雑文No.21〜No.25

No.21 茶碗を持って、街に出よう

 

バックミラーから見える後ろのクルマの光景にふと違和感をおぼえた。朝、駅方面へ向かう渋滞の中のことであった。

何がおかしかったんだろう?もう一度後ろのクルマをよく見てみる。青い普通のセダン。乗っているのは40代後半くらいのの夫婦。運転席には奥さん、助手席にはネクタイを締めた旦那さん。駅まで送っていくのだろう。これ自体はごく普通の朝の光景。

しかし、普通と違っていたのは助手席の旦那さんが持っていたものだった。左手には茶碗、右手には箸が握られていた。朝御飯の真っ最中だったのだ。それにしてもなんの恥じらいもためらいも見られない。辺りを気にせずもりもり食べている。ハンドルを握っている奥さんもごく普通と言った感じである。旦那さんは慣れたもので時折うつむいてはもぐもぐしている。多分、股の間に漬け物かなにかの入った丼でも挟んでいるに違いない。ひょっとすると足下には電子ジャーも置いてあるのかもしれない。

クルマの中で食べるものといえばおにぎりやサンドイッチといったいわゆる携帯食料品が一般的である。しかし常識に縛られない人はいるものである。例えばコンビニの駐車場でいつも同じ場所に車を止め、ビールを飲みながら幸せそうにコンビニ弁当を食していたサラリーマンを私は知っている。でも朝、見たこの夫婦は一段と高い段階にいた。茶碗は屋内にあるものという固定観念を持っていた私は、クルマに持ち込まれた茶碗に強い衝撃を受けた。モバイル・茶碗である。電話、パソコン、いろんなものをモバイルする時代なのだ。茶碗だって例外ではない。

諸君!茶碗を持って、街に出よう。右手には朱塗りの箸を握りしめて。

これで朝はもう10分、床の中でごろごろ出来るし、朝食をしっかり摂れば健康にも良い。今に駅の構内で電車待ちのビジネスマン、OL等がご飯をもぐもぐしているのを見られるようになるだろう。駅のミルクスタンドはおかずスタンドに職を変えることになり、本屋には「モバイルなおかず100選」などの書物があふれ、独身者用には自動販売機で炊き立てのご飯とおかずを買えるようになるだろう。「満員電車の中でのお代わりをするのは止めましょう」なんて公共広告機構が言い出すものもうすぐである。

それにしてもあの夫婦、夕食はどこで食べているのだろうか。

 

No.22  雨乞い

ここは2DKの賃貸マンション。3階建ての2階。小さなベランダが付いている。ここでバジルやルッコラなどを栽培しているのだが今回の話はこれとは直接関係はない。

ある雨の日。窓から空を眺めていたら、ギョッとした。3階の上の家がベランダに干した布団を出しっぱなしにしている!もう、降り始めてかなりの時間が経っている。布団はびしょぬれで雨だれが滴っていた。今更、上の人に教えても遅いだろう、多分留守なんだろう。そう判断し放っておくことにした。

翌日は、晴れ。当然布団はベランダに干されたままであった。その後もしばらくの間布団はそのまま干されたままであった。それは多分、布団の水分がすっかり抜けるまで干し続けるということなんだろうと思っていた。

そしてまた雨の日。窓の外を見上げると、まだあの布団はベランダに掛けられていた。あらら、布団が乾ききる前にまた降ってきちゃったのか。上に住んでいるのは詳しくは知らないが、騒音から推察するにどうやら夫婦らしい。共働きで日中の雨には対処できないということなのであろうか。その後もずっとその布団は取り入れられることなくベランダで風に吹かれていた。

ある日、夕立に遭いながらも健気にベランダでブラブラしている布団を眺めていたときに急に思いついた。これは何かの目的を持って干されているのではないか、と。

ベランダで野ざらしになったままの夏布団。ある日、干していたら雨に遭ってしまい、これ以上使う気にはならないという理由だけなのであれば乾いた頃、粗大ゴミに出してもいい筈である。しかし、数日間、晴れの日が続いた後でも布団は回収されない。ここまで堂々とベランダに出し続けるにはやはり何か明確な理由があるはずである。

