雑文No.26〜30

No.26 恥ずかしい食事

 

今日は地方へ出張に行った帰り。現在、東京駅23時。それにしても空腹である。13時頃に昼食を摂って以降何も口にしていない。実は東京へ向かう帰りの新幹線の中で出張に同行した先輩と弁当を買って食べようと目論んでいたのであるが、車内販売のおねーさんは、冷たく一言「売り切れです」。新幹線に乗り込む前に買い込むべきだった。

東京駅から帰るわが家まではまだ電車に1時間弱揺られて行かなければならない。私たちはまず一つの選択を迫られた。東京駅のどこかの店で遅い夕飯を食べていくか、もしくは弁当を買い込みこれから乗り込む電車の中で食べるか。このまま何も食べずに帰るという選択は全く私たちの頭にはなかった。二人とも異常な程の空腹感におそわれていたからであった。

時間も遅かったために私たちは車内での弁当を選択した。しかし、そこでも関門が待ち受けていた。行く売店のどこにも弁当が残っていないのであった。残っているのはサバ寿司ばっかり。サバ寿司がこんなにも不人気メニューであったとはこのとき初めて知った。とにかく我々は空腹であった。おかずが付いた普通の弁当が食べたかった。結局、構内の中華料理屋の店先で中華弁当なるものを発見し私たちはそれぞれ購入したのであった。

やっと夕飯にありつける。ほっとした思いで乗り込むべき列車に向かった。 

「混んでなければいいですね」

「今日は土曜日だから空いてるだろう」

確かに電車は空いていた。しかし私たちの想像していたことと違うことが一つだけあった。電車の座席がボックス型ではなく通常の通勤列車に使われている二列の長細いシートだったことであった。私たちは一瞬怯んだ。

「次の電車を待とうか」

「でも、もう遅いですし、次の電車もこのシートかもしれないですよ」

「そうだな、これで行くか。空いてるし」

なるべく空いている車両を選んで私たちはシートに座った。とにかく私たちは空腹だった。中華弁当がにっこり微笑んでわれわれを待っているように見える。ああ、エビチリよ、シュウマイたちよ、待っていろよ。俺たちはすぐにそちらに行くからな。そしてわれわれは会話も交わさず、ただ黙々と中華弁当を食べはじめた。空いているとはいえ席の前には数人が座っている。しかし私たちはそんなことは全く意に介さず黙々と食べ続けていた。

暫くして電車が最初の駅に着いた。乗客が結構乗り込んでくる。目の前の席や私たちの両隣の席は満席になった。私たちはまだ弁当を食べている状況だったが、お腹は少し満たされてきていた。周りを見る余裕が出てきた。顔を上げると前の席の人たちと目が合う。時間帯が時間帯だけに目の前の人たちは酔っている人ばかり。目が合っても目を逸らせてくれない。遠慮のない視線。

ここで初めて恥ずかしいという感情が沸き上がってきた。理性が戻ってきた瞬間。隣に座っていた先輩も同様のようだった。人前でものを食べるってこんなにも恥ずかしいことなのであったか。列車に乗り込んだ時点では食欲の方が勝っていて、こんなことには気付かなかった。しかもふつうの幕の内弁当風の駅弁であればまだ社会的にエクスキューズ出来ただろうが、中華弁当ではそうはいかない気がした。

これで学んだのは食事とは見つめられると恥ずかしい行為であることである。普段、恥ずかしいと気付かないのは周りに見ている人がいないか、もしく食堂などのように周囲の人も同じことを行っているためである。赤信号みんなで渡れば怖くない。食事のような恥ずかしい行為もレストランのような場所で皆で同時に行えば気兼ねしないで済むということである。

ちょっとしたホテルのメインダイニングなどに行くと黒服できめた慇懃なギャルソンがビシッバシッっとした視線でこちらを観察してくるが、これもまた結構恥ずかしいものである。まあ、これは食べること本来の恥ずかしさというよりも、そこから染み出る人間の品の様なものを値踏みされているような気がして、そしてそれに応えられそうにない自分が恥ずかしいのではあるが。

さて、そして件の中華弁当であるが、我々はこの恥ずかしさに負けることなく、米一粒も残さずに最後のゴマ団子まできっちりと平らげたのであった。ああ、食欲ってバンザイ。

No.27 イタリア食べたもの日記(1)

 

