|
女子高生と猫男 花椿キャラ設定作成者&猫男のキャラ設定した人
第1話 @ワインレッドの絨毯が敷き詰められた広い空間に、鳥かごの形をした大きな窓から、朝の柔らかな陽光が降り注ぐ。純白の絹の天蓋がさらさらと輝く。その白に包まれるように眠っていた少女が目を覚ます。 少女の年齢では考えられない、キングサイズの天蓋付き高級ベッドは、もちろん寝心地も揺りかごに負けないほど抜群だ。しかし、目を覚ました少女の表情は、どこか憂鬱を象っていた。 ベッドに腰掛けながら、少女はぼんやりと窓の外を見やる。目に映るのは太陽の光、青々とした空、爽やかな、美しい朝の光景だった。 A「くだらない」 少女は口元を歪める。 ――すべてのものが忌々しかった。窓の外の美しい光景も、豪華なベッドも、広い部屋も。それらは、少女を少しも楽しませてくれない。 「くだらない」 同じ言葉を繰り返し、少女はベッドから立ち上がった。そろそろ支度を始めなければ、学校に遅刻してしまう。――皆勤賞を狙っているわけではないが、遅刻する必要もない。そんなことに何の意味もありはしないのだから。 「……眩しい」 太陽の光が疎ましい。日焼けだってしたくない。 いっそのこと、太陽などなくなってしまえばいい。――そう考えて、少女は苦笑する。太陽がなくなれば地球も終わりか。 ゆっくりと窓に近付く。カーテンを閉めようとして、ふと外を見る。上を見れば、美しく、忌々しい空と太陽が目に入る。 ため息を吐いて、少女は視線を落とした。目に入るのはアスファルトで舗装された道路と、疾走する車、歩行する人間。いつもと同じ、ありふれた朝の光景だと少女は思っていた。 ――それを見るまでは。 B「え?」 少女はぽかんとして、思わず目を擦った。……見間違いではない。 ――少女が彼を見つけたのは、この時だった。 この景観にふさわしくない見たことのない生き物が外を歩いている。体の大きさは人間大、しかし体は離れた所から見ても明らかにふさふさの毛で覆われていた。そしてその頭からは猫型の耳。おまけに二足歩行。 ――猫が大きくなって二足歩行しているのだ。その男は言ってみるならば。 「…………猫男」 無気力な少女――花椿雅は、生まれて初めて恍惚の表情をその美しい顔に浮かべた。 「素敵」 あっと言うまの出来事だった。猫男はすぐに見えなくなってしまった。花椿は、それでも窓の外から目を逸らさない。目の奥の、猫男の残像を放すまいとした。すると、あることに気づく。 ――猫男は、自分と同じ学校の制服を着ていた。 C「……いけない」 猫男の制服を見て思い出した。早く支度しなければ遅刻してしまう。 枕元に置かれていた目覚まし時計を掴んで時間を確認する。途端に花椿は舌打ちをした。 「やだ」 花椿は慌てて制服に着替え始めた。時間がない。朝食は抜きか、と花椿はため息を吐く。 「最悪、ね」 その言葉とは裏腹に、花椿の黒目がちの瞳は生き生きとした輝きを放っている。 手櫛で髪を整えながら、壁に掛けられた大きな鏡の前に立って全身を点検する。幸いにも寝癖はついていない。制服もきちんと着ている。 花椿の学校の制服は紺色のブレザーに同色のプリーツスカート。特に凝ったデザインというわけではなく、一般的で無難な制服だ。 ……強いて言うなら胸元を飾る白いリボンタイが可愛らしいだろうか。とは言っても制服が可愛いから、という理由で入学を決めた生徒はまずいないだろう。大抵の人間はそう思う。花椿の制服はそのようなものだった。 それでも、花椿はこの制服が嫌いではなかった。彼女はこの制服を着くずすことなくきっちりと着る。スカートは膝を隠し、リボンタイはしっかりと結ぶ。 「早く行かなきゃね」 鏡の前で、もう一度リボンタイを結び直した。彼も学ランをきちんと着ていた――先程の光景が頭に浮かび、花椿は笑った。 ――学校に行けば、彼に会える。 まるで恋する乙女のような、しかしそれとは異なる感情に彼女は支配されていた。 ゆっくりとドアを開け、彼女は部屋を出た。ドアを閉めようと振り返ると、部屋の窓から注ぎ込む太陽の光が眩しかった。 それを見て、彼女はドアを閉める。パタンと音を立てて完全にドアが閉まり、もう太陽の光は見えなくなった。 