I Don't Mind,If You Forget Me.02/01/27

The Little Judge

 2年程前、ある大学で奈良美智の講演を聴いた。私の父親とほぼ同じくらいの年齢の彼は、非常に普通の人で、その普通さが、(自分のそれまでの経験の中では)ほとんどありえないような現実感を伴った、それ以上でも以下でもない、というような普通さだったのでとても惹かれた。そしてメディアでの露出は多い彼ではあったが、実際の作品を見たのは今回が初めてだった。

内在する、潜在的な力。何かを獲得する直前の、何かが現れる寸前の、しかしまだ現象として生まれてはいないというような雰囲気,質感。そんな印象を私は奈良美智のこの作品やその一連の作品から受けた。言葉にならなかった、そしてこれからも言葉にはなり得ないような感情が、そこには凛としてある。日常に対する自分の感情や感触を代弁している、というようなことを言うつもりはないが、同化による甘えを許さない極めて厳しい、きわめて個人的な彼の感情が、剥き出しのままそこにはあった。ただ、在る、というそのことが、私に衝撃を与えたのである。揺るがした、とさえ言っても過言ではないだろう。実際私は、ほの暗い水の中でペンの先を見つめるこの女の子と向かい合ったとき、決して器用とはいえないだろう作者の人生の方法を思うと同時に、自分自身の地に足が着いていないような部分を強烈に認識した。彼のこの絵には、その意図に関わらず思考・感情を受け手に、つまり見る人自身に向かわせる力があるように思う。それは彼の描く絵の魅力が、普遍的なところに触れているからというよりもむしろ、絶望的なまでに個人的な孤独を映しているせいだろう。あるいは、ユニバーサル/パーソナルという二項対立を超えた、アンビバレントな魅力といってもよいかもしれない。

 Keep Your Chin Up

 遠目に見ると、ほんの少し悲しみを含ませたような、軽く、そして迷いのない線に見える。しかしちょっと近寄って見ると、何本も線を重ねてやっと行き着いた、あるいはそうならざるを得なかった、という種類のどうしようもない悲しさと、哲学とも呼べるような強い意志を感じる。
 自分自身の言葉と体でゼロから構築されたものには、孤独に裏打ちされた本物の説得力がある。そして同時に、このおでこの広いふと視線を遠くに馳せる女の子の表情からは、優しくなさを感じる。他人の言葉を机の上に並べて言葉遊びをする私を批判するでもなく、ただ強烈に浮かび上がらせるのである。
 それ以上でも以下でもない自分、を選択しつづけることは決して容易ではないし、むしろ苦しい。けれどそういった方法は、かなり男前な現実の受け入れ方ではないだろうか。

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