11月17日。目覚めた。ここはローマ。本場のイタメシを食べるためにここまでやってきたのだ。名目は新婚旅行であるが本当の目的は食べることである。ローマ、フィレンツェ、ヴェネチア、ミラノの4都市を回るツアー。本日はここローマからフィレンツェまで移動の日だ。

朝はホテルのダイニングでのバイキング形式の朝食。昨日は昼間の食事の量が多かったので夕食を抜いていた。けれどもまた本日も大量の昼食や夕食が待っている。コーヒー、焼いたトマト、モッツァレラ、甘いクロワッサンに、フルーツの盛り合わせ、そして薄く切ったケーキ、と全体として軽い朝食にした。周りのアメリカ人は朝から肉類や卵料理ををワッサワッサと食べている。人種が違う。

バスでホテルからテルミナ駅へ。テルミナからはインターシティーというイタリアの特急に乗って花の都フィレンツェへ。フィレンツェ到着後、市内を俯瞰できる丘へ。風が強く寒い。

フィレンツェ市街に戻りリストランテへ。待望の昼食。プリモ・ピアット(第一の皿)としてトマトと野菜のスープ、セコンドはビステッカ・アッラ・フィオレンティーナ(Tボーンステーキ)、そしてドルチェ(内容忘れた)スープは連日のヘビーな食事で疲れていた胃袋に食欲を取り戻した。ビステッカは炭火焼き。いい焼き加減。ただ、炭火で焼いてあるだけなんだけれど、んまいんまい。

食後はウフィッツィ美術館を見学。その後、ドゥオーモに。感想はただただ「でかい……」。そしてホテルへ。ここからは自由時間。部屋で少し落ち着いてからミケランジェロの作品が置かれているアカデミア美術館へ向かう。しかしホテルを出た時間が遅かったため、終館時間までにたどり着くことが出来ず、すごすごとホテルに戻ってきた。

美術館に行けず悲しい気持ちでホテルのベランダに二人で出ていたら、誤ってベランダへの出入り口を閉めてしまった。その扉がオートロックだったものだからさあ大変。押しても引っ張っても扉は開かない。泣きっ面にハチ。外は日が落ちて寒風が吹きすさぶ状態。部屋は二階。さてどうしたものか。新婚旅行先で二人で凍死か。明日の新聞の片隅に小さく載るのかな、などと考えていた。二階から一階に飛び降りてみようかとまで思い詰めたとき、相方が隣の部屋への呼びかけを開始した。「お隣の215室の方〜、215の部屋のヒト〜」

まだ、運命の女神からは見捨てられてはいなかったらしい。お隣さんの215の人は同じツアーの参加者で、相方の声を聞きつけベランダまで出てきてくれた。われわれはお隣さんに事情を話し、結果無事に救助されたのだった。

命が助かったら腹が減ってきた。タクシーでリストランテへと向かった。グラナータというイタリアンレストランのシェフ・落合さんの著作の中でのお薦めの、アッラ・ヴェッキャ・べットラという店。店にはいると席は長テーブルで気取ってない店。外人さんたちと相席になった。まだ時間が早いので人は少な目。さて注文だ。日本語や英語のメニューは置いていない。この日のために食に関するイタリア語はかなり覚えてきている。幸いなことに店員さんは英語が話せるようだ。我々のわずかなイタリア語の知識と拙い英語で以下のものを注文することが出来た。フンギ(きのこ)の盛り合わせ、クロスティーニ(カナッペの一種)、プロシュート(生ハム)盛り合わせがアンチパスト、プリモピアットにわたしはペンネ・アッラ・ヴェッキア(パスタ)、相方がリゾット。セコンド・ピアット(メインディッシュ)としてわたしは牛肉の煮物、相方がトリッパ・アッラ・フィオレンティーナ(牛の胃袋の煮物)そして最後のドルチェ(デザート)はわたしがビスコッティー、妻はティラミス

もう、最初のクロスティーニを食べた時点で打ちのめされてしまった。うまい、旨すぎる。焼いた小さな食パンの上に乗っているのはレバーペースト。これがまた臭みが全くなくて、コクがある。我々は二人で興奮しながら次々に運ばれてくる料理を腹に収めていった。最後のドルチェを食べた時点で腹はもうはち切れそうだった。そしてこの上ない幸せな気分でホテルへと戻ったのであった。ちなみに二人で料金は91000リラ(サービス料別、日本円で約7300円)だった。

