寒い日が続きますが如何お過ごしでしょうか。皆様にはもっと早くに御礼を、と思っていたのですが中々色々手につかず遅くなりましたことをお詫び申し上げます。皆様のおかげで無事、本日一周忌を迎えることができました。又、母の病気等、亡くなるまでの一年弱の間、母が死に向かっているという事実を認識したくないという私の弱さから皆様に母の事を御話できなかったことで皆様に不愉快な思いをさせてしまった事、多大なるご迷惑をおかけし続けた事をお詫び申し上げます。亡くなってからの1年、本当にみなさまに支えられてここまで来れたと思っています。この後に御話しすることは本来なら人に御話しすべき事ではないのかもしれませんし、御礼に添える文としては非常識なのかもしれません。ですから読みとばされても結構です。私が皆様にどうしてもお伝えしたいのは前後だけです。

母の乳癌の再発で私はこの一年多くの事を考えてきたつもりです。世の中に起きる全ての事には必ず何らかの理由があって必ず良い結果へと繋がっていること、何を考えて生きるかということが幸せにつながっている事を学び得たつもりです。大学受験に失敗し、渡米を諦めかけ私の人生はここにきて挫折ばかりのように感じていました。でも東京にいたら、アメリカにいたら母との残りの時間をこんなにも多くすごせなかったでしょう。又、母の病気がなければ私はまだ今も母を傷つけ続けていたかもしれません。6年前、母が癌と診断され入院した時、私は初めて家に母のいない状況に直面しました。それまで家に帰れば「おかえり」が聞こえていた状況が一変しました。けれど私は「寂しい」を言い出せずにかた意地をはる事でその心にぽっかりと開いた穴を埋めようとし、結果、母が再発する一年前まで母に冷たくあたり母を深く傷つけ続けてしまいました。母にとってはこの一年も私は冷たい薄情な娘であったかもしれませんが、私にとってはこの一年がとても幸福なものでした。母の死は私がこのような幸せが永くは続くはずがないと感じた矢先の出来事でした。幸せというものは中々実感できるものではないのでしょうが、私は母と父の子とそして生まれたことを本当に喜び、もし生まれ変われることができたとしてももう一度この地球の下で母と父の子として生まれたいと心底思えたのは母のおかげです。しかし、私は自分の幸せ論ばかりでどうして母の幸せをもっと考えてやれなかったのかという事、母は病気と闘いながらこんなに日々が長く続くだろうと私が安易に思っていた事を今は悔やんでいます。

母が亡くなった時、私は一時間近く病室の床に座り込み、母の手を握ったまま病院の廊下に響くような大声で泣いていました。今思えばなんて稚拙な行動だったろう、と思えるのですが母が一番愛していたのはいつも泣きながら母を追っかけていた小さな私でしたから子供のように泣いたら手を握り返してくれると本気で思っていました。でも、癌患者の多い病棟でとった私の行動は他の患者さんに嫌な連想を与えていないだろうか・・と今は申し訳なく思っています。
また、同級生のお母様が同じく、乳がんで入院されていました。母が亡くなった時に見舞って頂いたにも関わらず、床に泣き崩れたままでした。そんな私を見て、お母様は同じ歳の娘がいる同じ母として自分の死を連想しまったのではないかと、胸が痛みます。しばらくしてお亡くなりになった時、病室での行動を本当に後悔しました。母が亡くなり少し経っても母の死をしっかり実感できずにいた私が日常に同化していくのはとても簡単でした。きっと私はそんなに変わりなく笑えていた事と思います。けれど、家に戻った時の脱力感は計り知れないものでした。母が最後に入院する前日に私が学校に遅れないように朝起きられるかという心配ばかりしていました。又、よく遅く帰ってきたりした時や、食べるのが遅くて最後しなってしまっても、母は一人にならないように、よく隣に座ってくれていた事を思い出し、生活が日常化していって初めて母の愛情の大きさを理解しました。今はどうして母の事を考えもっと大事にできなかったかと、生きている間に其のことに気づけなかった自分を責めずにはいられないのです。夜毎この事を思い出し、涙を止められずにいます。私は母の死を生涯受け入れることはできないかもしれません。それでも私は構わないと思っています。たとえ瞼に残る涙の重みが消えることはなくても母に愛された幸せの余韻を大切にしたいと思うのです。

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一周忌を迎え、みなさまに心よりお礼申し上げます。