彼女はくるりと向きを変え、目的の場所へ進み始める。 彼女と彼の通う学校――桜花学院へと。 第二話 @桐谷亮介は猫男である。猫男について――その存在を知らない者がほとんどであるが、一見猫の着ぐるみのような本物と思ってもらえればいい。体の大きさは人間大で、全身がふさふさの毛で覆われている。猫が大きくなって二足歩行しているような生き物なのだ。 猫男は老若男女、誰にでももてる。誰もがペットを愛でるよう、猫男を見ると触りたい、という欲求が生まれやすいからだ。猫男の毛は、ふかふかのふわふわふわで、撫でたり、抱きついたりすると、それはもう幸福と癒しに包まれると言われている。 ぺろり。 猫男は愛犬に顔を舐められる不快な感覚によって目を覚ました。 「おいHACHI、もうちょっとましな起こし方はできねぇのかよ…」 主人の言葉を愛犬はどう理解したか判らないが、HACHIは「ワン!」と元気よく返事をした。桐谷はその快活な返事に顔をしかめる。 猫男は朝にとても弱い。もしかしたら猫の夜行性という習性を少なからず持っているのかもしれない。そんな桐谷の目覚まし時計の役目を、ペットのHACHIが果たしている。 眠い目を擦りつつ桐谷は身体を起こした。 猫男といっても他の同世代の若者と同じ中学生に過ぎない。毎朝起きて、通学しなければならないのだ。 A桐谷は枕元の時計を見て、途端に顔をしかめた。 「……おいHACHI。少し早くないか?」 HACHIが起こした時間は常よりも三十分近く早い。 「今日は日直だろう?」 言ってからHACHIは窓のカーテンを開ける。HACHIは並の犬ではない。見た目はただの犬と変わらないが、二足歩行をし、人語を解する。 「早くしないと遅れるぞ」 むっつりと押し黙った桐谷に構わず、HACHIはタンスから制服を取り出す。HACHIは桐谷のペットだ。並の犬ではないHACHIも、並の犬と同様に主人には従順という特性を有している。 桐谷には両親がいない。死んだわけではない。だが一緒に暮らしていない。現在は桐谷とHACHIだけで生活している。 桐谷にとってペットのHACHIは家族と言っても良い存在だ。――連絡の一つもせずに生活費だけ寄越してくる両親よりは。 「早く支度しろ。遅れる」 言って、制服を投げて寄越す。桐谷は慌てて手を――前足と言うべきか――伸ばして受け取った。 「…………」 HACHIへ言ってやりたい言葉を呑み込み、乱暴に衣服を脱ぎ捨て制服に袖を通す。 全身をふさふさの毛で覆われている猫男も体温調節のために服を着る必要がある。猫男は完全な猫ではないためだ。 制服に着替え、洗顔を済ませると食卓には朝食が用意されていた。HACHIが作った朝食だ。 食事に限らず、すべての家事はHACHIが行なっているが、桐谷は感謝などしない。 犬は主人に尽くすのが当たり前。家事などやって当たり前。感謝をするいわれはないのだ。 朝食を済ませ、桐谷は立ち上がり玄関に向かう。 「行ってくる」 返事を待たず玄関の扉を閉めた。 第三話 @「亮介お早う。今日も朝から最高に可愛いね」 歯の浮くようなセリフを表情一つ変えず吐く青年がいた。 「…………」 桐谷は何もいなかったように学校のある方へと歩く。 「亮介、どうしたんだ?今流行りのツンデレというやつなのか?」 そうして男はわざとらしく慌てふためく。しかし、その動作とは対象的に彼の表情はいたって冷静なままだった。彼は桐谷をからかおうとしているだけなのだ。 「マイハニー、寂しいよ」 そう言って肩を落とす真似事をした青年を、鷺ノ宮慶一郎という。彼は、猫男が通う桜花学園高等部の生徒会長を務めており、生徒から絶大な支持を得ている。しかし、その一方鷺ノ宮が同性愛者であることは有名で、彼が手を出さなかった美少年、美青年はこの学園にはいないのではないかとまで噂されていた。彼の容姿は恐ろしいほど整っているのだ。 学園中の美男子を食い尽くした鷺ノ宮の次なるターゲット、それは学園の裏のアイドル猫男なのであった。これは桐谷にとって迷惑極まりなかったが、彼はとてもクールな猫男であったため、鷺ノ宮の誘惑(?)にも今まで全く動じたことがなかった。 「…うぜぇーっつーの」 ――たまに独り言を呟く程度に。 