あれは雨乞いの祈祷用グッズなのではないか。最近、そう思うようになってきた。以前に比べあの布団が登場してから雨が降る頻度が高くなったような気がする。雨の度にあの布団を不憫に思い、上のベランダを気にするせいなのかもしれないが……。しかし、何故に上の夫婦は雨乞いを行っているのだろうか。それは私には分からない。まあ、人それぞれにいろいろな事情はあるのだろう。

その後もまだあの布団は上の階のベランダに鎮座されていらっしゃるわけだが、なんと先日、上のベランダの布団がもう1枚増えた。その翌日、台風がきた。

 

No.23 隠語

「おい、エッセンしてきたか?」

「いえ、まだです」

「それなら、ちょっと抜けて、はやく済ませてこいよ」

「はい」

これは昼下がりの病院内の医師の間でよく見られる会話。エッセンとはドイツ語の単語で「食べる」。つまり食事をしたかということである。痛がったり、苦しがっている患者さんや家族の見ている前で「おい、昼飯食ったか?」という会話はし辛いが、それでも腹は減るのでこんな隠語が発生したものと思われる。

客商売に隠語は欠かせない。ファミリーレストランではゴキブリのことを「太郎」と呼ぶそうである。厨房で「ぎゃー、太郎が出た!」なんて叫び声が聞こえてきたら、そういうことなので皆も心しておくように。それにしても、太郎に名前を変えるだけで、なんだか急にいいやつになったような気がして、気持ち悪さが薄れるような感じがする。太郎という言葉のイメージが、あの黒くてぎらぎらしているすばしっこい生き物とはかけ離れているからであろう。

その効果を期待して、うちでも家の中に出現する困った生き物に対して名前を付けることにした。ゴキブリはロクロー、クモはハチロー。どちらも足の数に由来する。あの足が長くて毛むくじゃらの大クモでも「ハチロー」と呼んでしまえばこれまた、なんとか部屋の外に追い出すべく戦う気持ちも湧いてくる。今まではこちらが逃げ回るばかりであったのだが。

ところでヘビはどう取り扱うか、いう話になった。一郎説と零郎説が出たが(見た目から何となく一郎、足がないのだから零郎)、ヘビには萎縮退化した四肢があることを思い出し0.4ローということで話は落ち着いた。だけど部屋にヘビが出たときに「ぎゃー、0.4ローが出た」とは多分、叫ばないだろうな。いや、絶対に。

それにしても妻と私の二人しかいないこの狭い我が家で隠語を使うメリットとは何だろうか。

No.24 ダブルブッキング

その日は午後から、北の方まで新幹線で出張であった。午前中の外来を済ませて急いで病院を出発。東京駅に到着し、当日販売の指定席券を手に入れた。続いて駅の構内で幕の内弁当を購入。少し遅い昼食。冷たいお茶も忘れない。準備は万全だ。

乗る列車がホームに滑り込んでくる。暫く待った後、車内に乗り込んだ。もう一度切符を見直す。6号車13番C。昔、よく確認しないで間違った席に座ってしまい、後から乗ってきた人に指摘され恥ずかしい思いをしたことがある。座る前にもう一度確認。うん、本日は大丈夫。

列車が動き出したのを確認し、弁当を広げた。煮物がおいしい。食べているうちに列車が最初の停車駅に止まった。人が乗ってきた。でも、ここは指定席だし、結構今日は空いている。

私は弁当を食べ続けていた。この卵焼きは後まで取っておこう、なんて考えていると突然「あのう〜、ここ、私の席なんですけれど」同年代の男性が話しかけてきた。出張らしい。手にはやはり弁当が下がっている。その人が私に切符を突き出す。6号車13番C。ここだ……。私ももう一度自分の切符を取り出す。6号車13番C。同じだ。そんなことがあるのだろうか。乗る列車が違っているのだろうか、いやそうではなかった。二人の切符に書かれていた列車も同じ、日時も同じであった。

