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2003年5月31日ストレンジトレインにて
トップレポート > STRANGE TRAIN 531「こんな出会いはいかがでしょう」
5月31日。
午後4時過ぎの品川発快速アクティ小田原行きで小田原へ。で、最終でトンボ帰りしてきたのですが、短時間ではあったけども、まさにストレンジトレインであり、早川駅付近のファミレスで会ったきのこ苑のチコさんの爆弾発言?!もまた驚きだった。(詳細はまた次回)

ストレンジトレインというのは、他でもない東海道線の事なんですが、妙な経緯から、初対面の隣に座った30歳の男性と電話番号を交換して別れるという事があった。彼は横浜あたりから乗ってきて茅ヶ崎で降りた。この事自体が、まぁ悪気はなくて「ストレンジ」、そんな彼もまた「ストレンジャー」。(彼自身が自分で自分の事をそう言っていたのでこう言っても別にいいと...笑)
お祝いを届ける お祝いを届ける
こんな変な事もあるんだなぁと不思議な気がしてる。
その経緯だけでも簡単に説明すると、事の発端は、チコさんの御両親、つまりはきのこ苑の大将と奥さんが今年の3月に37周年目の結婚記念日を迎えた事に始まる。

「当時は会うだけでもドキドキしてたんでよ」というような事を、大将達と飲んでいる時に話してくれたのを思い出すと、今でも可笑しいんだけれど。
で、それを記念して「37Annivarsary ああ連れ添って37年」というタイトルでファックス用紙の裏紙に、絵を描いていた。別に三ヶ月かかってようやく仕上がった大作です!という事はないんだけど、とにかく、それを行きの電車の中で仕上げて渡そうと思っていた。

あと、サイトにも掲載してある公募展用の「生まれる計画」の事でお世話になっているという事もあって、とりあえず来週の土日のお願いとか、あと赤ちゃんが生まれたって事で、そのお祝いを届けるという事と、きのこ苑のシイタケを7月に東京で販売する場所が見つかったので、担当者といつ会うかとかを決めたり。(この時はみなさん御協力よろしく)

品川からの車内で カラフルなガム玉が螺旋を描き
赤ちゃんへのお祝いというのは、僕の部屋に箱に入ったまま飾ってあった「スマイル君」のガム玉のガシャポン(ガチャガチャ)。<写真右上↑>家にあったヤツじゃん、というのはこの際、置いておいて。もちろん、それは伝えたけど。僕の部屋にあるよりは、子供の方が数段、楽しんで使ってくれるだろうし。ハンドルを回すと、カラフルなガム玉が螺旋を描きながら転がってきて、入り口に出てくるというオモチャ。子供とかは独創的だから、ガムの代わりに、ダンゴ虫とかを入れて遊んだりなど、いろんな遊び方を考えてゆくだろうし。(ここで言う子供とは、赤ちゃんの事ではなくてその子のお姉さんに当たる3〜4歳の女の子リサちゃんの事)

で、品川からの車内でそのイラストの仕上げをなりふり構わずにやっていた。下書きもまだだったし、着彩も終わっていなかった。車内もガラガラだったのでマイテーブルを使って。三人掛けのボックスじゃないシートの左端(進行方向向かって右側)に座りながら。

しかもこの日は大雨だったから、持っている袋の中のものが全てビニル袋でひとつひとつくるまれているという完全防水...その時点で間抜けだったとは思うけど。

席をひとつ空けて隣に誰か座っていたけれど、全く見ていなかった。
前座席には、「うふふ、この車掌、さっきからアナウンス間違えてばっかりだね」「そうだね、うふふ」というまだ付き合いたての初々しいカップルがいたのは逐一観察してたけど。


37Annivarsary ああ連れ添って37年 途中、隣の席の人が降りて、横浜あたりか?それすらもはっきり覚えていないんだけど、何しろどこかからかまた男の人が、僕の隣をひとつ空けて座った。濃い色のGパン(藍/群青色のヤツ・インディゴブルー?)を履いて、ミュージックマガジンを読んでいるというのだけは何となく気になったので見た。
で、僕がセコセコ書いている間にも、何か明らかにこっちを見てるというのは感じていて、半ば隠すように隠すように描いてはいた。あぁ早く、色付けなきゃ間に合わない、と思いながら。

そうしたら、その人が(以降ココではストレンジさんと呼ぶ。もちろん仮名。山田・ストレンジ・蛾次郎みたいなミドルネームではなくて)「すっすいません、さっきからちょっと気になってたんですけど、絵とかなにかやってらっしゃるんですか?」と、一歩身を乗り出すようにして聞いてきた。知らない人が話掛けてきたら無視しなさい、決して言葉を交わしたり、付いていっちゃだめよ、世の中いい話が向こうから舞い込んでくるって事は絶対ないんだから、と思ったりはしなかったけれど、正直、予想外の展開に一瞬、たじろいだ。

