2000.11.29

ひきつづき、「書く」ことについて…

『スタイル』ってなんでしょう?
体格、生きざま、主義、車、服装、考え方…
「これだけは譲れない」という生活のひととき…
いろんな解釈があって 一人一人が違っていて、
つかみどころがないような気がします。

じゃ、『つきあう』って?
『つきあい』って?
『特別』って?
『彼女』って?
『お互いに たかめあう関係』って?
『遊ぶ』って?
『真面目』って?
『がんばる』って?
『コンパ』って?
『論文』って?
『環境保全』って?
『親孝行』って?
『夢』って?
『クリスマス』って?
『好き』って?
『あいたくない』って?
『信じる』って?
『怖い』って?
『逃げる』って?
『卒業』って?
『飲み会』って?
『恋愛感情』って?
『アルバイト』って?
『いい人』って?
『時間がない』って?
『わからない』って?
『大人』って?
『こども』って?
『嫉妬』って?
『傷つく』って?
『別れ』って…?

学術用語なら、それについて弁じる前に
(「弁じる」は、ちとふるってますね)
定義づけをして、学術的位置づけをしっかりと
やらなきゃなりません。
だけど それにしたって…?

『鳥』という漢字を、じっと見ていたら
その形が不思議なものに見えてきて、
その線が動き出しそうに思えたり、
その漢字の読み方や 意味がぜんぜんわからなくなったり、
どうしてこの漢字を見て、
空を飛んでいるあの生き物を、
思い浮かべなきゃならないのかと
理不尽に思ったりします。

人もまた、同じ『言葉』を
何度も何度もくり返します。
最初に聞いたときは わかったような気がするのに
何度も聞くとわからなくなる。
どういうつもりでその言葉を使ってるのか
いったい何が言いたいのか、
あやふやになってきます。

ちょっとずつ直したり、つけたしたりしながら
それでも言葉を繰り返すことが
大切なのかもしれません。
それが 果てのない努力のように思えても…。

『木を見て森を見ず』や『毒矢の教え』
(毒矢がどこから飛んできたか気にする前に
からだに刺さった矢を抜けという…)ではないけど。
 本質的に論じる必要のないところに
いつまでもひっかかって 立ち止まってしまう人間なので
やっぱり考えてしまいます。

なんか、国語の模擬試験にでてくる
長文問題みたいな文章ですね。
文章中に {穴埋め} や -傍線a なんかがあるといいかもしれない。
昔から、国語の先生(近代文学かぶれの!)にウケて
両親からは「生意気な文章を書く」と怒られていた
いかにも 私らしい文章です。