あれはとある晩のことでした・・・
「お気をつけて。おやすみなさい」
時計の長い針と短い針が1のところで重なり合っている。
スーツを着たサラリーマン風の二人連れを送り出したドアが静かに閉まり、
店内に残されたのは私とカウンター席にいる彼だけになった。
一体、彼はそこに何時間いるつもりなのだろうか・・・
彼が今夜現れたのは今からもう4時間も前。
たまに顔を見せてくれる大学生だ。
今夜は週末ということもあり、
入れ替わり立ち替わり入ってくるお客の注文をこなすのに精一杯で、
彼の相手はできずにいた。
申し訳なく思ってはいたが、
まさかこんな時間まで残っているとは思わなかった。
何かあったのだろうか?
私はふと思い出して彼に声を掛けた。
「そういえば、今夜はライヴじゃなかったっけ?」
「ええ、なかなか良かったですよ」
一見、何事も無かったように彼は答えた。
「あいつらはどうだった?」
あいつらとは、彼の親友がやっているバンドのことである。
何度か彼が店に連れてきてくれたりしていたので、
気にはなっていたが、さすがに店を休んでまでは見に行けない。
「・・・彼女の声、すごく良かったですよ」
そのバンドは、彼の親友がギターを弾き、
その親友の恋人がヴォーカルをしているらしかった。
私は、今夜の帰りが少し遅くなるのを覚悟した。
「何か飲むかい?」
彼の目の前で所在なげに立っている空のグラスを下げながら私は聞いた。
「じゃあ、スクリュードライバーをお願いします」
「それじゃあ、オレも付き合うかな」
私はそう言うと、2つ並べたタンブラーにウォッカとオレンジジュースを注いだ。
できあがったスクリュードライバーを一口飲むと、
彼は唐突にしゃべり出した。
「分かっちゃいるんですけどね・・・
別にあいつがうらやましいとか、
何としてでも奪いたいとか思うわけじゃないんですよ。
でも・・・でもやっぱり苦しいんですよ」
私は、仕事中はなるべく吸わないようにしている煙草に火をつけた。
彼ぐらいの歳なら誰だって一度は経験するようなことではないだろうか?
などと楽観的に考えてみる。
そんな年頃は人に何か言われるよりも、
自分で実際に行動して体験して身をもって知ることの方が
良い場合が多い。
親友の彼女に惚れてしまったとしても、
その気持ちに折り合いをつけられるときが来るはず・・・
が、苦しいのだから仕方ないだろう。
私はため息と一緒に紫煙を吐き出した。
「う〜ん、あれだな、
なんか、穴の長さに合ってないネジをまわしているような気分だろう?」
「・・・はい。
分かっているんだけど、
どこまでまわして良いのか分からない・・・
やめたいのにやめられない・・・
そんな気分です」
自分で分かっているだけまだマシなのだろうか。
さすがにどうしろとまでは言えない。
「下手をすればネジに沿って螺旋状に落ちるだけだ。
どっかで止めるか抜くかしないとな」
彼の「ネジ回し」は半分ほどから減っていない。
すっかり黙ってしまった彼につられて、
私も何も言えなくなってしまった。
空になった自分のタンブラーを流しに下げ、
時計をチラッと見る。
朝を迎えようとしても、
時計の針はちっとも眠そうな気配を見せない。
洗い物は明日やるかな・・・
心の中でつぶやいてみる。
彼はどうやらすっかり頭の中のネジ回しに
夢中になってしまったらしい。
堂々巡りの袋小路から出られないようだ。
このままでは疲れ果ててしまうのではないか?
私は一休みさせてやることにした。
「どうだ?ラーメンでも食いに行くか?
ぐるぐる考えるよりも、決断する時が来るのを待つ方が大事だったりするぞ」
「ええ、腹減りました・・・」
彼はそう言って苦笑いを寄越した。
考えるのも結構労力を消費するものである。
「よし、じゃあ、グラス空けてしまえ」
私はそう言ってジャケットを手に取った。
・・・・・・・・to be continued