No.28 さらば、ゴリさん

 

ゴリさんなのだ。申し訳ない、突然で。

当然、あの往年の人気ドラマ「太陽にほえろ」のゴリさんである。狙撃の名手のゴリさんなのである。あのゴリさん役をしていた俳優さんが「太陽にほえろ」が終了した後、いろいろなドラマに出演している。これは仕方がないことであるとわたしも思う。人間、仕事をしないと食べてはいけないものであるからだ。しかし、わたしには彼がどのドラマに出ていても、たとえトレンディードラマでヒロインの厳しい父親の役をしていても、時代劇でお殿様の役をしていても、どれもこれも「ゴリさん」に見えてしまうのだ。

かつてのわたしの中では「彼=ゴリさん=刑事=狙撃の名手」という図式が出来上がっていた。しかし、「太陽にほえろ」が終わってだいぶ経つ。最近では「狙撃の名手」というイメージは即座には湧かなくなってきている。しかし、新作ドラマに「ゴリさん」が出ていると、「最初はヒロインの厳格な父親役だけれど、きっとドラマの後半では刑事が犯人を惑わすために変装をしていたんだなんてことになるに違いない」などと、まったくドラマを曲解して見てしまう。しかし、ドラマの後半で彼が突然、刑事になることは少なく、最近は彼=刑事というイメージも薄くなってきた。彼としてはこれは喜ばしいことに違いない。役者にとってイメージが貼り付いてしまうことは困ったことであろうから。

しかし、いつまで経ってもわたしの中では「彼=ゴリさん」という図式だけは消えることがない。誰かに彼のことを話すときも必ず「ゴリさん」と言ってしまう。たとえ、街で彼を見かけたとしてもわたしは躊躇無く彼に「ゴリさーん」と呼びかけるであろう。何せ、わたしの世界では彼はゴリさん以外の何者でもないのだから。

これではいかんのではないか。最近そう思うようになってきた。一度たりとも彼は自分のことを「ゴリさん」なんて名乗ったことはないだろう。七曲署の周りの連中が勝手にそう呼んでいただけである。高木ブーのことを「ブー」と呼んでも構わないのは、高木は自ら「ブー」と名乗っているからである。ゴリさん役のあの役者はそうではない。芸名は別にある。実は「ゴリさん」なんて呼ばれることを心から嫌っていたかもしれない。仕事だからこそ心を鬼にして、「ゴリさん」なんて呼びかけられても、平常心でいられたのかもしれない。

「さらば、ゴリさん」

今日からわたしは彼のことを「ゴリさん」と呼ぶことをやめることにした。そしてそれをここで宣言しておく。

けれども彼を「ゴリさん」と呼べなくなると、わたしにはひとつ困った問題が生じる。わたしは判らなくなってしまうのである。彼の芸名が「らい・りゅうた」なのか「りゅう・らいた」なのかが。

付記:何度も口ずさむと混迷の渦に巻き込まれてしまうので注意。 

No.29 当直室

当直をしていると困った電話を受けることがある。医師の間で有名なのはマンションのセールスの電話である。当直室にいると守衛さんから「先生に外線が入っています」との連絡。電話が繋がると、いきなり早口の関西弁で「先生。税金対策、財産資産管理にはマンションを購入するのが一番でっせ。私らは先生がたの税金対策にぴったりの物件を……」とまくし立てはじめる。口を挟む間もない。勝手に話している。一度、この勢いに閉口して、受話器を机に置いたままにしておいたことがあった。5分後、受話器をもう一度手にしてみると「というわけで、それが私らのお薦めするマンションですねん。せんせい、センセイ、聞いてます?」とまだ一人で話していた。まわりに聞いてみるとほとんどの人がこの電話に悩まされたことがあるというが、マンションを購入した者の話は聞かない。

話は逸れるが、医師の当直と看護婦さんの夜勤の違いを皆さんはご存じであろうか。一言で言うと、看護婦さんは夜が明けて、勤務が終わった後は家に帰って休むことが出来る。医者の場合は当直の翌日も朝からぎっしりと通常勤務が待っているということである。従って当直をしていて、病棟が落ち着いていて仕事が無く、外来に急患が運ばれてこない限りは当直室で眠りこけるというのも大事な仕事の一つなのである。

