北京(年末)  参考:中国の民俗学ー直江広治著

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 ろう月(旧暦十二月)も半ばを過ぎると、そろそろ年末気分がただよってくる。北京の街ではこの頃になるとさまざまな年賀が売り出される。年賀の筆頭は「雑拌児」である。さんざしの実をすりつぶして作った羊羹の薄片・砂糖煮の蓮根・密煮の棗・落花生・栗・それに西瓜の種子・胡桃・榛・蓮などの実、こういった雑多なものを混ぜ合わせたもので、まことに色とりどり、見た眼もにぎやかな菓子である。また、細い麺を油であげて、塔の形に組み立てた「密供」や「年こう」なども菓子屋の店先にならべられる。

  ここで歳末を歌った北京の民謡を1つ

       二十三  糖瓜黏 (二十三日は飴をぬり)

       二十四  掃房日 (二十四は大掃除)

       二十五  作豆腐 (二十五はお豆腐作り)

       二十六  去割肉 (二十六は肉きざみ)

       二十七  去宰けい(二十七はけいしめて)

       二十八  白麺発 (二十八は麦粉をふかし)

       二十九  満香斗 (二十九は枡に穀物つめこんで)

       三十日  黒夜坐一宵(大晦日は夜もすがら)

       大年初一出来じゅう一じゅう(いざ元日になったらばお家をそとにのらりくらり) 

 「年の暮の二十三日からいよいよおし詰まったという感じになるのであるが、「二十三日は飴をぬり」と謡われている竈祭についてのべてみよう。

 竈の神は通例ファオワンイエといわれ、単に家々の竈火を管理するばかりでなく、広く一家の保護神として崇められている。このファオワンイエは旧年の大晦日の夜以来その家に留まり、一家の人々の保護監査に当っているが、一家の善行、悪行をあますところなく教えていて、十二月二十三になると天井の玉皇大帝の許に報告のために昇天する。それを送る儀式が送竈あるいは辞竈と呼ばれるものである。玉帝大帝はファンワオイエの報告にもとづいて、翌年その家に降すべき吉凶禍福の運命をファンワオイエに授けるとされている。北京では送竈の時には、神前に机をすえ、その上に関東糖(糯米を材料にして作った白い堅い飴)・一椀の水・一皿の秣草を供える。用意が整うと一家の主人が、その前で線香を焚き、関東糖を火に温めてファオワンイエの口のまわりに塗りつけながら、「好話多説、不好話別説」(良いことはたくさんおっしゃって、悪いことはおっしゃらないでください)と唱える。これは飴で口をねばらせ、悪口が言えないようにするためだとされている。唱えごとがすむと、神像と秣草をそうにいれて燃やし、碗の水を注ぎかける。ファオワンイエはそうの煙突から煙とともに昇天するというように考えられている。

 竈祭がすむと、いよいよ正月を迎える準備も本格的になる。豆腐や饅頭を準備したり、三十児晩上までには正月の飾りつけをすませる。大晦日の夕飯には大変なご馳走をならべ、かならず餃子を食べ、中に栗や棗の実を入れ、それを食べ当てたものは縁起が良いといって大騒ぎする。この夜はみんな眠らずに夜を過ごすのがしきたりである。夜が更けると、接神・接竈という大事な儀式がいとなまれる。院子に「接神たく」(神迎えの机)を持ち出し、それに百分をのせ、吉方あるいは南面してすえる。 百分の前には、密供・年こう・餃子・蘋果などさまざまな供え物がならべられ、赤ろう燭がともされる。真夜中近くになると門を開け放って盛んに爆竹を打ち上げ、主人が礼装して接神たくの前で叩頭し、線香を焚く。接神がすむと、主人は線香を捧げ持って屋内の神壇の前に坐って叩頭の礼をし、部屋に掛けた祖先の像や家譜を拝む。これで接神の儀はとどこおりなく終わり、これを境として正月に入る。

    ☆栗→子供が生まれる。 ☆棗→早児で早く子供が授かるように。

                                                       

 

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