| 朔月に映るは夢か現か
夜鏡 一言で表せば、そこは倉庫だった。 絵画に壺などの骨董品、机や棚といった家具類……様々なものが雑然と置かれている。既に気に掛ける者もいなくなったのか、その全てが埃を被ったままにされていた。窓から差し込む夕日の朱色が、置き去りにされたこの部屋の退廃的ともとれる空気に拍車を掛けているようだ。 人にも時にも見放され、どれだけの歳月が経ったのだろうか。 十年、二十年……それても半世紀? とにかく、とてもとても長い時間が過ぎたことだけは確かなようだ。 人によっては、その光景にある種の情景の念を感じるのかもしれない。年経た存在独特の、その不思議な空気を感じて。遺跡を訪ねた旅人が、既に失われてしまった過去の人々の息吹に想いを巡らすように。 とは言え、そんな感慨も普通の人間からすれば、 ──埃っぽい。 という一言で片付けてしまえるのかもしれないが。 そんな古びた部屋の中に、一人の少女がいた。 水墨画の如く艶やかに流れる黒髪、そして手の付けられていないキャンパスのような白い肌──無垢、という言葉が良く似合う。だが、その可愛らしい顔に浮かぶ微笑は、白百合というよりむしろ彼岸花のような、底の知れないモノを感じさせる。 他の物と違わず年代ものであろう椅子に腰掛け、彼女はただただ一点を見つめている。 そこに在るのは一つの鏡。 豪奢な銀製らしき装飾が施されてはいるが、時の流れには逆らえなかったらしく、その所々が錆付き朽ち始めている。 それだけなら、一見骨董的な価値もない、ただの古ぼけた鏡にしか見えない。 とある一点を除いては。 それは──不自然な程に、黒い。 磨き上げられたそれは、対面する存在をその身に映し出してはいる。けれども、それが抱く闇故に、全ては不確かな肖像にしかならない。 鏡としての機能を十分に備えてはいない――けれども、それが鏡であると彼女は信じて疑ってはいなかった。 「鏡に映るのは……別に目に見えるものだけじゃないものね」 永く続いていた沈黙を破り、少女は口を開いた。妖しい微笑を浮かべながら、呟く。『彼女』と初めて邂逅したあの時と同じ言葉を、高揚するこころを抑えずに。彼女自身の本質を鑑みれば、その感情は果たして本当のモノなのかどうかは判らない。けれども、確かに少女の胸に内に『それ』はある。なぜなら、『彼女』の息吹を感じたから。好奇心に胸躍らせているのが、分かる。だからこそ、彼女は言葉にする。今ここに何が『映って』いるのかを。 「鏡だろうと何だろうと、そこに何を見出すかは人それぞれ。映るのは、いつも自分自身の姿とは限らない。時には、内に秘めた願望が顕れることだってある。そう、それはまるで白昼夢のように──」 誰も聴く者もいないのに、彼女は独り奏でるように語り続ける。それはとても楽しそうで──久しく静寂に包まれていたこの部屋にはひどく不釣合いだった。 「……ふふ」 少女がその笑みをさらに深くして、部屋の扉に視線を移すと、まるで示し合わせたかの様に蝶番を軋ませる音が響いた。その向こうから現れたのは、窺う様に顔を覗かせる少女が一人。 胸膨らませる期待と、その実存を疑う、相反する気持ち。そして少しばかりの恐怖。二律背反と怯えを内包する彼女の表情はしかし、室内で微笑む少女をその目に認めた途端、安堵すら浮かべて弛緩していく。 そう自覚すると、自然と表情も綻ぶ。 「鏡子さん、いたんだね」 「私は別に居なくなったりはしないって言ったでしょう? 貴女がいる限りは」 黄昏色の扉に佇む少女と、退廃に満ちた部屋に佇む少女。 再会を静かに喜ぶ二人──その姿は、鏡像のように瓜二つ。違うのは、それぞれが浮かべる微笑のかたち、それだけだった。 Act.1 「とある少女達のいちにち」 少女の片割れ──蘇鉄院(そてついん)芹(せり)菜(な)が、『鏡子』と自らが呼んでいる存在について知っていることは非常に少ない。 一つ、自分と全く同じ姿をしていること。 二つ、随分と古い時代から在り続けていること。 三つ、本人曰く、彼女はあの『黒い鏡』に映る鏡像で、どちらかと言うと鏡自体が本体であること。 そしてその本質は──鏡らしく、映すこと。 これぐらいだ。何故に、無駄に広い屋敷の本当に片隅であるこの部屋にあったのか。何時、何処の誰がここに持ち込んだのか。そしてそもそも、このような不思議としか言い様のない現象が、どうやって起こっているのか。疑問は尽きない。