同情
この言葉が嫌いだ。
辞書には『他人の苦しみ・悲しみなどを思いやること』とある。
「可哀想」という言葉に、怒りを覚えるのは私だけだろうか。
別に「可哀想」と思われるために、私の現状があるわけではない。
歪んだ考えだとは思う。哀れみを受けることを嫌うのは、人間として間違っているのかも知れない。
しかし、私は自分を「可哀想」だとは思わない。
他人の自己満足のために私がいるわけではない。
普段通りに振舞うのを見て、哀れみの目を向けられる。「無理している」と思われる。
大した事ないと自分で思っていても、そんな目を向けられるともう少し落ち込まないといけないのかと思う。
連れは笑い飛ばした。
「関係ないじゃん。」「あんた全然無理してないし。」「何で本人が全然平気なのに、周りの目で可哀想にならなきゃとか思うの。」「思わせたい奴らには思わせとけば?お得意の演技で。」
彼女達の何も変わらない目が、私には何よりもの救いだった。
本人の苦しみは本人にしかわからない。
他人から見て辛い状況でもそれが本人には苦しみじゃないのかもしれない。
他人が本人の痛みを決めるというのは失礼な事だとは思いませんか?