3月23日
「『ユーゴスラビア』という国家」

 朝からアバラ・ペンションという難民キャンプへ行く。ここは昨日のアバラ・ホスピタルと同じように、子どもの数がすごく多いキャンプ。20〜30人くらいかな。でも、今日はコーディネーターのガガの力でかなり統率の取れた活動ができた。不安だった活動案のひとつ、福笑いが予想以上にウケた!
     アバラの子ども 縄跳び中! アバラの子ども

 昼頃帰宅。ガガが家まで来てくれて、活動に対する疑問や注文を聞く時間を設けてくれた。うちらの活動の良し悪しを聞いたら、過去のボランティアは競争する遊びが多かっただけに顔はめなどの活動がとても良いと言ってくれた。そして、「子どもたちは学校以外に何もない。親も(難民キャンプにいるために将来に対する)希望がないなどを理由に子どもと遊んであげずに放っておく人が多い。あなたたちがいてくれるだけでも良いのよ。(活動は)失敗しても良いのよ」とも言ってくれた。

 そのうち、メンバーの一人からの質問をきっかけに、ガガの歴史のレクチャータイムへ。主にガガの歴史講座、個人的な見解、つまりはコソボ紛争に関するセルビア人(もっと言えばコソボにいたわけではないセルビア人)側からの話を2時間くらい。ブッダの話も聞くことができた。
 ブッダはその時に、こんな印象的なことを言ってくれた。

「たった70年程しか存在しなかったけれど、ユーゴスラビアは違った文化が一緒になった“Great country”だった」
 現在、「ユーゴスラビア」は5つの共和国に分かれてしまい、さらにセルビア・モンテネグロでは、コソボが自治州として事実上の独立をしている。2年後に予定されている国民投票では、モンテネグロも分離してしまうかもしれない。異なった文化(宗教も慣習も家の形も)が共存していた国は今、バラバラになってしまった。
 ブッダは77歳。ブッダはユーゴスラビアという国とともに生きてきた。そんなブッダが発した言葉である。

 その後、ブッダが作ってくれていた豆にこみとゼラチンで遅い昼食を済ます。食べ終えてからはセンターまで出て、カフェでさっきのガガとブッダからの話やイラクのことについて、確認作業と討論。
 カフェでは長い時間話していたので、夕飯を自炊にするとブッダに迷惑がかかるかもだったからパンを買って、ベーコンエッグなどとともに夕食。
 夜は明後日行くビディコバッツにある難民キャンプでの活動についてや明日の予定についてのミーティング。おもしろおかしく、長々とやり、結局終わったのは26:00。
 このまま寝ずに明け方から中国大使館の誤爆跡を見に行こうとも思ったが、限界が来たらしく寝ることに…。