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カラーとモノクロの遠近感
「NHKドキュメンタリー『昭和の映像の記録』について」

20031104作成 
20031105更新 

 

昭和初期の戦前〜戦中のカラー映像を集めたドキュメンタリー
雰囲気は超名作の「映像の世紀」の焼き直し、
っていう感じで
(ところで、「映像の世紀」の方法論って
 「Shoah」の方法論へのアンチテーゼから
 出発してると思うんだけど、どうでしょう)
昭和初期の町並みや風俗を記録したもの、
個人的なホームビデオのようなカラー映像から始まって、
戦中のアメリカ軍による記録映像を経て、
戦後の映像にいたるっていう、まあよくある流れなんだけど、
「カラー」っていうだけで、説得力が全然違う。

なんていうか、白黒映像だと、
フィルターを一枚介して、
まあ、昔の話だしね、みたいな感じで
記録されている世界と、決定的な断絶を感じることができて、
「安全で清潔で理不尽なことのない世界」=「カラー」・「現在」
に対して
「危険で不潔で理不尽このうえない世界」=「モノクロ」・「過去」
っていう構図で距離を置いてみることができる。
だから、俺としては、モノクロの記録映像なんかは
安心して、
「昔は大変だったナァ」
ぐらいの感じで、いくら「映像の世紀」が扱っている題材が深刻でも
鼻くそほじくりながら見るぐらいの余裕があったのだ。
モノクロだと、今現在、俺が生きているこの世界と
連続のある世界の出来事という感じがしない。
カラー映像がリアルである自分には、モノクロ映像の
出来事は、「物語」であり、ひとごと、という感じしかしない。

しかし、カラーで、
「武運長久」とか書いたのぼりをはためかせて走るトラックや
割烹着を着て日章旗を持ってマスゲームに励む国防婦人会のご婦人方
万歳三唱で出征を「祝う」パレード
なんかを見せられると、
今まで、モノクロ映像で見なれて
他人事としか、思っていなかった世界の出来事が、
確実に自分の現実と連続性を持っている出来事であることを
見せつけられた思いなのだ。

あまりセンスなしなことをいうつもりはないんだけど、
カラー映像やカラー写真には「歴史の重み」は感じられない。
なぜなら、どんなに荘厳な、もしくはドラマチックな情景であっても
カラーで記録されているそれは、
現在の延長にあるものとして感じられ
「過去」としての断絶を持っていないために
まだ「歴史」と認識することができないからだ。
例えば自分の中で、「ソビエト崩壊」は歴史上の出来事ではないし
「湾岸戦争」も
自分はまだ生まれていなかった「オイルショック」も
「キューバ危機」も「冷戦」も
それは現前としてある「社会問題」の先にあるもので、
カラー映像で見せられる出来事は
「自分が考えなければならない、自分達の社会の問題」
である。

たしか内山節か鷲田あたりがいっていたことだと思うけれど、
「過去」は絵画や写真でいうところの「遠景」であり、
「遠景」が、それと認識されるために、
その手前にある「近景」が必要なのだとしよう。
この場合、「カラー映像」を近景、
「モノクロ映像」を遠景として、
映像の歴史的な遠近感を認識していた自分にとって、
たとえそれが、すでにモノクロ映像で見なれた
「昭和初期」であっても、カラーで見せられたそれは
「近景」として認識される。

あまりセンスなしなことをいうつもりはないけど、
まあ、日常的に将軍様を祝うマスゲームに興じる
北朝鮮の姿を見せられているから、それと
オーバーラップするために近しく感じる、
ということはあるかもしれない。
確かに。

20世紀の総括は愚か、昭和の総括も終わっていない
ということを、「カラー」ということで
見せつけられた思いがした。

思ったよりも、断絶はないのかもしれない。
と、思ったりもする。

自分は、非常にモガ・ボガとか、大正・昭和のレトロな雰囲気は
好きなのだが。