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それは、ある年の11月の第3木曜の夜でした・・・



今年もこの日がやってきた。
私は、届いたばかりの箱の中から1本だけ手にとって眺めた。
今年の出来はどうだろう?
一年に一度の楽しみ・・・
ソムリエナイフを使って封を切り、コルクを抜くと
若さに満ちあふれた香りが広がった。
私は思わずほくそ笑んでしまう。
そして、少しだけワイングラスに注ぎ、
色と香りを充分に楽しんでから口の中へ運ぶ。
舌の上で転がし、喉の奥へと落としていく。
ああ、今年もなかなかの出来だ・・・
私は余韻をゆっくり楽しみながら
とある夫婦のことを思いだしていた。

「いらっしゃいませ」
「こんばんは!今年のどうです?」
「それは、ご自分でお確かめ下さい」
「そうですね。では、早速1本開けていただきましょうか」
「かしこまりました」

店に入ってすぐに声をかけてきた男性と
そのすぐ横にいる女性は夫婦だ。
この夫婦を深く結び付けたのがボジョレー・ヌーヴォーだったのだ・・・
「そこから先は私が自分で話しますよ」
「失礼しました、奥様」

あのころ、私たちはまだつきあい始めたばかりでした。
お互いのことを探り合ってる感じで、
相手の本心がどこにあるのかを知りたがっていました。
私はそのころ、妻子ある人と別れたばかりで、
実はまだそれほどこの人のことを好きではありませんでした。
私はいわゆる「ファザコン」で、
恋愛相手に対して父親の姿を無意識のうちに求めてしまうタイプでした。

父親は無類のワイン好きで、
限られた小遣いをやりくりしてワインを収集していました。
普段は無口で落ち着いた真面目なサラリーマンなのに、
ちょっとお洒落な趣味を持っている父が好きだったのです。
この人は当時、駆け出しのライターで、
おしゃべりで落ち着きがない、
父とはまったく正反対の人でした。
それでも、誰かといっしょにいないと壊れてしまうのではないか、
というくらい寂しかった私はこの人とつきあうことにしたのです。

私には父から贈られた宝物がありました。
それは、
私の生まれた年のボジョレー・ヌーヴォーです。
偶然、私が生まれたのが11月の第3週だったので、
父が記念にとっておいたのです。
家を出て一人暮らしを始めるときに私に渡してくれました。
大事大事に部屋に飾っていたそのボトルをこの人が見つけたときは
自分の秘密を知られたようでドキッとしたのを覚えています。
でも、
それがもとでこの人が父と同じようにワイン好きだということが分かり、
以後、ワインについて語り合うことができるようになりました。
私も父につきあってワインを飲むことがあったので、
多少はワインの知識を持つことができていましたから。

そんなある日、
父が交通事故に遭い突然亡くなりました。
ようやく立ち直りかけていた私は
もう一度どん底に突き落とされたのです。
誰にも会いたくないと、
私は自分の部屋に閉じこもってしまいました。
父にもらったヌーヴォーのボトルを抱きながら
ひたすら泣いていました。
そして、
涙を流しながら気付いてしまったのです。
自分が思っていた以上に父に精神的に依存していたことを。
気付いてしまった私は自暴自棄になりました。
今まで自分がどうやって生きてきたのかも分からなくなり、
これから先、
どうやって生きていこうかなどと考えることもできなくなりました。
暗い部屋の中から出ることなく、
ただただ泣いていました。
しかし、この人は部屋の前でずっと待っていてくれたのです。
ドア越しに「僕はいつまでも待ってる」と言って。
私は無視し続けていたのですが、
夜が明けて覗いてみると
「ちょっと買い物に行ってきます」
というメモが残されていたのです。

そこでようやく私は少しだけですが正気になれました。
眩しい朝日に見とれていると、
この人が走って帰ってきました。
その手には一本のボトルが握られていました。
この日は11月の第3木曜日だったのです。

とにかく私は彼を中に入れました。
いつもおしゃべりなはずのこの人が何も言いません。
私は抱いていたボトルを机の上に置き、
ソファーに身を沈めました。
この人はずっと立ったまま、
真新しいラベルのボトルを握って私を見下ろしていました。

「こんなにやつれてしまって・・・」
この人の言葉に
「もういいの・・・」
とだけ私は答えました。
この人が何も言わないので見てみると、
震えていたので私は驚きました。
「何が・・・いいんだよ・・・
いいわけ・・・ないじゃないか!!」
この人は叫ぶようにひとことずつ私に向かって言いました。
その迫力に圧倒されそうになりながら、
私はその圧力に抵抗しようと
「じゃあどうすればいいのよ!!」
と叫んで立ち上がりました。

テーブルの横で私たちは向かい合いました。
私が「出ていって」と言おうとした瞬間、
この人の平手が飛んできました。
私は思わず倒れそうになって、
テーブルに手を着こうとしました。
その時、父からもらったボトルに私の手があたり、
床に落ちました。
破裂音と共に赤紫の液体が飛び散りました。
部屋中に漂うワイン臭の中で
私は「ああ・・・」と小さな呻き声をあげながら
その場に座り込んでしまいました。
そして、再び泣き始めたのです。

水たまりを作った液体に手を伸ばし、
私は指でその液体をすくって舐めてみました。
とても苦くて、なぜか懐かしい気がしました。
それを見ていたこの人が
「いつまで閉じこもっているつもりだよ」
と言いながら持っていたボトルをテーブルの上に置きました。
そして、
ポケットの中から取り出したソムリエナイフでコルクを抜いたのです。
近くの棚からワイングラスを持ってきて注ぎ、
私に渡しました。
「飲んでごらん」
この人の言葉に私は反抗することも忘れて
ひとつだけ頷きました。

香りを楽しむ余裕もなく、
明るい色をした液体を口の中で転がしました。
先ほどの苦さとはほど遠い、
ほのかに甘い味がしました。
私は目を開いて、この人を見ました。
すると、この人は優しい目をしながら
「ボジョレー・ヌーヴォーは夢と希望の味がするんだ・・・
夢と希望はいつまでもそのままにしておいてはいけない・・・
夢も希望もかなえようとしなければ意味がない・・・
だから、だからヌーヴォーとして飲むんだよ・・・」
と言いました。
私はさっきまでの冷たい涙とは違う、
温かい涙を流しながら
「だから人間は生きていくのね・・・」と言って立ち上がりました。
この人の胸の中で私は、
どうやってこれから生きていこうか考えることができました。

それから私たちは一緒に住むようになり、
1年後の11月、私の誕生日に結婚しました。
乾杯はもちろん、ボジョレー・ヌーヴォーでした。

毎年、誕生日と結婚記念日を祝うのは
新しい夢と希望です。
お互いのこれからを話し、
それを尊重しあいながら生きていく・・・
あの時、この人の胸の中で考えたことを今、
実践することができていると信じています。

さて、今年の夢と希望はどんな味がするのでしょうか?