画を説明しておこう」
屋上へ向かう道すがら、翔が説明をはじめた。
「まずは目的を明らかにしておこうか。目的はもちろん琴乃を救うことだ。異界のスイッチとして組み込まれた琴乃を救う。これが目的だ」
琴乃が顔を曇らせる。自分のために直也達に迷惑をかけるのが心苦しいらしい。
「では、目的を達成するためにどうすればいいか?いくつか、方法を考えた。一つ目はスイッチを代えることだ。琴乃が飛ぶ前に、5人目を屋上に連れていく。そうすれば、スイッチが代わって琴乃は助かる」
翔の言葉に、琴乃が慌てて「ダメだよ!」と叫ぶ。翔は薄く笑って冗談だ、と言った。
「もちろん、これはダメだ。琴乃は助かっても5人目は確実に死ぬからな。それに5人目の心当たりもない」
翔が言葉を切り、リュックを担ぎ直した。中は結構重そうだ。
直也がリュックの中身を聞こうとした時、翔の説明が再開された。直也は口をつぐむ。
「二つ目の方法は異界を構築する異分子を壊すことだ。どれか一つでも異分子が壊れれば異界は消える。だが、夜や雨はさすがに壊すことは出来んな。壊すとしたら学校、あるいは屋上か」
リュックの中身は爆弾なのかしらん。直也はぼんやりそう考えた。
琴乃もあまりの言葉にぽかんとしている。
二人の様子を見て、翔は肩をすくめて言葉を続ける。
「この場合、琴乃は助かっても俺が警察に捕まる。だからこれも却下だ」
これも冗談だったか…直也と琴乃は揃ってため息をついた。
気にせず、翔がまた口を開く。
「三つ目…これは二つ目の方法の延長上にある物だが、異界を構成するスイッチを壊す」
翔が琴乃の方を振り向く。琴乃は驚いた顔で言った。
「ええ!?私、壊されちゃうの?」
「……違う。スイッチは『飛び降りた女が死ぬ』ことだ。その定義を壊す。琴乃のやることはただ一つだ。屋上から飛び降りて、死ぬな」
酷い無茶を言っている。案の定、琴乃が反論する。
「でも、私屋上から飛び降りて死なないほど丈夫じゃないよ」
「知っている。だから、こいつを使う」
翔がそう言って、リュックから何かを取り出す。
どこかで見たことがある。確か、これは体育館のロープ登りのロープだ。
「命綱だ。長さは調節してある」
「………………。」
ぽかんと口を開いたまま、琴乃が言葉を失っている。
直也は自問した。翔に任せて本当によかったのだろうか?
翔の作戦は、まとめるとこんな物だった。
恐らく琴乃は屋上に出た途端に飛び降りてしまうだろう。
だから屋上へ出る前に命綱を結んでおく。命綱の端は階段の手すりに。強度は調べておいたらしい。
屋上へ出て、琴乃が屋上の端に走っていったら、あらかじめ翔が学校で作っておいた照明弾を投げる。夜という異界の要素を弱めるのだ。
飛び降りた琴乃を、直也と翔の二人で屋上に引き上げる。全てが上手くいけば、異界のスイッチは壊れ、異界は消えるだろう。
「準備は良いか?」
翔が屋上への扉に手をかけて言う。直也と琴乃は同時に頷く。
琴乃には命綱を結びつけてある。結び目の強度も確認した。また、直也は両手に照明弾を持っている。完璧だ。
「いくぞ」
異界への扉がゆっくりと開かれる。
その途端。
走り出したのは、琴乃ではなかった。
「直也!!」
「直也君!!」
翔の焦った声。琴乃の悲鳴。それらをぼんやりと聞きながら、直也は虚空へと飛び出した。
屋上が遠くなる。
ああ、浮いている。
直也は浮いていた。
異界への扉が開かれた途端、足が勝手に動いた。
何故、琴乃ではなく自分なのだろう?