そして猫男は、後ろにコブを付けながら、いつものように大きな屋敷の前を通って通学する。 Aこの屋敷の前を通ったとき、誰かの視線を感じた気がした。 桐谷はそれを気にせず歩いて屋敷を通り過ぎる。 こんな姿だ。見られるのには慣れている。 猫男として生まれたのだから仕方ない。いまさら嘆いたところで何も変わりはしない。 ――疲れたのだ。 自分を猫男として生み出した両親を恨むことにも。周囲の好奇の視線に憤ることにも。 「亮介?」 声をかけられて、ようやく鷺ノ宮の存在を思い出した。 「……あのさ」 鷺ノ宮が期待のこもった瞳を向ける。思えば、桐谷から言葉をかけるのは初めてだ。 「あんたには悩みとかあるのか?」 鷺ノ宮のきょとんとした顔を見て、桐谷は後悔した。なぜこんなことを言ってしまったのか。この男は自分と何の関係もない。 ふっと、鷺ノ宮は笑った。同性の桐谷でさえ、一瞬見惚れてしまうほどの美しい顔だった。 顔だけはいい。 性格に多少の問題はあるが。見た目だけは一級品だ、と思う。 「……ないな」 見た目だけは一級品の男は笑顔を崩さない。 「言い切れるのかよ」 むっとして言い返すと、見た目だけは一級品の男は笑ったまま、言った。 「もちろんだよ」 ――この男は。 確かにこいつの家は金持ちだし、学校では生徒会長を務めている。桐谷のような猫男とは違うのだろうが。 「僕はね、亮介」 一歩、距離を近付けて鷺ノ宮は言った。 「君の可愛い顔を見るだけで悩みなんて吹き飛んでしまうんだ」 言うが早いか、鷺ノ宮は妙に手慣れた手つきで肩を引き寄せる。 「…………」 桐谷は少しの間、何も言わず黙っていたが、やがて肩の上の手を振り払った。 「悪いけど、あんたに付き合ってる暇はないんだよ」 桐谷は睨み付けたが、鷺ノ宮が気に掛ける様子はない。 ――もう、いい。 脱力感に襲われて、桐谷は歩き始めた。 「急いだほうがいいよ。亮介。今日は日直なんだろ?」 「……あんた、何で知ってんだよ……」 驚いた桐谷を見て、彼はただ笑う。鷺ノ宮は桐谷をからかって楽しんでいるのだ。 「…………」 何も言えず、黙って歩き続けた。 不運にも自分は目を付けられてしまったのだ。見た目だけは一級品で性格に多少の問題がある男に。 ――猫男だから。 恨み言を言いそうになったが、やめた。 そうこうしている間にいつのまにか辿り着いていた。 桜花学園。彼らが通う学校である。 第四話 @花椿雅はいつもより10分と45秒遅れて教室に入った。ホームルーム開始のベルが鳴る2分前であった。しかし、花椿に遅刻してしまうかもしれない、というあせりはない。成績表に遅刻が付こうが付くまいが、関係ない。彼女は自分の進路にも興味がなかった。元より彼女が気にしようと、父が医者をしていて、一般より上流の家庭で暮らす彼女なら、多少成績表に遅刻が付こうが何の問題もなかったのだ。 教室は、生徒達の声でざわついている。低血圧の花椿は、毎朝動物園に来たのではないかと心の中で愚痴る。廊下側の後ろから2番目――自分の席に着くと、毎朝のことだが、隣の席が一際騒がしい。 「最近おじいちゃんの語尾が移ってきただのう」 「えー何それウケるよ葵―」 まったくくだらない。しかし、くだらないことで笑える。おめでたい奴らだ。花椿は同級生を、囲いの外から見て、違う世界の住人だと考えていた。 「椿、お早う。今日は、遅かったね。どうした?」 目の前に現れた男子制服をたどって見上げると、鷲ノ宮の顔があった。 A「相変わらずつれないねぇ。僕は悲しいよ」 と笑う鷺ノ宮を、花椿は冷めた目で見ていた。 断っておくが、この二人は仲が良いわけではない。鷺ノ宮は花椿をからかっているだけなのだ。 「おじいちゃん最高! おじいちゃんのためなら死ねる!」 「葵ってさーほんと面白いよねー」 叫び声が聞こえる。花椿は忌々しげに声の主を睨み付けたが、当の本人は気付かない。 叫び声をあげた男子は風早葵である。外見はレベルが高い部類に入っていると言っていいのだが。 「おじいちゃん!」 おじいちゃん好きという変り者である。 花椿はそんな風早をぼんやりと見ていた。 「つまらないわ……」 本当につまらない。この教室には彼がいないのだから。 今朝の彼はどこにいるのだろう。