シンガポールの英語
私は、多民族国家はどのようにお互いコミュニケーションをとるのかに興味をもった。はじめは中国の国内ではどのような言語を使い分けているのかを調べようと考えていたが、ある時テレビのニュースでシンガポールについてやっているのを見た。政治家の娘がインタビューに答えていて、内容は父が警察に捕まり刑務所にいて、それについての内容を述べているものだった。その時その子は英語をつかっていた。そして周りの人も英語をつかっていた。私はシンガポールでは何語を母語とするのか知らなかったために、どこまで英語がこの国に浸透しているのかその国の言語についてすごく興味をもった。それで私はシンガポールの英語について調べてみることにした。
シンガポールは中国人、マレー人、インド(タミール人)によって構成されている複合民族社会である。それぞれの民族グループは独自の言語と文化を維持している。すなわち中国人は中国語(華語)、マレー人はマレー語、タミール人はタミール語を母語として習得する。このうちマレー語は国語(national language)でもあり、国家もマレー語である。だが国語を「国民が使用するその国の言語」(広辞林)とする常識はシンガポールでは当てはまらない。それはマレー語を用いる層が国民の14.6パーセントの人口比率のマレー系に偏っているからである。つまりマレー系シンガポール人の母語としての役割のほうがはるかに大きい。標準中国語とされる華語は、シンガポールの中国人社会において、リンガフランカ(lingua franca)としての重要な役目を期待されている。シンガポール政府は中国人社会での華語使用を奨励しているが、中国系シンガポール人のうち華語を母語としてはなす者はほんの一握りにすぎない。タミール語はインド系シンガポール人の公用語である。しかしインド系といってもタミール人(Tamils)の他に、マラヤーム人(Malayalams)、セイロン人(Ceylonese)、パンジャブ人(Panjabies)なども含まれていて言語状況はかなり複雑である。しかもシンガポールのインド社会は小規模であるうえに、英語を母語として話すインド人家庭が増加しつつあることもあって、公用語としてのタミール語の役割は減少しつつある。つまり英語はシンガポール社会においては、最も優勢な言語(dominant language)である。政治・司法・経済・教育といったあらゆる領域で使用され、重要な通用語となっている。国際語としての機能もさることながら、シンガポールにおいては各民族集団相互のコミュニケーション手段としてなくてはならない言語である。
シンガポールと英語との接触は貿易を通してといえる。1819年に東南アジアにおけるイギリス貿易拠点を探すという名目で東インド会社から派遣されたスタンフォード・ラッフルズが上陸して以来東洋と西洋の経済・文化交流の地として発展し、英語との接触も急速に高まっていったのである。イギリス統治時代の通用語が英語であったのは当たり前のことである。シンガポールの人々が、特に経済発展上不可欠であるとの実利的立場から、英語の必要性をすばやく察知し、コミュニケーション手段としての英語の機能・役割は拡大していった。
シンガポールにおける英語の役割は、こういった国際的言語としてもっとも優勢であったために特につかわれているということもあるが、先に述べたようにこの国において非土着性の言語であり、多民族・多文化・多言語国家の統一に必要な民族的偏りのない中立的言語として最適であるとシンガポールの指導者たちが判断したからに他ならない。
シンガポールの初等教育・中等教育機関は、英語系・中国語系・マレー語系・タミール語系の学校があり、子供達をどの学校へ通わせるかは原則として親が決める。英語系の学校に通う生徒たちは、第二言語として中国語・マレー語・タミール語のうちいずれか1つを学習しなければならない。その他の学校では、英語を第二言語として履修することを求められる。このようにすべての生徒が2つの言語を学習しなければならないシステムになっている。しかし最近では英語系の学校出身者のほうが、大学入試・就職・昇進などすべてについて優遇されるため、英語系の学校に通う生徒が激増しているという。
シンガポールの英語教師達が最も積極的に採用しているのは折衷教授法(eclectic method)である。多種多様のニーズ・目的・言語背景をもつ学習者に対処するためにあらゆるアプローチ、テクニックを利用しシンガポールに最も適した教え方を見出そうと努力を続けている。しかし現実はそう簡単ではないという。その理由の1つを、シンガポールの子供達の複雑な言語背景にあると説明する。