落ちながら直也は考えた。そして直也は全てを理解した。
スイッチは『飛び降りる者』だったのだ。『飛び降りる女』ではなかった。
今まで3人全てが『女』だったため、翔は見誤ってしまったのだ。
直也は白い眼を思い出す。
あの眼で見られた瞬間、直也がスイッチになったのだろう。
翔の言葉が脳裏に浮かんだ。助けてみせ―――――
直也の身体に衝撃が走った。直也の意識が虚空に散った。
「………!……君!…也君!直也君!!」
誰かが自分の名前を呼んでいる。
起きなければ……
意識が浮上する。気怠い眠りから叩き起こされる、そんな感覚。
「……うう」
うめいた直也に、何か柔らかい物が覆い被さってきた。
「直也君!よかった!無事だったのね」
なんだか甘い匂いがする。何だろう…?
「直也。無事か」
その言葉に、直也の意識は急速に現実を認識しはじめた。
翔が心配そうにこちらを見ている。琴乃は…?
「直也君!よかった…。心配したのよ?」
直也に覆い被さっていた物が声を出した。直也は慌てた。
琴乃に抱きつかれている!
だが、そう認識した途端琴乃は離れてしまった。少し残念に思う。
「そうか、僕、助かったのか…」
改めて自分の状況を確認する。多少擦り傷と打撲はあるようだが、大きな怪我はない。
辺りを見回すと、自分が部室にいることが分かった。イスを4つ並べて、その上に寝かされていたらしい。
ふと、疑問が浮かんだ。
「でも、何で僕助かったの?屋上から落ちたはずなのに」
そう、確かに自分は屋上から落ちたはずだ。命綱も無しに。何故助かったのだろう。
直也の問いに、翔が無言で校舎の方を指さした。
地面に何か分厚い物がしかれている。
「高飛び用のマットだ。あれを2段重ねにして置いてあった。お前はその上に落ちたんだ」
「なんであんな場所にマットが?」
「……用心のつもりだった。万一、命綱が切れてしまった時のための」
「そうだったんだ。ありがとう。助かったよ」
直也がそう言ったとき、翔の顔が歪んだ。
突然、翔が頭を下げる。
「すまない。完全に俺のミスだ。危険な目に遭わせて悪かった」
直也は慌てた。何故、翔は謝っているのだろう。
「『女』が鍵だと思いこんでしまっていた。お前が呪われやすいと言うことも忘れて。これでは、対策係失格だ。本当にすまなかった」
土下座せんばかりに謝る翔。そんな翔の姿を、直也は初めて見た。
だが、どう考えても謝るのは筋違いだ。直也は言った。
「そんな!謝らなくて良いよ。この通り、助かったわけだし。それに、翔がいなければ僕はたった一人で何もない地面に飛んでたわけなんだから。むしろ感謝してるんだ」
「しかし、俺はお前を危険な目に遭わせてしまった。一歩間違えれば死んでいたんだ。助かったのは偶然だ」
「偶然でも何でも、助かったんだからいいじゃない。僕も琴乃も、そして翔も無事なんだよ。それに異界だって消えたんだろう?」
「…ああ。異界は壊れたよ。もう大丈夫だ」
翔の言葉に、直也は安心する。
あの雨の世界は消されたのだ。そう、他ならぬ翔の手で。
確かに飛び降りたのは直也だが、マットを置いたのは翔だ。異界を消したのは、やはり翔なのだ。
「ねぇ、二人とも!見て!雨がやんだよ!」
その時、琴乃が空を指さしながら声を弾ませた。
直也達もつられて空を見上げる。
星が見えた。
ああ―――――終わったのだ。
そんな実感がわく。
「外に出ようよ。星がよく見えるよ」
いつのまにか外に出ている琴乃が誘う。
部室から出て、3人並んで星空を眺めた。
「ねぇねぇ。私たちって、もしかして学校の怪談を一つ無くしちゃったんじゃないの?」
突然、琴乃がいつも通りの無駄に嬉しそうな声で聞いてきた。何を今更、と言った表情で翔が答える。
「まぁ、そうなるな。俺達3人は学校の怪談に挑んで打ち勝ったんだ」
「すごい!すごいよ!私たち、すごいことやったんだよ!」
琴乃はとても嬉しそうに笑った。
つられて直也も笑ってしまう。
見ると、翔も笑っていた。
星空の下、3人は笑いあった。
綺麗な星空だった。
了