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4月26日にオープンしてちょうど6ヶ月が経過した
私は飲食関係の仕事を始めて25年になる
この世界にある"諺"というか"言い伝え"っちゅうか・・・
こうゆうのがある
オープンして
3ヶ月もったら6ヶ月もつ
6ヶ月もったら1年持つ
1年もったら3年もつ
よくみるとこの論法やと3ヶ月もてば3年もつとゆうことになる(笑)
ともかく6ヶ月やれた
17年間勤めた会社をやめたのが3月
その会社をやめた・・・
人には器とゆうものがある・・・
年商100億を超える企業の取締役など到底自分にあうはずがない
この世界を生き抜くためには絶対的なバランス感が必須となる
私は従業員の教育指導を担当していた
この私がですよ・・・
一生懸命がんばったのは事実やけど・・・
もちろんいい時期もあった・・・
思い上がりえらそうにして反感もたくさんかった
とにかくバランスが悪い
時代の流れにともない景気が一向に回復しない常態の昨今、会社の体制も変化していった
企業はどう生き残るか"勝ち組"にはいるにはどうしたらいいか?
成果主義とゆう理念でもって各自のモチベーションを向上させていくやりかた
もともと能力がないうえ"企業人"ではない私は急激な変化についていけなくなり、脳が機能不全をおこし同じ過ちを繰り返した
成果をあげないうえにミスを繰り返すんやから当然制裁を受けることになる
常務取締役から本部長
本部長から営業課長
とゆう具合に階層でゆうと6段階ほど降格になった
給料は常務の時の半分以下になった
正直生活もままならん状態やった
今年1月会社の人たちにフォローしてもらい3段階昇格して部長になった
しかし会社の方向性と本来の自分とのズレはますます大きくなっていった
2月退職を申し出る
有難いかな社長以下全員でとどまるよう説得してくれた"1ヶ月休んでゆっくり考えろ"
とまでいってもらった
リフレッシュしたらまた頑張れるかなと思ったけど全然そうはならんかった
とにかく会社に行くのが嫌やった
やめたかった
逃げ出したかった
"狂ってまうんちゃうか"と不安に苛まれる日々が続いた
3月最終的に退職を申し出る
「野垂れ死にするつもりか」とか
「逃げ出すのか」とも言われた
それは自分自身が1番悩んでいることなんで人に言われてもなんとも思わんかった・・・
けど、ほんまに会社やめて生きていけるんやろか?・・・
17年勤めてた会社の看板をおろして世間は自分を人間扱いしてくれるのか・・・
このドロップアウトした人間を・・・・
正直言って他の会社に勤めようとは思わんかった
そうなると自分で起業するしかない
つまり"やらなあかんから"とゆうのが起業開店した動機になる
でもそうともいいきれん部分がある
実はどうであれ"バー"をやることは将来のビジョンやった
ただ"海の見えるところ"のはずやったけど(笑)
つまり夢でもあるわけだ
はからずしもその夢が早く実現したわけです
神様に感謝!
店をオープンすることは難しいことではない
"くっていけるかどうか"
これが1番のポイントであることは否めない
鈍感で無神経な私でも経営者となった限り一生この不安と戦っていかなアカンのです
今私はフーフー言いながらも充実した日々を送っている
この店は自分の部屋といっても過言ではない
1日最低15時間はこの中に棲息している
もともと1箇所にじっとしてられへん性格やったのに・・・・
なんの苦痛もない・・・
それもそのはず・・・なんで?て?
自分の好きな人
自分の好きな酒
自分の好きな食べ物
自分の好きな音楽
その他のも自分の好きなもがいっぱい
この中に浸ってるんやから充実の日々が送れるのは当たり前!
もう少し近辺が落ち着いたらもっといろんなことを一杯したい
こんなえらそうなことを言えるのはなんでやろうって考えた
答えは一つ
"応援してくれる人がいるからである"
自分は
身勝手で
すぐ思い上がりテングになり
デリカシーがなく
冷たい人間である
といわれてきたし自負もしてた
ほんまにそう思てたし・・・それでもいいと思てた
でも実はそうではなくほんまは
同調し
協調し
みんな仲良く
励ましあって
輪の中にはいりたいと考えていたんです
それを自分自身より・・・
"私の周りの人たちのほうが感じ、理解していてくれた"
のです
"こんなことってほんまにあるんやろか"
と自分でも思う
でもここまでやれたのは事実やし
この「応援」がなかったら、絶対やっていかれへんかった
周りの人たちから支えられてる私・・・
感謝することしかできひん私・・・
どう応えたらええんやろ・・・
ともかく半年やれてんから1年はやれると確信しています(笑)
ずうずうしいですがこれからも応援していただきますようよろしくお願いします(爆)
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