Thawing



あれは、とある晩のことでした・・・


「もう!いい加減にしてよ!!」
女性の苛立った高い声が店内に響いた。
手元のステアグラスから顔を上げると、
一番奥のテーブル席で男と女が立ち上がったまま睨み合っていた。
一瞬の沈黙が流れた後、
女は突如身を翻し、
小走りに店の外へと出ていった。
私は、作りかけていたマティーニを、
レモンピールをひねって仕上げ、
カウンターの客に出してからのんびりとテーブル席に向かった。
男に注がれていた好奇心に満ちた周りからの目がため息とともに離れていく。
「カウンターに来ませんか?」
立ったまま呆然と入り口のドアを見つめている男に後ろから声をかける。
「あ・・・はい・・・」
男は気の抜けたような声で答えた。
私は、主もいなくなり、空になっている女のカクテルグラスと、
ブラックルシアンが若干残っている男のショートグラスを持って、
カウンターの中へと戻った。

女のグラスを流しに置き、
男のグラスをカウンターに来た彼の前に置く。
「あ・・・すいません」
彼が少しだけ目を上に向けた。
「どうしました?」
彼に悟られぬよう小さくため息をして、
私は野暮と知りながらも聞かずにはいられなかった。
「愛想・・・尽かされちゃいました」
と彼は苦笑した。
「実は・・・彼女にプロポーズされていまして・・・
その答えをずっと先延ばしにしてきたんです・・・
こんな僕で本当に良いのかな?って思っちゃって・・・」
なるほど、話し方同様、彼らしい優柔不断ぶりだ。

「新しいの、お作りしましょうか?」
彼の前のグラスの中では氷の中に僅かに残った液体が、
きれいな琥珀色から薄い茶色になってしまっている。
「あ・・・お願いします」
手早くウォッカとカルーアをステアし、彼の前に置く。
しかし、彼はグラスに目を落としながらも手をつけようとはしない。
「ブラックルシアンって、初めはウォッカが強すぎて、
ちょっとキツイですよね?
でも、氷が溶けてくるにしたがってカルーアの甘味が出てきて、
良い塩梅になりますよね?」
「ええ・・・それがおいしいんですけど・・・」
彼はちょっと困った表情をしている。
私は構わず続けた。
「たしかに、じっと何もせずに氷が溶けていくのを待っていても、
おいしいブラックルシアンにたどり着けます。
しかし、氷を動かしてやったり、グラスを揺らしたりすると、
氷がうまく溶けてくれます。
さらに、ウォッカとカルーアがしっかり混ざってくれます。
そうすると、ウォッカとカルーアの両方の味が主張して、
混ざり合ってもっとおいしくなりませんか?」
彼の目がハッと見開かれるのが分かった。

「僕はいつも彼女のことを尊重して、
いつも彼女の言うことを支持してきました。
何でも彼女が言うことを聞いて、その通りにしてきました。
・・・でも、それじゃうまく混ざらないんですよね。
結婚なんて全く違う2つのお酒が混ざってグラスの中に存在する、
そう、カクテルのようなものですよね。
どちらも主張してこそ良いものになるはず・・・」
そう言うと、彼はグラスの中の氷を指でまわし始めたのだった。
と、そのとき、彼の携帯電話が鳴った。
その瞬間、彼の目が安堵感と緊張、
そして、決心に満ちたものに変わるのを確認して、
私は彼の前を離れたのだった。