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国立療養所多摩全生園「ハンセン病資料館」を訪ねる
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以前の活動日誌でも触れた「いのちの初夜」(北條民雄全集/上・下/創元ライブラリ)を読み(カモメさんより紹介されて)、実際に彼が発病してから24歳でその短い生涯を閉じるまで過ごしたという国立療養所多摩全生園を訪ねた。本当は、そこのハンセン病資料館(↑すみません。上記の「記念館」の表記は誤りです。高松宮記念ハンセン病資料館が正式名称)を見に行くはずでしたが、休館日で、近々ふたたび行こうと思う。

西武池袋線 清瀬駅前 線路沿いを歩く
アクセス
場所は東京都東村山市東北端、狭山丘陵の東外れにある。西武池袋線清瀬駅、JR武蔵野線新秋津駅、西武新宿線久米川駅、西武新宿線あるいは西武国分寺線東村山駅からバス便がある便利な場所にあるようだが、今回は、例のピンク映画を新宿で見たあと、池袋から西武池袋線で清瀬駅まで向かい、そこから徒歩で向かった。西武池袋線自体、乗るのは初めて。清瀬がどういう町かも全く知らずに降りた駅は、まぶしい青空が印象的だった。

線路沿いを東村山方面へひたすらに歩く。事前に見た地図によると、線路沿いに歩いてゆくと、研究所や国立病院などが数多く並ぶ通りにぶつかるのでそこを左折してゆくとその先にあるはずだった。迷うはずはなかった。

地元では病院通りと言われているらしい通りにぶつかり左折。BCG研究所の看板やら、救世軍病院、東京病院、複十時病院、教会などのデカイ病院が、まっすぐに伸びる道路沿いの両側に連なる。病院の裏側などには緑が多く残っているのが見えて、いわゆる武蔵野のおもかげが伺える。歩けども歩けども景色は変わらず、バス停には病院帰りと思われるお年寄りが「もしもしぃ〜」とデカイ声で携帯電話で話していたりするくらい。たまに自転車で通り過ぎてゆく人がいて、歩いている人というのはほとんどいなかった。


病院通り1 病院通り2 病院通り3
通行人がほとんどいないという事は、迷っても道を聞ける人がいないという事でもあり、いやぁこれ以上歩いても何にもないでしょ、という十字路にさしかかる。おかしい。仕方なく今来た道を戻る。途中、バス停で「ハンセン病資料館」の表記を見付ける。その路線図で見る限りは、方角的には間違っていないはずなのだが、通りすぎた記憶もない。それらしい建物も何処にもなかった。交番があったがパトロール中で、そのパトロール中らしい警官は、近くで自動車事故の現場で事情聴取をしているのを発見。

幸い、近くに、市民センターなる役所があったのでそこで道を尋ねる事にした。受け付けの端のなんとかカウンターにた暇そうな年輩の男性職員に、ハンセン病資料館に行きたいんですけどという旨を伝えるが、「知らない」という。は?誰?で、彼は他の職員の方へ行って、ゴソゴソと話している。で、戻ってくると、「全生園というのがあってね、もしかしたらそこにあるのかも知れないですけど...それからね、今は、ハンセン病っていう言葉は使っちゃいけない事になっていてね、」いやいや、そんな話は聞いた事もなく(「らい」という呼び方は差別・偏見を生むとしてほとんどが「ハンセン病」と呼び変えられているという事実はあるものの)、実際に、バス停にもそういう表示はあったんですけど、と言っても、なんか要領を得ない感じで。たぶん、自分もバカだから感情的になっちゃったりして、あげくの果てには、ここ清瀬市にはそういう関係のものは一切ありません、と断言された。確かに、隣の市とは言え、知らないって事あるのか?典型的な役所の人間だという事で、憤りを感じつつも、とりあえずバス停へと向かう。もと来た道を戻ればいいのに、ここ突っ切れば大通りに出るんじゃん、ということで、野球場脇の林の中を突き進む。