同じ学校だからきっと会えると思ったのだが。考えが甘かったらしい。 登校してから廊下を歩き回って探したが見つけられなかった。 ため息を吐いて、花椿は今朝の光景を思い返す。学ランを着た猫男。 ……学ランはこの学校の制服だから、彼は……。 ――そうか。 失念していた。 学ランを着ているからといって高等部の生徒とは限らない。 彼は高等部の生徒ではないのだ。 ――中等部。 彼は中等部の生徒だ。 なぜ失念していたのだろう。自分に腹が立つ。中等部と高等部の制服は同じだ。つまり彼は中等部の生徒という可能性がある。 展望が開けた気がして、花椿は声をあげて笑った。そんな花椿を鷺ノ宮が不思議そうに見つめていた。 B「ねぇ、訊いてもいい?」 「何だい?君から話しかけてくれるなんで。僕に答えられることなら何でも答えるよ」 「貴方この学院の生徒会長だったはずよね?中等部にいる猫の男子生徒のこと知っていたら教えなさい」 人にものを頼んでいる割に、完全に命令口調だった。しかし鷺ノ宮は、初めて彼女が自分の目を見たことに気づいた。 「あぁ、知っているも何も彼は僕の今のハニーさ。今日も一緒に登校してきたところだよ」 「彼の名前は何て言うの?」 「亮介だよ。桐谷亮介」 「歳は?」 「14歳」 「どうして猫なの?」 「それは彼が猫男だからだよ」 「両親は?」 「誰も彼の両親を見たことがない。それ故分からない」 花椿は矢継ぎ早に質問を繰り返す。彼女の瞳は見た事のない位輝きに満ち溢れていた。 「放課後、彼を紹介しなさい」 またしても頼みごとをしていると言うのに、彼女の放った言葉は命令形だった。 鷲ノ宮は、どんな女性も口説き落とす、その甘い瞳をウィンクして言った。 「どうしようかな〜、だって彼は僕の大事なハニーだし」 C ――むかつく。 「いいから教えなさい」 「うーん。どうしようかなー?」 花椿は目の前の男に何事かを言おうとしたが、それはベルの音に遮られた。 ホームルーム開始の時間だ。 「……放課後、教室で」 ウィンクとともに発された鷺ノ宮の言葉は、花椿の瞳をこの上もなく輝かせるに十分だった。 ――案外いいやつかも。 鷺ノ宮の後頭部を眺めながら、花椿は微笑みを浮かべる。周囲の声も、もう気にならなかった。 彼に会える。その喜びが彼女を支配していた。 第五話 @桐谷亮介は猫男である。猫男とは、人間大の猫が二足歩行する、リアルな着ぐるみのような生き物を想像してもらうと分かりやすいだろう。この猫男、人間でないのにちゃっかり学生生活を送っている。 最近の猫男の悩み、それは毎日付き纏ってくる変態男なのであった。名前は確か鷺ノ宮、この学園の生徒会長だったように思う。 朝は家の前で待ち伏せしているし、昼休みは弁当を持って押しかけてくる、放課後も下駄箱の前で待ち伏せ―――いくら猫男が無視を決め込もうが、おかまいなしにやって来る。 近頃は、学園の女子達に鷺ノ宮とのあらぬ噂を立てられ、黄色い悲鳴が鳴り止まない始末。漫画研究会は、鷺ノ宮×猫男の同人誌を作って校内で販売し、ぼろもうけをしているらしい――猫男は敢えて見ないよう努めている。 今日もようやく帰りのホームルームが終了し、HACHIの待つ家へと帰ろうと、荷物をまとめていた。 その時だった、猫男の胃を痛めている原因である男の声がしたのは。 A「やあ。亮介」 恐る恐る振り返ると、予想通りそこには爽やかな笑顔の鷺ノ宮がいた。 「……何の用だよ」 桐谷の声には怒気が含まれている。 「君に会いにきたんだよ」 いつもながら、鷺ノ宮は桐谷が怒っていても気にしない。 「用がないなら帰る」 「待って」 歩きかけた桐谷の右手首を掴んで引き止めた。手首を握る力は思いのほか強く、桐谷が振り払おうとしてもできなかった。 鷺ノ宮は戸惑う桐谷を引き寄せて、耳元で囁く。 「……君に会いたがってる人がいる」 桐谷の表情が強張る。 「拒否権はないよ。このまま一緒に来てもらう」 「は? 何だよそれ?」 「僕を誰だと思ってるのかな?」 手首を握る力がさらに強まって、桐谷は痛みに顔を歪める。 それに気付いていながらも、鷺ノ宮はまったく力を緩めず、再び耳元で囁いた。 「君を退学させることだってできるんだよ?」 B「じゃあ退学でも何でもすればいいだろう。