雑文No.6〜10

No.6 時給40,000円のアルバイト 

研修医時代、大学病院の手術室で見知らぬ看護婦さんに話しかけられた。「あのときはどうもありがとうございました」「???」「あのとき、無菌室にいた看護婦です。先生はモデルになってくれた先生ですよね」「ん?……ああ、そうです、そうです」すっかり忘れていたが、学生時代にそんなことがあった。

大学3年生の夏休み。クラブの先輩で内科の大学院に行っている先生から電話があった。

「明日暇か?バイトしない?」

「どんな仕事ですか。針刺されたり、採血されるのはちょっと……」

「違う違う、ちょっとモデルになってもらうだけ」

「モデル?何の?」

「バイト料は2万円。時間は30分くらい」

「2万円!……。だから何のモデルなんですか?」

「無菌室に入る練習のモデルのバイト。駄目ならいいよ。別の奴に頼むから」

「ちょっと待って下さい……。無菌室??絶対に針刺したりしませんか?」

「モデルやるだけだから、針なんて刺さないよ」

「分かりました。やります」

「それじゃあ、医局に1時半に待ってるから。海パンを忘れるなよ」

「海パンって…」

「がちゃっ」切れた。

頭の中で、無菌室、モデル、海パン、30分で2万円、というキーワードがぐるぐる回る。

みなさんは無菌室をご存じか?血液疾患(白血病など)の治療、特に骨髄移植などを行う際、免疫力が下がる。細菌、ウィルス、真菌などの感染を防ぐため患者さんをクリーンな部屋に隔離する必要がある。その最先端の設備が整っているのが無菌室である。

翌日指定された時間に医局に行くと電話をしてきた先生が待っていた。早速無菌室に連れられていく。無菌室にはいるともう一人の先生が待っていた。本日の趣旨を説明される。その年、我が大学病院にも無菌室が開設されることになった。そこで、一般病棟からここ無菌室に入室する際に患者さんが行うこと(主に消毒関係)のシュミレーションをしてみたい。そのためのマニュアルはもう出来ている。そのために患者さん役で協力してくれということだった。何だ、そういうことか。喜んで承諾した。

無菌室内に入るための準備室に入る。看護婦さんが5、6人待っていた。「よろしくお願いします」などといわれる。「じゃあ、早速。脱いで下さい」部屋の隅で海パンに着替える。「あれ、海水パンツなんて持ってきたんですか?」「えっ。先生が持ってこいといったんで……」「本当は全部脱いでもらわなくてはいけないんですけどね。今日はデモだからそれでいいです」先生に感謝。

「じゃあ、これから始めます」周りを見渡すとビデオカメラを持った人が立っていた。「これは?」と聞くと「新人看護婦の研修用に使います」とのお答え。しまった。男優としてのデビュー作だ。朝寝坊して髪はぼさぼさ、髭も剃ってきていない。今更言っても仕方ない。

「じゃあ、お風呂に入って下さい」湯船の中の消毒用イソジンが特有の色調、香りを漂わせて出迎えてくれる。「体を洗って下さい」タオルを渡される。正面からはカメラが狙っている。ぎこちなく体を洗浄する。「お背中流します」状況的には羨ましいのだろうか?しかし、周囲には腕組みした真剣な眼差しの数人のナース、冷酷な観察者たるビデオカメラ、この状況で、そういった感情になれるならば今頃わたしはここにはいない。「先生は何科の先生なんですか」おお、風呂場でインタビュー。どこかのビデオで見た光景。まさか自分がされるとは……。「まだ、学生です」質問者は明らかに興味を失ったようでインタビューはこの一言で終了した。「次は、すべての体の穴をこれで消毒します」手にはイソジンの付いた綿棒が数本握られていた。絶句したわたしを見てこう続けた「今日はデモなので上半身だけにしておきます」肩の力が抜けた。外耳道、鼻腔をホジホジされ、さらにイソジン・ガーグル(うがい薬)でうがいをする。

その後のことはあまり記憶にないがとにかく無菌室への入室業務は完了した。ガラス張りで明るい独房といった雰囲気。外から皆が見つめている。パンダかコアラになった気分。海パンが濡れていて気持ちが悪く、とにかく早く着替えたかったことだけは鮮明に覚えている。終了後、また皆に囲まれ感想などを聞かれる。偉そうに意見を述べる濡れた海パン男。それを頷きながら熱心に聞き入る看護婦さんたち。メモしている人もいる。ビデオもまだ撮影中。今思うと非常にお間抜けな光景。でも、そのときはみんな真剣だった。