これが、例えば「青春18きっぷ」での鈍行を乗り継いだ旅という状況だったら、ボックス席で一緒になったおばあちゃんが「大きな荷物さ背負ってどっがら来た?ミカン食うけ?」も違和感なく受け入れていたと思う。今回はあまりに日常の風景の中だっただけに、びっくりした。つまりは、日常には何もハプニングは起こらないと無意識にも思いながら生活してるって事なのかもしれないけど。あららら、そんな日常を送っていたんだ、俺って、という事にも後々気づいたりした。



でもまぁ僕も別に嫌な感じは全然しなかったので、幾多の質問責めに窮しながらもいちおう頑張って答えようとはしたんですが、何しろ初めてだし、何から話せばいいかもよく分からないし、伝わったのかどうかは疑問は残る。

描いていた絵というのは、谷川俊太郎の「体の中に」(3月のライブでOTOYORIが朗読をした詩のなかのひとつ)の詩に絵を付けたもので、一応、その詩から連想されるヴィジュアルを絵で描いた。そんな事を言うと、「あぁじゃあちょっとちゃんと読ませてもらっていいですか」というので、どうぞどうぞとお渡しした。
結構、長い間、読んで噛みしめてる感じだった。

「あぁいい詩ですね。一見、暗いようでいて、最後のところで言い切って終わらせてるところが、そこでスパっと終わっていて、そう言い切っているからこそ、そこから何か始められる力強さとかがあるような。」(ちょっと誇張してしまいましたが。もしご本人がこれを読むような事があって、いや違う私のニュアンスというのはこうだったというのがあり、それは他人の解釈や言葉に置き換えられて語られるようなものではなく、そこだけは譲れないっていうのがもしありましたら、ぜひぜひご一報下さいませ。っていうか、こんなところに書かれる事が不本意きわまりないともし思った時は、すみません。声を掛ける相手を間違えた、と思って下さい。少なくとも僕はまた機会があれば、ゆっくりメンバー含めお話できればくらいに思っていますので。笑。旅の恥はかき捨てろ感覚で、お互いすれ違ってゆく事もできますが、旅は道連れ世は情け、という言葉もある。)

ストレンジャートレインというだけあって、話が脱線してばかりいるような。

まぁその詩をここに引用しても誰にも何にも言われないとは思うのですが、好きだからこそ、その詩を尊重したいという事もあって、それはしません。
コピーペーストで簡単にできる事なんだけど。
人間がものを見るという事、歩くということ、そして立ち止まること、心と言葉が誰かに伝わったり、自分本位で終わったりすること、その理由を書いた上で、最後のフレーズで「人はそれ故にこんなにもひとりひとりだ」と終わる。
これは「人間はこうだから、ひとりで生きなければならない性なんだ」って意味にも取れるし、「人間はこうだから、ひとりひとりの存在が尊いものなんだ」って意味にも取れる。たぶん両方なんだろうと勝手に思っている。



この詩が一押しだというチコさんも、「ライブの時に、谷川俊太郎の詩をやるならコレを入れて欲しいって事をお願いした後に、あぁなんか違ったかなぁって思ったんです。この詩って私のバイオリズムが停滞してきた時に、読んでみたりする詩なんです。だから、ちょっと暗いと言えば暗いし。でもこれを読むと何か元気になるんですよね。でも、いいものはいいって事ですよね」と言っていた。

簡単平易な言葉の中に、言葉では語れないうま味(次回、味の素の川崎工場に見学に行ってきたという姉の話を掲載予定。味の素のうま味って言葉、グローバルスタンダードらしいよ。「UMAMI」で通じるらしい。心底どうでもいいけど。)がある。

「この詩とこの絵っていうのはどういう関係になってるとかって説明してもらえませんかね?」と聞かれた時には、あぁ確かに意味不明なものばかり。対応しているのは「回路」くらいで、自分で言っておいて自分でウケタ。連想ゲームのようなものですし。何度も言うように、やっぱり、生まれる感じであったり繋がってゆく事で新しい循環が生まれたり、関係性が見えてきたりとかする。

37Annivarsary ああ連れ添って37年2 で、話は何かを作るとか表現するとかって事になって、そこで初めてストレンジさんが今30歳で、10年近くギターをやってバンドをやっていた時期もあったとかという話を聞いた。で、10年間近くニューヨークで生活をしていたと。
37Annivarsary ああ連れ添って37年3 あぁなるほど、ファンキーというかフランクというか、ストレンジャーな理由の一端はそこにあるのかもしれないと思ったり。