俺に会いたい? はん、会いたいなら普通自分から来るのが筋ってものだろう?」 桐谷は侮蔑の意思を込めて、鷺ノ宮の顔を見た。 その表情は可愛らしい猫男に非常にそぐわない。 鷺ノ宮はぶるりと体を震わした。 ―――嫌悪?いやそれは歓喜の震えだった。 猫男が初めてまともに鷺ノ宮の目を見たのだ。強請る方法などいくらでもあるのだ、 このまま強引に連れ帰ってしまおうか、美貌の生徒会長の頭に不埒な考えがよぎる。 「遅いわよ、無能」 冷たく突き放すような凛とした声に、鷺ノ宮は我に返った。 「僕を無能扱いするのは君くらいだと思うよ」 ふっと、笑って振り返る。花椿が眉間に皺を寄せて立っていた。 「……あれ?教室教えてなかったよね。どうやって分かったの?」 「貴方の周りに人が集まってるからすぐ分かったけど?」 「あ」 鷺ノ宮は周囲の目が当たり前になり過ぎていて忘れていた。容姿端麗・頭脳明晰・完璧超人生徒会長が歩けば、誰もが振り返るし、彼が滞在する場所には人だかりができるのだ。生徒会長を間近で見ようと、多くの中等部女子と、一部のいろんな意味で鷺ノ宮にあこがれる男子が、教室の外に集まっていた。 ―――何だか知らないが、この隙に面倒から退散しとくか。 二人のベクトルの中心である桐谷は、二人が会話になっている一瞬をこれ幸いとして、教室を抜け出すことにした。 学校指定のリュックサックを背負い、後ろの出口から教室を出た。あとは人ゴミの中をばれないように、やや足早に進むだけ――多少人より目立つ見た目がネックではあるが。 「待って」 「ん?誰あんた?詐欺師の彼女?」 「私と付き合いなさい!」 C「……はぁ?」 「聞こえなかったかしら? 私と付き合いなさい」 桐谷は目の前の女――どうやら高等部の生徒のようだ――を呆然と見つめた。 「何度も言わせないで。私と付き合いなさい。桐谷亮介」 桐谷はただ目の前の女の顔を見ていることしかできなかった。 「……あんた、なんで俺の名前を知ってるんだ?」 三十秒程度の沈黙の後、桐谷はようやく口を開く。 「僕が教えたのさ」 応えたのは桐谷も花椿もうっかり存在を失念していた鷺ノ宮である。 「それにしてもひどいな。僕を差し置いて二人で……」 「うるさいわ黙ってなさい」 花椿が鷺ノ宮の言葉を遮った。 さすがの鷺ノ宮もこれには腹を立てたのか、僅かに眉をひそめる。 花椿は鷺ノ宮を一瞥して言った。 「貴方は黙ってなさい。私は彼と話をしてるの。引っ込んでて」 鷺ノ宮は花椿を見据える。 「それはできないね。亮介は僕のハニーだ。君に渡すわけにはいかないよ」 花椿は憎しみのこもった瞳を向ける。 「何よそれ」 見返す鷺ノ宮の瞳にも苛烈な光が宿っている。 「亮介は僕のものだ。君には渡さない」 それきり、二人は黙ったままで視線だけを交わしている。 睨み合う二人の周りには凍て付いた空気が流れている。 「……あのさ」 この沈黙を破ったのは二人にとっての当事者、桐谷だ。 「亮介。君が選ぶ相手は僕に決まってるよね?」 「何を言ってるの? あんたみたいな変態を選ぶなんてありえないわ」 言い合いを続ける二人にただ一言。 「……うざいんですけど」 と言って桐谷は走りだした。 しばらく呆然と立っていた二人だったが、はっと我に返り桐谷を追う。 「ちょっと待ちなさいよ!」 「僕から逃げるなんて勇気があるね。亮介!」 二人の叫ぶ声が聞こえたが、無視して走り続ける。どうせ追い付けはしないのだから。 猫男は半分――実際はそう単純ではないが――猫だ。本物の猫と同じとまではいかなくても、猫のように足が速いのである。 ――あの二人くらい、余裕で振り切れる。 事実、二人は桐谷に追い付けなかった。 ――猫男でよかった。 桐谷はたぶん生まれて初めて、本心からそう思った。 第六話 @「あーあ。いっちゃった。君のせいだよ」 鷲ノ宮は、静かに目を伏せた。長い睫毛の影が頬に落ちる。 「は?どっちが」 鷲ノ宮が顔を上げると、花椿は既に漆黒の長い黒髪を翻らせ、その場を去ろうと彼に背を向けていた。 「君も亮介も実に興味深いね。どうして僕の思い通りにいかないんだろう」 「無能な馬鹿じゃないから、とだけ言っておくわ」 「無能な馬鹿……ね」 鷲ノ宮は、去っていくきりりと伸びた彼女の背中を見守り、口元に笑みを浮かべてみた。 