雑文No.11〜15

No.11 デジャヴ

コンコン。

「どうぞ」

「失礼します」

ガチャ。

教授室に入る。

大学4年の冬、進級を賭けた試験が行われる。病理学の試験もその一つだった。病理学の試験はペーパーだけではなく諮問と呼ばれる面接式の試験も行われていた。その日は諮問の日だった。

諮問は二日にかけて行われ、わたしは二日目の最後の方だった。終わった連中が学生談話室に戻ってくる。自分が聞かれた質問を部屋の前に置かれたホワイトボードに書き込んでいく。医学部ではことに試験に関しては団結力が強い。げげ、そんなこと聞かれるの。焦って、教科書のそのページを開き、読み始める、が緊張と焦りで全く頭に入らない。早く学校に着きすぎた。これなら図書館で一人で勉強してた方が良かった。

やっと自分の番が来た。

部屋にはいると教授にソファーを勧められ腰掛ける。深く座ったら顔が天井を向いてしまった。浅く座り直す。医局の秘書さんがお茶と茶菓子を持って現れた。ちょうど時刻は午後3時。どうやらわたしの茶菓子もあるようだ。ラッキー。

「さて、始めようか」

一口、お茶に口を付けたところで諮問が始まった。なにやら教授はペラペラと紙をめくっている。これは前に行ったペーパーテストである。諮問を終えた連中が教えてくれていた。この試験での出来の悪いところを聞かれた者もいた。へへへ、対策は万全なのである。諮問があとのほうだといろいろ情報が入ってきているから楽だよな、なんて思っていたら突然こう聞かれた。

「君は病理学をやるつもりはないか」

「は?」

「君は基礎には興味がないのか」

基礎とは、臨床と対照的に使われる語句で、例えばこの病理学や、解剖学、生化学、生理学などのことである。一般的に言って、臨床医を目指して医師になろうという輩が多いため、基礎の研究者のなり手は少ない。

「あ、いや、うう……」

完全に裏をかかれた。焦るばかりのわたし。ここで興味があると答えたら合格になるんだろうか。興味ありませんと答えたら悪い印象を与えるだろうか。しかし、ここで興味あると答えたらここでわたしの人生は決まることになる。五秒くらいの間に頭の中で三百回ほどのシュミレーションが行われた。結果、素直に告白することにした。

「実は、ここに入る前に工学部にいたんですけど、精神科医になりたくて入り直したんです」入学時からその当時までは精神科医になるつもりだった。耳鼻科医になるまではいろいろと紆余曲折があったがそれはここでは触れない。

「だから病理学は……。あっ」

「んっ」

その瞬間、教授と目があった。二人の頭の中に同じ光景が映っていた。

「その話、以前どこかで聞いたことが……」

「そっ、それ、僕です」

突然蘇った。四年前の記憶。入試の面接だった。そのときも教授から「病理学に興味はありますか」と聞かれたのだった。そのときのわたしも今と全く同じ答えをしたのだった。

その後二人は苦笑し、お茶を飲み、茶菓子を食べ、学問の話は全くしないままに諮問は終了した。学生談話室に戻り、ホワイトボードに記入する。前の奴が書いた「肝硬変の分類」の下に「四年前と同じこと」と書いて帰ってきた。

あとでみんなに聞いてみたが諮問中に勧誘を受けた者はわたし一人のようだった。それじゃあ、よっぽど成績優秀だったのかと思いきや、帰ってきた成績を見たらそれも否定された。そんなにわたしの顔は病理学向きだったのだろうか?

 

 

No.12 麻酔から覚めるとき

研修医1年目は麻酔科から始まった。そのころの話である。

全身麻酔をかけたあとに麻酔科医は、術後回診といって何か全身麻酔をかけたことによって困ったことが起きていないかをチェックしに行く。患者さんの話を聞きに行くのであるが、そこで不思議なことに気づいた。

麻酔をかけた麻酔科医ですけど……と病室に入っていくと患者さんが非常に喜ぶのである。もう命の恩人のような扱いを受けることもあった。その当時「麻酔」というテレビドラマが放映されていて、麻酔が覚めない恐怖というのが、術前にあったためかもしれない。手術する立場になって分かったけれど、手術後、主治医に対してそんなに手放しで喜んでくれる患者さんは稀である。術後は痛みのことなどを告げられることの方が多い。

