この考えは「平和」について少しでも深く勉強した場合に多くの人が持つ考えだと思います。これには二通りあります。
一つ目は紛争や内乱など平和ではない地域における教育です。
それら多くの国では民族問題などにより身近な人たちが殺し合いをしています。そのため、それらの人たちは憎しみ合い、相手を信じません。だから、当然和解交渉などもうまくいかないし、親は子どもに「父親を殺したのはあいつらだ。復讐するんだよ」というように教えているかもしれません。そういった憎しみは絶対にすぐには消えません。
でも、これらの地域の子どもたちには平和教育を行うことで、時間はかかっても将来的に、憎しみ合っていた相手を交渉相手、さらには同じ人間であると思うように育つ環境を作れます。それは紛争地域を平和にするのに重要な役目を負うでしょう。
二つ目は先進国における子どもたちへの平和教育です。
僕はこちらの方を今以上に推し進める必要があると考えています。
現在の先進諸国の豊かさは発展途上国からの搾取的な経済体制の上に成り立っています。さらに、多くの紛争の原因として、現先進国における過去の無責任ともいえる植民地政策などが関係しています。パキスタンとインドの緊張関係はその一例です。
そのような状況にもかかわらず、先進国における多くの人々の関心は「いかに儲けるか」という方向に流れています。
小学校くらいの段階から平和教育を行うことで、そこからの世代の子どもたちは小さい頃から、世界には「問題」があるということを知ることができます。
それは「平和」という問題に対する関心を小さい頃から持つきっかけになります。さらに、関心が広がることで政府による援助は国民の理解を得やすくなるのでそれを増やしやすくなるだろうし、街頭募金の額も増えるでしょう。
また、先進国においてはあと何十年かで戦争を体験した人たちがいなくなります。そのために、ともすれば「戦い」という選択肢を安易に選びやすい時代になります。そういった可能性を未然に防ぐ意味でも先進国における小さい頃からの平和教育は重要なのです。
問題の存在自体を知らないこと、無関心、これらはこの問題にとって致命的です。
なぜならば、国家は自国の国益をまず考え、これを変えられるのは国民次第だからです。経済状況、失業率の低下などは当然重要です。でも、それだけではダメな時期にきています。貧富の格差、環境問題などを見過ごしてしまっていた過去をいつまでも続けていてはいけないのです。
民主主義国家において、国益第一の国を変えられるのは国民、つまり世論の力だけなのです。そして、その世論形成は国民のその物事に対する関心度によります。
ちょっとずつでもいいから、普段の生活で考えてみませんか?