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3月29日
「国際社会は何をしたか」
朝、メンバーのひとりの帰りのチケットを購入し、それからグルッパのカレメグダン公園へのピクニックに参加。説明するのが大変な遊びを何個かいっしょに楽しむ。障害を持っている子はけんけんぱもうまくできないということに少なからず驚いた。
11:15頃にはキャンプへ行くために抜けて、帰り道で昼飯を買い、家に一回帰った後でバンに乗ってアバラ・ホスピタルへ。この日はみんなすでに疲れている感じだった。
車を出たら“マッツァ、マッツァ(←僕のニックネーム)”と言いながら荷物を持ってくれた(はぎ取られた!?)。嬉しかった。
ホスピタルはこの前よりも人数が少なかった。年長組がいなかった。トロエンは何でも素直に言うことを(言葉は通じないけれど)聞いてくれていた。ニコラはみんなでサッカーやっている時も木に登って見ていたから“アイデ!(おいで)”と誘ってみたが、キザっぽく人差し指を立てて「ちっちっち」という仕草をしながら“ネー(Noの意)”を連発してきた。アッツァは相変わらず年齢の割に貫禄十分。
草むらサッカーのあと、建物のところまで戻る坂道は子どもたち4〜5人に文字通り引っ張られながら駆け上がるはめに…。喜んではくれるんだけど、疲れる疲れる。途中でギブアップの意思表示のために道ばたで寝っ転がったら、上に乗ってきて遊ばれるし。
そんなこんなで今日の活動も終了。ホスピタルでの活動も今日で終了。帰る時、子どもたちはいつもみたいに外まで走りながら見送ってくれたが、自分的には寂しかった。

左:アバラ山からの景色。 右:99年の空爆で破壊されたテレビ塔(2003年現在の状況)
家に帰る前にアバラ山の頂上を観光させてくれた。アバラから見える景色は薄雲がかかっていたがきれいだったし、センターと違って空気が澄んでいた。この山をブッダ(77)が登っているのにはやはり驚きだ。
その帰り道、アバラのテレビ塔を通った。99年の空爆で破壊されたものがそのまま倒れて残っていた。予想以上の大きさ。車の中からだけだったが当時はどれだけ大きかったか、そしてそれを壊した空爆の力強さに恐怖を感じた。
セルビア人のドライバーは“I hate NATO!”と冗談っぽくだが、力こぶしを作りながら言っていた。
帰宅後はグロツカでの子ども服問題のために来てくれたベオグラード大学に留学している人がセルビアの政治の話もしてくれた。
暗殺されたジンジッチ首相のこと、選挙のこと、セルビア人の民族性、モンテネグロが独立してしまうとセルビアにとって困ることがあるということetc...その中で最も印象に残ったことはミロシェビッチについての話だった。
「セルビア人がNATOの空爆に怒っているのは、それがなくても時間さえあれば民主的な方法でミロシェビッチを追い出せたと思っているからだ。ミロシェビッチは国民的に人気がなかったし、誰が見ても悪いことをしていないとは言えなかった。しかし、国際社会はセルビアを孤立させた。その状況下で国際社会に向けて発言できるのはミロシェビッチだけであり、ミロシェビッチに頼らざるを得なかったのだ。」
セルビア人としては、ミロシェビッチもシェシェリも悪いのはわかっているが、ICC(国際刑事裁判所)などに送られるのがセルビア人ばかりということは不満らしい。
夜はカレー。相当おいしかった。
初のサマータイムを体験。26:00になったら27:00に時計を進める…が、23:00頃に時計は進めた。人生の1時間を損した気分だった。
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