| エクアドルのほぼ中央部にあるアンデス山脈中の休火山。 標高は6267mで、エクアドルの最高峰。 頂上はつねに雪でおおわれている。 ドイツの博物学者フンボルトが1802年に探検をおこない、80年にはイギリスの登山家ウィンパーが初登頂に成功した。 "チンボラソ山" Microsoft(R) Encarta(R) 97 Encyclopedia. (C) 1993-1997 Microsoft Corporation. All rights reserved. |
| 1997/8/16 昨夜は、リオバンバに泊まった。ここから登山口までは、車で数時間だ。 チンボラソ登山を開始する。愛知教育WVOBの中本幸志と二人だ。 ガイドは、カビエル。23歳。18の時からガイドになり、5年目らしい。イスズのビッグホーンみたいな車に乗っていく。 途中、インデヘナの子供たちが、道路を封鎖している。ガイドが小銭やって、通してもらう。2回有った。 直前のインデヘナの3日間のストライキのためか。道は、舗装されていないが、快適である。 車のオーバーヒートのため、途中で10分休む。
なだらかな道を走っていくと下の小屋についた。 ここに駐車場がある。4800mだ。バスも登ってきている。 準備をし、上のウィンパー小屋を目指す。これまでと同じく、2人とも、食料を担がされる。
40分でついた。(5000m)割と調子はいい。ガイドにコースタイムを聞くと、20分と言われた。 コトパクシの小屋よりも立派だ。でかい。ガスレンジなどもある。Tシャツ、ビールも売っている。 中本は、少し頭が痛いので散歩してくると、でていった。歩くと調子がよくなったらしい。 歌を歌いながら降りてきたそうだ。 カビエルは、おいしいパスタの夕食を作った。ガイド歴が長いせいか、精錬された動きをする。 明日のために、6時に寝る。
1997/8/17 前日の11時から起きている。5時間睡眠だ。中本の話だとうなされていたらしい。 カップヌードルの朝食を食べ、0時に出発。2番目だ。今夜は満月。快晴だ。風もない。 ガレ場のような砂礫のような、溶岩の道を登っていく。40分で、とりつき。アイゼンをつける。 岩場の間のバンド上の雪を右にトラバースして、氷河にでる。 氷河上でも、大きなクレバスを迂回するように、大きく左に曲がり、いちど西稜上にでる。5400mぐらいか。 またクレバスがあるので、右の壁の中をジグザグに登って高度を稼ぐ。足が非常につらい。 4時頃、完全に西稜上にでる。5800mぐらいか。 頭は痛くないが、呼吸がつらくなってきた。ガイドのペースについていけない。足も重い。 ジャストモーメントが、50歩ごとになる。後からの外人組にどんどん抜かれる。おばさんにも、おねいさんにも。 月が沈む。まるで夕日のようだ。太陽は、まだでない。 5時30分。真っ暗になる。かなり寒い。下着と、ラガーセーターとカッパだけだからか。 傾斜が緩くなってきた。ドーム状のてっぺんに、オリオン座が寝そべっている。 あそこまで行けば、西稜の頭だろう。目星をつけて、30歩づつがんばる。 あかるくなってきた。振り返ると影チンボラソが、三角形に映し出されている。 太陽が見えた。向こうに本峰も見えた。西稜の頭(6200m以上)につく。 6時ぐらいか。もうすでに、どん尻です。 ザックをおろし、カメラだけで、本峰を目指す。 私は、20歩ごとに一休み。キリマンジャロ・ウフルピークのように、眠くないのが助かる。 中本は、ザックを担いだままだ。余裕だね。先に行ってもらう。 すれ違う外人組が励ましてくれる。がんばっていると、頂上手前だった。 中本が待っていて、先に行かせてくれる。 チンボラソ頂上。6310mに到着。7時。万歳をする。やはり日本人。記念写真を撮る。
グランドジョラスで亡くなった末岡さんの遺骨をまく。 これで末岡さんも、モンブラン・キリマンジャロ・チンボラソの上にいることになった。 すぐ下降する。かなり疲れて、踏ん張りがききにくい。硬い氷が滑りやすい。 途中、ルートをミスして、急なところにはいる。少しやばかった。 5400mぐらいで、一休み。でも疲れて、食べられない。パックのジュースを飲む。凍っている。 ガレ場まで降りてきた。ウインパー小屋まで、もう一息。 下の方の写真を撮る。 小屋についた。10時。下り3時間だった。 小屋においていた昼食がない。インデヘナにとられたようだ。 小屋代は、素泊まり40000スークレ。1ドル=4000スークレ、約10ドルです。 荷物をまとめ、下山する。 夕方の5時には、首都のキトについていた。 | ||||||||||||||||||||||