看護婦さんからテレカなどのお礼を頂き、二人の先生から「ご苦労さん」とポケットマネーで1万円ずつ手渡された。確かに正味時間30分ほど、時給にすると40,000円プラステレカのバイトだった。後にも先にもこれ以上時給のいいバイトはしたことがない。

で、また冒頭の手術室の場面に戻るわけだが、周りの同僚が「なに、なに、なに」と話に加わろうとしてきたので、それを制すように「じゃあ」とその場を逃げ去った。で、結局、あのビデオがまだ存在しているのかどうか、聞きそびれてしまった。

 

No.7 アルバイトの思いで(1)

学生時代、夏休みにパン屋にアルバイトに出かけた。夜勤でまあまあ給料が良かった。らくがんは時折家の仏壇で見かけたことはあったがこの様なものをパン屋で作っていたとは知らなかった。砂糖とはちょっと違うけど甘くて口の中ですっと溶けるもので出来た、花などをかたどった和菓子である。お盆が来る前に大量生産するとのことだった。

作り方は以下のようである。分量を量って、原料を混ぜる(一人)。原料を型に入れプレス機に入れる。出てきた型から出来上がりのらくがんを取り出す機械に入れる(二人)。ボトンと落ちてきた出来上がりのらくがんを乾かすために並べる(一人)。計4人の作業であった。一日目は慣れない作業で緊張して行う。プレス機は怖い。仕事を教えてくれた主任の人が、始める前に口を酸っぱくして言っていた。しかし、言葉はいらない。主任の左手の親指は無かった。

二日目、そろそろ仕事に慣れてきて夜明け前が眠くなる。わたしはプレス機担当であったため仕事が単調だ。しかし、根性で何とかした。三日目、遂に飽きてきた。そこで、思いついてしまった。2倍の重さのらくがんは作れるのだろうか?。

一度プレスした状態でもう一度原料をまぶせて、再度プレスする、そうすれば二倍の重さのらくがんが出来るのではないか。これを買った人は大当たりだよ。などと同僚のバイトを説き伏せて作ってみることにした。しかし、プレス機がプレスの途中で止まってしまったのである。原料を入れすぎているために予定された位置まで押し下げられず、戻ることが出来なくなったらしい。直ぐに主任を呼んだ。主任が来るまでの間、わたしは一生懸命に言い訳を考えた。結局、二人がボーとしていて二度、原料をまぶしてしまったということにした。

主任は黙って修理を始めた。その間は早めの休憩時間になった。まだ初めて30分くらいしか経ってないのに。他の3人の同僚の目が冷たかった。その後1時間ほどで修理は完了し、二倍の重さのらくがんが無事、救出された。しかし、わたしはうつむくばかりで、それを手に取ることが出来なかった。同僚が見ていたから。

あのらくがんは結局どこに行ったのだろうか。

 

 

No.8 へびをたべるな!

先日、大学時代の友人の結婚式があった。この様なところで同級生が会うと近況報告や昔話に花が咲く。隣に座った友人となぜか、学生時代のコンピューターの授業の話で盛り上がった。

FORTRAN(プログラミング言語の一種)の授業だったのだが、一人一人に端末が与えられていた。そして確か「send」というコマンドがあり、これを使うと他の端末にメッセージが送れるのだ。彼が言うには、その端末からわたしが彼に「へびをたべるな!」というメッセージを送ったという。

わたしには全く記憶にない。彼はへびを主食にしていないし、それどころか、食べたことさえ無いらしい。それはわたしも同様である。しかし、自分が食べないからといって他人にそれを禁止させようなんて、そんなにわたしはお節介でも、度量の狭い人間でもない。食べたい人は食べればよい、というのがわたしの基本的なスタンスだ。

なぜ、「へびをたべるな!」だったのか。I am not what I used to be.という基本英語構文が思い浮かぶ。今となってはじぶんでも分からない。それにしても、コンピューターを介してじぶんが送った初めてのメッセージが「へびをたべるな!」だったとは。また、端末のスイッチをいれていきなり「へびをたべるな!」という文字を見つけた彼もさぞ驚いたことであろう。同情に値する。

この間、大学の卒業生の名簿が送られてきた。今年からe-mailアドレスも掲載されるようになった。彼もe-mailアドレスを持っているらしい。彼にメールを送ってみよう。へびをたべてないかどうか心配だから。

  

No.9 まもなく

研修医時代、救命救急センターで3ヶ月ほど研修していた。そのときの話。

その日は当直だった。夜、救急車から連絡が入る。車の正面衝突。運転手が重体で運ばれてくるという。全館中にその旨の放送が入る。当直医が初療室emergency room(ER)に集結。血を浴びても大丈夫なようにガウンを羽織り、マスクを装着。その日のリーダーが各自の仕事を割り振る。