先日、病院で当直をしていた。翌日の勤務に備え睡眠をとっていたとき、頭の上の当直室備え付けの内線電話が鳴った。時計を見ると午前1時30分。病棟で何かあったか、救急外来に急患でもきたのかなあ、むにゅむにゅ……、と思いながら電話に出た。電話は以下のように告げた。

「夜分遅くすみません。山口さんのお宅ですか?」

「はあ???いえ、違います」

「それじゃあ、吉田さんのお宅でしょうか」

「い、いえ。違います」

「そうですか。すみませんでした」ガチャ。

間違い電話だった。わたしの名字は山口さんではないし、吉田さんでもない。これだけで既に電話をかけてきた人は二つの過ちを犯している。そして、ここは当直室。決して「お宅」ではない。ここで眠る人間はいるが、住んでいる人はいない。電話をかけてきた者は人違いをした上にここをどこかの家だと思ったという更に一段階高度な間違いを起こしている。

例えば、「山口先生ですか」とか「手術室ですか」という間違い電話なら納得がいく。この当直室に引かれている電話が内線電話だからである。外線を繋ぐには守衛室を経由して来る必要がある。なんであのような二段間違い電話が来たのだろうか。いろいろ考えてみたが全く判らない。あーだ、こーだ、むにゅむにゅ……と考えているうちにいつものように眠ってしまった。

外科の若い医師の中には日常生活が忙しすぎて毎日病院に寝泊まりしている人が大勢いる。週に一度くらい、洗濯物を何とかするために本当の家に戻る程度だという。彼らは当直室が家代わりなのである。もしかしたら、「山口さん」「吉田さん」とはそんな若い医師のことではなかったのか。もしかすると彼らは当直室を自分の家代わりにしているので、炊飯器なんかも備えているのかもしれない。包丁やまな板、中華鍋などを持ちこんでいる医師もいるだろう。自分のテリトリーを誇示するために当直室の入り口に表札を掲げている者もいるに違いない。ひょっとすると既婚の医師の場合、その自宅と化した当直室で奥さんがじりじりと帰宅を待っていたりするのかもしれない。とすると壁際には熱帯魚の水槽が置いてあったり、テレビの上にはサケを背負った熊の置物があったりするのだろう。そんな、当直室だからこそ、周りの医師や看護婦さんたちから「山口さんのお宅」とか「吉田さんのお宅」と呼ばれているのだろう。そこにかけるつもりで、看護婦さんが間違ってわたしのいた当直室に間違い電話をかけてきたのだろう。そうだ、きっと、そうだ。そうにちがいない。

でも、そんな当直室、見たことないよな。

No.30 ある結婚式にて

先日、大学の友人の結婚式に呼ばれて行って来た。ホテルの会場で行われる豪華な披露宴。まず型どおり媒酌人の挨拶から始まった。「……。以上のエピソードでも判るように、新郎は職場においても非常に信頼に厚く、まじめな人柄であります。しかし、意外なことに彼は麻雀、競馬など様々なギャンブルが得意だということで、学生時代から、かなりそちらでは鳴らしたようです」

確かにそうだった。彼が留年したのもそれが原因だし、授業料を工面できたのもそれのおかげだった。スピーチが続く。彼の上司。昨年の有馬記念のエピソードを話す。彼の友人は麻雀の強さや、やはり競馬のエピソードを語る。わたしの席からは見えなかったが、観察していた友人が言うには新婦の家族は顔が次第にひきつってきていたらしい。出てくる人出てくる人、必ずそれに関する話をする。まるでそうするように頼まれたかの様に。

豪勢なフランス料理も済み、花束贈呈。そして花婿の父の言葉。「未熟者の二人ですが皆様方宜しく」

との趣旨。そして最後に新郎の言葉となった。

「皆様方、本日はお忙しい中ご出席頂きましてありがとうございました。これからは二人で力を合わせて頑張って行きたいと思っています。それから……、今後はギャンブルも控えて心配をかけないように気を付けたいと思っています。本日はどうもありがとうございました」

苦笑のあと、皆の大きな拍手の渦。その拍手とともに新郎新婦は退場。宴はお開きとなった。最後に司会の人が一言付け加えた。

「新郎新婦は明日から新婚旅行に出かけるそうです。7泊8日でラスベガスに行かれるということです」

自分の一生の晴れ舞台となる日を、偉大なるジョーク・ショーに代えてしまった彼。今日はそんな彼に乾杯。