「ちょっと車掌さんのところに行って来ます」彼にそういってその場を離れた。遂にやったかJR。私は鬼の首でも取った気分であった。きっと彼と私が同じ時間に同じ切符を買ってしまったのだ。いわゆるダブルブッキング。空席はたくさんあったのでどちらかが立っていくという心配はない。しかし場合によってグリーン車にでも代えてもらえるのではないか、そんなせこいことを考えていた。

車掌さんを連れてきた。車掌さんは2枚の切符を代わるがわる見ている。そして思いがけない神託を下した。「これ13じゃなくって18ですよ」私の切符だった。入場する際に押される検札代わりのスタンプ。これが18の「8」の数字の左半分にかかってしまい、消えてしまっていたのであった。

これには気付かなかったし、そういわれて見ても13に見える。周囲の人はどうしたどうした、軍配はどっちだという顔でこちらを注目している。「これは私が悪いのではないんです。見て下さいよ、皆さん。ほら、どう見ても13に見えるでしょう。こんなところにスタンプを押した駅員さんが悪いんですよ。ほらほら、これ18には見えないですよねえ」と周りの皆に訴えたかった。少なくても同じ席を争った彼には見てもらいたかったが、急に面倒くさくなってしまった。18番のC席へ弁当を移動し荷物を手にして、彼にお詫びを述べた。

18番の席で残りの弁当を平らげながら考えていた。負けた。私は何に負けたのか。彼ではない。彼とは争っていない。では車掌さん?いや違う。私はJRのコンピューターに負けたのだ。ダブルブッキングと考えた私が間違いだった。JRの予約コンピューターを甘く見すぎていたということである。チェスの名人もコンピューターに負ける時代である。こんなこともあるさ。

それにしてもコンピューターに勝てない人間。人間はコンピューターの支配下でしか生きていけなくなってきているのであろうか。映画「ターミネーター」の世界も近いのだろうか。そんなサイバーな空想を膨らませ、弁当でお腹が膨らんだ私を乗せて新幹線は北へ向かうのであった。

 

No.25 けつねうどん

学生の頃、運動部の試合で大阪に出かけた。我々、非関西出身者にとっては食べ物的に非常に興味深い土地である。着いた当日、同行した地元関西の出身者が大阪食い倒れツアーを組んでくれた。

心斎橋付近でたこ焼きを頬張り、食い倒れ人形、かに道楽の動くカニを見物。映画「ブレードランナー」でおなじみ、グリコの大看板には大いに感激した。お好み焼き屋で一杯ひっかけ、居酒屋「酔虎伝」ではいわゆるトラキチの方々をたくさん見かけた。

我々はほろ酔い気分ですっかり気分が良くなっていた。食い倒れツアーの締めとして案内人一押しの、地元で評判の立ち食いうどん屋に突入することにした。

「けつねうどん」

「俺も」

「俺も」

「へい」

事前に地元出身者から関西弁の講義を受けていた。キツネうどんは「けつねうどん」と呼ぶのが大阪での正式名称であるとのこと。私たちはほろ酔い気分も手伝って大声で片言の関西弁をしゃべり続けていた。

「やっぱり、うどんはけつねでんがな」

「そうでんなー」

「いやー、それにしても今日はよく食べましたでんがな」

「そうですなー」

 

「ダンッ」

突然、店のおじさんが出来上がったけつねうどんをカウンターに叩き付けた。ん?なにか怒ってる?と思い関西案内人の顔を見た。彼はひきつった顔で人差し指をたてて「シー」という身振りをしていた。ふと、辺りを見渡すと、酔っぱらったおっさんたちの苦虫をかみつぶしたような顔、顔、顔……。皆、関西ネイティブの方々であるようであった。私たちは植木等状態になり、とにかく全力でうどんをかき込み、逃げるように店を飛び出した。大げさではなく、生命の危険を感じた。我々のへたくそでいいかげんな関西弁が店にいた地元おじさんたちの気分を害したようであった。

「関西のうどんは薄味で、つゆも薄くってだしが利いていて……」なんて話を聞く度にこの事件を思い出す。けれども、あのときに食べたうどんの味は全く覚えていない。