なぜ、こんなにも歓迎されるのか、思い起こすと理由が一つだけあった。

話は大学6年の頃に戻る。麻酔科の授業で「笑気実習」というものがあった。笑気とは弱い鎮痛効果を持った麻酔ガスである。それだけで全身麻酔を行うのは稀であるが他の全身麻酔薬と一緒に用いられることが多い。教科書によると笑気を吸うと顔の筋肉の緊張の関係で、笑って見えるためにその名が付いたという。実際に笑うわけではない。笑う奴も一部いたが。

笑気実習とはその笑気ガスを麻酔科の先生がマスクで嗅がせてくれるのである。実に楽しい体験であった。実習は4人のグループで行われたのであるが、皆それぞれの印象が異なっていたのも興味深かった。うちの班では皆おとなしかったが他の班ではげらげら笑い出したり、体をバタバタと動かし興奮状態となり途中で中止になった者もいたらしい。

わたしの場合は、まず、周りの仲間がなんか言っている声がどんどん遠くなっていった。ジーンという蝉の鳴くような、耳鳴りのような音がどんどん大きくなってくる。体がしびれ始め、手術台から数センチ浮き上がるような感じ。周りの奴が「つねっちゃえ」などといっているのが聞こえる。何か触れたような感覚があったが気にならない。あとで分かったが、ペアンで皮膚を挟んでいたらしい、ひどい奴らだ。そのうちに少しずつ気が遠くなっていく。どれくらい経ったのか、時間の感覚が分からないが、声が聞こえてくる。「終わったよ、起きな、ほら起きて、ばしばし」ばしばし、はわたしの胸のあたりをたたく音。目を開けると麻酔科の先生の顔がぼんやりと見える。終わったんだ。深い谷底から引き上げられたような感覚におそわれた。ああ、助かった。この先生に助けられたんだ、わたしの脳にインプットされた。

ローレンツ博士は鳥が生まれて初めて見たモノを親として認識する現象を「刷り込み」と命名した。わたしは、人間が麻酔から覚めてはじめてみた人を「命の恩人」として認識する刷り込みもあるのではないかと思っている。現にわたしが今でもそうだから。

 

No.13 もう一人の自分 

最近、やらなくてはいけないことが多すぎて何からやったらいいのか分からなくて戸惑ってしまうくらい。休日もやることのリストなんて作ってみたりして、それを作っただけでいやになってしまう。

さて、じゃあ始めるか。

こんなときに、決まって奴が現れる。

「ねー、本でも読もうよ」

出たー。読書家の「わたし」である。

戦いが始まる。対戦のお相手は、面倒なことは早めに済ませてしまいたい「わたし」

「そんな……、この間の学会の時だって、お前に唆されて発表の2週間前までのんびりしてたら、当てにしていた休日に急患が入ったり、急に医局のMacが壊れたりでさんざんだったじゃないか。お前、忘れたのか」

「大丈夫だよ。結局この間も何とかなったじゃないか。今回もなんとかなるって。まだ、本くらい読む余裕はあるよ」

「でも、俺は早く仕上げて早く楽になりたいんだ」

「早く仕上げたって、発表する日は変わらないよ。まだ、間に合うよ。だから、本でも読んで……」

「んー、……」

「ここに、面白い本が置いてあるよ」

「……、……。ペラッ」

とまあ、読書家のわたしが勝利することが多い。

これは中学生の頃から続いてる戦いであるが、読書家のわたしはあのころから強かった。あのころは試験の前日になるまでは読書家のわたしが幅を利かせていた。試験が終わっても読書家のわたしは消えずにいた。しかし、最近では何かしなくてはいけないときに限って出現するようになってきた。余計にたちが悪い。

先日も「OUT」という長編小説を読破してしまった。何でこんな厚い本がこんな手近なところに置いてあるんだ!何のために日記を中断してるのか、情けない。でも、こやつはまだいい。古い付き合いだ。扱い方もよく分かっている。