例えばここに10歳になる男の子がいる。この男の子は、家庭では両親・祖父母と自分の母国語である広東語で話す。兄弟・姉妹とは英語でも話す。華語と英語を幼稚園で少し習ったが家で使うことはほとんどなかった。しかし学校へ通うようになってから新しい友達もでき、そのうちの何人かは福建語を話す。マレー語、英語を話す友達もできた。仲のよい友達と遊んだりする時は福建語を話す。家に帰ると広東語になる。学校は英語系の学校なので英語が第1言語で華語が第2言語である。当然学校では英語と華語で授業を受け、教室内での先生や友人との会話は英語と華語でおこなう。学校の休み時間には英語・華語・マレー語・福建語を使い分ける。つまり複数の言語を使ってコード切り換え(code switching)をおこなうのである。
このようなケースはシンガポールではごく普通である。つまりシンガポールの子供達の大多数は、多言語・多方言使用者なのである。もちろんすべての言語・方言で同じように読み書きができるというわけではないが、少なくともオーラルコミュニケーションには不自由しない。しかしこうした子供達が同じ教室で勉強したときに、教材の選択はもちろん英語学習の際に何らかの干渉(interference)があったとしてもどの言語からのものなのか判断するのが非常に難しくなる。このように問題は山積みであるという。もう1つの問題をあげるとすればどんな種類の英語を教えるべきかということである。子供達は家族や友人や教師を通して基層方言・中層方言をまず覚える。したがって学校で新たに高層方言を学ばなければならないのである。
高等教育レベルでは英語が唯一の教育言語である。初等教育・中等教育を英語系以外で受けた学生のなかには、話すほうにあまり問題はなくとも、やはり読み書きに英語力が不足している者も多く、そうした学生の学力向上のためにシンガポール国立大学ではELPU ( English Language Proficiency Unit ) を設けて特別英語クラスを取れるように配慮している。このクラスは英語の学力不足の生徒達には必修のクラスであるが卒業単位には含まれず、正規の授業を取りながらの履修になるので、学生にとってはかなりハードなスケジュールになる。
これを知る限りでは、初等教育からしっかりと英語を身につけておかなければ高等教育になった時にはもうすでに学力的に遅れをとってしまうために英語系の学校に通っていくほうがいいような気がする。
マスメディアにおいても社会生活において深く根をおろし、ひいてはシンガポール社会の発展を左右するほどの影響力をもっている。そのメディアの世界においても英語が急速に勢力を伸ばしつつある。新聞においては年々発行部数が伸びてきているなかでも英字新聞の増加は顕著である。25年も前になるが1975年の読者別調査によれば、年齢が低くなるにつれて英字新聞読者数の割合は大きくなっているという。これはシンガポールの教育水準の向上にともなう識字率の増大と、英語優先政策の結果を裏付けるものと言える。テレビ放送はシンガポール文化省の管轄の下で、The Singapore Educational Media Serviceによって放送されている。これらも4つの公用語で放送されているが、英語でのプログラムが多い。マスメディアにおける英語使用量は予想以上に高く、シンガポールにおける英語の重要性をはっきりと示していると言ってよいであろう。
人種や文化が異なるいくつかの集団が同時に存在する場合、1つの強い民族の言語や文化を他の民族におしつけてしまうというのが考えがちであるが、その点で、シンガポールではどれか強い民族の言葉や文化をおしつけるのでないために、一つ一つの民族がつぶされることはない。生まれてからずっと日本にいる私にとって、日本がシンガポールのように多民族国家であったらというのは考えられない。日本にいる限り言葉も文化もみんな同じであるとしか考えられない。しかし日本のようにここまで多民族国家でない国にいるためにもし日本がシンガポールのようであったならば英語やその他いろんな言葉は使えるようになるのかと思えば少し面白いような気がする。自分の民族を尊重しつつ、民族統一のための英語はすんなりと受け入れられるという国であるのはすばらしいことだと思う。しかし最近では英語系の学校でないと将来に支障があるというようになってきてしまっているように英語の重要性はもっと増えると思う。黒人であるから、アジア人であるから、などというような差別はなく、一つ一つの民族を尊重できるのは英語のおかげであるといえるが、どの言葉も中途半端に話せ、それがすべて中途半端になってしまうおそれがあり、子供達にとっては多少困難であるような気がした。