今回は、私の修業時代(?)のお話を・・・
「おにいさん、どう?」
この街ではあいさつのようなその言葉に、
私は珍しく振り返った。
この街では立ち止まってしまったら負けと知っていたのに。
時計は午前4時を指していた。
店の仕事が終わって、
いつも通り始発までの時間を潰しにどこかへ行こうと思っていた。
別名「眠らない街」とも言われる新宿歌舞伎町。
その街でもさすがに駅は眠るようだ。
西武新宿の駅前を通り過ぎようとしたとき、
その声が雨とともに降ってきた。
突然降り出した雨から逃げるように私は走っていた。
とりあえずコンビニで雨宿りをしようと考えていた。
この通りをまっすぐ行けばコンビニがある・・・そう思ったときに
傘を差した彼女に微笑みかけられた。
雨の日のこんな時間に、
しかも走っている人間に声をかけるなんて、
よっぽど暇なんだろう。
しかし、外に出ているのは彼女だけである。
そのことに妙に引かれてつい、
立ち止まってしまった。
「40分6000円なんだけど」
チャイナドレスに身を包んだ彼女のイントネーションは、
やはり日本人のモノではなかった。
ネオンから少し離れた暗い場所でも
はっきりとその厚化粧が分かった。
うちの店の給料は週払い。
財布の中には、
今夜もらったばかりの一週間分の給料が全額まるまる残っている。
だからといって・・・
と少し考えていると彼女は言った。
「5000円ならどう?」
・・・この感じならあと1000円ぐらい安くなるか??
私は彼女の目をじっとみつめてみた。
その大きな瞳を、ひとつ傘の下で。
「これ以上は無理よ」
それじゃあ、とばかりに立ち去ろうとした私に
「4500円」
と彼女は一言だけ言った。
たまには美人にマッサージされるのも良いか・・・
毎日の立ち仕事で腰はちょうどツライ状態だった。
彼女は「梅・メイ」と名乗った。
日本に来て2年になるらしい。
マッサージを受けながら少しだけ話をした。
趣味はいろいろな音楽を聴くこと、
来年には帰国したいということ・・・などなど。
40分が終わったとき、
私は思わず
「仕事、いつ終わるの?」
と口にしてしまっていた。
外に出ると、雨は止んでいた。
腕時計を見ると5時半。
少しだけ東の空が明るい。
20分ほど前に私が出てきた所と同じ所から、
ひとりの女性が出てきた。
濃いブルーのジーンズとグレイのちょっと大きめなパーカー、
薄いピンクのルージュを引いた、
しているかしていないか分からないような薄化粧。
メイと分かるまで少し、時間がかかった。
「私にまかせて」
メイはそう言うと、
私の手を握ってとっとと歩き出した。
怪しい所に連れて行かれたりしないよな・・・
心の中でそっとつぶやいた言葉が聞こえたかのように、
彼女はクスッと微笑んだ。
メイがドアを開けると、
店の中からCharのギターが聞こえてきた。
ほう・・・
オレンジの照明も悪くない。
入り口で立ち止まっていると、
メイが
「どうぞ」
とまた微笑んだ。
店内は意外と込み合っていた。
5つほど並んだボックスの間を、
私と同じ歳くらいのスタッフが縫うように歩いている。
カウンターの中には、
ひょろっとしたマスターらしきバーテンがひとりいるだけだった。
メイは、
カウンターの左端に2つだけ席が空いているのをめざとく見つけると、
椅子によじ登るように座り
「いつものね。あなたは?」
と言った。
私は、
初めての店でいつもするように
「マティーニ」
とだけ言った。
程なくオリーブの沈んだカクテルグラスと、
底にライムが沈み、
オレンジ色の液体で満たされたタンブラーが前に置かれた。
「ボヘミアンドリーム?」
「うん。そう。」
「君にピッタリだね」
「うん!」
すっかり魅せられてしまった微笑みが返ってきた。
「Cheers!」
2つのグラスが小気味良い音を響かせた。
それから1時間ばかり、
お互いに自分自身のことを話した。
そして、
他の客がだんだんと朝日へ向かい、
スタッフがほうきを手にしだした頃、
メイは流れ星について語りだした。
「私はね、流れ星になりたいの。
その流れ星は、
いつもいつも、昼も夜も流れ続けているの。
だって、見えないけれど昼だって星は流れているはずでしょ?
それにね、
下にだけじゃなくて、
上にも右にも左にも流れるの。
誰にも捕まえられない流れ星。」
「Shooting star is bohemian.」
「そう、流れ星はbohemianなの。
そして、
いつか消えていく運命なの。」
気付くと、
店内にはヘンリーマンシーニ・オーケストラの音が
控えめな音量で流れていた。
メイは、
グラスに氷とライムのかけらだけを残して
オレンジの液体を飲み干した。
それを合図に私は、
「コーヒーでも飲みに行くか?」
と言った。
外に出ると、
眩しいばかりの青空が広がっていた。
この空にはたくさんの星が流れているんだろうな・・・
そう思うと、
空の青の中にひとつの閃光が走ったような気がした。
「今度はオレに任せて」
メイの手を握ると、
私は歩き出した。