一番恐ろしいのは、今、このことを書いている、書きたがりの第三のわたしが登場したことである。

 

 

No.14 反則負け

朝7時20分の電車だった。予備校に通うために毎朝同じ電車に乗っていた。そこで見かけたかわいい女の子に……なんて艶っぽい話ではない。毎朝同じ電車に乗っていると同じ顔に出会う。あのおやじもその一人だった。普段のわたしはフツーの日本のオトーサンをおやじ呼ばわりすることはない。でも、いつもくたびれた紺色のスーツを着たあのおやじだけはおやじと呼ばせてもらう。

おやじは途中の駅から乗ってくる。そして、これはある日気づいたのであるが、おやじは満員の電車の中、人をかき分けて吊革の前に立つ。はじめは何でそんなことをしているのか分からなかったし気にもしなかった。わたしはアンチ吊革派で、満員の時には車両のつなぎ目に立っているのが好きなのだ。吊革につかまって立っていると背中を押されて、座っている人の方向に逆くの字型にお腹をつきださなくてはならなくなるのがつらくて嫌いなだけなのだが。

その日は何となくぼーっとしていて座席の前の吊革地帯に立ち止まってしまい、連結付近までは進めない状況であった。途中の駅でおやじが乗り込んできた。人をかき分け、こちらの方向に邁進してくる。わたしの隣に立った。そしてどういう訳かぐいぐいと肩をわたしの方向へ入れてくる。わたしは気持ちが悪いのでおやじと逆方向へ身を退く。するとおやじは更に肩を入れる。わたしは退く。これを数回繰り返し、おやじは元わたしの立っていた場所を確保し、わたしは元いた場所の斜め後方へと下がった形になった。何なんだ、いったい。わたしと肩を合わせるのが趣味というわけでもなさそうだ。その証拠におやじは元わたしがいた場所に収まってからはおとなしくなり動きを止めた。すぐに答えが分かった。数駅行ったところでおやじの前の席に座っていた人が降りた。おやじは素早く着席。なるほどそういう訳か。

その後数日おやじの行動を追った。おやじの狙いの人物の顔も覚えた。多分始発から乗ってくる人なのであろう。いつもほぼ同じ位置に座っている。おやじは電車に乗り込むと、如何なる手段を用いてでもその人物の前に立つということが確認できた。はじき出された人は皆一様にいやな顔をしていた。

その日はやってきた。おやじとの対決を決意したのだ。別に座りたかったわけではない。あのころだったら好きな連結部分に立って良いのなら日本一周だって出来ただろう。ただ単に「天罰」を与えたかったのだ。誰もやらないならばわたしがするしかないのだ。異常なる使命感に燃えていた18歳のわたし。

電車に乗り込み、狙いの人物の前の吊革があいていることを確認し、前にどっかと立った。電車がおやじの駅に着く。呼吸を整える。これから戦いだ。吊革を握る手に力が入る。体格から行けば負けるはずがない。自分に言い聞かせる。案の定おやじが寄ってきた。前回のように肩を寄せてくる。その手は食わない。わたしは押し返す。力と力が均衡している。周りからは何も起こっていないように見えるだろう。しかしそこには二人の世界のおしくら饅頭。5分も押し合っていたのだろうか、突然おやじの力が緩んだ。勝った、そう思った。わたしの気が緩んだその瞬間だった。おやじの足がわたしの足と前に座っている人の足の間に入った。あっと思った瞬間はもう遅かった。おやじは体をわたしの斜め前に入れ、振り返る腰の力でわたしを斜め後方に押し出した。

完全なる敗北である。力技だけでなくテクニックも持っていたのは意外であった。くそう、今度は座った人の足と自分の足の間にスペースは作らないぞ。絶対に守りきってやる!