A――どこに行ったのかしら。 花椿は、上履きから学校指定のローファーに履き換えながら、思案した。 そう言えば彼は家の前を歩いていた。今から追いかければ十分間に合うだろう。 花椿は、飾り気のないメタリックピンクの携帯電話を取り出した。 「もしもし、車を寄越して。そう学校よ。今すぐ来て」 B普段めったに使われることのない花椿の送迎車は、五分と待たず校舎に乗り上げた。――学生の集う場所にそぐわない黒塗りのメルセデスだ。 多くの下校生が何事かと注目した。 最も車はスリガラスになっていたため、中は見えなかった。 そのため余計どこの誰のものかと不審がられた。 多くの視線が集まる中、運転席――左側のドアが開いた。 中から、四十前後と思われる白髪混じりの男性が出てきた。 生徒達は慌てて視線を逸らした。 男性は、アイロンの効いたパリッとした白いカッターシャツに黒いネクタイを締め、黒いスーツに身を包んでいる。 「お嬢様」 年を重ねた深いバリトンが、花椿の方を見た。素早く後部座席とドアを開く。 「急いで。私の通学路を使って家まで」 車に乗り込む寸前、花椿は男の目を見た。 長年花椿家に仕えている男は、雅の意思の篭った瞳を初めて知った。 彼女を動かすほどの何かがあるのだ。男は神妙な顔で頷き、手馴れた様子で車を出した。 その時の様子は次の日から学園で噂となる。 花椿を乗せた車は、下校生達が固まって歩くのに沿って走っていた。 同じ服を着ていても、猫男ならすぐ判るはずだ。 花椿は必死で桐谷亮介を探した。もうすぐ自宅に着いてしまう。 遅かったか。しかしまた鷺ノ宮を頼って、借りを作るのも癪だ。 後々弱みにされかねない。諦めかけたその時だった。 「お嬢様、何でしょうあれは?」 ドライバーである男が言った。 フロントガラス越しに桜花学園の制服を身に付けた女子達が、しきりに何かに群がっているのが見える。その中心部に、少しだけ学ランを着た着ぐるみの姿が確認できた。 C花椿はすぐさま車を降りて、十数名の女子学生の団体(+猫男)の方へ駆けて行った。 近づいて猫男の顔を見てみる――非常に鬱陶しそうな、陰鬱な表情をしていた。 愛らしい姿は台無しであったが、可愛らしい外見とは裏腹なそのニヒルな性格が、また女子達を虜にするのかもしれない。 それとも、猫男は何かフェロモンでも放っているのかもしれないと花椿は思いながら、花椿は声をかけた。 「亮介」 花椿のやや低く、澄んだ声が、黄色い悲鳴の中にはっきりと響き渡った。桐谷ばかりを見ていた女子達が、一斉に声の発信源である花椿を見た。 「約束してたでしょ。行こう」 花椿は呆気にとられる女子高生達の間に割り込み、猫男の――ふさふさした毛に覆われた手を取って、歩き出した。 花椿は、亮介の手のひらのぷにぷにとした肉球を感じていた。 第七話 @しつこいようであるが、桐谷亮介は猫男である。 猫男とは、猫の着ぐるみの「中の人などいない」バージョンだと思ってもらえばよろしい。 猫男はとてもとても愛らしい。そのため、奇異であると同時に、老若男女から愛される存在である。かつ誘拐されやすい。 今日も今日とて桐谷亮介は、大量の桜花学園女子生徒から囲まれてしまっていた。桐谷は女嫌い、否人間嫌いと言った方が正しいか――だったため、この状況は凄まじく好ましくないものであった。 「おい、あんたどこ行くんだ?」 猫男は、花椿によって女子高生のおしくら饅頭から救い出され、そのまま手を引かれて歩いていた。 花椿は、何かを目指すように速いスピードで歩いた。 体のひと回り小さい猫男にとってはつらい。 猫男は、少しだけ息が上がっていた。 「……別に」 「……ハァ。取り合えず手を離してくれる?っと」 思いがけず花椿が立ち止まったため、猫男は歩みを止め切れず、軽くつまずく形になった。 「逃げない?」 「はいはいっと。何か話があるんだったら、そこでしよう。ちょうどいい」 二人はいつの間にか、見晴らしの良い川沿いの道を歩いていた。 そこはサイクリングロードにもなっていて、車も通らない。川の上に掛かる橋に、時折車が過ぎて行くのが見えた。 