救急車が到着。皆で入り口まで出迎える。救急隊員によって人工呼吸、心臓マッサージが行われていた。ここからバトンタッチ。初療室に運び込まれ直ちに気管内挿管、人工呼吸開始。鎖骨下より静脈路を確保し(CV)、血圧測定のためA-lineをとる。血液型をチェックするもの、邪魔な服をはさみで破くもの、それぞれ先程、割り振られた仕事を黙々と行う。入室時より心肺停止(CPA)の状態。その間も心臓マッサージは続けられている。体内のどこかに出血していることによる失血性ショック(hypovolemic shock)と思われた。点滴は全開。アルブミン製剤も注射器でめいっぱいに押し込む。

事故の状況を聞きに行ったものが報告する。一方通行を逆走してきた酒酔い運転の車に正面衝突されたと。酔っぱらい本人は足を骨折した程度で他院に運ばれたとのこと。部屋の温度が一度くらい上がった気がした。皆どこにぶつけていいか分からない怒りのやり場に困っていた。

レントゲン写真で血胸を認め胸腔穿刺、トロッカーを留置。エコーを行い、腹腔内にも出血を認めた。手術に持ち込むにも心臓が動かなくては……。血液型も判明し輸血も開始した。これも注射器を使って急いで押し込む。その間にはエピネフリン(強心剤)の静注を繰り返す。

何分くらい経ったのか。治療にて心臓は動き出さない。今、何かをしているのは心臓マッサージをしている者だけ。他の医師たちはじっと心電図を見つめている。リーダーが心臓マッサージの係の者を制した。心電図はstandstill。リーダーが時計を見る、そして時刻を告げた。皆、黙礼をした。

翌日、新聞の地方欄に事故のことが出ていた。記事の最後にこうあった。

……病院に運ばれたがまもなく死亡した。

あの日、初療室で行われたことは、まもなく、の4文字だった。

 

 

No.10 麺の上げ方

3ヶ月ほど前、新装間もないラーメン屋に立ち寄った。この辺りで有名なラーメン店から独立した店長がやっているらしい。メニューやサービスが同じなので直ぐに分かる。

店内はひっそりとしていた。カウンターの中では新人のバイト君と思われる初々しい男の子がレクチャーを受けていた。

「麺を湯から上げるにはな、二種類の方法があるんだ」

「はい」

「まずな、俺たちがやっている方法だ。麺をこのざるですくって、チャッと一回で湯を切るんだ。こういう風にな、手首を外側に向けながらチャッっと一回で切るのがポイントなんだよ」

「はい」

「それからもう一つ。店長方式だ。これはだな、こういう風にすくって、手首をあまり使わないで素早くチャッ、チャッっと二回湯を切るんだよ」

「はあ」

「もう一回やるぞ、これが俺たちの方式。チャッ、手首で湯を切るんだよ。それからこれが店長方式。チャッ、チャッ、な、素早く二回切るのが店長方式だ」

「はい」

「どっちでも自分の好きな方で覚えればいいから。やっているうちにどちらがやりやすいかはそのうちに分かってくるから」

「はい」

「こういうつまらないことをきちんと確実にやることが、店が混んできたときなんかに大切になって来るんだよ。一人分、十秒も違わないけど、一日、何百食も作るんだからな」

店の中はわたし一人だった。

「それから、麺を上げるざるの置く位置。これなんかも時間短縮には工夫しなくちゃ」

「はい」

講義は延々と続いた。どんぶりの並べ方から立つときの体重のかけ方まで。

うーん、感心した。自分がいかに「時間」というものを考えずに外来をやっているか考え込んでしまった。カルテを書くのに書きやすいボールペンを使うとか、次の人が入ってくるまでの時間で聴力検査の結果を過去の結果と見比べるなんて言うのは、これに比べると工夫なんて言えない次元の低いものだ。プロには見習うことが多い。

先日久しぶりにそのラーメン屋に寄ってみた。あの新人君がラーメンを作っていた。おお、出世したんだね。じゃあ、ネギラーメン、麺は固めね。

「はい」

さて、麺を上げるときがやってきた。新人君はどちらの方式を採ったのか。チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、チャッ、細かく五回も湯を切りやがった。おい、思わず立ち上がりそうになる。話が違うではないか。周りを見回す。他の店員は特にこのことについて何とも思っていないようだ。衝撃に打ちのめされながらも出てきたネギラーメンを食す。一回だろうが二回だろうが、ましてや五回だろうがやはり味は変わらない。食べているうちに少し落ち着いてきた。

今日も客はわたし一人だった。必要は発明の母。必要ないことに人間努力しないもんな。