マクドのバイトを続けて社員に登用してもらうと考えていたので、がんばっていた。
戎橋に新しいお店ができるということでオープン要員として転勤になった。
店の前はすごい人通りなので売り上げを期待されたが予想より下回った。
メンテナンスマンのトレーニングをしている最中、眠ってしまったのがスーパーバイザーの知るところになった、やはり企業はきびしい!
売り上げが予想より下回っている状況下なので時給の高かった私はアッサリ首を宣告されてしもた。
初めて世間のきびしさを知ることとなった、けっこう落ち込んだ、が当時は今と違い仕事はたくさんあった。
そのころ私は大阪北の繁華街、阪急東通り商店街近くの中崎西というところに住んでたんでこのあたりで職を求めた。
就職先は「クリエートエンタープライズ」という会社で東通りに新しいディスコをオープンするための募集やったその名は「パッションディスコ・エスパース」!ところがもう定員いっぱいといわれ「フィーバーガールズ」というパブで働いてはどうかと促された「ダンスを踊れるようになったらええな」とゆうような軽い気持ちだけ(結局今でも踊れない)で面接いったので「いいですよ」ということで即勤務した。
10坪そこそこのカウンターなしのボックスシートだけの店で8トラックのカセット(4曲入り)を使ったカラオケに当時では珍しいお立ち台がある店やった
この店は爆発的に流行っていた、女の子の質もよかったのだが決め手は「ビラ・ちらし」やった。
ボトルキープがボトルの原価の3割引の特典とチャージ・ミネラル・TAXなどをすべて明記し2人の場合ボトルキープして1人ぶんが2600円くらいという低価格さと明朗会計をアピールしたからやった、画期的な商法でお客様がならんで待つくらいやった。
インベーダーゲーム(テーブル式のヤツ)もあった、カラオケでは「バカねぇバカねぇよせばいいのに〜」の「よせばいいのに」が流行っていた。
主任に昇格したとき「エスパース」に転勤になった。
当時はいわゆるディスコブームでたくさんの店が軒(のき)を連ねた、テディダンがディスコダンスで世界一になった2年後くらいのことです。
「もう時効やろ!話」Vo2
店はビルの3階にあった、深夜営業やったからよく警察がやってきた、DJブースでパトライト(クルクル回るやつ)をつけてビルの1階にスイッチを設置した、彼らがやってきたら入り口のシャッター閉めて音楽止めて、みんな沈黙・・・未成年者もいっぱいおるんやからそら緊張しとった、最初はそれでやり過ごせたけどそのうちそうもいかんようになって、営業停止になったりした。
よう喧嘩もした、そやからなるべくヤンキー風のお客様をいれんとこ!
とみんなで決めたけど、売り上げがほしい上司は目ぇつぶって入れとった。
フォーカルポイントのDJが「チャカカーン」を連れてきたときも社長は
「ちゃんと金もらえよ」とゆうとった
「世界のチャッカカーンやねんから招待するのが普通やろと」
みんなブゥブゥゆうとった、それくらい商売根性ある社長やった。
「フィーバーガールズ」で働いていた女の子とのみに行った
高校やめて沖縄に何年かおった、てな話しを聞いた
私の部屋に泊まった
私はいわゆる「奥手」でなんにもようせんかった(笑・でも本当の話)
彼女が帰るとき
「ここに鍵置いとくからいつでもおいで」
ゆうて電気のメーターに置いた
数日後、帰ったら鍵があいてた
電気もつけんとほの暗い部屋に落ち込んだ表情の彼女がおった
その日から彼女と暮すことになった
しばらくいっしょに住んで
「この女性(ひと)がオレの嫁さんになる女性や」
と思った
けっこう運命論者の私は彼女と結婚の意志を確かめ合うと彼女のお母さんと会い承諾を得た。
自分の親にはなんやゴチャゴチャいわれそうやから事後報告でエエと勝手に決めて一言もいわんかった。
それからあしかけ22年いっしょに暮らしてる、たぶん「死に別れ」とゆうことになるんやろと思う。
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