川幅が広く、流れのゆったりとした水面は、傾きかけた太陽の光できらきらと輝いていた。 A「ちょうど良かったよ。俺の家はこっちだしな。 それにここにも寄るつもりだったし」 猫男は、まるっとしたぬいぐるみのような体を、川原の斜面を滑らせて行った。 花椿は、草原に足を踏み入れることを一瞬ためらったように、辺りを眺め、彼の後に続いた。 「よぉ、元気そうだな」 橋のちょうど下、周りとは一転して暗くじめじめとした場所に来たところで、桐谷は口を開いた。 「?」 ただしそれは後ろを歩く花椿に向けられたものではなかった。 ――誰かがいる。花椿は立ち止まった猫男の前にいる存在を確かめようと目を見張った。 「……猫?」 「あぁ、可愛いだろ」 暫くこの湿っけた場所に置いていたであろう、くたりとしたダンボールから、まだ大人になりきらない猫が顔を覗かせていた。 B猫男は猫を抱き上げた。 猫が猫を抱き上げる――なんとも奇妙な光景である。 抱き上げられた猫は、泥や埃にまみれて何とも汚れていたが、白猫であろうと思われた。 猫男は猫を抱き上げて、日の当たる場所へと向かった。花椿も後に続いた。 「猫、好きなの?」 「ん、ああ」 草原に腰を下ろした猫男は、立ったままの花椿を見上げる形で、顔を向ける。膝の上の猫がミャアと鳴いた。 「やっぱり猫の言っていることが解るの?」 花椿の質問に、猫男はひっそりと眉を寄せた。 「いいや、解らないさ。 俺は猫じゃない。人間でもないけどな」 桐谷が顎の下を摩ってやると、猫は気持ち良さそうに目を細めた。 「俺は誰とも違う。俺は猫男だからな」 猫男の目には、疲労の色が窺えた。 「そう、貴方は誰とも違う。私はそんな人を探していた」 風に乗って、花椿の言葉が流れた。ただ一点、猫男だけを見ていた。 けれども、猫男が彼女の目を見て話すことはない。 「あんたは詐欺師とお似合いだと思うぜ」 予想外の言葉に、花椿は驚きで、目を大きくした。 C「はっ、私とあいつが?興味ないわ」 その声には侮蔑の意味が色濃く現れていた。 「そうか?あいつも他の奴とは違う。 いい加減なように見えて我を持ってるし、全てを見極めている。 他の女と違って、奴がルックス以外も有能だってことは、あんたも知っているだろう?」 花椿は、あきれたようにため息を吐いて、猫男の隣に座った。 本当は雑草の上に尻を着けることに抵抗があったのだが、猫男は動こうという気配を見せないし、立っているのも煩わしくなったのだ。 「だけど私は鷺ノ宮に興味がない。 あいつにはマンネリしかないもの。つまらない」 「……ふぅん」 猫男は、明後日の方向を眺めながら、興味なさそうに相槌を打った。 花椿も猫男と同じ景色を映そうと、彼が見ているだろう方向を眺めてみた。 「だけど貴方は違うわ。 貴方を初めて見た瞬間、私の中に衝撃が走った」 ――それでお付き合いしてください、ってか。猫男はうんざりとした。変わらない。この女も。さっきの群がる女達も。 「それじゃあ、あんたと俺は一生交われないよ」 「……え?」 花椿は、横にいる猫男の方を見た。 「俺ほど平凡を愛している平凡な猫男はいないぜ?」 猫男は唇の端を持ち上げて、笑みのような形を作った。 「ここは俺のお気に入りの場所だ。静かだろ?落ち着ける」 「そうね」 ――だから?とでても言いたそうに、花椿がつまらなそうに目を伏せるのを、桐谷は横目で見た。 「俺はあんたがくだらないと思っていることを、むしろ望んでいるんだろうよ」 猫男は安心したように眠ってしまった、膝の上の汚れた猫の背を撫でた。 第八話 @花椿雅は珍しく室外、しかも草の茂る地面に直接腰を下ろしていた。彼女は日焼けを嫌っており、外に座るというのは今まで午後のティータイムに、日よけのついたテラスで椅子に腰掛けて、お茶を飲むくらいのものだった。 しかし今日に限っては違う。 隣には猫男がいる――つまらないことばかりで忌々しかった時間を変えてくれた存在が。 しかしやっと捕まえた目の前の猫男は、花椿に一切興味を示した様子はなかった。 それどころか初対面であるにも関わらず、自分達は合わないと、はっきり切り捨てる言葉を述べた。 「……そう、それじゃ私とまるで逆ね」 「そゆこと。だからあんたは詐欺師とお似合いだって言っただろ」 「どういう意味?」 