音楽をやる必然って何なのかなと思って。僕がギターを始めたのは世の中のバンドブームっていうのがあったからだったりするし、曲を作るのもギターをやってるからで、曲があるからじゃあそのために詩を書こうっていう...。
そんなこんなで「東京にょっき」の事とか、これから会おうとしてるチコさんのきのこ苑の話とかをしたけれど、僕も必然っていうのは自分の中に明確にあるかと問われたならば、それはコレですっていうものはやっぱりない。

前にも書いた事があるけれど、やっぱり理由がなくてもこの世に存在できる事とか物とか、答や根拠がなきゃいけないという事柄がすべてじゃないだろうなぁと。なぜ人が人を愛するかということも、科学的に証明されてるわけじゃないし、恋愛をしている人達(恋愛をしていない僕を含めて)それにはハナから疑問を抱かないし。そりゃ、なぜ清楚子ちゃんは愛せて、不埒子ちゃんを愛せないのかとかの理由とかは明確にできるかもしれないけれど。



人が人を愛するのは当然。歌とかだって、古来万葉の時代から人々は歌をうたってきている。恋唄だったり、鎮魂歌だったり、花鳥風月の歌だったり。それもまた自然な事じゃあないかと。数々の(今のところまだデカイのはひとつ?)失恋を乗り越える度に、新しい曲を生むSANUKIDSと同じ様な事を、山部赤人とかもやっていただろうし。日常にすごく近いところで音楽をとらえている。
生活していると曲を作りたくなる時が来る、いわば怠け者。

こんな事書いていると、とりとめなくなりそうなので。

あと、音楽の技術っていうのは練習すればその分だけいくらでもうまくなる事はできるからね、とも。

それにやはりバンドとなるとなかなか組む相手を見つけるのも難しいし、音楽を長くやっているヤツほど、それはそうじゃない、あーじゃないのなんのという理論的な事とか、理屈が多くなる。変なこだわりというか、こうじゃなきゃならないという頑なさがあると。

これはすごく共感する。と、僕が言っても悲しいかな説得力に欠けるのですが。ストレンジトレインの中では、実際はまぁいつもの調子でちょっと誇張して話した部分もあって、こうした事を語る上での大前提がまずないから。音楽は技術じゃない、そりゃ確かにそうだけど、そう言う前に練習するのが先なんじゃね?とはいろんな人に言われている事で。

そういう気負いがなくやっている人達の練習とか、一度、機会があれば見てみたいなぁと言って下さったのですが、それはいつになるか分からない。逆に教えて頂きたい事のほうが山ほどあるだろうし(音楽に限らず)、さっそくメンバーに、今日さぁ、こんなストレンジャーな人に会ってねぇ〜という話をしたら興味津々で。これから梅雨を迎えるにあたり、ジト〜ッとした生活に一筋の光が射しこんだ感じがした。



別れ際、ストレンジさんが読んでいた「ミュージックマガジン」の端に名前と携帯番号を書いて、ビリッと破って渡してくれた。カッコイイ!(笑)。「練習とか、なにかあったら連絡でも下さい」と。で、すかさず僕も付箋(これは手帳などにも張り付けておけるので、書き写す必要もなく便利だと思い。ユーザー本位。)に予め印刷されてある名前や携帯番号などに「東京にょっき」と走り書きして、「検索すれば出てきますから!」と言い、手渡すかいなかの瞬間には、ストレンジさんは茅ヶ崎駅のホームへと飛び降りていた。扉は閉まり、ストレンジトレインはゆっくりと小田原へ向けて走り出した。

まるで台風一過のように、ガランとした車両の中で水性ペンで着彩をして仕上げた。いやぁ不思議な事もあるものだ。
ストレンジさんのような非常に突き抜けた生き方(今回の事だけで、生き方とまで言ってしまうのもどうかと思うけど)というのはなかなかね、できるものではないけれど、こういう一歩前に踏み出した姿勢で生きられたら、今まで当たり前に通り過ぎていたような事も、きっと違ってくるんだろう。
今度、きのこ苑にでも一緒に遊びに行こうっと。

そして、小田原と根府川の間の駅、早川駅前のファミリーレストランでチコさんと待ち合わせ。なっなんとココでもまた「ぽっポテ子さん、実は大事な話があるんです...」と急に改まっての爆弾発言が飛び出し、もうこれ以上は消化できねぇ〜。




(つづく)
▲上記のすべての写真は小田原から品川へ向かう最終列車内にて。人がいないのをいいことに、普段は決して見る事ができないアングルで撮ってみた。床に寝転がってみたり、テーブルの裏側をのぞいてみたり。吊革のベルトがどのような仕組みになっているかなんて、この日まで知らなかったし。最終便で、気づかずに寝ている若者がひとり。もちろん写真を撮らせてもらったあとには、窓ガラスをガンガン叩いて起こしてあげましたが。

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