その日の帰り、たまたま高校時代の友人と同じ電車に乗り合わせた。帰りも電車は混んでいて吊革の前に立っていた。話題はもちろんおやじのことであった。今朝の出来事も話した。あのおやじはいったい何の仕事をしているのか、あんなに仕事をする前にガンバッちゃったら会社で仕事できるのだろうかとか、いつも同じ、くたびれた紺色のスーツを着てるけど奥さんいるのだろうかとか、子供がいるとしたら、あんなおやじが尊敬できるか聞いてみたいよなどと悪口は次第にエスカレートしていった。

「あのおやじ、窓際族で会社に行っても座っているだけが仕事なのに、通勤の時まで座ることない……」ふと、前を見る。あ・れ・は。わたしの斜め前に座っている見慣れたくたびれた紺色のスーツ。うなだれて顔が見えないが、明らかにおやじであった。眠っているようにも見えるが多分狸寝入りであろう。おやじとわたしの間の気まずい空気が見えるようであった。わたしはいたたまれなくなり友人を引っ張って、最寄りの駅で電車を降り車両を変えた。

途中で黙ってしまったのは失敗だった。わたしがおやじの存在に気づいたことをおやじに知られてしまった。本当はわたしが車内での戦いに勝つことで、争うことの醜さを知らしめるつもりだったのに。友人におやじの話をしていたことをおやじ自身に知られてしまったことで、なんだか二人の間での勝負に対して重大なルール違反をしてしまった気がした。反則負けである。

負け犬はしっぽを丸めて去らねばならない。翌日から一本あとの電車に乗ることにした。

  

No.15 難解なメニュー 

今日は当直。夕飯はいつもの病院の食堂で食べる。今日の定食のメニューは、中華風焼き肉どんぶり、春巻きだ。定食を頼む。トレイの上に中華風焼き肉どんぶり、春巻きとキャベツの千切り、味噌汁が乗った。席に移ろうとしたときに「あ、これ忘れてますよ」と呼び止められた。渡されたのは黒色で、わずかに泡だった液体の入った器だった。見た目は醤油かトンカツソース。見ようによっては黒蜜にも見える。液体の量としてはかなり豊富で、ネギトロ丼にかけるわさび醤油の倍くらいの量はあった。

いったいこれは何だ?何に使うのか?もしかしたらデザート?とりあえず席に着いてから考えた。液体の揺れ具合を見る。この粘稠度から言ってトンカツソースや黒蜜ではなさそうだ。割とサラサラした液体である。では、醤油なのか。改めてトレーの中を見渡す。中華風焼き肉どんぶりはご飯の上に茹でたモヤシを敷きつめ、その上に牛肉とニンジン、タマネギを煮たようなものがかかっている。この色から見てこれはこれ自体で味が完成していると思われた。では、春巻きに付けて食べるためのものなのであろうか。いや、春巻きは今まで何度も定食に付いてきたが、タレが付いてきたことなどなかった。しかも春巻きは一本である。春巻きのタレにしては液体の量が多すぎる。千切りキャベツにかけるものでもなさそうだし……。分からない。そうか、刺身があるのかもしれない。しかし、本日の定食の見本は現在トレーの上にあるこれだけだった。考えてみても分からないので、舐めてみることにした。うん、これはわさび醤油だ。一つ疑問は解決した。

しかし、これを何に使うかが分からない。中華風焼き肉どんぶりを一口食べてみる。醤油ベースの味付けで他に胡麻油なども使っているようだ。やはり、これはかなり味がしっかり付いている。後付けの醤油の必要性は感じられない。念のために一部にわさび醤油をかけてみた。元の味の方が強く、醤油の味はほとんどしない。醤油が濃く付いたところではその味が感じられるがこれではしょっぱすぎる。では、春巻きか。これも付けてみる。でも、やはり春巻きにはわさび醤油よりもからし醤油の方が合うと思う。残るはキャベツと味噌汁であるがこれにわさび醤油をかける暴挙は控えた。

なんだか分からないうちに夕食は終了した。わさび醤油はほとんど減っていない。残したら作った人は気分を害するかな。トレイをワゴンにそっと返す。他の人の食べた後のトレイをチェックした。見渡した限りではどのわさび醤油も減っていなかった。わたしだけではなかった。急に安心してしまった。

わたしの中ではわさび醤油に関してまだ結論が出ていない。非常に難解なパズルを解いているような快感がある。もしかしたら、これは存在の不条理さに関する哲学的な命題と捉えるべきなのであろうか。それにしても、これだけ人を考え込ませてくれる食堂は他にあるだろうか。