【哀愁という薬味】
人には各々、思い出がある。
もちろん思い出のうどんもある。
高校の時の話。
友人U田とI木原は、高瀬の麻(洲崎の近く。でもこれは洲崎の話ではない)からチャリで通っていた。この麻という所、そこそこ山の中で、登校時は下り坂なのでラクチンだけど、帰りは勉強(遊び?)やら部活疲れで登り坂がキツそうだった。出来るだけ最短距離で路地を抜け、本線を横切って、独自のルートを作っていた。
そんな道のりの途中、彼等はあるうどん屋さんに寄るのが日課であった。腹が減って、家までもたんかったらしいです。路地の一角にあったばあちゃんのお店で名前も忘れてしまったが、以前に記憶を頼りに探してみても見つかりませんでした。もう、なくなってしまったんでしょうね。
「ダシがうまいんじゃ〜」
I木原が、うどんを食べた後、さらに中華そばを食べている姿が、妙に印象に残っている。
そのお店もそうであるが、以前は、玉買いの店だがダシで勝負出来る店って、結構あったように思う。K音寺の港通りの「D助」もそんなお店だった。うどんだけでなく、お好み焼もあったり中華そばや丼物もある、いわゆる大衆食堂。気さくなご主人が作る恍惚のダシに、多くのファンが付いていた。
ところが…ある日、そのご主人が失踪(!)してしまった。幸い、息子さん夫婦が店を手伝っていたので、何とか続けていくことが出来ていた。
恍惚のダシは、当時の私には変わりないように思えたのだが、「これは息子の味、親父の味とは違う」と言っていた人もいた。かといって、それでお客さんが激減した訳ではなく、たぶん別の理由があったのだろう、間もなく閉店してしまった。私が大学生だった頃のことである。帰省した時、すでに店はなく、最後の一杯を食べられず、残念でたまらなかった。
今でも、懐かしい店とか、復活して欲しい店の話になると、「F村のソフトクリーム」(すみません、エラいローカルで)と共に、必ず話題になる伝説のお店だ。
さて、思い出のうどんと言えば、避けて通れないのが連絡船うどんである。
まだ瀬戸大橋が掛かってない頃、島国四国の住民が外へ出るには、空と海しかなく、中でも最もポピュラーな手段がJR宇高連絡船であった。
高松駅に着いた列車から降りた乗客達は、一斉に左前方の階段を駆け上り、連絡船の乗り場へとダッシュする。もちろん、私も負けてはいない。走る。ひた走る。船室で、とりあえず自分の席を確保したら、次に向かうのが後部デッキだ。そこにはすでに長蛇の列が出来てる。一杯のうどんを求めて並んでいるのだ。
皆、知っている。この先に、もう「讃岐うどん」はない。
瀬戸内海の潮風に吹かれ、ある若者はこれから始まる旅に想いを馳せながらうどんをすすり、ある女性はダシを最後の一滴まで飲み干して故郷に別れを告げる。
そんな連絡船うどんを、誰もが口を揃えて批評する。
「あの、うどんは忘れられん」
私もである。
今にして思えば、麺は当然作り置きだったし、町の大衆食堂で食べるくたびれたうどんと大差はなかったのかも知れない。違いがあるとすれば、そこに哀愁という薬味があったことだろう。
もう、その薬味はない。
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