とは言え、そんな謎は彼女にとっては瑣末なことだった。 (何時、誰が、どうやって、なんて……ベタなミステリじゃあるまいし) 当の本人の認識はこの程度である。 結局のところ彼女とって、鏡子が「如何に不可思議なモノであるか」というのはどうでもよいのだ。ただ単に、自分にたくさんの面白い話を聞かせてくれる存在であることが、何よりも大切なのだから。 「私にまた逢いに来てくれたってことは……『見に』来てくれたと解釈していいのかしら?」 実のところ、彼女達の最初の出会いは最悪だった。その主な原因が鏡子の謂うところの、『見る』という言葉に起因するのである。そのせいで、彼女が再びこの部屋に来るのに少々の勇気が必要だったというのに、当の鏡子はさらりとそんなことを言う。彼女の表情を見るに、間違いなく確信犯だ。目元が笑っている。 「むー、折角会いにきたのに……」 可愛らしく頬を膨らませる芹菜。 普段の彼女は余りそんな仕草は見せないのだが、鏡子の前では自然と表情豊かになっている。中身はともかく見た目がほとんど同じだからなのか、鏡子がこの調子だからなのかは定かではない。 自覚はある──でもやっぱり、どうでもよかった。 そんな芹菜の心情を知ってか知らずか、鏡子は笑みを崩さないまま首を傾げる。 「あら、過去に私を見付けた人間は、みぃんな例外なく鏡像の虜になったというのに」 「虜にって……最初に見たのがあんなのだったら、誰も魅了なんてされないと思うよ?」 正直な話、もうあの時見たのもは思い出したくもない。自分の中にそういう気持ちがある、と考えただけで──怖い。芹菜だって、己が完璧に清廉潔白な人物だとは思っていない。でも、あんなものはとてもじゃないが受け入れられない。 少し前までむくれていた芹菜の顔に、陰りが生じる。 「そうかしら……まぁ、貴女は私を覗くのにはまだ若過ぎるかもしれないわね。純粋というか何というか。そもそも、こんなモノに縋るような人間には見えないし」 鏡子にとってやはり芹菜はイレギュラーらしく、損底彼女の自分との接し方が不思議でならないらしい。とは言え、そんな言動を見せれば芹菜の陰りはますます酷くなる一方だ。今度は子供扱いである。確かに芹菜はまだ高校生になったばかりで、所謂思春期真っ盛りなのだが。 事実とは、指摘されると気に喰わないものである。 流石に芹菜の沈み具合に気付いたのか、鏡子も気遣わしげな視線を向けた。少しばかり慌てているようにも見える。 「あらあら、ごめんなさいね。何分こんな風に普通に会話するのなんて久方ぶりだから」 こちらを気に掛けてくれるのは嬉しいのだが、その言葉の端々から伝わってくる異常さのせいで、あまりフォローになっていない。とは言え、彼女はそもそも人間ではないのだから、そんな『普通』さを求めても仕方ないのか。 古いお話を聞かせてくれる時は、それこそオルゴールのように淀みなく唄っているというのに、このギャップは何なのだろう。そう考えると何だか可笑しくなってきた。 一転してくすくすと笑い出す芹菜。 喜怒哀楽、その文字通りにころころと表情を変える少女の姿を見て、その片割れは怪訝そうだ。 「どうかしたの? 別に私は何も映していないけれど」 「ふふ……だって鏡子さんが変なこと言うから。今だって、『何も映してない』って。 それじゃあ何、いつもあなたに映るモノは人をおかしくするものばっかりだって言うの?」 そこまで話してから、彼女は硬直した。 言ってみて気付いたが、実際自分が相対したのは──。 「否定はしないわ。本当に、人として破綻してしまった人間もいなくもないし」 冗談交じりの一言が、何だかさらに恐ろしい過去を突いてしまったらしい。藪をつついて蛇を出す? 「う……あー、その、何というか、そこは流して欲しかったなー、なんて」 勿論芹菜にはそんな蛇を出す気はあるはずも無く、結果彼女はそのままうな垂れる。 やっぱり鏡子は良い意味でも悪い意味でも、いつも通りだった。 それが確認できたのだから、こんなちぐはぐな遣り取りもなんだか微笑ましく思えてくるから不思議だ。 また一人くすりと笑って、こえから始まるであろう、ただの取り留めの無い会話に想いを馳せる。 今度はどんなお話を聞かせてもらおうか。 色んな伝説、素敵な御伽話、彼女自身の逸話? ううん、今日は私が何かお話をしてみようか。 学校のこと、大切な思い出、私自身のこと? とにかく、楽しみで仕方ない。 |