久保・番町

この店にはいくつか伝説のエピソードがいまも伝わっている。
何年か前、異常渇水でさぬき中が、干し上がってしまった時、
高松のうどん屋も最初は頑張って営業しよったが、ほとんど討ち死にして、
2週間ぐらいでどの店も両手を上げて、店を閉めとった
それでも、”久保”だけは、
「水が少ないぐらいで店閉めよったら、讃岐うどんの”名”がすたる」といって
どこで毎日、水を調達しよったんかは知らんけどただ一軒休まんと営業を続けとった。
店主も店内のお姉ちゃんも全員70歳代のこの店の心意気に、讃岐の人はみんな感銘を受け、
連日のように、テレビでこの店が紹介されよった。
また、こんなエピソードも聞いたことがある。
そもそも、ここは米穀屋の卸をしよったんじゃが、どうせ小麦があるんなら”うどん屋”も一緒にしようと
うどん職人を一人雇うて、店をオープンした。その、うどんを打つ技術を横目で見ながら営業をつづけ、
自分も練習して、うどんを打てるようになったら、職人をクビにしてしもうた!

朝、早い時間から営業しとったんは知っとるけど、ハッキリ何時オープンだったのかはしらん。
いつも、7時30分頃いったらいつも開いとった
店を入ると狭い通路になっとって、その先の右側で注文する。
飯山の中村はネギを自分で畑から取ってきて自分で切るけど、ここはうどんを受け取る所に、
コロッケ、長天、天ぷらが置いてあって、まな板も一緒に置いてある。
その、まな板の上に”ドーンと包丁”が置いてあって、
背広を着たエエおやじが、はずかしもなく、天ぷらを”切りきり”しとった
ここの”かけうどん”は、麺をおもいっきり湯がいて、ダシも熱いもんじゃから、”とんでもない熱さ”で、出てくる
ハフ〜、ハフ〜せんと、とてもじゃないけど食えんかった
ダシは、昔ながらの”いりこ”味一筋で、一度味わうと忘れられん味だった

名店のひとつだったが、高齢なこともあり残念ながら、店を閉めてしまって、いまはもう味わうことはできなくなった
いつ行っても、水準以上のうどんを食べれただけにとても残念だ
      
aaaa              
お店の入り口へ
aaaa
aa CHECKへ