病院通り4 別に文書で抗議しようとかいう気もないのだけれど、こういう対応をされた事にどうしても合点が行かなくて。そもそも寝た子を起こすなみたいな風潮や間違った知識が、化学療法が確立されて確実に治癒できるようになってからも、根強い偏見が残るという事態を招いたのでは。かといって、そういう啓蒙めいた事を目的に此処に来たわけではないし、僕もまたその歴史の全てを知っているわけではないし、当時の様子も本で読んだくらいだ。
で、一晩、あれこれ考えて別に抗議のFAXを送ってもしようがないので、ああいう対応をした事には隣接する市としてそうせざるを得ないような事情が当時あったのではないか。もし何かあるならそういう話を教えてもらいたい、と。通りすぎる以外にできる事と言ったらそれくらい。まだ実行には移していませんが。

病院通り5 雑木林を抜けてゆくと、そこは幼稚園の敷地内だったらしく、やっぱり道がよく分からない。BCG研究所の警備員の人に全生園の場所を訪ねると、親切に教えてくれた。バスに乗るのが早いが、歩いても20分くらい、大丈夫、若いから...と。ひとまずさっき歩いたバス通りに出て、またひたすらに直進。突き当たりのT字路を道なりに行くと右側にあるらしい。暑い。かれこれ1時間ほど歩き通し。


ハンセン病資料館1 ハンセン病資料館2 ハンセン病資料館3
ハンセン病資料館、到着。あぁ悪い予感は的中。本日休館日。開館時間は午後1時〜4時まで。毎週月・金・祝祭日は休館とある。事前に調べてくればよかったのだが、いずれにしても臨時の休みだったので、もう行くしかないと思っていたし仕方がない。写真中央と右が、資料館の外観。

ひとまず園内は誰でも入る事ができるらしいので、右側の道から中に入ってゆくことにした。向こうには菜の花や桜が満開なのが見える。桜の下では花見をしている人達の声が聞こえ、野球場ではこども達の声がする。

1996年4月に、隔離を定めた「らい予防法」は全く無用な法律として廃止され、全国に現存する療養所(国立13、私立2)の入所者(約5500名)のほとんども軽快治癒しているという。が、高齢である上に、重い身体障害を合併していたり、長期間社会から隔離されていたために復帰の可能性がほとんどない人達が、この園内で生活をしている。

下写真右の、道路の右側が桜並木や、北條民雄が盆踊りをしたという神社などがあり、左側が、平屋の長屋が建ち並ぶ居住スペースとなっている。それはものすごく奥まで続いている。自分達で育てているであろう畑とかもあった。草むしりをしているおじいさんがいたが、この日は休みだったせいもあるのか園内は静かだった。


園内を歩く1 園内を歩く/さくら 園内を歩く3
道と道が交差する地点に、スピーカーがあって、そこから鳥の鳴き声が流れていた。なんだろ、と思ったが、あとでカモメさんに聞くと、目の見えない人のためのサインの役割を果たしているのだという。そんなスピーカーを眺めていると、何かの音楽を鳴らしたトラックが結構なスピードで走ってきた。通りすぎるのを見ると、トラックの後ろには白帽、白マスク、白衣の人が2人立っていた。何をするのかと思って遠くから見ていると、バタン、バタンという音がして、部屋の前にある小さな扉を開けて、何かを入れてはバタンと閉める。時刻は5時をまわった頃で、どうやら食事の配給をしているようだった。

園内を歩く鳥の声 ←これが鳥の鳴き声を出していたスピーカー。
その後ろには野球場。

「面会人第一宿舎」「面会人第二宿舎」などもあった。園の周囲にはヒイラギの垣根があると書いてあったが、現在では短く刈り込まれたものが残っている。

園内を歩く5 看板 園内を歩く6 園内を歩く7/倉庫?
↑「園長」からの看板。この付近で事故が多発しているので、車や自転車は徐行して下さいという内容。(写真中央)道路の奥の両側に見えるのが居住空間の長屋。奥までずっと立ち並んでいる。(写真右)なんとか?倉庫。何が入っているかは不明。

ここであの「いのちの初夜」を始めとする小説が生まれたのかと、実際の風景に重ねながら歩いた。園内を抜けてバス通りまで出て、帰りはバスで西武新宿線の久米川駅行きのバスに乗って新宿へ戻った。

次回は資料館ふたたび、の予定。ゆえに、つづく。

◆国立療養所多磨全生園のサイト
http://www.hosp.go.jp/~zenshoen/

◆青空文庫(インターネットで「いのちの初夜」が読めるらしいです)
http://www.aozora.gr.jp/index.html


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