「詐欺師は完璧で、毎日が思い通りに行き過ぎてつまらないんだよ。 だからあんたと同じ、自分の予想を越えるような刺激を求めてる。 ……俺に付きまとうのはお門違いなんだよ」 そう言うと、猫男は頭の左耳の辺りをわしゃわしゃと掻いた。 A「分かった風な口をきくのね」 「まぁね、でも大体当たってるだろ」 確かに、私は常に刺激を求めていた。 日常というものに飽き飽きしていた。 鷺ノ宮はどうだったのだろうか。 顔もスタイルも良くて、成績も優秀で、生徒会長をやっていて――一見誰よりも充実した人生を送っているかのように見えた。 けれど彼は、全くつかみどころがなく、彼の意思を感じたことがないように花椿は思う。 もしかしたら彼も、思い通りに行かない何かを求めていたのかもしれない。そして、それが猫男だった。 「……確かに。そうかもしれない」 可愛い見た目とは裏腹に、かなり頭も回るようだ。 この短時間で、彼のことをどんどんと知っていく。 彼のことを知る度に、もっと彼に興味が涌いてくるのを花椿ははっきりと感じていた。 「あんたと話してる時の鷺ノ宮はいつもと違う。 あんな風に感情を露にして声を出す詐欺師を初めて見たよ」 「何が言いたい訳」 猫男は、くすくすとわざとらしく笑った。 「あんたが鷺ノ宮と唯一並べる人間ってことだよ」 B懸想した相手がやけに他の男を推してくる。 どうやら猫男は、自分から興味を逸らそうとしているらしい 全く持って不愉快な状況だ。花椿の声がワントーン低くなる 「だから何よ。私が一緒にいたいのは貴方なの」 「じゃあ俺も言わせてもらう。迷惑だ。俺は平穏が欲しい」 声色を変えることなく至って冷静に、猫男は言った。 「分かってるとは思うが、俺は猫男だろう?」 「ええそうね。さっき貴方は、自分は誰とも違うと言った。 そして私もさっきまでそうだと思っていた。 でも訂正する。それは違うと思うわ」 花椿は、猫男の膝の上で、目を覚ましたのか身じろぎし出した、猫の背を優しく撫でた。 「貴方は猫が好きなんでしょう?実は私も猫好きなの」 自らに諭すように、口に出してみた。 彼は確かに奇抜な見た目をしているが、思考が奇抜な訳ではない。 彼は、桐谷亮介であり、桐谷亮介が猫男であるのだ。 しかし、桐谷亮介が自身の心を動かすことに、何ら変わりはなかった 結局自分はつまらないと思うだけで何も知ろうとはしていなかった。 「既に1つ同じものがあるじゃない」 花椿には、さっきまでの自分が馬鹿らしく思えていた――鷺ノ宮には「無能な馬鹿じゃない」とまで言い切った癖に。 C花椿の言葉に猫男は、驚いたように猫目を丸くした。 そして「それも、そうかもな」と1拍置いて応える。 「そうだ。この子、私が飼うわ。 まだ小さいのにいつまでもここに置いておいたら危険でしょう?」 花椿は猫男の膝で、あくびをする白猫を抱き上げた。 野良の割には存外大人しく、花椿の腕に収まった。捨て猫なのか、もしくは猫男に懐いていたせいもあるのかもしれない。 「本当か?助かる。家はうるさい犬がいてどうも飼ってやれなくてな」 猫のくせに犬を飼っているのか、という突っ込みは、花椿は心の中に留めておいた。今更だ。 「時々家に様子を見に来るといいわ。 それに私、猫を十匹以上飼ってるの。」 猫男は「困ったな」と少しも眉を寄せずに言う。 「それは実に魅力的なお誘いだ。流されちまいそうだよ」 「来ればいいじゃない。別に取って食ったりしないわよ」 花椿は猫を地面に下ろしながら、立ち上がった。 何も付いてはいないとは思うが、気になってプリーツスカート越しにお尻を二度ほどはたいた。 「じゃあ、私帰るわ」 花椿は再び、猫を抱き上げる。後ろから突然持ち上げられた子猫は、驚いたのかニャアと鳴いた 「帰るって、おい」 突然現れて、突然去るのかよ何て身勝手な奴だ――猫男はそうとでも言いたそうに、上目遣いに花椿を見た。 「高等部の一年B組よ」 「え?」 「私に用があるなら教室に来なさい」 風が吹き、花椿の長い髪がさらさらと踊った。 川原の斜面を一歩一歩上がる。いつの間にか、空が茜色に染まり出していた。 この空の下なら面倒事も悪くない。 花椿は、家に向かって歩き出した。 終わり |